第8話 元魔王の休暇
第8話です。
今回、喫茶ミオを訪れるのは、元魔王。
かつては恐れられ、玉座に座り、世界を震え上がらせていた存在。
けれど、世界が終わったあとに残ったのは、役割を失った一人の魔王でした。
恐れられること。
覚えられること。
そして、誰かに「休んでいい」と言われること。
第8話「元魔王の休暇」、お付き合いいただけると嬉しいです。
その日、店主はカウンター横の自動販売機を磨いていた。
赤と白の塗装は色褪せ、正面パネルには細かなひびが入っている。もう表示は点かない。内部の機械音も聞こえない。投入口に硬貨を入れても、たぶん何も起きない。
それでも、店主は乾いた布で丁寧に表面を拭いていた。
自動販売機の名は、AVM-0321。
人間になりたかった自動販売機。
駅前通りで長い間、人々に飲み物を出し続けていた。ありがとうと言われるのが好きで、どういたしましてと言いたくて、それが叶ったあと、この店の中で静かに停止した。
今は、喫茶店の一部としてカウンターの横に立っている。
正面には、店主が書いた紙が貼ってある。
――夜明けのブレンド 価格:ありがとう一つ
――店内専用。どういたしまして付き。
AVMの中には、不思議な瓶が一本だけ入っている。
夜明けのブレンド。
琥珀色の液体。
いつか誰かがそれを手に取るかもしれない。
その時、AVMはもう表示を出せない。音声も出せない。だが、この店のどこかで「どういたしまして」と返してくれるような気がしていた。
店主は布巾を折りたたみ、AVMの側面を軽く撫でた。
「今日もよろしくお願いします」
返事はない。
だが、返事がないことにも少しずつ慣れてきた。
この店には、返事のないものがたくさんある。
カウンターの端に置く一杯目のコーヒー。
篠原が座っていた窓際の席。
倉庫の木箱に預かった折れた聖剣。
黒瀬の原稿。
アメに出した蜂蜜入りホットミルクの甘い記憶。
そして、喫茶ミオという名前。
返事はない。
それでも、そこにある。
あるだけで、店主の中に何かを残していく。
店主はカウンターに戻った。
いつものように豆を挽き、一杯目のコーヒーを淹れる。
白いカップ。
カウンターの端の席。
誰のためか分からない一杯。
その湯気を見つめながら、店主は少しだけ考えた。
ここまで、いろいろな客が来た。
五十年遅れの荷物を届けた配達ロボット。
世界最後の新聞を作ろうとした記者。
記憶を売った少女。
幽霊になった常連客。
世界を救えなかった勇者。
人間になりたかった自動販売機。
彼らは皆、何かを終わらせに来ていた。
配送任務。
記録すること。
忘れてしまった記憶。
最後の一杯。
勇者という役割。
ありがとうへの返事。
では、次に来る客は何を抱えているのだろう。
店主は窓の外を見た。
灰色の空。
壊れた街。
ひび割れた道路。
遠くに傾いたビル。
いつもと変わらない風景。
そう思った直後、空が割れた。
「……え?」
店主は思わず声を漏らした。
窓の外、喫茶店の前の道の上に、黒い裂け目のようなものが開いていた。
空間そのものが縦に裂け、その奥から紫色の光が漏れている。風が渦を巻き、砂と灰が舞い上がった。倒れた街灯が震え、道路に溜まっていた水たまりが波打つ。
店内のカップがかたかたと鳴った。
AVMの正面パネルが一瞬だけ薄く反射した。
店主はカウンターから出て、窓に近づいた。
裂け目の奥から、誰かが現れた。
黒い外套。
高い襟。
銀色の髪。
額から伸びる二本の角。
背中には大きな黒い翼。
長身で、顔立ちは整っているが、目つきは鋭い。身にまとっている服は上等そうだったが、裾は焦げ、肩には灰が積もっていた。腰には剣ではなく、宝石のついた杖が下げられている。
その人物は、裂け目から一歩踏み出し、喫茶店の前に立った。
そして、周囲を見回した。
壊れた街。
灰色の空。
誰もいない道。
その中に一軒だけ灯りをともす喫茶店。
角のある男は、しばらく黙ってそれを見ていた。
やがて、胸を張り、片手を大きく広げて叫んだ。
「ここが、余の保養地か!」
店主は窓越しにその姿を見つめた。
保養地。
どう見ても違う。
少なくとも、一般的な意味での保養地ではない。
男は自信満々に喫茶店へ歩いてきた。
扉を開ける。
からん、とベルが鳴る。
店内に、冷たい外気と一緒に、何か焦げたような魔力の匂いが入ってきた。
男は入口で立ち止まり、店内を見回した。
カウンター。
テーブル。
窓際の席。
カップ。
棚の瓶。
カウンター横の自動販売機。
そして、店主。
男は店主を見て、眉を上げた。
「ふむ。小さい店だな」
「いらっしゃいませ」
