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第二十二話 国を壊すな


 諸葛亮が須佐へ戻った翌朝。

「孔明殿」

「はい」

「お話があります」

「朝食の後では?」

「駄目です」

「では、お茶だけでも」

「駄目です」

「随分厳しいですね」

「あなたが昨日、何時まで起きていたか」

 思金は言った。

「溟から聞きました」

「……」

「何時まで?」

「さて」

「孔明殿」

「覚えておりません」

「先生!」

 遠くから溟の声。

「夜中まで起きてたぞ!」

「溟様」

「何!」

「余計なことを」

「寝ろって言っただろ!」

「……」

 思金が諸葛亮を見る。

「よい弟子をお持ちで」

「最近、少々生意気になりまして」

「誰のせいだよ!」

「元からでしょうか」

「先生!」

 思金は無視した。

「狗奴国から使者です」

 諸葛亮の表情が変わる。

「誰の?」

「そこが問題です」

「王ではない?」

「はい」

「ナギ殿?」

「それだけでもありません」

 思金は木簡を置いた。

「ナギ。カヤ。王から離れた三つの一族。そして北と西の村々」

「……」

「共同で」

 思金は言った。

「卑弥呼様との会談を求めています」

 諸葛亮は。

 木簡を見た。

「王は?」

「呼ばれていません」

「なるほど」

「どう見ます?」

「困りましたね」

「またですか」

「ええ」

 諸葛亮は木簡を置く。

「これはもう」

「はい」

「狗奴国の中で」

 少し間を置いた。

「王が王でなくなり始めております」

◇

 会談は。

 邪馬台国でも。

 狗奴国でもなく。

 境の川辺で行われた。

 卑弥呼。

 思金。

 諸葛亮。

 タケミカヅチ。

 そして。

「何で俺は駄目なんだよ!」

「溟様」

「何!」

「今回は正式な話し合いです」

「俺だって話せる!」

「それは存じております」

「じゃあ!」

「余計なことまで話すでしょう」

「話さねえよ!」

「本当に?」

「……たぶん」

「留守番を」

「またかよ!」

 結局。

 溟は来なかった。

 代わりに。

 狗奴国からは。

 ナギ。

 カヤ。

 三つの一族の代表。

 北の村。

 西の村。

 鉄を作る者。

 炭を焼く者。

 七人が来た。

 誰も。

 王ではない。

 誰も。

 狗奴国全体を代表してはいない。

 だからこそ。

 卑弥呼は最初に言った。

「今日は」

 皆を見る。

「狗奴国の王を決めるために来たのではありません」

 ナギが頷く。

「分かっている」

「私も」

 卑弥呼は言った。

「決めません」

 カヤが尋ねる。

「では、何を話す」

「あなた方が」

 卑弥呼は答えた。

「何を望んでいるのかを聞きます」

 沈黙。

 最初に口を開いたのは。

 北の村の老人だった。

「山を」

「はい」

「これ以上、切りたくない」

 次。

 炭を焼く男。

「炭を作るなとは言わん」

「はい」

「だが」

 手を見る。

「作った炭が、どこへ行くのか知りたい」

 鉄を作る者。

「俺たちもだ」

「鉄を作りたくない?」

「違う」

 首を振る。

「作りたい」

 諸葛亮の目が。

 少し動いた。

「良い鉄を作りたい」

 男は言った。

「もっと良いものを」

「……」

「だが」

 拳を握る。

「そのために人を攫うのは違う」

 卑弥呼は頷いた。

「他には?」

 三つの一族。

「呉との交易は残したい」

 別の者。

「海から来るものは必要だ」

 さらに。

「技術も欲しい」

 ナギも言う。

「だが兵はいらない」

 カヤが続ける。

「狗奴国の村へ」

 低い声。

「外国の兵が剣を向けるのは、二度と御免だ」

 卑弥呼は。

 全員を見た。

「では」

 尋ねる。

「今の王は?」

 誰も。

 すぐには答えなかった。

◇

「王を」

 やがて。

 カヤが言った。

「降ろすべきだと思う」

 空気が変わる。

「カヤ」

 ナギが見る。

「最後まで聞け」

「……」

「殺す必要はない」

「王が拒めば?」

「その時は」

 カヤは。

 答えに詰まる。

「……」

 諸葛亮は。

