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第二十話 誰のための剣


 道は、狭かった。


 片側は山。


 反対側は川。


 百五十の兵が横に並べるような場所ではない。


 諸葛亮は、その道の真ん中に立っていた。


「……」


 杖をついている。


 武器はない。


 後ろにも。


 誰もいない。


「孔明殿!」


 遠くから思金の声がした。


「戻りなさい!」


 諸葛亮が振り返る。


「おや」


「おや、ではありません!」


「思ったより早かったですね」


「あなたが遅いのです!」


「老人ですので」


「都合のいい時だけ老人にならないでください!」


 その後ろから。


 タケミカヅチも来る。


「一人で何をしている」


「待っております」


「誰を」


 諸葛亮は道の向こうを見る。


「兵を」


 タケミカヅチも見る。


 まだ姿はない。


 だが。


 足音がする。


 百を超える人間が歩く音。


「ここで止めるのか」


「はい」


「三十で?」


「いいえ」


「では」


「三人で」


「……」


 タケミカヅチが剣の柄へ手を置いた。


「お前を斬れば帰っていいか」


「卑弥呼様に怒られますよ」


「悩むな」


「悩まないでください」


 思金が息を整えながら地図を開いた。


「こちらの三十は、少し後ろで待たせています」


「ありがとうございます」


「本当に出さないのですか」


「まだ」


「相手は百五十です」


「違います」


 諸葛亮は言った。


「五十と百です」


 思金が顔を上げる。


「……」


「同じではありません」


 足音が。


 近づいてくる。


◇


 最初に見えたのは。


 狗奴国の兵だった。


 槍。


 盾。


 弓。


 およそ百。


 その後ろ。


 装いの違う者たち。


 五十ほど。


 大陸式の武器。


 大陸式の歩き方。


 そして。


 大陸の言葉。


 諸葛亮の目が。


 わずかに細くなった。


「止まれ!」


 狗奴国の兵を率いる男が叫ぶ。


 隊列が止まる。


 諸葛亮は動かない。


「何者だ!」


「旅人です」


「嘘をつけ」


 タケミカヅチが呟く。


「最近それ通じないな」


「困りましたね」


「最初から通じていません」


 思金が言った。


 兵を率いる男が剣へ手をかける。


「道を空けろ」


「どちらへ?」


「北だ」


「なぜ?」


「王命だ」


「何をしに?」


「……」


「炭を出さぬ村へ」


「はい」


「何をしに?」


「王命に従わせる」


「どのように?」


「貴様に関係はない!」


「そうですね」


 諸葛亮は頷いた。


「狗奴国の話です」


「ならばどけ」


「その前に」


「何だ!」


「一つだけ」


 諸葛亮は。


 兵たちを見た。


「北の村に」


 声を張る。


「親族がいる方は?」


 ざわ。


 隊列が揺れた。


 将が振り返る。


「黙れ!」


 諸葛亮は続ける。


「父母がいる方」


「黙れと言っている!」


「兄弟」


「貴様!」


「妻」


「――黙れ!」


「子」


 何人かが。


 顔を伏せた。


 諸葛亮は。


 それを見ていた。


「タケミカヅチ殿」


「何だ」


「何人ほどです?」


「……」


 タケミカヅチが兵を見る。


「三十」


「もう少し」


「四十か」


「私も、その程度かと」


 将が剣を抜いた。


「捕らえろ!」


 だが。


 誰も動かなかった。


「何をしている!」


 兵たちが。


 互いを見る。


「命令だ!」


 一人。


 前へ出た。


 若い兵だった。


「将」


「何だ」


「北へ行って」


 唇を噛む。


「何をするんです」


「命令に従わせる!」


「従わなければ?」


「……」


「母が」


 若者は言った。


「北にいます」


 将が黙る。


「妹も」


「……」


「従わなければ」


 若者は尋ねた。


「斬るんですか」


 答えが。


 なかった。


 代わりに。


 後ろから声がした。


 大陸の言葉だった。


「進め」


 呉の兵。