店主はいつものように頭を下げた。
男は少し驚いたように瞬きをした。
「余を見ても逃げぬのか」
「逃げた方がよろしいでしょうか」
「いや、逃げられると面倒だ。追うのも疲れる」
「では、逃げません」
「妙な店主だな」
「よく言われます」
男は店内へ入ってきた。
床板がぎしりと鳴る。
翼が棚にぶつかりそうになり、男は少しだけ身をかがめた。
その姿は威厳があるようで、どこか窮屈そうでもあった。
「お席へどうぞ」
店主が言うと、男は店内を見回した。
「玉座は?」
「ありません」
「では、貴賓席は」
「お好きな席へどうぞ」
「一番偉そうな席はどこだ」
店主は少し考えた。
「窓際の奥の席でしょうか」
「なぜだ」
「常連の先生が好んでいた席です」
「教師か。つまり知の玉座だな」
「たぶん違います」
「よし、そこにしよう」
男は堂々と窓際の奥の席へ向かった。
篠原が座っていた席だ。
店主は一瞬だけ迷った。
しかし、篠原ならきっと笑って許してくれる気がした。彼は教師だった。妙な客が自分の席に座ることも、物語の一部として楽しむかもしれない。
男は椅子に座ろうとして、翼が引っかかり、少し苦労した。
店主は近づき、椅子を少し引いた。
「翼、大丈夫ですか」
「問題ない。余の翼は偉大だからな」
「偉大すぎて椅子に収まっていません」
「……少しだけ畳む」
男は翼を小さく畳んだ。
ようやく椅子に腰を下ろす。
座ってから、彼は満足そうに腕を組んだ。
「ふむ。悪くない」
「ご注文は」
「休暇を頼む」
店主は瞬きをした。
「休暇」
「そうだ」
「飲み物ではなく?」
「飲み物も頼む。だが、主目的は休暇だ」
「うちは喫茶店ですので、休暇そのものはお出しできないかもしれません」
「では、休暇にふさわしい飲み物を出せ」
「かしこまりました」
店主はカウンターへ戻った。
男の様子をちらりと見る。
角。
翼。
高い魔力の気配。
堂々とした態度。
どう見ても普通の客ではない。
勇者レオンの後に来る客としては、妙に納得できるような気もする。
店主は豆の缶を開けた。
「お客様、お名前をうかがってもよろしいですか」
男はふふんと鼻を鳴らした。
「聞いて驚くな」
「はい」
「余は、黒焔城の支配者。夜を統べる者。百八の魔将を従えし者。人間どもに恐怖と畏怖を刻みし者。七つの王国を震え上がらせ、十二の聖騎士団を退けた、偉大なる魔王――」
男はそこで言葉を切り、少しだけ視線を逸らした。
「……だった者だ」
店内に静けさが落ちた。
店主は湯を注ぐ手を止めた。
「元魔王、ということでしょうか」
「そう言うな。響きが寂しい」
「では」
「前魔王」
「引退された感じがしますね」
「それも嫌だ」
「休暇中の魔王」
「それだ」
男は満足そうに頷いた。
「余は休暇中の魔王、ヴァルグランである」
「ヴァルグラン様」
「様はいらん」
「では、ヴァルグランさん」
「急に庶民的になるな」
「喫茶店なので」
「むう」
ヴァルグランは不満そうにしながらも、それ以上は言わなかった。
店主は考えながらコーヒーを淹れた。
休暇にふさわしい飲み物。
元魔王。
恐れられることに慣れた者。
だが、今は休暇を求めている。
苦すぎるものではない方がいい。
レオンには、最初に強い苦さが必要だった。
だがヴァルグランには、少し力を抜くための甘さが必要な気がした。
店主は深煎りのコーヒーを淹れ、そこへ温めた牛乳をたっぷり加えた。
砂糖も少し多め。
さらに、棚の奥にあった黒蜜のような甘いシロップを一滴。
魔王らしく濃い色。
けれど味は丸い。
店主は大きめのカップに注ぎ、ヴァルグランの席へ運んだ。
「お待たせしました」
ヴァルグランはカップを見た。
「黒くないな」
「カフェオレです」
「魔王に牛乳入りを出すのか」
「休暇中なので」
「なるほど」
ヴァルグランは納得したようにカップを手に取った。
香りを嗅ぐ。
眉をひそめる。
「甘い匂いがする」
「甘めにしました」
「余は魔王だぞ」
「はい」
「苦く、暗く、深淵のような飲み物がふさわしいのではないか」
「休暇中なので」
「便利な言葉だな、休暇中」
そう言いながら、ヴァルグランはカフェオレを一口飲んだ。
目を見開いた。
しばらく黙った。
そして、カップを見下ろした。
「……悪くない」
「ありがとうございます」
「いや、悪くないどころではない」
ヴァルグランはもう一口飲んだ。
「甘い」
「はい」
「温かい」
「はい」
「なんだこれは。人間どもは、普段からこのようなものを飲んでいたのか」
「お店によると思います」
「ずるいな」
「ずるい?」
「人間どもは、余に隠れてこんなものを」
