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第二話 命の値段

第二話 命の値段


 迷宮都市オウラムでは、毎朝誰かが死ぬ。


 東区の共同墓地には、まだ新しい土がいくつも盛り上がっていた。雨を吸った黒土は重く、掘り返された地面からは湿った腐臭が漂っている。


 若い女が、粗末な木札に縋りついて泣いていた。


「なんで……なんでよ……昨日まで生きてたのに……」


 小さな子供が母親の袖を掴んでいる。意味も分からないまま、不安そうに。


 その横を、黒衣の男が無言で通り過ぎた。


 エドガー・レインは墓を見なかった。


 見慣れている。


 王都でも。

 地方都市でも。

 人間は帳簿より軽かった。


「……また三人です」


 後ろを歩くミーシャの声は暗かった。


「今週だけで新人冒険者が十七人。多すぎます」


 湿った風が吹く。遠くで迷宮塔の鐘が鳴っていた。


 エドガーは足を止めた。


「防具記録を」


「はい」


 ミーシャが鞄から羊皮紙束を取り出す。彼女の指先は冷えて赤くなっていた。


「これが新人支給装備の申請書です。でも、ちゃんと許可は下りていて……」


「でしょうね」


 エドガーは歩きながら書類をめくる。


 革の擦れる音。

 紙の乾いた感触。

 数字の列。


 その瞬間、彼の視界に青白い線が浮かび上がった。


 鉄。

 金貨。

 鍛冶工房。

 輸送記録。

 支給名簿。


 因果が繋がる。


【因果の算盤】


 虚偽を含んだ数字は、濁る。


「……軽いですね」


「え?」


「新人用胸当ての平均重量が、規定より三割低い」


 ミーシャが目を瞬かせた。


「そんなの、数字だけで分かるんですか?」


「鉄は嘘をつきません」


 エドガーは淡々と言った。


「問題は、人間が嘘をつくことです」


 ギルド武具調達部は、迷宮都市中央区の石造り建物の三階にあった。


 中へ入った瞬間、油と鉄錆の臭いが鼻を刺す。


 帳簿棚が並び、職員たちが羽ペンを走らせていたが、エドガーを見るなり空気が凍った。


「あいつだ……」

「門番潰した監査官……」


 囁き声。


 恐怖と嫌悪が混ざっている。


 エドガーは気にしなかった。


「調達主任は」


 奥から肥えた男が出てきた。額に脂汗を浮かべ、金縁眼鏡を押し上げる。


「わ、私だが……何か?」


「特別監査官エドガー・レインです。新人防具の現物確認を」


「げ、現物?」


「はい」


 男の喉が鳴った。


「い、いや、その、今日は在庫整理で……」


「今すぐ」


 静かな声だった。


 だが逆らえない圧があった。


 倉庫へ案内される。


 薄暗い石倉庫には、防具が山積みになっていた。湿気で鉄が少し赤く錆びている。


 エドガーは無言で胸当てを持ち上げた。


 軽い。


 指先に伝わる重量だけで分かる。


 本来の規格品ではない。


「秤を」


 ミーシャが慌てて古い天秤を運んでくる。


 ガシャン、と金属音。


 胸当てが皿へ置かれた。


 針が止まる。


 規定値以下。


「……あ」


 ミーシャの顔色が変わる。


 主任が口を開いた。


「た、多少の誤差はある!」


「多少ではありません」


 エドガーは次々と防具を測る。


 どれも軽い。


 薄い。


 脆い。


 死人が増える理由としては十分だった。


「記録上、今年度購入鉄材は二十七トン」


 エドガーが帳簿を開く。


「しかし実際の総重量は二十二トン前後」


 主任の唇が引き攣った。


「消えた鉄五トンはどこです?」


 沈黙。


 倉庫の空気が重くなる。


 遠くで誰かが工具を落とした音が響いた。


「こ、これは……輸送時の誤差で……」


「鉄五トンが?」


「……」


「荷馬車が丸ごと消えても足りませんね」


 ミーシャがごくりと唾を飲む。


 主任の顔から血の気が消えていく。


 エドガーはさらに倉庫奥へ歩いた。


 そして足を止める。


 高級軍用鋼材。


 本来、新人装備に使われるはずの鉄だ。


 だが刻印が削られている。


「横流しですね」


「ち、違う!」


「軍需刻印を削った痕跡があります」


 主任が後退る。


「ま、待ってくれ……!」


「誰へ売りました」


「私は命令されただけなんだ!」


 その瞬間、職員たちがざわめいた。


 エドガーの瞳に、青白い光が宿る。


 算盤の珠が鳴った。


 カチ、カチ、カチ。


「……上の命令ですか」


 主任が崩れるように座り込む。


「ギルド長だ……! 新人用なんて安物でいいって……余った鉄は貴族に流せって……!」


 ミーシャが息を呑んだ。


「そんな……」


 エドガーは目を閉じた。


 脳裏に浮かぶ。


 墓地。

 泣いていた女。

 小さな子供。


 そして薄い鉄板を貫いた魔獣の牙。


 だが彼の声は変わらなかった。


「供述を記録してください」


「……はい」


 ミーシャが震える手で羽ペンを取る。


 主任は泣きながら喋り続けた。


「俺だけじゃない……みんなやってる……!」


「でしょうね」


 エドガーは倉庫を見渡した。


 腐っている。


 この街は、想像以上に。


 外へ出る頃には夜になっていた。


 冷たい風が吹いている。


 迷宮帰りの冒険者たちが、酒場で騒いでいた。笑い声。怒鳴り声。焼いた肉の匂い。


 その喧騒の中で、ミーシャが遠慮がちに声をかける。


「あ、あの……」


「なんです」


「まだ、食事してませんよね」


 エドガーは答えなかった。


 空腹は感じていた。


 だが仕事中に食事を思い出す習慣は、もう長いこと消えている。


 ミーシャは小さく息を吸った。


「これ……差し入れです」


 差し出された包みから、温かな匂いが漂った。


 トマトと香辛料。

 煮込まれた肉。

 焼きたての黒パン。


 裏路地の食堂で売られている魔汁煮込み定食だった。


「安い店ですけど……でも、美味しいんです」


 エドガーは少しだけ目を細めた。


 湯気が夜気に溶けていく。


「……銅貨三枚の店ですね」


「え?」


「栄養効率は悪くない」


 ミーシャが吹き出した。


「なんですか、その感想」


「事実です」


 二人は路地裏の木箱へ腰を下ろした。


 スープを口に入れる。


 温かかった。


 塩気が舌へ広がる。

 煮崩れた根菜が柔らかい。

 角ウサギの肉は硬いが、ちゃんと旨味があった。


 冷え切っていた胃が、じわりと熱を取り戻していく。


 ミーシャが小さく笑う。


「ちゃんと食べるんですね」


「人間は食べないと死ぬので」


「そういうことじゃなくて……」


 エドガーは黙った。


 ふと視線を上げる。


 迷宮塔が夜空にそびえていた。


 巨大で。

 暗くて。

 底が見えない。


 まるでこの都市そのものだった。



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