第九話 差し押さえ執行
第九話 差し押さえ執行
中央広場は静まり返っていた。
さっきまで降っていた雨は止み、重たい雲の隙間から薄い夕陽が差している。濡れた石畳は鈍く光り、冷えた風が群衆の間を吹き抜けた。
誰も喋らない。
視線だけが、壇上の男へ集まっていた。
バルトロ・フォン・グランドル。
迷宮都市オウラム、ギルド長。
その顔はもう、支配者のものではなかった。
脂汗。
引き攣った口元。
怯えた目。
「ち、違う……」
声が震えている。
「私はこの街のために……」
誰も返事をしない。
冒険者たちの視線は冷たかった。
家族を失った者。
仲間を失った者。
補償金を踏み倒された者。
全部、
今ここで繋がってしまった。
エドガー・レインは壇上に立ったまま、静かに帳簿を閉じる。
疲れていた。
目の奥が鈍く痛む。
連日の監査。
寝不足。
冷え。
だがまだ終わっていない。
バルトロが後退る。
「お、お前たち! こいつを捕まえろ!」
憲兵たちは動かなかった。
互いに顔を見合わせている。
誰もバルトロを見ていない。
その現実に気づいた瞬間、男の顔が崩れた。
「ふざけるなぁっ!!」
怒声。
次の瞬間。
バルトロの指輪が赤黒く発光した。
濃密な魔力。
空気が震える。
ミーシャが叫ぶ。
「カイルさん!」
爆風。
壇上が揺れる。
赤い魔法陣が広場へ広がった。
「転移魔法だ!」
「逃げる気か!?」
群衆が悲鳴を上げる。
バルトロが叫ぶ。
「貴様ら下民とは違うんだ!!」
魔力が膨れ上がる。
豪奢な外套が風で揺れた。
「私は選ばれた側の――」
その時だった。
カチ。
静かな音が響く。
算盤の珠。
エドガーの瞳が青白く光る。
【因果の算盤】
空気が変わった。
広場中の魔力が、一瞬だけ静止する。
バルトロの顔が凍る。
「……な」
エドガーがゆっくり口を開く。
「監査権限を執行します」
巨大な光の帳簿が再び空へ展開された。
数字。
契約。
資産。
横流し記録。
青白い因果の線が、全てバルトロへ繋がっていく。
「不正資産による魔力供給を凍結します」
珠が鳴る。
カチ。
カチ。
カチ。
次の瞬間。
バルトロの魔法陣が砕けた。
「……え?」
赤い光が消える。
空気が抜ける。
魔力が、ない。
「な、なんだ!? なぜ発動しない!?」
エドガーは淡々としていた。
「使用魔石、装備、指輪、触媒。全て横領資金由来です」
バルトロが青ざめる。
「そ、それがなんだ!」
「監査差し押さえ対象になります」
群衆がどよめく。
バルトロが必死に詠唱する。
だが。
何も起きない。
魔力反応ゼロ。
「な、なんでだ! なんでだぁっ!!」
エドガーは静かに答えた。
「あなたは、不正資産でしか強くなれなかった」
その言葉が広場へ落ちる。
重く。
冷たく。
バルトロが後退った。
足元が濡れている。
滑る。
「ひっ――」
次の瞬間。
壇上脇へ積まれていた粗悪防具の山へ、男の巨体が突っ込んだ。
ガシャアアアアン!!
鈍い音。
薄い鉄板が砕ける。
安物の胸当てが歪み、留め具が弾け飛んだ。
広場に静寂が落ちる。
誰かが小さく呟いた。
「……脆ぇ」
それは新人冒険者が着ていた防具だった。
バルトロが身体を起こそうとして、顔を歪める。
「ぐ……っ」
腕が切れていた。
粗悪な金具が肉へ食い込んでいる。
自分が流した安物だった。
ミーシャが息を呑む。
エドガーはその光景を静かに見下ろしていた。
怒りも。
嘲笑も。
ない。
ただ、
結果を確認している目だった。
その時。
憲兵隊長が前へ出る。
銀鎧が夕陽を反射した。
「ギルド長バルトロ・フォン・グランドル」
低い声。
「横領、背任、密輸、監査妨害、殺人幇助容疑により拘束する」
「ま、待て……!」
バルトロが這う。
「私は必要だったんだ! この街には金が――」
「ありましたよ」
エドガーが言った。
静かな声だった。
「あなたが盗むまでは」
バルトロが凍りつく。
憲兵が両腕を掴む。
鎖の音。
「離せ!! 私はギルド長だぞ!!」
だがもう、
誰も従わなかった。
群衆の目は冷たい。
呆れ。
軽蔑。
疲労。
冒険者の一人が吐き捨てる。
「……仲間返せよ」
バルトロは引きずられていく。
泥水が外套を汚した。
広場には、長い沈黙だけが残った。
ミーシャが小さく息を吐く。
「……終わった」
「まだです」
エドガーが言う。
「未払い補償金処理と再編があります」
「うわぁ……」
ミーシャが苦笑する。
「最後まで仕事なんですね」
「監査なので」
彼は本当に疲れた顔をしていた。
夕暮れの風が吹く。
どこかの屋台から、煮込みの匂いが漂ってきた。
トマト。
香辛料。
肉。
ミーシャの腹が鳴る。
「……あ」
エドガーが少しだけ目を閉じる。
「今日は」
小さく言った。
「卵を追加しましょう」
ミーシャが吹き出した。
「やっとちょっと贅沢しましたね」
広場の空気はまだ重かった。
それでも。
ほんの少しだけ、
人間の街の匂いが戻ってきていた。