「たぶん隠してはいなかったと思います」
ヴァルグランはカップを両手で包んだ。
その姿は、魔王というより、寒い日に初めて甘い飲み物を知った客に近かった。
「おいしいですか」
店主が尋ねると、ヴァルグランは少しだけ顔を背けた。
「魔王は、簡単においしいとは言わぬ」
「そうですか」
「……うまい」
「ありがとうございます」
「おいしいより重い言葉だ」
「なるほど」
店主は少し笑った。
ヴァルグランはそれを見て、むっとした。
「何を笑う」
「いえ、少し安心しました」
「何にだ」
「休暇を楽しめそうで」
ヴァルグランは黙った。
それから、カップの中を見つめた。
「休暇、か」
その声には、先ほどまでの尊大さが少し薄れていた。
店主はカウンターへ戻りながら尋ねた。
「なぜ、休暇を取りたいと思ったんですか」
「疲れたからだ」
ヴァルグランは即答した。
「魔王業に、ですか」
「魔王業と言うな。業務っぽい」
「実際、業務のようなものでは」
「そうだ」
ヴァルグランは深くため息をついた。
「魔王というのはな、思っているより忙しい」
「そうなんですか」
「まず、城の維持管理がある。黒焔城は広い。広すぎる。掃除だけで大変だ。魔族どもは威厳のために蜘蛛の巣を残せと言うが、残しすぎると普通に不衛生だ」
「魔王城にも衛生管理があるんですね」
「当然だ。疫病が出たら困る。次に部下の管理だ。魔将はすぐ喧嘩する。吸血鬼族と獣魔族は食事マナーで揉める。骸骨兵は給料をいらぬと言うくせに、福利厚生にはうるさい」
「福利厚生」
「骨休め休暇を要求してきた」
「骨だけに」
「そうだ。本人たちは大真面目だった」
店主は笑いをこらえた。
ヴァルグランは真剣な顔で続ける。
「さらに人間側への威嚇演説。定期的な侵攻計画。勇者対策会議。魔界税制改革。古竜との領土交渉。呪いの森の再開発。封印された邪神の苦情対応」
「苦情対応まで」
「邪神は封印されているくせに要求が多い。『もっと禍々しい供物を寄越せ』とか、『封印石の向きが気に入らぬ』とか」
「大変ですね」
「大変なのだ」
ヴァルグランはカフェオレを飲んだ。
「それでも、余は魔王だった。恐れられていた。人間どもは余の名を聞くだけで震え、魔族どもは余の前で膝をついた」
「はい」
「だが」
彼の声が少し低くなる。
「世界が終わった」
店内の空気が静かになった。
コミカルな語りの奥にあったものが、ようやく顔を出したようだった。
「どう終わったんですか」
店主は静かに尋ねた。
ヴァルグランは窓の外を見た。
そこには、彼の世界ではなく、この店の外の灰色の廃墟がある。
だが、彼の目には別の景色が映っているようだった。
「最初は、人間どもが内乱を起こした。勇者を失った国々が、魔王亡き後の領土を巡って争った。余は、まだ生きていたがな」
「魔王亡き後?」
「人間側の宣伝だ。余が勇者に倒されたことになっていた」
「実際は?」
「勇者が来なかった」
店主は瞬きをした。
「来なかった?」
「ああ。何代目かの勇者が選ばれたらしいが、途中で消息を絶った。魔王城まで来なかった。余は玉座で待っていたのに」
「それは……困りますね」
「困った」
ヴァルグランは真面目に頷いた。
「魔王と勇者には作法がある。人間どもが苦しみ、勇者が立ち上がり、仲間と旅をし、魔王城へ来る。余は玉座で待ち、最終決戦を行う。勝つか負けるかはともかく、それで一つの物語が成立する」
「はい」
「だが、勇者は来なかった。人間どもは勝手に魔王討伐成功を宣言し、魔族どもは人間が嘘をついたと怒り、人間同士も争い始めた」
ヴァルグランはカップの中を見つめた。
「余は最初、喜んだ。勇者が来ないなら楽だとな。だが、違った。敵がいなくなると、魔王は何をすればいいのか分からなくなる」
店主は黙って聞いていた。
「恐怖で国をまとめるには、恐怖を向ける先が必要だ。人間どもを脅かし、魔族どもを従え、世界を征服すると宣言する。その役割が、余を魔王にしていた」
「役割がなくなったんですね」
「そうだ」
ヴァルグランは苦く笑った。
「気づけば、部下たちは余の命令より自分の部族を優先し始めた。魔王城から一人、また一人と去っていった。百八の魔将は百七になり、百になり、七十になり、やがて数えるのも嫌になった」
「最後には?」
「余と、庭師だけになった」
「庭師は残ったんですか」
「あいつは城の薔薇が心配だったらしい」
「良い庭師ですね」
「良い庭師だった」
ヴァルグランの声が少しだけ柔らかくなった。
「名はグリム。骸骨族だった。骨の指で土をいじるのがうまかった。余が玉座で虚勢を張っている間も、黙って庭を手入れしていた」
「その方は」