 その指揮官が。


 前へ出てくる。


「命令に従わぬ村だろう」


 倭の言葉は。


 少しぎこちない。


「敵だ」


 狗奴国の兵たちが。


 振り返る。


「進め」


 呉の男は繰り返した。


「邪魔するなら斬れ」


 諸葛亮は。


 静かにその男を見た。


「……」


 懐かしい。


 嫌になるほど。


 命令する者の声だった。


「何だ」


 呉の男が諸葛亮を見る。


「老人」


「いえ」


 諸葛亮は少し笑った。


「昔を思い出しておりました」


「どけ」


「一つ」


「何だ」


「確認を」


 諸葛亮は。


 狗奴国の兵を指した。


「彼らは」


「……」


「あなたの兵ですか」


「何?」


「あなたが命令するのですか」


 空気が。


 変わった。


 狗奴国の将が。


 呉の男を見る。


「我らは」


 低い声。


「狗奴の兵だ」


「知っている」


「ならば」


 将が言った。


「命令するな」


「……」


 呉の男の顔から。


 笑みが消えた。


「王から」


「兵を借りたのでしょう」


 諸葛亮が言う。


「何?」


「狗奴国の王は」


 一歩。


 前へ出る。


「あなた方へ兵を貸したのですか」


「違う!」


 将が言った。


 今度は。


 はっきりと。


「我らが」


 剣を握る。


「呉の兵を借りたのだ」


 諸葛亮は頷いた。


「なるほど」


 そして。


 呉の男を見る。


「だそうですよ」


「……貴様」


 呉の男が。


 初めて諸葛亮をまともに見た。


「何者だ」


「農業に詳しい老人です」


 タケミカヅチが。


 横で吹き出した。


「今それを言うのか」


「事実ですので」


 思金は額を押さえていた。


◇


「進め」


 呉の指揮官が命じた。


 今度は。


 自分の五十へ。


 呉兵が動く。


 タケミカヅチが。


 剣へ手をかけた。


「孔明」


「はい」


「ここからは」


「まだです」


「まだ?」


「はい」


 諸葛亮は。


 狗奴国の将を見る。


「将軍」


「将軍ではない」


「では、何と?」


「今それを聞くか!」


「困りましたね」


「何がだ!」


「お名前を存じません」


「カヤだ!」


「では、カヤ殿」


「何だ!」


 諸葛亮は。


 迫る呉兵を指した。


「通しますか」


「……」


「ここは」


 道を見る。


「狗奴国です」


 カヤが。


 呉兵を見る。


 自分の兵を見る。


 北を見る。


 そこには。


 自分たちの村がある。


「カヤ!」


 呉の男が叫ぶ。


「兵を動かせ!」


「……」


「王命だぞ!」


 カヤは。


 剣を握っていた。


「カヤ殿」


 諸葛亮が言う。


「私は」


「……」


「あなたに、何も命令できません」


 カヤが見る。


「狗奴国の兵ですから」


「……」


「ですので」


 諸葛亮は。


 道を空けた。


 思金が驚く。


「孔明殿?」


「決めてください」


 カヤを見る。


「この道を」


 北を指す。


「誰のために進むのか」


 呉兵は。


 もう近い。


 カヤは。


 長く。


 長く。


 黙っていた。


 そして。


「……槍を」


 狗奴国の兵が動く。


 タケミカヅチが剣を抜きかける。


 だが。


「横へ向けろ」


 槍が。


 一斉に動いた。


 北ではない。


 横。


 道を塞ぐように。


 百本の槍が。


 並んだ。


 呉兵の前に。


「カヤ!」


「ここから先は」


 カヤが言った。


「狗奴国だ」


「何をしている!」


「狗奴国の村へ行くなら」


 剣を抜く。


「狗奴国の兵を越えて行け」


 諸葛亮は。


 目を閉じた。


 ほんの一瞬だけ。


「……」


「孔明?」


 思金が見る。


「いえ」


「何です?」


「少し」


 諸葛亮は言った。


「安心しました」


◇


 戦には。


 ならなかった。


 五十。


 対。


 百。


 その後ろには。


 邪馬台国の三十。


 さらに。


 ナギたちが向かっている。


 呉の指揮官にも。


