↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/29

第十八話 戦わない戦


 最初に変わったのは。


 兵ではなかった。


 炭だった。


「来ない?」


 思金が聞き返した。


「はい」


 男は頷く。


 以前、狗奴国との境で会った男だった。


 名を、ナギという。


 狗奴国南部に土地を持つ一族の者。


 呉との交易そのものには反対しない。


 だが、大陸の兵が狗奴国へ入り込むことと、人を攫って鉄を作らせることには反対している。


「北の村が、炭を出さなくなった」


「なぜです?」


 諸葛亮が尋ねる。


「山が痩せた」


 短い答えだった。


「木を切りすぎたのですか」


「ああ」


「それだけ?」


「それだけで十分だろう」


「ええ」


 諸葛亮は頷いた。


「十分です」


 机の上には狗奴国の地図がある。


 製鉄場。


 山。


 川。


 道。


 海。


 そして炭を供給する村々。


「鉄を作れ、と王の周りは言う」


 ナギが続ける。


「呉へ渡す分が足りないらしい」


「村は?」


「これ以上木を切れば、冬を越せないと言っている」


「食糧は?」


「鉄と引き換えに海から入ってくる」


「つまり」


 思金が地図を見る。


「鉄を作るために山を削り、その鉄を外へ出して食糧を買っている」


「そうだ」


「随分危ういですね」


 諸葛亮が呟く。


 ナギが睨む。


「他人事みたいに言うな」


「他国ですので」


「そういうところだぞ」


「最近、皆さん私への当たりが強くありませんか?」


 思金が答えた。


「慣れてきたのでしょう」


「喜ぶべきでしょうか」


「どうでしょう」


 ナギは二人を無視した。


「それで、どうする」


「何がです?」


「北の村だ」


「何もしません」


「……何?」


「彼らが炭を出したくないのでしょう?」


「ああ」


「ならば、出さなければよい」


「王が兵を出す」


「でしょうね」


「なら!」


「ナギ殿」


 諸葛亮の声は穏やかだった。


「あなたは、何をしたいのです?」


 ナギが黙る。


「兵を出してほしいのですか」


「違う」


「邪馬台国が北の村を守る?」


「……」


「そうすれば」


 諸葛亮は地図に木片を置く。


「これは邪馬台国と狗奴国の戦になります」


 ナギは答えない。


「あなた方の国の問題を」


 木片を一つ戻す。


「我々の戦にしてはいけません」


「見捨てろと?」


「いいえ」


「では何をする!」


「売りましょう」


「……何を?」


「炭を」


 沈黙。


 思金まで諸葛亮を見た。


「こちらから?」


「はい」


「狗奴国へ?」


「いいえ」


 諸葛亮は北の村を指す。


「北の村へ」


 ナギが眉を寄せた。


「意味が分からん」


「炭を作らなくてよいように」


「炭を売る?」


「正確には」


 諸葛亮は考える。


「薪でもよい。食糧でもよい。彼らが山を切らずに冬を越せるものを」


「それで?」


「何も」


「何も?」


「彼らが炭を出さないのは、我々の命令ではありません」


「……」


「彼ら自身が、出さないと決める」


 思金が気づいた。


「王が兵を出せば」


「はい」


「邪馬台国に逆らった村を討つのではない」


「はい」


「自分たちが冬を越すために炭を出さないと言った、自国の村を討つことになる」


「そういうことです」


 ナギが諸葛亮を見る。


「……お前」


「はい」


「やはり性格が悪いな」


「なぜです?」


「分からないならもっと悪い」


◇


 北の村へ。


 須佐から荷が届いた。


 米。


 干した魚。


 塩。


 薪。


 多くはない。


 村を丸ごと養えるほどではない。


 だが。


 冬まで山を切り続けなくてもよい程度にはあった。


「邪馬台国に従えということか」


 村長が聞いた。


 荷を運んできた思金は首を振った。


「違います」


「では何だ」


「売りに来ました」


「何と交換する」


「来年、そちらで採れたものを」


「何を」


「まだ決めていません」


「……何?」


 村長が怪訝な顔をする。


「そんな取引があるか」


「私もそう言いました」


「ではなぜ」


「須佐の老人が」


 思金は少し嫌そうな顔をした。


「『貸しにしておけばよいでしょう』と」


「貸し?」


「はい」


「何を返せばいい」


「それも後で考えるそうです」


「……」


 村長はしばらく黙った。


「怖いな、その老人」


「よく分かります」


 思金は即答した。


◇


 炭が減った。


 炉が止まり始めた。


 全てではない。


 一つ。


 また一つ。


 火が消える。


 狗奴国の王に近い者たちは、北の村へ使者を送った。


 炭を出せ。


 村は断った。


 さらに使者が来た。


 命令だった。


 それでも。


 村は断った。


 理由は単純だった。


 山をこれ以上切れば。


 自分たちが生きられない。


 そして。


 以前とは違う。


 少しだけ。


 食べるものがある。