「いなくなった」
短い答えだった。
「最後の日、黒焔城は崩れた。魔力の源泉が枯れ、空が裂け、城の塔が落ちた。余は玉座を守ろうとした。グリムは庭を守ろうとした」
ヴァルグランはカップを強く握った。
「馬鹿げているだろう。世界が終わる時に、玉座と庭だぞ」
「馬鹿げているとは思いません」
「なぜだ」
「大切だったんでしょう」
ヴァルグランは店主を見た。
「玉座が?」
「はい」
「庭が?」
「はい」
「世界より?」
「人は、いえ、魔王も、世界全体より自分の居場所を守りたい時があるんじゃないでしょうか」
ヴァルグランは何も言わなかった。
店主は、自分の言葉が自分自身にも返ってくるのを感じていた。
世界が壊れた日、この店は開いていた。
日記にはそう書いてあった。
ミオは言った。
――ここは開けておこう。誰かが帰ってこられる場所が必要だから。
世界全体を救えなくても、帰る場所だけは守りたかった。
それは、ヴァルグランが玉座を、グリムが庭を守ろうとしたことと、どこか似ているのかもしれない。
「グリムは最後に、余に言った」
ヴァルグランは静かに続けた。
「『魔王様、休んでください』と」
「休んでください」
「ああ。余は怒った。魔王に休みなど必要ない。余は最後まで玉座にいると言った」
「はい」
「するとグリムは、骨のくせに笑った」
ヴァルグランは少しだけ顔を歪めた。
「『魔王様は、ずっと怖がられる仕事をしてきました。もう、誰かに怖がられない場所へ行ってもよいでしょう』と」
店内が静かになった。
「その直後、庭が崩れた。グリムも一緒に消えた」
ヴァルグランはカフェオレを見つめる。
「余は、逃げた。いや、飛ばされたのかもしれない。気づけば、いろいろな世界の隙間をさまよっていた。どこへ行っても、余を知る者はいなかった。魔王と名乗っても、誰も震えない。ある世界では、子どもに『コスプレ?』と言われた」
「それはつらいですね」
「つらかった」
ヴァルグランは真剣に頷いた。
「威厳が崩壊した」
「世界より先に?」
「やかましい」
店主は少し笑った。
ヴァルグランも、ほんのわずかに口元を緩めた。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「最初は怒った。なぜ余を恐れぬのかと。余は魔王だぞと。だが、やがて気づいた」
「何にですか」
「恐れられないと、余は自分が何なのか分からない」
その言葉は、ひどく静かだった。
「魔族が膝をつく。人間が震える。勇者が挑む。部下が命令を待つ。敵が余を憎む。それらがすべて、余を魔王にしていた」
「はい」
「だが、誰も余を知らない世界では、余はただの角のある男だった」
店主は、アメの言葉を思い出した。
名前を売ったら、名前を呼ばれていた私はいなくなった。
家族の顔を売ったら、家族がいた私はいなくなった。
ヴァルグランも、同じなのかもしれない。
魔王と呼ばれなくなった時、魔王だった自分を見失った。
「この店には、どうやって来たんですか」
店主が尋ねると、ヴァルグランは窓の外を見た。
「夢を見た」
「夢」
「黒焔城の庭だった。崩れたはずの庭に、グリムが立っていた。あいつはいつものように薔薇の枝を切っていた」
「はい」
「余が近づくと、グリムは言った。『休暇なら、喫茶店がよろしいでしょう』と」
「それで」
「目が覚めたら、空間に裂け目があった。入ってみたら、ここに出た」
「なるほど」
店主は、なるほどと言いながらも全く理解はできていなかった。
ただ、この店に来る客は、何らかの形で導かれているのだろう。
案内表示。
噂。
扉。
夢。
死者の未練。
壊れた世界のどこかに、この店へ続く道が現れる。
終われないものは、喫茶店へ。
AVMが聞いた言葉を思い出す。
「ヴァルグランさんは、休みに来たんですね」
「そうだ」
「何から休みたいんですか」
「……魔王であることからだ」
ヴァルグランは、少しだけ言いにくそうに答えた。
「恐れられることから。偉そうにすることから。常に怒っているふりをすることから。部下の前で弱音を吐けないことから。敵の前で余裕を見せなければならないことから。玉座に座り続けることから」
「はい」
「そして」
彼は少し口を閉ざした。
「誰にも覚えられていないことを、平気なふりをすることからだ」
店主は、その言葉を静かに受け止めた。
ヴァルグランが本当に恐れているのは、恐れられないことではない。
忘れられることだ。
魔王として恐れられたかったのではなく、存在を確かめてほしかったのかもしれない。
自分がそこにいたこと。
黒焔城があったこと。
百八の魔将がいたこと。
