↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/29

第十一話 帰る道


「兵が集まるまで、どれほどかかりますか」


 諸葛亮が尋ねた。


「早くて二日」


 思金が答える。


「全てを待つなら、もう少し」


「遅いですね」


「これでも急いでいます」


「分かっています」


「分かっている顔ではありませんね」


「顔は生まれつきです」


「それ、最近よく使いますね」


     ◇


 夜が明け始めていた。


 岩戸から戻った卑弥呼は、休んでいない。


 思金も。


 諸葛亮も。


 各地へ使者が走った。


 兵を集める。


 食糧を集める。


 境の村へ知らせる。


 狗奴国へ続く道を調べる。


 連れ去られた者の名を集める。


 やることはいくらでもあった。


 だが。


 諸葛亮には一つ、


 どうしても気になることがあった。


「二日」


 もう一度、呟く。


「溟様は待たないでしょうね」


「待ちませんね」


「困りました」


「あなたが育てたのでしょう」


「そこについては反論があります」


「聞きません」


     ◇


「私が先に行きます」


 思金が顔を上げた。


「駄目です」


「まだ何も説明しておりませんが」


「説明されても駄目です」


「偵察です」


「駄目です」


「戦いません」


「なおさら駄目です」


「なぜです?」


「あなた、自分が戦えないことを忘れていませんか」


「忘れてはおりません」


「狗奴国ですよ」


「存じております」


「兵もいる」


「はい」


「その中へ行く」


「はい」


「戦えない老人が」


「……」


「何か?」


「老人を強調する必要はありますか?」


     ◇


 卑弥呼が小さく笑った。


 昨夜まで泣いていた目には、


 まだ腫れが残っている。


 だが。


 もう隠してはいなかった。


「孔明殿」


「はい」


「行く必要があるのですか」


「あります」


「なぜ?」


「昨日の報告だけでは足りません」


「何が足りないのです」


「ほぼ全てです」


 思金がため息をついた。


「報告した者が聞いたら泣きますよ」


「よく見ております。ただ、見方が違うのです」


「どう違うのです?」


「私が知りたいのは」


 諸葛亮は指を折った。


「入れる場所」


 一つ。


「出られる場所」


 二つ。


「敵が来る場所」


 三つ。


「敵が来られない場所」


 四つ。


「そして」


 五つ目。


「人を連れて帰れる場所です」


     ◇


 卑弥呼は少し考えた。


「兵が着く前に?」


「はい」


「戦わない?」


「できる限り」


「できる限り?」


「世の中に絶対はありませんので」


「やっぱり駄目です」


 思金が言った。


「では、どうすれば許していただけますか」


「護衛をつけます」


「目立ちます」


「一人です」


「一人?」


「腕は保証します」


「隠密には?」


「……」


 思金が目を逸らした。


「なぜ黙るのです」


     ◇


「入れ」


 思金が言った。


 戸が開く。


 一人の若者が入ってきた。


     ◇


 最初に目についたのは、


 剣だった。


 長い。


 次に肩。


 広い。


 そして。


 何より。


 目つきが悪かった。


「……」


 諸葛亮が見る。


「……」


 若者も見る。


「思金殿」


「はい」


「護衛ですよね?」


「そうです」


「私を斬る者ではなく?」


「失礼なことを言うな」


 若者が初めて口を開いた。


「頼まれなければ斬らん」


「頼まれたら斬るのですか?」


「相手による」


「思金殿」


「大丈夫です」


「どこがでしょう」


     ◇


「名は?」


 諸葛亮が尋ねる。


「タケミカヅチ」


「タケミカヅチ殿」


「殿はいらん」


「では、タケミカヅチ」


「何だ」


「よろしくお願いいたします」


「うむ」


 それだけだった。


 諸葛亮は思金を見る。


「会話が終わりました」


「そういう男です」


「なるほど」


「何か不満か」


「いえ。簡潔で大変よろしいかと」


     ◇


 出発の支度をする。


 食糧。


 水。


 縄。


 布。


 火を起こす道具。


 簡単な薬。


 そして。


 諸葛亮は木札と筆記具を入れた。


 タケミカヅチが見る。


「何だ、それは」


「記録します」


「敵地で?」


「敵地だからです」


「変な老人だな」


「よく言われます」


     ◇


「孔明殿」


 出発前。


 卑弥呼が呼び止めた。


「はい」


「溟を」


「連れて帰ります」


 即答だった。


「娘たちも」


「できる限り」


「できる限り、ですか」


「……はい」


 卑弥呼は少しだけ黙った。


 それから。


「では」


 まっすぐ諸葛亮を見る。


「できる限りを、増やしてください」


 諸葛亮も、


 まっすぐ見返した。


「御意」


     ◇


 歩き出す。


 しばらくして。


 諸葛亮が隣の男へ尋ねた。


「タケミカヅチ」


「何だ」


「一つお願いがあります」


「言え」


「溟様を見つけたら」


「うむ」


「まず殴ってください」


「承知した」


「……」


 諸葛亮が歩みを止めた。


「どうした」


「いえ」


 少し考える。