 黙っていた。

「老人」

 カヤが呼ぶ。

「はい」

「何か言え」

「なぜ私が?」

「こういう時のためにいるんじゃないのか」

「違いますよ」

「何が」

「私は」

 諸葛亮は言った。

「狗奴国の者ではありません」

「……」

「あなた方が王をどうするかを」

 静かに続ける。

「私が決めてはいけません」

「なら何のために来た」

「聞くためです」

「何を」

「王を変えた後」

 諸葛亮は。

 一人ずつ見る。

「あなた方が、何を変えないのかを」

「……?」

「国を変える時」

 川の向こう。

 狗奴国を見る。

「人は、変えるものばかり考えます」

 王。

 兵。

 制度。

 約束。

「ですが」

 諸葛亮は言った。

「国は」

 田を指す。

「王だけで出来ているのではありません」

 山。

「炭を焼く者」

 川。

「魚を捕る者」

 道。

「物を運ぶ者」

 そして。

「鉄を作る者」

「……」

「王が変わった翌朝も」

 諸葛亮は言う。

「腹は減ります」

 誰も笑わなかった。

「田に水は必要です」

「……」

「炉には炭が要る」

「……」

「子は飯を食べる」

「……」

「ですので」

 ナギを見る。

「王を倒す話をする前に」

 ゆっくり言った。

「国を壊さない話をしてください」

◇

 話は。

 昼を越えた。

「王の蔵は?」

「二つ」

「誰が管理を」

「王の一族だ」

「それだけ?」

「大きいものはな」

「村の蔵は?」

「それぞれ」

「なら触らない」

 ナギが言う。

「王の蔵だけ押さえる」

「奪うのか」

「違う」

 カヤが首を振る。

「開けさせる」

「誰に」

「村へだ」

「兵は?」

「俺が話す」

「従うか?」

「半分は」

「残りは?」

「……」

「呉の兵がいる」

「それは邪馬台国が止める」

 ナギが。

 卑弥呼を見る。

「そうだったな」

「はい」

 卑弥呼は答える。

「ただし」

「分かっている」

「狗奴国の王を倒すためには使いません」

「それでいい」

 ナギが即答した。

 諸葛亮が。

 わずかに笑う。

「何だ」

「いえ」

「言え」

「安心しました」

「何に」

「あなたが」

 諸葛亮は言った。

「我々の兵を欲しがらなかったことに」

 ナギが鼻で笑う。

「借りれば」

「はい」

「返さなきゃならん」

「そうですね」

「兵の借りは高い」

「よくご存じで」

「お前を見てれば分かる」

「私は兵を貸しておりませんが」

「もっと面倒なものを貸してる」

「何でしょう」

「知恵だ」

 思金が。

 小さく吹き出した。

「何です?」

「いえ」

「最近皆さん本当に」

「慣れたのです」

「何に」

「あなたに」

「……喜んでよいのでしょうか」

◇

 夕方。

 話し合いが。

 ようやく形になり始めた。

 王へ。

 まず要求を出す。

 人を攫うことを禁ずる。

 村へ過度な炭を求めない。

 呉兵をこれ以上入れない。

 港を外国の兵へ渡さない。

 鉄の行き先を明らかにする。

 そして。

 狗奴国内の一族と村の代表を集め。

 今後を話す場を設ける。

「受け入れると思うか?」

 カヤが聞く。

「思わん」

 ナギが答えた。

「俺もだ」

「なら何のためだ」

 諸葛亮が口を開く。

「王へ」

「……」

「選んでいただくためでしょう」

「何を」

「王であり続けることと」

 少し間。

「呉との約束を守ること」

 ナギが。

 諸葛亮を見る。

「どちらかを?」

「それを決めるのは」

 諸葛亮は言った。

「王です」

「またそれか」

「大切なことですので」

◇

 会談が終わる直前。

 一人の男が。

 馬も使わず。

 走ってきた。

「ナギ様!」

「何だ」

「王が!」

 息が切れている。

「落ち着け」

「王が……!」

「何をした」

「呉へ」

 男が。

 膝に手をつく。

「港を渡すと」

 空気が止まった。

「……何?」

「兵二百と引き換えに」

 カヤが立ち上がる。

「どこの港だ!」

「まだ決まっていません!」

「鉄は!」

「増やすと!」

 ナギの顔が。

 険しくなる。

「他には」

 諸葛亮が聞いた。