庭師のグリムが薔薇を手入れしていたこと。
誰かにとって恐怖だったとしても、それは確かに彼の生きた世界だった。
「ヴァルグランさん」
「なんだ」
「休暇中なら、魔王らしくしなくてもいいのでは」
ヴァルグランは眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「偉そうにしなくてもいいです」
「余は偉い」
「はい」
「魔王だからな」
「休暇中です」
「む」
「弱音を吐いてもいいです」
「魔王は弱音など吐かぬ」
「休暇中です」
「便利すぎるだろう、その言葉」
「はい」
ヴァルグランはカップを見つめた。
しばらくして、小さく言った。
「寂しかった」
店主は何も言わなかった。
「魔王城は広かった。広すぎた。部下がいた頃は、うるさいほどだった。廊下を歩けば誰かが膝をつき、会議室へ行けば魔将どもが喧嘩し、庭へ行けばグリムが薔薇の話をしてきた」
ヴァルグランの声が、少しずつ低くなる。
「うるさかった。面倒だった。静かにしろと何度も怒鳴った」
「はい」
「だが、最後に本当に静かになった時、余はどうしていいか分からなかった」
彼はカフェオレを飲み干した。
「静かな玉座は、冷たかった」
店主はカウンターへ向かった。
二杯目を淹れることにした。
今度はさらに甘く。
けれど、ただ甘いだけではない。ほんの少し苦みを残す。
休暇の甘さ。
孤独の苦さ。
その両方を入れた一杯。
店主は大きなカップに注ぎ、そっとヴァルグランの前に置いた。
「おかわりです」
「頼んでいないぞ」
「休暇中なので」
「それは何でも許される魔法の言葉ではない」
「そうかもしれません」
ヴァルグランは文句を言いながら、カップを受け取った。
一口飲む。
「……さっきより甘い」
「はい」
「魔王を太らせる気か」
「休暇中なので」
「むう」
それでも、ヴァルグランはカップを離さなかった。
店主は少し考え、カウンター横のAVMを見た。
「ヴァルグランさん」
「なんだ」
「この自動販売機に、ありがとうと言ってもらえますか」
「なぜだ」
「価格がありがとう一つなので」
「何の話だ」
店主はAVMの正面に貼られた紙を指さした。
ヴァルグランは目を細めて読む。
「夜明けのブレンド……価格、ありがとう一つ。店内専用。どういたしまして付き」
彼は顔を上げた。
「これは何だ」
「人間になりたかった自動販売機です」
「説明が足りぬ」
「今は、この店の一部です」
「説明になっておらぬ」
「最後の一本が入っています」
ヴァルグランはAVMを見た。
古い自動販売機。
もう動かない機械。
けれど、中には一本だけ瓶が入っている。
彼はしばらくそれを見つめていた。
「機械にも未練があるのか」
「ありました」
「そうか」
ヴァルグランは立ち上がった。
翼を椅子にぶつけ、少しだけ顔をしかめる。
そしてAVMの前に立った。
自動販売機と魔王。
これもまた、なかなか奇妙な光景だった。
ヴァルグランは腕を組み、正面からAVMを見下ろす。
「余が礼を言うのか」
「はい」
「魔王が」
「休暇中なので」
「その言葉、やはり強すぎる」
ヴァルグランはため息をついた。
そして、少しだけ姿勢を正した。
「……ありがとう」
その瞬間、店内の灯りがわずかに揺れた。
AVMの消えていた表示パネルに、ほんの一瞬だけ光が走った。
文字が浮かぶ。
――どういたしまして。
ヴァルグランは目を見開いた。
文字はすぐに消えた。
AVMはまた静かになった。
店主も驚いていた。
初めてだ。
AVMが止まってから、表示が出たのは。
ヴァルグランは、しばらく何も言わなかった。
それから、低く呟いた。
「……よい店だな」
「ありがとうございます」
「機械ですら、返事をする」
「はい」
「余の城では、あまり誰も返事をしなかった」
「部下がいたのでは」
「返事はする。だが、心からかどうかは分からぬ。恐怖で返事をしていた者も多い」
「怖がられるのは、嫌だったんですか」
「必要だと思っていた」
ヴァルグランはAVMを見つめたまま言った。
「魔王は恐れられるものだ。そうでなければ魔王ではない。だが、恐れられることと、心を向けられることは違うのだな」
店主は黙っていた。
「余はずっと、恐れられていた。だが、覚えられていたのだろうか」
「グリムさんは、覚えていたと思います」
ヴァルグランが店主を見た。
「なぜそう思う」
「最後に、休んでくださいと言ったからです」
店主は静かに言った。
「恐れているだけなら、そんなことは言わない気がします」
ヴァルグランは言葉を失ったようだった。
長い沈黙。
そして、彼はゆっくり椅子へ戻った。