「やはり訂正します」


「なぜだ」


「本当に殴りそうですので」


「殴れと言ったのはお前だ」


「言葉の綾です」


「分からん」


「でしょうね」


     ◇


「どんな奴だ」


 歩きながらタケミカヅチが聞く。


「溟様ですか?」


「そうだ」


「困った方です」


「弱いのか」


「いえ」


「強い?」


「そういう意味でもなく」


「では何だ」


 諸葛亮は考えた。


「人が泣いていると、放っておけない方です」


「良い奴ではないか」


「良い方ですよ」


「なら何が困る」


「自分が泣くことになるかどうかを考えないのです」


 タケミカヅチが黙った。


「なるほど」


「分かりますか」


「馬鹿なのだな」


「そこまでは申しておりません」


     ◇


 境へ近づく。


 諸葛亮の歩みが遅くなった。


「疲れたか」


「いえ」


「老人だから無理をするな」


「思金殿といい、なぜ皆そこを強調するのでしょう」


「では何だ」


「見ています」


「何を」


「道を」


     ◇


 地面にしゃがむ。


 轍。


 車輪の跡。


 深い。


「荷車ですね」


「見れば分かる」


「重いものを運んでいます」


「鉄だろう」


「それだけではありません」


 指で土を触る。


「同じ道を、かなり頻繁に通っています」


「だから?」


「これだけの量を運ぶなら、人も必要です」


「当然だ」


「人がいれば食糧が必要です」


「……」


「炉を使うなら炭が必要」


「……」


「鉄を運ぶなら道が必要」


「……」


「水も必要」


 諸葛亮が立つ。


「大きな場所は」


 道の先を見る。


「大きいというだけで、腹が減るのですよ」


     ◇


 タケミカヅチは、


 しばらく老人を見る。


「お前」


「はい」


「本当に農民か?」


「誰がそのようなことを?」


「思金」


「……後で話がありますね」


     ◇


 さらに進む。


 川。


 諸葛亮はまた止まった。


「今度は何だ」


「川です」


「見れば分かる」


「先ほども聞きましたね」


「川がどうした」


 諸葛亮は流れを見る。


 幅。


 深さ。


 岸。


 石。


 草。


「渡れますね」


「渡れる」


「雨が降れば?」


「増える」


「どれほど?」


「知らん」


「調べましょう」


「どうやって」


「地元の者に聞きます」


「狗奴国だぞ」


「では跡を見ます」


 岸へ近づく。


「ここまで」


「何が」


「水が来ています」


 草に絡んだ枝。


 泥の跡。


 タケミカヅチも見る。


「……なるほど」


「帰りに雨が降った場合、この道は使えません」


「帰り?」


「はい」


「まだ入ってもいないぞ」


「だから考えるのです」


     ◇


 タケミカヅチが笑った。


「変な奴だな」


「本日二度目です」


「敵地へ入る前から帰ることを考える奴は初めて見た」


「それは」


 諸葛亮が立ち上がる。


「帰るために入るからです」


「……」


「人を助けるのでしょう?」


「ああ」


「ならば」


 川の向こうを見る。


「入ることより、帰ることの方が大切です」


     ◇


 日が傾くころ。


 煙が見え始めた。


 一つ。


 二つ。


 そして。


 数えられなくなった。


「多いな」


「ええ」


「思ったより」


「ええ」


 諸葛亮の表情から、


 少しずつ柔らかさが消えていく。


     ◇


 炭を運ぶ者。


 木を運ぶ者。


 荷車。


 鉄。


 兵。


 村人。


 川沿いに道。


 谷へ分かれる道。


 また合流する。


 諸葛亮は、


 ほとんど喋らなくなった。


 時々止まり、


 木札へ何かを書く。


「何を書いている」


「道です」


「地図か」


「大まかなものですが」


「見せろ」


「どうぞ」


 タケミカヅチが見る。


「……」


「何か?」


「分からん」


「そうですか」


「線ばかりだ」


「道ですから」


「これは?」


「川」


「これは?」


「煙」


「これは?」


「荷車を見た場所」


「これは?」


「兵」


「これは?」


「帰りに使えそうな道」


「……帰りばかりだな」


「重要ですので」


     ◇


 夜。


 二人は山へ登った。


 獣道に近い。


 途中。


 タケミカヅチが何度か、


 諸葛亮の腕を引いた。


「足元」


「ありがとうございます」


「遅い」


「申し訳ありません」


「やはり老人ではないか」


「否定はしておりません」


     ◇


 やがて。


 尾根へ出た。


「……」


 タケミカヅチが息を呑む。


 眼下。


 谷が、


 赤かった。


     ◇


 火。


 火。


 火。


 幾つもの炉。


 山の斜面。


 谷底。


 川沿い。


 煙が上がる。


 赤い光が、


 暗闇の中を点々と続いている。


 その間を、


 人が動く。


 荷車が動く。


 炭が運ばれる。


 鉄が運ばれる。


 遠くから見ると。


 まるで。


 山そのものが、


 息をしているようだった。


     ◇


「一つではないな」


 タケミカヅチが言った。


「ええ」


「八つ……いや、もっとある」


「数そのものは重要ではありません」


「何?」


