01_プロローグ
「どうか、私と結婚してください──」
そう言ったのは、青みを帯びた銀色の艶やかな髪をもつ、端整な顔立ちの若い紳士だった。
色とりどりのガーベラの花束を差し出し、フィリスの前でひざまずいている。
まっすぐとこちらを見上げる瞳は、琥珀のような透明感のある黄褐色。どこか鋭利な牙をもつ猟犬を思わせるが、いまはひどくやさしく細められている。
突然のことに、フィリスはただただ、あ然として立ちつくす。
ここは、レザーク王国の王都にある、清潔感漂う診療所の一室。
プロポーズする場にふさわしい美しいバラが咲き乱れる庭園でも、きらびやかなシャンデリアに照らされる高級なレストランの中でもない。
フィリスはどうしていいのかわからず、助けを求めるように、病室のベッドの上で上半身を起こして座っている父に視線を向ける。
しかし父もわかっていないようで、ぽかんと口を開けている。
紳士は、まるで感動の再会でも果たしたかのような目もくらむほどの微笑みをフィリスに向け、
「ご令嬢、あなたのお名前を教えていただけませんか?」
そう言って、胸に手を当て、優雅に頭を下げた。
王都に行っているはずの父が馬車にぶつかって診療所へ運ばれたとの手紙を、三日前に受けとったフィリス・コッドは、片田舎の領地から荷物運搬用の馬車を乗り継ぎ、急いで王都へと向かった。
一応は子爵の位をもつコッド子爵家だが、財政状況は厳しく、長距離を走らせるほどの馬車は所有していない。
無理を承知で、手綱を握る配達人に頼み込み、荷物運搬用の荷台の片隅に乗せてもらって、はじめての王都へなんとか無事たどり着いたのが昼過ぎのこと。
フィリスが真っ青になりながら、手紙に書かれてあった診療所に駆け込んだところ、父は足を骨折したものの、幸い無事だった。とはいえ、頭を打っているため、安静をみて、ここで療養しているとのことだった。
フィリスは大きく息を吐き出し、崩れ落ちるように安堵した。
「すまない、フィリス。ずいぶんと驚かせてしまったようだね」
父は、元々下がり気味の眉をさらに下げながら、申し訳なさそうに謝る。
「いいのよ、無事だったんだから。お母さまにもあとですぐに手紙を送るわ。ひどく心配してたもの」
母もフィリスと一緒に王都に来たがったが、体があまり丈夫ではないため、家で待つようにとなんとか説得して残してきたのだ。
すまない、とさらに謝る父をなだめてから、フィリスはひとまずお世話になっている医者にお礼を言うために、病室を離れた。
そしてしばらくして戻ると、病室からは父の笑い声が響いていた。
フィリスは首を傾げ、室内へと足を踏み入れる。
すると、ひどく目鼻立ちの整った、すらりと背の高いひとりの紳士が立っていたので、フィリスはぴたりと足を止める。
年齢は自分よりも四、五歳は上、二十二、三歳くらいに見えた。
紳士の手には、色とりどりのガーベラの花束がある。
(お見舞いの方、かしら……?)
しかし、相手が身にまとっている衣服や装飾品は高級品で、あきらかに身分が上の高位貴族だということを物語っていた。
片田舎の傾きかけているコッド子爵である父の知り合いとするには、あまりに家格違いに思えたが、そもそも父は、相手の身分や見た目は、あまり気にしないところがある。
内面が素晴らしければ、外見はさまつなことだと思っているのだ。
そんな父の考え方は、フィリスも好ましく思っているが、相手が上の立場の場合は、状況が異なる。
何か失礼なことになっていないか、フィリスははらはらとしてしまう。
すると、フィリスの気配に気づいた紳士が、会話を止め、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
その瞬間──、はっと息を呑むほど驚いたように目を見開く。
と同時に、驚くほど素早い身のこなしで、フィリスの目の前に来ると、いきなりひざまずき、花束を差し出してプロポーズしたのだ。そして、
「──ご令嬢、あなたのお名前を教えていただけませんか?」
まるで舞踏会であいさつを交わすような優雅さで、フィリスに尋ねた。
初対面であるはずの紳士からの突然のプロポーズ。
それだけでも驚くべきことなのに、そのあとに名前を尋ねられるという、どう考えてもおかしな状況に、フィリスは困惑の色を浮かべるしかない。
すると紳士は、ようやくそのことに気がついたのか、すっと立ち上がり、
「失礼、気が急くあまり、こちら側から名乗るのを失念していました。私は、スペディング公爵家の嫡男、セドリックと申します」
新品同様の真っ白な手袋をはめた手を、胸に当てて軽く頭を下げた。
そしてすかさず、手袋もはめていないフィリスの手を取ると、そっと口づけた。
フィリスは、急いで手を引っ込める。
耳まで赤くなっているであろうことは、自分でもわかった。
スペディング公爵家といえば、このレザーク王国の中でも、王室に次ぐ権力をもつ、数百年以上続く由緒正しき家門だ。
片田舎に住むしがない下位貴族であっても、その名を知らぬ者はいないほどの大貴族の家門。
その子息からプロポーズされて嫁げるなど、フィリスの一生分の幸せを使ったとしても叶えられるものではないだろう。
フィリスは心を落ち着かせるように、何度か深呼吸したあとで、
「──大変ありがたいお申し出ですが、お断りさせていただければと思います」
ゆっくりと、丁重に頭を下げた。
今世こそは、平穏に暮らしたい──。
それだけが、フィリスのたったひとつの願いだ。
フィリスには、前々世と前世の記憶がある──。
たくさんの素敵な作品がある中、目を留めていただき、ありがとうございます。
ラストまで楽しんでいただければうれしいです……!
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