↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
65/75

64話 届く前に

「二回、測り直しても戻っていません」



 王都へ向かう途中で受け取った報告を読み、ミナが顔を上げた。


 差出元はフェルデン盆地だった。


 昨日までほとんど変わっていなかった荷車道脇の測量基準標。その一組で、過去の値へ戻らない差が出たという。


 レオンは手を出した。



「見せてください」



 最初の測定。


 担当を替えた再測定。


 道具を据え直した記録。


 差は消えていない。


 さらに次の測定でも、同じ組は以前の値へ戻っていなかった。


 数字そのものは大きくない。


 今までなら、安全基準の内側として扱われてもおかしくない程度だった。


 だが、今はそこだけを見ない。


 以前へ戻っているか。


 測り直しても残るか。


 次でも続くか。


 フェルデン側には、その順番まで残してある。


 レオンの指が、報告書の次の欄へ移った。



「使用は」

「もう制限してます」



 ミナが答えた。


 同じ組で差が続いたため、まず報告が上がった。


 そのうえで外側も測る。


 そこで隣の組にも小さなずれが出た。


 現地責任者は大型荷車の通行を止め、軽い荷と徒歩だけに絞った。


 さらに再測定しても隣の差が消えなかったため、対象区間そのものを閉じた。


 迂回できる荷は別の道へ。


 急がない荷は手前で止める。


 そこまでが、レオンへの確認事項ではなかった。


 すでに実施した措置として書かれていた。


 報告の末尾には、一文だけ添えられている。


 ――判断は、共有された停止条件に基づく。


 許可を求める言葉はなかった。


 レオンは紙を持ったまま、動かなかった。


 胸の奥に、嫌な感覚が走る。


 危険に気づいた。


 なら、行かなければならない。


 自分が見なければ。


 自分が間に合わなければ。


 そこまで考えて、もう一度報告書を見る。


 止まっている。


 測り直している。


 人も荷車も、危ない場所から外れている。


 レオンが着くのを待っていない。



「……戻りますか」



 ミナが聞いた。


 レオンは答えず、最後の欄まで読んだ。


 負傷者なし。


 事故なし。


 閉鎖後の確認で、路肩側の石敷きに前回はなかった小さな段差が見つかっている。


 もし大型荷車を通し続けていれば、次に何が起きたかは分からない。


 今は、段差を見つけた測量担当がその場に立って確認できている。


 荷車は来ない。


 一般の通行も止まっている。


 現地側は通行停止を維持し、さらに外側まで測定範囲を広げる予定だった。


 原因はまだ分からない。


 だが、止めるのに原因の確定までは要らない。


 差が続いた。


 広がった。


 だから先に止めた。


 それで十分だった。



「戻りません」



 口にすると、少しだけ間が空いた。



「戻らなくて、いいんですか」

「はい。止めるべきものは、もう止まっています」



 ミナが報告書を覗き込む。



「安全基準を超えたわけじゃないですよね」

「超えていません」

「それでも、先に止めた」

「はい」



 危険な数字になるまで待たなかった。


 その判断をしたのは、レオンではない。


 最初に差を見つけた者。


 測り直した者。


 使用を制限した責任者。


 区間停止を決めた責任者。


 誰も、レオンではない。



「このまま次の測定を続けてもらいます。閉鎖区間の外側も一組追加で」

「荷車を止めたあとに差が小さくなったら?」

「荷重が関係している可能性は上がります。でも、それだけで原因とは決めません」

「変わらなかったら?」

「止めたまま、別の要因を探します」

「それ、戻らなくてもできますね」

「はい」



 ミナは少しだけ笑った。



「なんか、変な感じですね」

「何がですか」

「レオンさんがいないのに、ちゃんと止まってる」



 レオンは返事をしなかった。


 現場を見ずに判断することは、今でも嫌いだ。


 だが、現場にいなければ何も守れないわけではない。


 見る条件を揃える。


 報告する条件を決める。


 止める条件を残す。


 そして、その土地を知る人間に判断してもらう。


 それなら、自分が一つの場所にいる間も、別の場所を守れる。


 レオンは報告書の余白へ短く書き足した。


 現行の使用停止を維持。


 次回測定では外側一組を追加。


 新たな段差、亀裂、排水の変化があれば確認範囲を広げる。


 それ以上は書かなかった。


 現地の判断を、遠くにいる自分が細かく上書きする必要はない。



「返送しますか」

「お願いします」



 ミナが報告書の下段を指でなぞった。



「判断した人の欄も、ちゃんと埋まってます」

「そのまま残してください」

「もちろんです」



 レオンは、もう一度「負傷者なし」の文字を見た。


 誰が測ったのか。


 誰が止めたのか。


 それも、すでに記録に残っている。


 レオンがあとから名前を書き足す必要はなかった。


 閉鎖された道では、大型荷車が迂回している。


 届くのが遅れる荷もある。


 手前で積み替えを待つ荷も出る。


 それでも、荷車を巻き込む事故にはならなかった。


 けが人もいない。


 止めたから、今日はただ不便なだけで済んでいる。


 報告書に残ったのは、測定値と判断だけだった。


 レオンには、それが何より大きかった。


 馬車はまだ止まっている。


 御者がこちらを見ていた。


 レオンは王都の方角へ目を向ける。


 フェルデンでは、もう動いている。


 自分が戻らなくても。


 なら、次へ行ける。



「進んでください」



 御者がうなずき、手綱を引いた。


 車輪が動き出す。


 フェルデンから離れる方向へ。


 王都北西部へ向かって。


 レオンは膝の上の地図を開いた。


 そこには、戻ってきた記録から絞った印がいくつも残っている。


 王都にも、以前へ戻らない小さなずれはある。


 それなのに、フェルデンほど問題は表へ出ていない。


 なぜ、王都ではまだこの程度で済んでいるのか。


 次に確かめるのは、そこだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。