 諸葛亮は目を細める。


「炉は分かれています」


「そうだな」


「谷も分かれている」


「ああ」


「ですが」


 指を動かす。


「道が繋いでいる」


 別の場所。


「水が繋いでいる」


 さらに。


「炭を運ぶ道も」


「……」


「鉄を運び出す道も」


「……」


「別々に見えて」


 諸葛亮は、


 谷全体を見る。


「一つです」


     ◇


 煙が風に流れる。


 幾筋にも分かれた煙。


 赤い火。


 谷を這う道。


 川。


 山。


 それらが、


 巨大な何かの身体のように見えた。


「頭は幾つもある」


 諸葛亮が呟く。


「だが」


「身体は一つ、か」


 タケミカヅチが続けた。


「……ええ」


     ◇


 しばらく二人は、


 何も言わなかった。


「娘たちは?」


 タケミカヅチが聞く。


「報告では、川の近く」


「あれか」


 指差す。


 柵。


 建物。


 見張り。


「可能性はあります」


「兵は」


「多いですね」


「正面からなら抜ける」


 諸葛亮が横を見る。


「一人で?」


「ああ」


「何人ほど倒せます?」


「数えたことはない」


「……頼もしいですね」


「任せろ」


「ですが」


 諸葛亮は再び谷を見る。


「抜けた後は?」


「何?」


「娘たちを連れて」


「……」


「同じ道を戻れますか?」


 タケミカヅチは答えなかった。


     ◇


「戦える者だけなら」


 諸葛亮が言う。


「敵陣を突破することはできるでしょう」


「……」


「ですが、我々が連れて帰るのは兵ではありません」


 娘。


 怪我人。


 歩けない者がいるかもしれない。


 衰弱している者。


 恐怖で動けない者。


「敵を倒して」


 諸葛亮は続ける。


「その場に残された者が死んだのであれば」


 タケミカヅチを見る。


「それを勝ちと呼べますか?」


     ◇


「なら」


 タケミカヅチが尋ねた。


「どうする」


「道を作ります」


「道?」


「はい」


「ここに?」


「正確には」


 諸葛亮は谷を見下ろす。


「帰る道を」


     ◇


 風向き。


 川。


 橋。


 斜面。


 荷車。


 炭置き場。


 兵舎。


 柵。


 見張り。


 諸葛亮の目が、


 一つずつ拾っていく。


「敵を破ればよいのだな」


 タケミカヅチが言った。


「いいえ」


 即答だった。


「では?」


「一人でも多く」


 諸葛亮は答えた。


「連れて帰ることです」


     ◇


 タケミカヅチは、


 何も言わなかった。


 ただ。


 その言葉を覚えた。


     ◇


「まず溟様を探します」


「どこにいると思う」


「捕まっていなければよいのですが」


「捕まっていたら?」


「助けます」


「娘たちは?」


「助けます」


「両方か」


「そのために来ました」


「欲張りだな」


「よく言われます」


     ◇


 その時。


 谷の一角が、


 明るくなった。


「……」


 二人が見る。


 火。


 さっきまでなかった場所。


 人が走る。


 声。


 何かが倒れる音。


 さらに火。


「何だ?」


 タケミカヅチが立つ。


 諸葛亮は、


 じっと見ていた。


「……まさか」


 嫌な予感がした。


 非常に。


 嫌な予感だった。


     ◇


 遠く。


 火の向こう。


 一人の若者が走った。


 追われている。


 何かを抱えている。


 転ぶ。


 起きる。


 また走る。


 そして。


「おい!」


 タケミカヅチが目を凝らす。


「あれか?」


「……」


「劉溟というのは」


 諸葛亮は額に手を当てた。


「おそらく」


「随分元気だな」


「元気で何よりです」


 声に全く喜びがなかった。


     ◇


 また何かが燃えた。


「……何をしているんだ、あいつは」


「私が知りたいです」


「殴ってよいのだな?」


「……」


 諸葛亮は、


 燃え始めた施設を見た。


 走る兵を見る。


 その中心で、


 さらに何かを倒した溟を見る。


 長く。


 深く。


 息を吐いた。


「一発だけ」


「承知した」


「加減してください」


「努力する」


「不安しかありませんね」


     ◇


 タケミカヅチが立ち上がる。


「行くぞ」


「待ってください」


「何だ」


 諸葛亮は、


 もう一度谷を見る。


 騒ぎ。


 火。


 敵兵の動き。


 人の流れ。


 そして。


 今まで動かなかった場所から、


 兵が出てくる。


「……なるほど」


「何がだ」


「溟様のおかげで」


 諸葛亮は木札へ線を引いた。


「敵がどこから出てくるのか、分かりました」


「助けないのか?」


「助けますよ」


「いつ」


 諸葛亮は立ち上がった。


「今です」


     ◇


 三年間。


 臥龍は、


 田を見ていた。


 川を見ていた。


 人が生きるための道を、


 作っていた。


 今夜。


 久しぶりに、


 戦場を見る。


 だが。


 彼が探していたのは、


 敵を倒す道ではなかった。


 誰もが。


 生きて帰るための道だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。