第四話 消えた魔石
第四話 消えた魔石
迷宮都市オウラムの夜は、金の匂いがした。
中央区。
石畳は磨き上げられ、魔導灯が琥珀色に揺れている。高級馬車が行き交い、香水と酒の甘い香りが風に混じっていた。
だが、その奥にあるものをエドガー・レインは知っている。
血。
横流し。
死人。
そして帳簿の嘘。
「……場違いですね」
隣を歩くミーシャが小声で呟いた。
彼女は借り物の外套を何度も気にしている。裾が少し長い。
「こういう店、初めてです……」
見上げた先には、高級料亭《白金の枝亭》の看板。
貴族と大商人しか入れない店だった。
扉が開く。
温かな空気と、濃厚な香りが流れ出した。
焼いた肉。
香辛料。
甘い果実酒。
バター。
ミーシャの腹が小さく鳴る。
「……っ」
彼女が顔を赤くした。
エドガーは無反応だった。
「経費ですので」
「そ、そういう問題じゃ……」
店内は静かだった。
深紅の絨毯。
磨かれた銀器。
水晶の魔導灯。
奥では楽団が柔らかな弦楽を奏でている。
店員が一瞬だけエドガーたちを見て、微かに眉を動かした。
安物の監査官外套。
疲れた顔。
場違い。
そう思ったのだろう。
「ご予約は?」
「ギルド接待費監査です」
エドガーが羊皮紙を見せる。
空気が変わった。
店員の笑顔が引きつる。
「……こちらへ」
案内された個室には、重たい帳簿が積まれていた。
接待費記録。
ギルド長バルトロの署名。
ミーシャが椅子へ座る。
「こんな高い店で毎晩接待してるんですね……」
「その割に、迷宮の保守予算は不足しています」
エドガーは帳簿を開いた。
紙の擦れる音。
インクの匂い。
そして数字。
視界に青白い線が浮かび上がる。
【因果の算盤】
金の流れ。
魔力反応。
契約。
隠された因果。
珠が静かに鳴った。
カチ。
カチ。
カチ。
エドガーの指が止まる。
「……妙ですね」
「え?」
「エルフ酒三十本」
ミーシャが帳簿を覗き込む。
「ええと……高級酒、ですか?」
「はい。一本で金貨二十枚」
「さっ、三十本!?」
ミーシャが目を剥いた。
「そんなに飲めるんですか!?」
「普通なら無理でしょうね」
エドガーは静かにページを撫でる。
「ですが問題は量ではありません」
「え?」
「魔力反応です」
彼の瞳に青白い光が宿る。
「エルフ酒は植物系魔力を帯びます。しかし、この記録に残留している反応は鉱石系」
ミーシャがぽかんと口を開けた。
「……つまり?」
「酒ではありません」
その時だった。
個室の扉が開く。
「これはこれは、監査官殿」
入ってきたのは、豪奢な服を着た太った男だった。
金の指輪。
脂ぎった笑顔。
香水の匂い。
ギルド御用達商人、グレダム。
「うちの帳簿に何か問題でも?」
ミーシャが緊張する。
だがエドガーは帳簿から目を上げなかった。
「この“エルフ酒”ですが」
「ええ、最高級品ですよ」
「どこ産です」
「森国ルフェリアですが?」
「輸送証明書は」
グレダムの笑みが一瞬止まる。
「……紛失しました」
「なるほど」
エドガーは静かに帳簿を閉じた。
「では現物確認を」
「は?」
「酒蔵を見せてください」
部屋の空気が凍る。
グレダムが笑った。
「監査官殿。高級品というのは既に消費されているものです。まさか今さら――」
「では、なぜ未開封保管料が発生しているんです?」
沈黙。
ミーシャが目を見開く。
グレダムの額に汗が浮いた。
「帳簿にあります」
エドガーはページをめくる。
「地下保管庫管理費。月額銀貨八十枚」
「そ、それは……」
「酒は飲んだのでしょう?」
静かな声だった。
「なら保管庫は空のはずです」
グレダムの喉が鳴る。
エドガーが立ち上がった。
「案内を」
「き、貴様……!」
「拒否する場合、監査拒否として強制執行権を行使します」
青白い算盤が空中へ浮かぶ。
珠が鳴った。
カチ。
グレダムの顔色が変わる。
「……っ」
地下保管庫は冷えていた。
石壁には結露が浮かび、空気は重い。
並ぶ木箱。
確かにラベルには“エルフ酒”と書かれている。
だが。
エドガーは一本を持ち上げた瞬間、目を細めた。
「重い」
「え?」
ミーシャも持とうとして、顔をしかめた。
「ほんとだ……お酒ってこんな重いんですか?」
「いいえ」
エドガーは瓶を机へ置いた。
そして静かに封を切る。
店員たちが青ざめた。
「ま、待っ――」
次の瞬間。
瓶の中身が、青白く発光した。
濃密な魔力。
冷たい鉱石臭。
酒ではない。
高純度魔石の粉末結晶だった。
ミーシャが息を呑む。
「……魔石」
「密輸ですね」
エドガーは淡々と言った。
「酒名義で輸送し、関税を回避している」
グレダムが叫ぶ。
「証拠があるのか!?」
「ありますよ」
エドガーの瞳が光る。
【因果の算盤】が展開された。
無数の青白い数字が空中を走る。
輸送記録。
港湾税。
魔力反応。
保管費。
接待費。
全てが一本の線になる。
「不正利益、推定金貨二千四百枚」
静かな声だった。
「なお、迷宮結界用高純度魔石の不足時期と一致しています」
ミーシャの背筋が冷える。
つまり。
迷宮の安全維持用魔石が、酒に偽装されて消えていた。
そのせいで。
人が死んでいた。
グレダムが後退る。
「ま、待て……! 私はただ頼まれただけだ……!」
「でしょうね」
エドガーは即答した。
「単独犯にしては規模が大きすぎる」
算盤の珠が鳴る。
カチ。
カチ。
カチ。
「監査権限により、資産を一時凍結します」
瞬間。
保管庫中の魔石が青白く発光した。
「なっ!?」
グレダムの指輪。
財布。
倉庫鍵。
全てが光に縛られる。
「ぎゃあっ!?」
男が床へ転がった。
ミーシャは呆然とそれを見ていた。
怒鳴り声も。
剣も。
血もない。
ただ。
静かに。
数字だけで。
一人の大商人が終わった。
帰り道、夜風は冷たかった。
中央区の華やかな香水の匂いはもう消えている。
代わりに漂うのは、路地裏の煮込みの香りだった。
「あ……」
ミーシャが立ち止まる。
湯気が立っていた。
いつもの屋台。
魔汁煮込み定食。
黒パン。
角ウサギの煮込み。
酢漬けキャベツ。
店主が顔を上げる。
「今日は卵乗せるか?」
ミーシャがエドガーを見る。
「……食べます?」
「はい」
短い返事だった。
二人は木箱へ腰掛ける。
温かな湯気が頬を撫でた。
エドガーは黒パンをスープへ浸す。
硬かったパンが、ゆっくり柔らかくなっていく。
一口。
塩気。
トマト。
肉の脂。
冷え切っていた胃に熱が落ちていく。
ミーシャが小さく笑った。
「やっぱり、こっちの方が落ち着きますね」
エドガーは少しだけ目を閉じた。
「……そうですね」
高級料亭より、
こちらの方が、
人間の食事だった。




