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第八話 感情なきざまぁ

第八話 感情なきざまぁ


 雨はまだ降っていた。


 迷宮都市オウラム中央広場。灰色の空の下、群衆は誰一人帰ろうとしなかった。


 濡れた外套。

 冷えた石畳。

 湿った空気。


 その中央で、ギルド長バルトロ・フォン・グランドルは脂汗を流していた。


「ま、待て……!」


 声が裏返る。


「こんなもの、印象操作だ!」


 広場の空気がざわつく。


 巨大な光の帳簿は、まだ上空に浮かんでいた。青白い数字が雨粒を透かし、不気味な光を地面へ落としている。


 エドガー・レインは壇上に立ったまま、静かに帳簿を見ていた。


 まるで本当に業務報告でもしているみたいだった。


 バルトロが怒鳴る。


「私は街のために働いてきた! 迷宮維持にも莫大な金が必要なんだ!」


「そうでしょうね」


 エドガーは淡々と頷いた。


「ですので確認しました」


 珠が鳴る。


 カチ。

 カチ。

 カチ。


 空中帳簿が切り替わった。


 数字。

 日付。

 補償金記録。


 ミーシャが息を呑む。


「これ……」


「新人冒険者遺族補償金一覧です」


 ざわめき。


 群衆の前列にいた女が顔を上げる。


 まだ若い母親だった。

 腕には小さな子供。


 夫を迷宮で亡くした女だ。


 エドガーの声が響く。


「本来、一名死亡につき金貨三枚支給」


 数字が並ぶ。


 だが。


 支払い欄は空白だらけだった。


「未払い……?」

「こんなに……?」


 広場がどよめく。


 バルトロが叫ぶ。


「そ、それは財政難で――!」


「違います」


 即答だった。


 冷たい声。


 雨音より静かなのに、妙にはっきり聞こえる。


 光の帳簿がさらに切り替わる。


 豪邸図面。


 大理石搬入記録。


 高級浴場。


 庭園工事。


 そして女の名前。


「愛人用別宅建築費」


 空気が止まった。


 ミーシャが唇を押さえる。


 バルトロの顔が真っ青になる。


「ち、違う……!」


「建築時期が一致しています」


 エドガーはページをめくる。


「補償金停止開始から三日後、別宅工事着工」


 珠が鳴る。


 カチ。

 カチ。

 カチ。


「さらに浴室魔導配管費。使用魔石量が異常」


「やめろ……!」


「遺族補償金二十七名分に相当」


 広場の奥で、誰かが泣き崩れた。


「うちの息子の金で……」


 嗚咽。


 湿った空気。


 怒りと絶望の臭いが混ざる。


 バルトロが壇上で後退る。


「わ、私はギルドを守るために……!」


「守れていません」


 エドガーが言う。


「死亡率は過去最悪です」


「だから予算が必要で――」


「その結果が愛人用浴室ですか」


 群衆がざわついた。


「最低だ……」

「人の金で……」

「新人死んでんだぞ……」


 バルトロが喚く。


「お前たちだって恩恵を受けていただろうが!」


 その瞬間。


 前列にいた老冒険者が怒鳴った。


「俺の弟は死んだぞ!!」


 広場が震える。


 老冒険者の目は真っ赤だった。


「防具が割れたんだよ! 一発で!!」


 別の女も叫ぶ。


「補償金が出るって言われたのに!」


「娘の薬代が……!」


 怒声。


 嗚咽。


 雨。


 感情が渦巻く。


 だが。


 壇上のエドガーだけは静かだった。


 疲れた目。

 感情の薄い顔。


 彼はゆっくり帳簿を閉じる。


「感情論は不要です」


 広場が静まった。


 エドガーの声だけが響く。


「私はただ、引き算の結果を確認しています」


 静かな言葉だった。


「支払われるべき補償金」

「実際に支払われた金額」

「不足分」

「流用先」


 珠が鳴る。


 カチ。

 カチ。

 カチ。


「答えは既に出ています」


 誰も喋れなかった。


 怒鳴り声ではない。


 説教でもない。


 ただ、

 数字。


 それだけで。


 逃げ場がなくなっていく。


 バルトロの膝が震えていた。


「き、貴様……!」


「なお」


 エドガーは続ける。


「別宅建築資材の一部は、迷宮結界用予備石材から横流しされています」


 群衆が息を呑む。


「……は?」


「結果として第三階層保守が遅延」


 ミーシャの顔色が変わる。


「まさか……」


「新人死亡率上昇と一致します」


 沈黙。


 雨だけが降っている。


 ぽたぽたと、

 石畳へ落ちる音。


 やがて。


 冒険者の一人が低く呟いた。


「……つまり」


 声が震えていた。


「こいつの屋敷のせいで、俺たちの仲間が死んだのか」


 その瞬間だった。


 空気が変わった。


 怒り。


 殺気。


 広場全体の温度が下がる。


 バルトロが後退る。


「ち、違う! 私は悪くない! 全部現場の――」


「現場責任転嫁記録もあります」


 エドガーが帳簿を開く。


 バルトロの顔が凍った。


「っ……!」


「署名付きです」


 群衆がざわめく。


「終わってんな……」

「全部こいつかよ……」


 ミーシャはエドガーを見た。


 この人は怒らない。


 怒鳴らない。


 でも。


 誰より容赦がない。


 雨の中、バルトロはもう立っているのもやっとだった。


 広場の視線が突き刺さる。


 憎悪。

 軽蔑。

 理解。


 全部。


 数字で暴かれた結果だった。


 エドガーは静かに帳簿を閉じる。


 そして最後に、疲れた声で言った。


「……長い監査でした」


 その言葉だけが、

 妙に人間らしかった。



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