 分かった。


 ここで剣を抜けば。


 勝っても。


 帰れない。


「……退け」


 呉兵が。


 少しずつ下がる。


 タケミカヅチは。


 剣から手を離した。


「終わりか」


「今日のところは」


 諸葛亮が答える。


「斬らなかったな」


「残念ですか?」


「少し」


「卑弥呼様へ報告しますよ」


「冗談だ」


「覚えましたね」


「お前のせいでな」


 だが。


 カヤは。


 剣を納めなかった。


「老人」


「はい」


「終わっていない」


「ええ」


「俺は」


 自分の兵を見る。


「王命に逆らった」


「はい」


「こいつらもだ」


「はい」


「戻れば」


「処罰されるかもしれませんね」


「他人事だな」


「他国ですので」


「……」


 カヤが。


 呆れた顔をする。


「本当に腹が立つな、お前」


「よく言われます」


「どうすればいい」


 その言葉に。


 諸葛亮は。


 すぐ答えなかった。


「……」


「何だ」


「それを」


 諸葛亮は言った。


「私に聞いてはいけません」


「なぜ」


「あなた方の国です」


「……」


「戻るのも」


「……」


「王へ抗議するのも」


「……」


「王を見限るのも」


 諸葛亮は。


 カヤを見る。


「あなた方が決めることです」


 カヤは。


 しばらく老人を見ていた。


「邪馬台国は」


「はい」


「俺たちを助けないのか」


「何から?」


「王から」


「助けません」


 即答だった。


 思金が。


 諸葛亮を見る。


「呉からは?」


「呉の兵が、あなた方へ剣を向けるなら」


 諸葛亮は言う。


「止めます」


「……」


「それが」


 少し間。


「我が王の決断です」


 カヤは。


 初めて。


 卑弥呼という女王を意識した。


「変な国だな」


「倭国ですから」


 思金が言った。


「それはここで使うのですか?」


「使いたくなりました」


◇


 カヤたちは。


 北へは行かなかった。


 王の館へも戻らなかった。


 その場で。


 兵を解いた。


「帰れ」


 カヤが言った。


「だが」


「北に家族がいる奴は北へ行け」


「カヤ様は」


「俺は」


 少し考える。


「ナギに会う」


「……」


「王を倒すのですか」


 若い兵が聞いた。


 カヤは。


 首を振った。


「分からん」


「では」


「だから」


 剣を納める。


「話をする」


 その言葉を。


 諸葛亮は。


 少し離れたところで聞いていた。


「嬉しそうですね」


 思金が言う。


「そう見えますか」


「ええ」


「良いことです」


「何が」


「話をする、と」


 諸葛亮は笑った。


「剣を持った方が言いましたので」


◇


 その夜。


 狗奴国では。


 いくつもの火が灯った。


 北の村。


 ナギの館。


 王から離れた三つの一族。


 兵を解いたカヤ。


 それぞれの場所で。


 人が集まった。


 同じ問いが。


 語られていた。


 王を。


 どうする。


 誰かが言う。


「倒すべきだ」


 別の者が言う。


「それでは国が割れる」


「もう割れている」


「呉はどうする」


「交易は必要だ」


「兵はいらない」


「王を変えれば、呉が敵になる」


「今の王を残せば、村が敵になる」


 答えは。


 出ない。


 だが。


 初めて。


 王のいない場所で。


 狗奴国の行く先が。


 話し合われていた。


◇


 そして。


 王の館にも。


 報せが届いた。


「カヤが戻らぬ?」


「はい」


「兵は!」


「解散したと」


「何だと!」


「ナギのもとへ向かったとも」


 王が立ち上がる。


「裏切り者め!」


「それだけではありません」


「まだあるのか!」


「北の村」


「……」


「西の村」


「……」


「三つの一族」


「……」


「そして、鉄を作る者たちの一部も」


「何だ」


 王の顔が。


 青ざめる。


「何を言っている」


「王へ」


 使者は。


 震えながら言った。


「話を求めています」


