第六話 現物照合
第六話 現物照合
地下は冷えていた。
石壁は湿り、染み出した地下水が細い筋になって流れている。空気は淀み、鉄錆と黴、それに古い油の臭いが鼻へまとわりついた。
エドガー・レインは両手を後ろで縛られたまま、暗い通路を歩かされていた。
先を行く暗殺者が苛立った声を出す。
「……気味悪ぃ奴だなお前」
「よく言われます」
「褒めてねぇ」
後ろから短剣の柄で背中を小突かれる。
鈍い痛み。
だがエドガーは表情を変えなかった。
隣ではミーシャが青ざめている。
「だ、大丈夫なんですか……これ……」
「現場確認は監査の基本です」
「今そういう話してます!?」
思わず叫んだ彼女へ、暗殺者が睨みつけた。
「うるせぇぞ」
ミーシャがびくりと肩を震わせる。
通路の先に鉄扉が見えた。
分厚い。
古い。
そして異様に厳重だった。
鍵が三つ。
封印術式が二重。
ギルド倉庫にしては過剰すぎる。
エドガーの目が細くなる。
「……なるほど」
「何がだ」
「かなり大規模ですね」
暗殺者の男が舌打ちする。
「余計なこと考えるな」
鉄扉が開く。
重い音が地下へ響いた。
瞬間。
濃密な魔力の匂いが流れ出る。
ミーシャが息を呑んだ。
「……っ」
倉庫は広かった。
木箱。
魔導具。
封印棚。
積み上がった貨幣袋。
青白い魔導灯が薄暗く揺れ、巨大な影を壁へ映している。
その中央にあったものを見た瞬間、ミーシャの顔色が変わった。
「あれ……国宝級魔導具……!」
水晶で作られた巨大な杖。
王国紋章。
本来なら王都保管庫にあるはずの代物だった。
暗殺者が鼻を鳴らす。
「見るな」
だがエドガーは、もう別のものを見ていた。
帳簿。
倉庫奥の机。
乱雑に積まれた羊皮紙。
そして。
木箱の隙間から覗く金貨。
彼の瞳に青白い光が宿る。
【因果の算盤】
珠が鳴った。
カチ。
カチ。
カチ。
金の流れ。
横流し。
密輸。
契約。
全てが繋がっていく。
「……ああ」
静かな声だった。
「これですか」
「何をぶつぶつ言ってやがる」
エドガーは床へ視線を落とす。
金貨が一枚転がっていた。
「拾ってください」
「は?」
「その金貨です」
暗殺者が眉をひそめながら拾う。
「だからなんだよ」
「噛んでみてください」
「……は?」
「偽物です」
空気が止まった。
暗殺者の男が顔をしかめる。
「んなわけ――」
「鉛混合率が高い」
エドガーは即答した。
「金貨特有の魔力反射がありません」
男が半信半疑で歯を立てる。
次の瞬間。
「……っ」
顔色が変わった。
「おい」
別の暗殺者が金貨を奪う。
爪で削る。
中から鈍い灰色が覗いた。
沈黙。
地下倉庫の空気が急激に冷える。
「……偽金貨だと?」
ミーシャが呆然と呟く。
エドガーは机の帳簿を見ていた。
「報酬支払い欄がありますね」
「……」
「暗殺実行後、口封じ費込みで偽貨処理」
暗殺者たちの顔色が変わる。
「なんだと」
「あなた方も切り捨てられます」
静かな声だった。
だが、その一言は短剣より鋭かった。
「ふざけんな……」
「この規模の横流しです」
エドガーは帳簿をめくる。
「国宝級魔導具。高純度魔石。軍用装備。生かしておく理由がない」
ミーシャが息を詰める。
暗殺者の男たちが互いを見る。
動揺。
疑念。
怒り。
エドガーは淡々と続けた。
「既に準備されています」
「……何を」
「あなた方の死体処理費用です」
帳簿を指差す。
そこには確かに記載があった。
【地下廃棄処理 四名分】
暗殺者の一人が青ざめた。
「お、俺たちは三人だぞ……」
「護衛役を含めれば四人です」
沈黙。
遠くで地下水が落ちる音だけが響く。
ぽたり。
ぽたり。
やがて、最年長らしい男が低く呟いた。
「……ギルド長の野郎」
怒りで声が震えていた。
「最初から俺らごと消す気だったのか」
「その方が帳尻が合います」
エドガーは静かに言った。
「死人は喋りませんので」
ミーシャがエドガーを見る。
怖かった。
この人は感情で煽っていない。
ただ、
事実を並べているだけだ。
だから余計に逃げ場がない。
暗殺者の男が壁を殴った。
「クソがっ!!」
鈍い音。
古い石壁が震える。
「俺たちゃ命張ったんだぞ……!」
「でしょうね」
「なのに偽金貨で始末だぁ!?」
エドガーは答えなかった。
代わりに、倉庫奥を見た。
木箱。
帳簿。
封印印。
全部揃っている。
現物監査としては十分すぎた。
「……監査完了です」
その言葉に、暗殺者たちが振り返る。
「は?」
「証拠確認は終わりました」
エドガーは平然としていた。
まるで本当に、残業を終えた役人みたいに。
暗殺者の一人が呆れたように笑う。
「お前、本当に変な奴だな……」
「よく言われます」
ミーシャがようやく小さく息を吐いた。
膝が震えていた。
怖かった。
今も。
でも同時に思う。
この男は、
剣ではなく。
数字だけで、
人を追い詰める。
それが恐ろしかった。
地下倉庫を出た頃には、もう夜明け前だった。
雨は止んでいた。
空気は冷たい。
路地裏の屋台から、湯気が立っている。
「あ……」
ミーシャの腹が鳴った。
暗殺者の男たちが気まずそうに視線を逸らす。
屋台の親父が顔をしかめた。
「なんだその面子」
「色々ありまして」
エドガーが答える。
「魔汁煮込み、まだありますか」
「おう。ちょうど最後だ」
鍋から湯気が立つ。
トマト。
肉。
香辛料。
冷え切った身体へ、匂いだけで熱が戻ってくる。
暗殺者の一人がぼそりと言った。
「……腹減った」
「人間は食べないと死ぬので」
「それ口癖か?」
少しだけ。
本当に少しだけ。
地下倉庫よりは、
まともな空気が流れていた。