 少しだけ。


 薪がある。


 少しだけ。


 断る余裕がある。


 それだけだった。


◇


「兵を出すそうです」


 思金が言った。


 卑弥呼の前。


 諸葛亮もいる。


 溟。


 タケミカヅチ。


 そしてナギ。


「北の村へ?」


 卑弥呼が尋ねる。


「はい」


「何人」


「まだ分かりません」


「止められますか」


 ナギが言った。


「俺が行く」


「あなたが?」


「あそこは俺の親族もいる」


「兵を連れて?」


「必要なら」


「駄目です」


 諸葛亮が言った。


「なぜだ!」


「あなたが兵を率いて王の兵と戦えば」


「……」


「内乱になります」


「もうなっているようなものだ!」


「いいえ」


 諸葛亮は首を振る。


「まだです」


「何が違う!」


「誰も」


 諸葛亮は地図を見る。


「王を倒そうとはしていない」


 ナギが黙る。


「村は、炭を出したくない」


「……」


「あなたは、村を守りたい」


「そうだ」


「我々は、狗奴国と戦いたくない」


「……」


「ならば」


 諸葛亮は顔を上げる。


「まだ、戦にする必要はありません」


 卑弥呼が尋ねた。


「では、どうします」


「王の兵を」


 諸葛亮は言った。


「北の村まで、行かせなければよい」


「……戦わずに?」


「はい」


 タケミカヅチが初めて口を開いた。


「道を塞ぐか」


「それも一つ」


「橋を落とす」


「後で困ります」


「木を倒す」


「片づけられます」


「では?」


 諸葛亮はナギを見る。


「兵には」


「……?」


「食事が必要です」


 ナギの顔が。


 ゆっくり変わった。


「お前……」


「はい」


「まさか」


「兵が通る村々へ、先に知らせてください」


「何と」


「売らないように、と」


 溟が首を傾げる。


「何を?」


「食糧を」


「全部?」


「いいえ」


 諸葛亮は笑った。


「王の兵にだけ」


「……」


「水は?」


 タケミカヅチが聞く。


「水は駄目です」


「なぜ」


「死にます」


 即答だった。


「食事は?」


「一日食べなくても死にません」


「二日なら」


「腹が減ります」


「三日」


「帰りたくなるでしょう」


 タケミカヅチが。


 少し笑った。


「なるほど」


 溟が嫌そうな顔をする。


「先生」


「はい」


「それ戦ってない?」


「戦っておりませんよ」


「絶対戦ってるだろ」


「誰も斬っておりません」


「そういう問題?」


 卑弥呼は。


 笑わなかった。


「孔明」


「はい」


「それで、本当に誰も死にませんか」


 諸葛亮の顔から笑みが消えた。


「保証はできません」


「……」


「追い詰められた者が、村から奪うかもしれない」


「はい」


「暴れる者もいるでしょう」


「はい」


「だから」


 卑弥呼は言った。


「村を守る人は必要です」


 諸葛亮が頷く。


「その通りです」


「タケミカヅチ」


「はい」


「行ってください」


「御意」


「ただし」


 卑弥呼が見る。


「戦わないで」


 タケミカヅチは少し困った顔をした。


「難しい命令ですね」


「できますか」


 少し。


 間。


「やってみます」


 諸葛亮が微笑んだ。


「何だ」


「いえ」


「何か言いたそうだな」


「成長されましたね」


「斬るぞ」


「卑弥呼様」


「駄目です」


「残念だ」


◇


 王の兵は。


 北へ向かった。


 最初の村。


「食糧を売れ」


「ありません」


「あるではないか」


「冬の分です」


「王の兵だぞ」


「ですから?」


 兵は怒った。


 だが。


 奪わなかった。


 まだ。


 次の村。


「食糧を」


「売りません」


「なぜだ」


「うちの分です」


 次。


「米は」


「ない」


「魚は」


「ない」


「そこに干してある」


「あれは俺のだ」


 兵たちの顔が。


 少しずつ険しくなる。


 そして。


 三つ目の村。


 一人の兵が。


 ついに手を伸ばした。


「寄越せ」


 老婆が。


 干し魚を抱える。


「嫌だ」


「王の命令だ!」


「知らん!」


 兵が老婆を突き飛ばそうとする。


 その腕を。


 誰かが掴んだ。


「やめろ」


 タケミカヅチだった。


「誰だ!」


「通りすがりだ」


「嘘つけ!」


「そうだな」


 兵が剣へ手をかける。


 タケミカヅチは。


 自分の剣へ手を伸ばさなかった。


「抜けば」


 静かに言う。


「俺も抜く」


「……」


「抜かなければ」


 兵を見る。


「飯が食えないだけで済む」


 兵の手が止まる。


「どけ」


「嫌だ」


「貴様!」


「腹が減っているのだろう」


「……」


「帰れ」


「王命だ!」


「なら」


 タケミカヅチは道を指した。


「王に飯を出してもらえ」


 後ろ。


 村の者たちが見ている。


 誰も。


 武器を持っていない。


 だが。


 食糧を差し出す者もいない。


 兵は。