「グリムは」
彼は小さく言った。
「余を、怖がっていなかったのだろうか」
「少なくとも、それだけではなかったと思います」
「そうか」
ヴァルグランは二杯目のカフェオレを見つめた。
「余は、あいつに礼を言ったことがなかった」
「そうなんですか」
「魔王だからな。部下が働くのは当然だと思っていた。庭が整っているのも、玉座の間に花が飾られているのも、薔薇が毎年咲くのも、全部当然だと思っていた」
彼の声が震えた。
「最後に、休んでくださいと言われたのに、礼を言わなかった」
店主は、AVMの前でヴァルグランが言った「ありがとう」を思い出した。
もしかすると、それはAVMへの言葉であると同時に、言えなかった誰かへの練習だったのかもしれない。
「今からでも、言ってみますか」
「誰に」
「グリムさんに」
「いない」
「でも、言葉は残ります」
黒瀬なら、記録に残せと言うだろう。
篠原なら、物語は誰かが覚えている限り終わらないと言うだろう。
AD-17なら、届け先が不在でも証人がいれば配送完了できると言うかもしれない。
この店は、そういう場所だ。
届かなかったものを、完全ではなくても届ける場所。
「手紙でも、言葉でも」
店主は言った。
「ここに置いていけば、たぶん残ります」
ヴァルグランはしばらく黙っていた。
やがて、小さく頷いた。
「書くものを」
店主は便箋とペンを出した。
レオンが手紙を書いた時と同じ種類の紙だ。
ヴァルグランはペンを手に取った。
だが、すぐに眉をひそめた。
「小さい」
「ペンですので」
「魔王用ではないな」
「魔王用のペンは、今のところありません」
「玉座と同じで、この店は魔王対応が足りぬ」
「すみません」
「だが、休暇中なので許す」
「ありがとうございます」
ヴァルグランは不器用にペンを握った。
そして、便箋に向かう。
だが、なかなか書き始めない。
店主は待った。
喫茶店は待つ場所だ。
恐れられてきた魔王が、初めて礼を書くまでの時間くらい、待てる。
やがて、ヴァルグランは一文字目を書いた。
その字は、意外にも綺麗だった。
強く、角ばっていて、どこか古い碑文のような文字。
彼はゆっくり書いていく。
何度も止まり、何度も息を吐き、時々カフェオレを飲みながら。
店主はカウンターの内側で静かにしていた。
やがて、ヴァルグランは手を止めた。
「読め」
「僕がですか」
「余が読むと、威厳が崩れる」
「すでに少し崩れている気もします」
「読むな、そこは」
「はい」
店主は便箋を受け取った。
そこには、短い手紙が書かれていた。
店主はゆっくり読み上げる。
「グリムへ」
ヴァルグランは目を伏せた。
「黒焔城の庭は、余が思っていたより美しかった」
店内に、静かな声が響く。
「余は、それを当然だと思っていた。お前が毎朝、骨の指で土をならし、枯れた枝を切り、魔界の冷たい風の中で薔薇を守っていたことを、見ているようで見ていなかった」
ヴァルグランの指が膝の上で強く握られる。
「最後の日、お前は余に休めと言った。余は怒った。だが、今になって分かった。あれは命令ではなく、願いだったのだな」
店主は一度、息を吸った。
「余はまだ、休むのが下手だ。恐れられない場所でどうすればいいのかも、よく分からぬ。だが、今日、甘い飲み物を飲んだ。自動販売機に礼を言った。どういたしましてと返された」
読みながら、店主は少しだけ笑いそうになった。
だが、こらえた。
「お前が聞いたら、きっと笑うだろう。骨のくせに、肩を揺らして笑うだろう」
ヴァルグランの目が、少しだけ潤んでいた。
「グリム。庭を守ってくれて、ありがとう。黒焔城を最後まで城にしてくれて、ありがとう。余を、ただ怖がるのではなく、休ませようとしてくれて、ありがとう」
最後の行。
「休暇中の魔王、ヴァルグランより」
店主は読み終えた。
店内に静寂が戻った。
ヴァルグランは顔を背けていた。
魔王らしい威厳を保とうとしているのかもしれない。
だが、耳のあたりが少し赤い。
「……悪くない手紙です」
店主は言った。
「当然だ。余の文章だからな」
「はい」
「泣いてなどいない」
「はい」
「魔王は泣かぬ」
「休暇中でも?」
ヴァルグランは黙った。
数秒後、低く言った。
「……休暇中なら、少しは許される」
「そうだと思います」
ヴァルグランは片手で目元を押さえた。
大きな黒い翼が、少しだけ震えている。
店主はそれ以上、何も言わなかった。
しばらくして、ヴァルグランは手紙を受け取った。
「これは、どうすればいい」
「持っていきますか」
「届ける場所がない」
「では、この店に預けますか」