「……」

 使者が。

 老人を見る。

「何です」

「須佐を」

 諸葛亮の表情が。

 消えた。

「何と?」

「呉が」

 息を整える。

「須佐を調べろと」

 思金が。

 諸葛亮を見る。

「王は?」

「受け入れたそうです」

「……」

 溟。

 クシナ。

 須佐の民。

 水路。

 蔵。

 田。

 昨夜。

 戻ったばかりの土地。

「孔明殿」

 思金が呼ぶ。

「はい」

「大丈夫ですか」

「ええ」

 声は。

 いつも通りだった。

 だが。

 杖を握る手だけが。

 少し強くなっていた。

「ナギ殿」

 卑弥呼が呼ぶ。

「……ああ」

「これは」

 卑弥呼は聞いた。

「狗奴国の王が決めたことですね」

「そうだ」

「港を渡すことも」

「……そうだ」

「狗奴国の鉄を増やすことも」

「ああ」

「須佐を」

 卑弥呼は。

 一瞬だけ諸葛亮を見る。

「探らせることも」

「……」

「そうだ」

 ナギは答えた。

 卑弥呼は。

 頷いた。

「なら」

 それ以上。

 何も言わなかった。

 ナギたちを見る。

「あなた方は」

 静かに尋ねる。

「どうしますか」

「……」

 長い沈黙。

 北の村の老人が。

 最初に言った。

「嫌だ」

 短かった。

「何が?」

「港を」

 老人は言う。

「渡したくない」

 炭焼きの男。

「山もだ」

 鉄を作る者。

「鉄は作る」

 拳を握る。

「だが」

「……」

「誰かに言われて作るんじゃない」

 三つの一族。

「呉との交易は残す」

「だが兵はいらない」

 カヤ。

「俺は」

 剣の柄に触れる。

「自分の国の民へ」

 手を離す。

「外国の命令で剣を向けるのは、もう御免だ」

 最後に。

 ナギが言った。

「王へ」

 皆を見る。

「要求を出す」

「拒めば?」

 カヤが聞く。

 ナギは。

 しばらく黙った。

「その時は」

 狗奴国の方を見る。

「王を降ろす」

 諸葛亮は。

 何も言わなかった。

 卑弥呼も。

 何も言わなかった。

 それは。

 邪馬台国が決めたことではなかった。

◇

 翌日。

 要求は。

 王の館へ届けられた。

 王は。

 最後まで読まなかった。

「ふざけるな!」

 木簡が。

 床へ叩きつけられる。

「誰が王だ!」

 使者は答えない。

「誰のおかげで呉との交易ができる!」

「……」

「誰のおかげで鉄が売れる!」

「……」

「誰のおかげで!」

「王よ」

 横から。

 老人が口を開いた。

 古くから。

 王の側にいた男だった。

「何だ」

「その鉄を」

「……」

「作っているのは誰です」

「何?」

「炭を焼くのは」

「……」

「船を出すのは」

「……」

「田を耕すのは」

「何が言いたい!」

 老人は。

 静かに王を見る。

「王だけで」

 言った。

「国は作れませぬ」

「……」

「貴様」

「長く」

 老人は頭を下げた。

「お仕えしました」

「……」

「ですが」

 立ち上がる。

「ここまでです」

 王の顔が。

 固まった。

「待て」

 老人は。

 出ていく。

「待て!」

 誰も止めない。

「捕らえろ!」

 兵たちがいる。

「聞こえないのか!」

 兵は。

 動かない。

「命令だ!」

 一人が。

 槍を床へ置いた。

 からん。

 音が響く。

 次。

 からん。

 もう一つ。

 そして。

 もう一つ。

「……」

 王は。

 ようやく。

 気づいた。

 国とは。

 王が。

 王だと言い続ければ。

 存在するものではない。

◇

 その日のうちに。

 王は館を出た。

 殺されなかった。

 追われもしなかった。

 少数の親族と。

 残った従者だけを連れ。

 海沿いの小さな土地へ退いた。

 呉の兵も。

 動かなかった。

 動けなかった。

 狗奴国の兵が。

 もう。

 彼らの前を歩かなかったからだ。

 戦は。

 起きなかった。

 城も燃えなかった。

 田も。

 焼かれなかった。

 水も。

 止まらなかった。

 翌朝。

 狗奴国の民は。

 昨日と同じように起きた。

 田へ行った。

 炭を焼いた。