 剣から手を離した。


◇


 三日目。


 王の兵は。


 北の村へ着かなかった。


 戻った。


 理由は。


 戦に負けたからではない。


 腹が減ったからだった。


「……本当に帰った」


 溟が呟く。


「帰りましたね」


「一人も倒してない?」


「怪我人は出たようですが」


「戦った?」


「喧嘩くらいは」


「戦ってんじゃん」


「国同士ではありません」


「先生、言い方ずるくない?」


「言葉は正確に使いましょう」


 思金が報告を読む。


「問題は、ここからです」


「何が?」


 溟が聞く。


「王の命令で出た兵が」


 思金は顔を上げる。


「王の命令を果たせず、戻った」


 ナギが頷いた。


「初めてだ」


「何が?」


「王の命令が」


 少し間。


「通らなかった」


 部屋が静かになった。


 諸葛亮だけが。


 地図を見ている。


「これで王は弱くなった?」


 溟が聞く。


「少し」


 諸葛亮が答える。


「じゃあ次は?」


「何もしません」


「また?」


「はい」


「せっかく弱ったのに?」


「だからです」


「……?」


 諸葛亮は、狗奴国の地図を見る。


「ここで我々が動けば」


「邪馬台国が王を倒したことになる」


 思金が言った。


「はい」


「では」


「待ちます」


「何を?」


 諸葛亮は。


 ナギを見る。


「狗奴国の方々が」


 静かに言った。


「次を決めるのを」


◇


 その夜。


 狗奴国の王の館では。


 怒号が響いていた。


「なぜ戻った!」


「食糧がありませんでした!」


「奪えばよい!」


 その言葉に。


 部屋の空気が止まった。


 王の近くにいた老人が。


 ゆっくり顔を上げる。


「……我が民から?」


「命令に従わぬ者だ!」


「それでも狗奴の民です」


「黙れ!」


 別の男が口を開く。


「北だけではありません」


「何?」


「西の村も、炭を減らすと」


「なぜ!」


「山が持たぬと」


「鉄が作れぬではないか!」


「だから減らすのです」


「呉との約束はどうする!」


 その言葉。


 皆が聞いた。


 呉との約束。


 自分たちの山より。


 自分たちの冬より。


 自分たちの民より。


 呉との約束。


 誰かが。


 小さく呟いた。


「……誰の国だ」


「何?」


「ここは」


 顔を上げる。


「誰の国なのだ」


◇


 数日後。


 一通の報せが。


 須佐へ届いた。


 思金が読む。


 諸葛亮が聞く。


 溟もいる。


「狗奴国で」


 思金は一度、言葉を止めた。


「王の周囲から、三つの一族が離れました」


「ナギのところ?」


「それとは別です」


「じゃあ」


「勝手に離れたの?」


「ええ」


 溟が諸葛亮を見る。


「先生」


「はい」


「何かした?」


「何も」


「本当に?」


「今回は」


「今回はって言った!」


 思金は。


 もう一枚の報せを見る。


「それから」


「まだ?」


「呉から来ている者たちが、王へ兵を貸すと言っているそうです」


 笑いが消えた。


「何人」


 諸葛亮が聞く。


「多くはありません」


「それでも」


「はい」


 思金が地図を見る。


「大陸の兵が」


 狗奴国の内側へ。


 木片を置く。


「狗奴国の民へ向けられる可能性があります」


 溟が立ち上がった。


「じゃあ今度こそ行く」


「座ってください」


「先生!」


「座りなさい」


 声が。


 少し強かった。


 溟が止まる。


「……」


 座る。


 諸葛亮は。


 しばらく何も言わなかった。


「孔明殿」


 思金が呼ぶ。


「はい」


「どうします」


 諸葛亮は地図を見る。


 狗奴国。


 王。


 ナギ。


 離れた三つの一族。


 村。


 製鉄場。


 そして。


 呉。


「……困りましたね」


「何が?」


 溟が聞く。


「早すぎます」


「早い?」


「ええ」


「何が」


 諸葛亮は。


 呉の木片を見る。


「呉が」


 指先で。


 その駒を動かした。


「動くのが」


 これまで。


 こちらは。


 呉の目を利用していた。


 狗奴国という窓から。


 何を見ているのかを。


 こちらも見ていた。


 だが。


 目は。


 見るだけではない。


 時に。


 手を呼ぶ。


 諸葛亮は。


 ゆっくり息を吐いた。


「思金殿」


「はい」


「卑弥呼様を」


 声が変わった。


 五丈原で。


 何万もの兵を動かしていた男の声へ。


「ここからは」


 地図を見る。


「王に決めていただきます」


 狗奴国の内側へ。


 呉の兵が入る。


 それを止めれば。


 戦になるかもしれない。


 止めなければ。


 狗奴国の民へ。


 剣が向くかもしれない。


 誰かが。


 決めなければならない。


 そして。


 その決断だけは。


 軍師がしてはならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。