第2章 学校での距離感
新学期が始まって数日。
蛮鶴 挟は、どうしても落ち着かない日々を送っていた。
原因はもちろん――隣の席に座っている少女、尾ニ切 米だ。
「ねぇ、これわかる?」
授業中、小声でノートを指さす米。
先生に気づかれないように、そっと答えを教えると、彼女はにこっと笑った。
「ありがと、挟くん」
その笑顔に、なぜか心臓が跳ねる。
(くそ……なんで俺がドキッとしてんだよ。こいつはライバルだろ、ライバル!)
昨日、クラス中に「ライバル宣言」されたせいで、二人はすっかり注目の的になっていた。
友人たちは「結局お似合いじゃん」と冷やかし、先生まで「商店街の跡取り同士、将来は安泰だな」などと冗談を言う始末。
だが、本人たちにとっては笑い事ではない。
挟は「父の店をどうするか」という将来の重圧を、米は「伝統を守る」責任を、それぞれ背負っていた。
休み時間。
教室の後ろで、友人の三浦がまたからかってくる。
「なぁ挟。今度の祭りで勝負すんだろ? もし負けたらどうすんの?」
「……そんときはそんときだ」
「じゃあ勝ったら? 米ちゃんに“結婚してくれ”とか言っちゃう?」
「なっ……!」
声が裏返り、米が振り向いた。
「結婚? 何それ」
「い、いやっ! そんなこと言ってねぇ!」
「ふぅん……」
米は口をとがらせ、何か言いたげにノートに視線を戻す。
けれど耳がほんのり赤いのを、挟は見逃さなかった。
(……やめろよ、そういうの。俺まで意識しちまうだろ)
胸の奥が妙にざわつく。
昨日までの平凡な高校生活が、急に色鮮やかになったような気がして、挟は自分でも戸惑っていた。
昼休み。
食堂の片隅で、蛮鶴 挟はハンバーガーをかじっていた。父の店で作られた特製パティを挟んだそれは、見た目も味も一級品だ。
だが、目の前でおにぎりを頬張る尾ニ切 米の存在が、味を落ち着いて堪能させてはくれなかった。
「……なに?」
「いや、別に」
米はおにぎりを二つ、三つと器用に食べ進める。彼女の家のおにぎり屋は、具材や塩加減に徹底したこだわりを持つ老舗だ。
その一口一口がまるで勝負の宣言のように見えて、挟は妙に落ち着かない。
「そういえば、今度の商店街祭り……」
米がふいに話を切り出した。
「どっちが売り上げ伸ばせるか、勝負なんだってね」
「親父が勝手に決めただけだ」
「でも、私もやる気あるよ。負けないから」
米の瞳は真剣そのものだった。
ほんの数日前までは普通のクラスメイトだったのに、今は同じ机を並べながらも、互いに引けない戦いを控えたライバル。
「……けどさ」
挟は、無意識に口をついて出た。
「お前の作るおにぎり、うまいよな」
「……へ?」
米の手が止まり、頬がわずかに赤くなる。
「な、なに急に」
「事実を言っただけだ」
「ふ、ふん……じゃあ、私も言っとく。挟くんのハンバーガーだって、美味しいよ。悔しいけど」
一瞬だけ、互いに目を逸らす。
その沈黙を破ったのは、教室の扉を勢いよく開け放つ声だった。
「おーい! 蛮鶴、尾ニ切!」
野次馬根性たっぷりのクラスメイト数人が駆け込んでくる。
「今度の祭りの勝負、どっちが勝つか賭けようぜ!」
「俺はおにぎり派だなー」
「いや、やっぱハンバーガーだろ!」
瞬く間に教室は賑やかになり、二人はさらに注目の的に。
米は机をトンと叩き、挟に向き直った。
「ほら、聞いたでしょ。みんな期待してる」
「……ったく、面倒なことになったな」
「でも、負けないから」
米の瞳は真っすぐで、挑むように輝いていた。
その表情を見つめながら、挟の胸はまた大きく跳ねる。
ライバルとして向き合っているはずなのに、どうしてこんなに意識してしまうのか――。
答えの出ない問いを抱えたまま、祭りの日は確実に近づいていた。
第2章 学校での距離感(後半)
放課後。
チャイムが鳴ると同時に、教室がざわつき始めた。部活に向かう生徒、帰宅する生徒、友人同士でたむろする声。
挟は机に教科書をまとめながら、横目で米を見た。
彼女はノートを丁寧に閉じ、バッグにしまっている。動作は落ち着いているのに、頬はまだ少し赤い。
(さっきの結婚のくだり……まだ気にしてんのか?)
「ねぇ、挟くん」
不意に名前を呼ばれ、肩がびくっと動いた。
「な、なんだよ」
「今日、帰り一緒に歩かない?」
「……は?」
米はさらりと告げた。周りの友人たちが「おお~」と盛り上がる。
挟は慌てて手を振った。
「ち、違ぇよ! 商店街まで同じ道だからってだけだろ!」
「そうそう」米も笑顔で返す。「ほら、宿題の相談もしたいし」
――そう説明されても、やっぱり妙に意識してしまう。
*
夕暮れの街を並んで歩く二人。
西日が商店街のアーケードを照らし、店のシャッターが一つずつ閉まっていく音が響く。
「宿題って、これ?」
米がカバンからノートを出す。だがその表紙には小さな紙が挟まれていた。
「……“夏祭り商店街対決 実行委員会”?」
挟が読み上げると、米は小さくうなずいた。
「うちのお父さんが勝手に応募しちゃってさ。今年は“商店街の跡取りが力を合わせて出店する”って企画なの」
「はぁ!? 力を合わせて!?」
挟の声が裏返る。
ライバルとして競うはずが、まさかの共同企画。
「嫌なら断ってもいいよ。でも……」
米は少し寂しそうに笑った。
「子どものころの約束、覚えてるでしょ?」
その一言に、挟の胸が強く締めつけられた。
夕陽に照らされた米の横顔が、やけに鮮やかに目に映る。
「……くそ。わかったよ。どうせ逃げらんねぇんだろ」
「ふふっ、よろしくね、相棒」
米が差し出した手。
挟は少し迷った末に、その手をぎゅっと握り返した。
胸のざわめきは、もうごまかせなかった。