「話?」


「呉との関係を」


「……」


「改めろ、と」


 王は。


 呉から来た男を見る。


「兵を」


「貸そう」


「もっとだ!」


「何人欲しい」


「二百!」


 呉の男が。


 少し笑った。


「代わりに?」


「……何?」


「二百の兵を」


 男は言う。


「海を渡らせるのだ」


「ただではない」


「何が欲しい」


 男は。


 ゆっくり答えた。


「港を」


 王が黙る。


「……」


「我々が使える港を一つ」


「それは」


「鉄も」


「……」


「これまでより多く」


「……」


「それから」


 男は。


 地図を見る。


「須佐という地」


 王が顔を上げる。


「そこを」


 指で叩く。


「調べてもらいたい」


◇


 同じ頃。


 須佐。


 溟は。


 畑で鍬を振っていた。


「……」


 一度。


 止まる。


 山を見る。


「先生遅えな」


 また。


 鍬を振る。


「俺だけ留守番とか絶対おかしいだろ」


 ざく。


「タケミカヅチまで行ったのに」


 ざく。


「帰ってきたら文句言ってやる」


 ざく。


「……」


 後ろから。


 声がした。


「メイ」


「ん?」


 クシナだった。


 籠を持っている。


「何してるの」


「見りゃ分かるだろ。畑」


「それ」


「ん?」


「逆」


「……」


 溟が鍬を見る。


「……」


「三年いるのに?」


「うるせえ!」


 クシナが笑う。


「先生いないと何もできないの?」


「できる!」


「じゃあやって」


「やるよ!」


 鍬を持ち直す。


 少しして。


 溟が聞いた。


「なあ」


「何」


「狗奴国」


「うん」


「どうなると思う」


 クシナの手が止まった。


 あの場所に。


 彼女は囚われていた。


「分かんない」


「……そっか」


「でも」


 クシナは言った。


「あそこにいた人」


「うん」


「全員悪い人じゃなかったよ」


 溟が見る。


「逃がそうとしてくれた人もいた」


「……」


「食べ物くれた人も」


「……」


「怒られても、水多くくれた人も」


「そっか」


「だから」


 クシナは籠を持ち直した。


「国って」


 少し考える。


「変だね」


「何が?」


「敵の国なのに」


 山の向こうを見る。


「敵じゃない人がいっぱいいる」


 溟は。


 しばらく黙った。


「……先生みたいなこと言うな」


「嫌なんだけど」


「何でだよ!」


 二人は笑った。


 その頃。


 海の向こうから。


 須佐という小さな土地へ。


 初めて。


 はっきりとした視線が。


 向けられようとしていた。


◇


 翌日。


 狗奴国。


 ナギの館へ。


 カヤが入った。


 二人は。


 しばらく互いを見た。


「久しぶりだな」


「ああ」


「王の犬が何の用だ」


「昨日までな」


「……」


 ナギが目を細める。


「それで?」


「話をしに来た」


「何を」


 カヤは座った。


「この国を」


 ナギの顔から。


 笑みが消える。


「誰のものにするか」


「違う」


 カヤが言った。


「……何?」


「誰のものにするかじゃない」


 あの道で。


 老人に問われた言葉を思い出す。


 誰のために進むのか。


「誰のための国にするか」


 ナギは。


 長く。


 カヤを見た。


「……誰に教わった」


「腹の立つ老人だ」


 ナギが吹き出した。


「分かる」


「知っているのか」


「嫌になるほどな」


 二人は。


 初めて。


 同じものを思い浮かべて笑った。


 そして。


 その日。


 狗奴国の中で。


 王を倒すためではなく。


 国を残すための話し合いが。


 始まった。


 諸葛亮は。


 そこにはいなかった。


 それでよかった。


 国を造る者が。


 いつまでも。


 その国の中心にいる必要はない。


 まして。


 他人の国ならば。


 なおさらだった。

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