ヴァルグランは少し考えた。
「いや」
彼は首を振った。
「庭に置く」
「庭?」
「城はもうない。だが、黒焔城の庭があった場所なら、まだ分かる。そこに置いてくる」
「戻れるんですか」
「戻る方法は、分からぬ」
「では」
「探す」
ヴァルグランは手紙を丁寧に折りたたんだ。
「休暇が終わったら、帰る場所を探すのも悪くない」
その言葉を聞いた瞬間、店の奥で音がした。
かちり。
時計の針が一つ進む音。
ヴァルグランは肩を震わせた。
「今のは何だ」
「この店の音です」
「説明が雑だな」
「僕にもよく分かっていません」
「店主なのにか」
「はい」
ヴァルグランは少し呆れたように笑った。
「お前は、本当に妙な店主だ」
「よく言われます」
「だが、悪くない」
ヴァルグランは立ち上がった。
大きな翼を広げかけて、棚にぶつかりそうになり、慌てて畳む。
やはり威厳が少し足りない。
だが、それは悪いことではない気がした。
「もう行くんですか」
「休暇は終わりだ」
「短いですね」
「魔王は忙しい」
「休暇中では?」
「休暇にも終わりがある」
「また来てもいいですよ」
店主がそう言うと、ヴァルグランは少し目を見開いた。
「余が?」
「はい」
「魔王だぞ」
「休暇中なら」
「休暇中でなくともか」
店主は少し考えた。
「喫茶店なので、客であれば」
ヴァルグランは黙った。
それから、ゆっくり口元を緩めた。
「そうか」
彼はカウンターの方へ歩いてきた。
そして、外套の留め具を外した。
そこには、小さな紋章がついていた。
黒い炎と、薔薇の意匠。
金属製の古い紋章だった。
「これを置いていく」
「大切なものでは」
「黒焔城の紋章だ。魔王の証でもある」
「よろしいんですか」
「余は、魔王をやめるわけではない」
ヴァルグランは言った。
「だが、恐れられるためだけの魔王は、少し休む」
彼は紋章を店主に差し出した。
「この店に、余が休んだ証として置いていけ」
店主は両手で受け取った。
紋章は重かった。
折れた聖剣とは違う重さ。
王冠にも似た重さ。
誰かに恐れられ、誰かを従え、誰かを守れなかった存在の重さ。
「大切に預かります」
「うむ」
ヴァルグランは満足そうに頷いた。
それから、少し言いにくそうに目を逸らした。
「それと」
「はい」
「その、甘い飲み物の名は何と言った」
「カフェオレです」
「覚えておく」
「またお淹れします」
「次は、もう少し大きなカップで頼む」
「魔王用ですね」
「そうだ」
ヴァルグランは少しだけ楽しそうに笑った。
「魔王用カフェオレだ」
「用意しておきます」
「本当に妙な店だ」
彼は扉へ向かった。
扉を開けると、外の灰色の風が入ってきた。
店の前には、最初に現れた空間の裂け目がまだ残っていた。紫色の光は弱くなっているが、消えてはいない。
ヴァルグランはその前で振り返った。
「店主」
「はい」
「お前にも、休暇は必要だぞ」
店主は少し驚いた。
「僕に?」
「そうだ。店を閉められぬなら、せめて座って飲め。立ち続ける者は、いつか自分が何を守っているのか分からなくなる」
その言葉は、思いがけず胸に響いた。
ミオ。
喫茶ミオ。
閉めてはいけない店。
最後の客。
自分はずっと店を開け続けている。
だが、自分自身は休んでいるのだろうか。
店主は答えられなかった。
ヴァルグランは、それを見て少し笑った。
「休暇中の魔王からの助言だ。ありがたく聞くがよい」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ヴァルグランはそう言ってから、はっとした顔をした。
「……今、自然に返したな」
「はい」
「なるほど。これが人間らしさか」
「魔王らしさかもしれません」
「それも悪くない」
ヴァルグランは翼を広げ、空間の裂け目へ向かった。
その背中は、来た時よりも少しだけ軽く見えた。
恐れられるために張っていた肩の力が、少し抜けている。
彼は裂け目に入る直前、もう一度言った。
「また来る。魔王用カフェオレを用意しておけ」
「はい。お待ちしています」
「余を待つとは、よい心がけだ」
そう言い残し、ヴァルグランは紫の光の向こうへ消えた。
裂け目はしばらく揺らぎ、やがて静かに閉じた。
外には再び、灰色の街だけが残る。
店主は扉を閉めた。
からん、とベルが鳴る。
店内に戻ると、窓際の奥の席にカフェオレの甘い香りが残っていた。
篠原の席。
今日は元魔王が休暇を取った席。
この店では、席にも物語が積もっていく。
店主はカウンターに戻り、ヴァルグランの置いていった黒焔城の紋章を見た。
黒い炎と薔薇。
恐怖と、庭。
魔王と、庭師。