 炉に火を入れた。

 魚を捕った。

 子供は。

 腹を空かせた。

 だから。

 飯を食べた。

 王が変わっても。

 朝は来た。

◇

「終わった?」

 須佐へ戻ったナギへ。

 溟が聞いた。

「何が」

「王」

「降りた」

「じゃあナギが王?」

「違う」

「え?」

「違う」

「じゃあ誰」

「まだ決めてない」

「……王いないの?」

「今はな」

「大丈夫なの?」

「大丈夫にする」

「どうやって」

「話す」

 溟が。

 ものすごく嫌そうな顔をした。

「うわ」

「何だ」

「先生みたい」

「やめろ」

「何でみんな嫌がるんだよ!」

 ナギは笑った。

 その少し離れたところ。

 諸葛亮と。

 卑弥呼がいた。

「孔明」

「はい」

「あなたは」

「はい」

「最初から、こうなると思っていましたか」

 諸葛亮は。

 少し考える。

「いいえ」

「本当に?」

「いくつかの道は考えておりました」

「その中に?」

「ありました」

「やっぱり」

「ですが」

 諸葛亮は。

 狗奴国の方を見る。

「彼らが選ばなければ」

「……」

「こうはなりませんでした」

 卑弥呼も見る。

「私たちは」

「はい」

「狗奴国を勝たせた?」

「いいえ」

「救った?」

「それも」

 諸葛亮は首を振る。

「では」

「彼らが」

 静かに答える。

「自分たちで国を残すのを」

 少し笑う。

「邪魔しなかっただけです」

「……」

「随分」

 卑弥呼が言う。

「控えめですね」

「老人ですので」

「関係あります?」

「ありませんね」

 卑弥呼が笑った。

 そして。

 少し真面目な顔になる。

「次の王は」

「はい」

「どうします」

「何もしません」

「やっぱり」

「狗奴国のことですので」

「では」

 卑弥呼は聞いた。

「ナギが王になって」

「はい」

「私たちを裏切ったら?」

 諸葛亮は。

 すぐ答えた。

「構いません」

「……え?」

 卑弥呼まで。

 聞き返した。

「構わない?」

「はい」

「困るでしょう」

「もちろん」

「では何で」

「卑弥呼様」

 諸葛亮は。

 穏やかに言った。

「我々を裏切らない国を」

 狗奴国を見る。

「作るのではありません」

「……」

「我々を裏切る理由のない国を」

 言った。

「作ればよいのです」

 卑弥呼は。

 その言葉を。

 しばらく考えていた。

「それでも裏切ったら?」

「その時は」

 諸葛亮は笑った。

「その時に考えましょう」

「……」

「今から百年先の裏切りまで考えていたら」

「はい」

「休めませんので」

「孔明」

「はい」

「あなたが言うと」

「はい」

「まったく説得力がありません」

「……」

 遠くから。

 溟の声。

「先生ー!」

「何でしょう」

「水路!」

「壊れましたか?」

「違う! また揉めてる!」

「誰と誰が?」

「知らねえ!」

 諸葛亮が。

 そちらへ歩き出す。

「孔明」

 卑弥呼が呼び止める。

「はい?」

「休むのでは?」

「ええ」

「今」

「これは」

 少し考える。

「国内ですので」

「答えになっていません」

「善処いたします」

「それ、溟から意味を聞きました」

「……」

 諸葛亮が止まった。

「何と?」

「言うことを聞く気がない時の言葉だと」

「……」

「孔明?」

「溟様とは」

 老人は。

 静かに言った。

「一度、よく話し合う必要がありますね」

「先生ー! 聞こえてんだろー!」

 卑弥呼は。

 声を上げて笑った。

 狗奴国では。

 王が一人。

 国から離れた。

 だが。

 国は残った。

 田も。

 山も。

 炉も。

 人も。

 残った。

 それでいい。

 王を倒すことが。

 国を変えることではない。

 王を残すことが。

 国を守ることでもない。

 大切なのは。

 王が変わった翌朝にも。

 人々が。

 昨日と同じように。

 生きていけること。

 諸葛亮が壊したかったのは。

 最初から。

 狗奴国ではなかった。

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