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百人一首の本当の意味を考えてみる  作者: clarify
19首目 伊勢(いせ)
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95/95

19-4

そんなわけで伊勢(いせ)の歌はこの歌の本歌取(ほんかと)りではないかと思うのです。


「 短き蘆(あし)の節(ふし)の間」、本当は「近しい仲」を表しているのではないでしょうか。


難波潟(なにわがた) 短き蘆(あし)の節(ふし)の間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや

(難波潟(なにわがた)の葦の節の間の短さくらい親しくなったのに逢わずに日々を過ごせというのでしょうか)


実はこういう意味なのかもしれません。


さて、本歌取(ほんかと)りといえば、もとの歌の一部を頂いて違う歌とする手法なのですが……この歌、意味が同じと思えるほどかなり類似しています。


百人一首の撰者とされる藤原定家(ふじわらのていか)はなぜこの歌を秀歌として選んだのでしょう。


伊勢(いせ)の歌は元の歌の感想のような形ともとれます。


真小薦(まおごも)の歌は「親しいのに逢えない」と嘆いています。

難波潟(なにわがた) の歌はもしかしたらその歌に対して「そんなに親しいのに逢えないなんてかわいそうに」と言っているのかもしれませんね。

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