その二つが一つの紋章になっている。
店主は倉庫へ向かった。
「預かりもの」の木箱を開ける。
中には、錆びた鍵、古い万年筆、子ども用の髪留め、折れた眼鏡、写真の入っていない写真立て、金属製の名札、折れた聖剣がある。
そこに、黒焔城の紋章をそっと置いた。
紋章は、折れた聖剣の隣に収まった。
勇者の剣。
魔王の紋章。
かつて敵同士だったかもしれないものが、同じ木箱の中に並んでいる。
店主は少しだけ不思議な気持ちになった。
もしレオンがこれを見たら、どう思うのだろう。
もしヴァルグランが折れた聖剣を見たら、何と言うだろう。
この店では、世界の違いも、役割の違いも、終わった後には少しずつほどけていくのかもしれない。
店主は木箱の蓋を閉めた。
店内へ戻り、茶色いノートを開く。
新しいページ。
ペンを持つ。
――七人目の客。ヴァルグラン。
少し考え、次の行を書く。
――休暇中の魔王。
――かつて黒焔城を支配し、百八の魔将を従えていた。
――世界が終わり、部下も城も失い、恐れられなくなった。
店主は窓際の席を見た。
カフェオレのカップがまだ置かれている。
――本当は、誰にも覚えられていないことが怖かった。
さらに書く。
――庭師グリムへ、ありがとうの手紙を書いた。
――黒焔城の紋章をこの店に置いていった。
――次に来た時は、魔王用カフェオレを出す。
店主はペンを止めた。
最後に、一行だけ加える。
――恐れられることと、覚えられることは違う。
書き終えると、胸の奥が静かに痛んだ。
覚えられること。
忘れられること。
名前を失うこと。
過去を思い出せないこと。
この店に来る客たちは、皆それぞれ違う形で「自分がいたこと」を探しているのかもしれない。
AD-17は、配達を完了することで。
黒瀬は、記事を書くことで。
アメは、記憶を取り戻すことで。
篠原は、いつもの一杯を飲むことで。
レオンは、勇者ではなくレオンとして手紙を書くことで。
AVMは、ありがとうにどういたしましてと返すことで。
ヴァルグランは、恐れられる以外の形で誰かに礼を言うことで。
では、店主はどうなのだろう。
自分は、何によって自分がいたことを確かめるのだろう。
コーヒーを淹れること。
店を開け続けること。
客を記録すること。
それだけで足りるのだろうか。
あるいは、最後の客が来た時に、それが分かるのだろうか。
店主はノートを閉じた。
カウンターの端には、朝に淹れた一杯目のコーヒーがある。
もう冷めている。
だが、今日はそれをすぐには飲まなかった。
ヴァルグランの言葉が残っていた。
店を閉められぬなら、せめて座って飲め。
店主は少し迷い、それからカウンターの内側ではなく、客席へ向かった。
窓際の奥。
篠原が座った席。
ヴァルグランが休暇を取った席。
そこに座る。
椅子が小さく軋んだ。
店主は一杯目のコーヒーを持ってきて、テーブルに置いた。
客席側から見る店内は、少し違って見えた。
カウンター。
棚のカップ。
AVM。
窓の外に広がる灰色の街。
温かい灯り。
湯気のないコーヒー。
いつも立っている場所からは見えない景色だった。
店主はカップを手に取り、ひと口飲んだ。
冷めている。
苦い。
けれど、今日はほんの少しだけ休める気がした。
「休暇、ですか」
店主は小さく呟いた。
返事はない。
だが、カウンター横のAVMが、一瞬だけ淡く光ったように見えた。
気のせいかもしれない。
それでも店主は、少しだけ笑った。
外では、終わった世界に風が吹いている。
遠いどこかでは、休暇を終えた元魔王が、庭師へ手紙を届ける場所を探している。
灰色の街の片隅では、一軒の喫茶店だけが灯りをともしている。
世界が終わっても。
魔王が魔王であることに疲れても。
誰かが、恐れられる以外の形で覚えられたいと願っても。
この店は、今日も営業している。
最後の客が来る、その日までは。
扉の札は、まだ裏返されていなかった。
――開店中。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第8話は、休暇中の魔王・ヴァルグランのお話でした。
魔王として恐れられ、支配し、玉座に座り続けてきた彼。
けれど本当に抱えていたのは、恐れられなくなった寂しさと、最後までそばにいてくれた庭師へ言えなかった「ありがとう」でした。
甘いカフェオレを飲み、少しだけ魔王であることから休んだヴァルグラン。
彼が店に置いていった黒焔城の紋章も、喫茶ミオに残る記憶の一つになりました。
次回は、第9話「死ぬことを忘れた老人」です。
よろしければ、またこの喫茶店にお立ち寄りください。




