05話 机上の役人ではない
領都の中央広場で、水の出ない噴水だけが朝日に照らされていた。
その周囲には、水を受け取るための列が伸びている。空の桶を抱えた住民たちは、噴水の前に集まったレオンたちを不安そうに見ていた。
旧導水路から戻ったレオンは、噴水の縁へ手を置いた。
水盤は厚い石板で組まれている。中央の装飾を支える横材も残り、内部には水を押し上げるための魔石が眠っている。
ただし、見つけた部材をそのまま水路へ運べば直るわけではない。
それを確かめるため、バルドはすでに噴水の周囲を歩き、石を叩いていた。
「中央広場の噴水を解体し、旧導水路の応急復旧へ使います」
レオンが告げると、リシアは噴水を見上げた。
表情は変わらない。だが、手袋をした指が強く握られている。
「これは領都の象徴です」
「今は水を出していません」
「動いているかどうかだけの問題ではありません。広場の噴水まで失えば、この街には何も残っていないと住民へ示すことになります」
列の中から、低い声が上がった。
「噴水まで壊すのか」
「昔から残ってるものまで、王都の役人が持っていく気か」
反発は当然だった。
壊れた水路も、止まった水車も、閉じた店も、住民は毎日見ている。
水を出さなくても、噴水は街が栄えていた頃の形を残していた。
「他の資材では駄目なのですか」
リシアは住民ではなく、レオンへ問うた。
「同じ厚さの石板と長い横材があれば代用できます。ただ、職人組合にも領主館にも残っていません」
「魔石は」
「噴水のものを、そのまま使えるとは限りません」
そこでレオンはバルドを見た。
「見立てをお願いします」
バルドは噴水の水盤を、工具の柄で叩いた。
高い音と低い音が、場所によって違う。
「外から見れば一枚だが、中は継いである。ここの二枚は使える。だが、丸ごと外せば運ぶ途中で割れる」
彼は石板の継ぎ目へ白い印を引いた。
「四つに分ける。旧水路のずれた床へ二枚を並べ、残りを両側の受けにする。お前の案みたいに、一枚で穴を渡すのは無理だ」
「理由は」
「噴水の石は、水を受けるための石だ。人と水路の重さを一本で支える石じゃない。下から支えを増やして、荷を四方へ逃がす」
レオンは旧導水路の裂け目を思い返した。
横へずれた流路へ、一枚の石板を渡す案では、その中央へ負荷が集まる。
バルドの方法なら、石板は水を流す面に専念し、重さは別の支えが受ける。
「横材は使えますか」
「装飾の内側に二本ある。だが長さが足りん。二本を重ね、継ぎ目をずらして使う」
「継ぎ目の下へ支えを置く」
「違う。そこへ置けば、ずれた地盤と一緒に動く。支えは手前と奥の動いていない床へ立てる」
バルドは広場の石畳へ、旧導水路の形を描いた。
裂け目。ずれた溝。左右の側壁。
その上へ、噴水から取る石板と横材の位置を書き足していく。
「魔石は水を押し上げるための術式だ。そのまま流路へ入れれば、水が壁を叩く」
「術式を削り直せますか」
「俺には無理だ。だが、全部を書き換える必要はない。噴き上げる力を殺して、水が一方向へ抜けるよう流れだけを整える」
バルドは噴水の中央部を指した。
「魔石は水路の裂け目へ置かない。少し上流へ置いて、流れを安定させる。石板へ一気に水をぶつけないためだ」
レオンの案が、現場で使える形へ変わっていく。
噴水を壊して部材を取る。
それだけでは、思いつきにすぎなかった。
バルドは石の性質、運べる大きさ、支える位置、魔石を置く場所へ分解し、作業手順へ落としている。
「俺の案は、やはり無茶でしたか」
「無茶だ」
バルドは即答した。
「だが、現場へ持ち込める無茶だ。机上の役人なら、噴水を丸ごと使えると思うか、傷をつけるなと言う。お前は、使える部分と足りない部分を聞いた」
彼は噴水の継ぎ目へ、もう一本の印を引いた。
「だから、こっちも直し方を考えられる」
「解体の順番は」
「魔石を先に止める。次に装飾を外し、横材を抜く。最後に水盤だ。水盤から先に触れば、中央が倒れる」
「必要人数は」
「解体に六人、運搬に八人。旧水路で組むのに十人。狭いから、全員を同時には入れられん」
「時間は」
「今から始めて、夜までに部材を運ぶ。水路で組み始めるのは、そのあとだ」
バルドは地面の図を足で消さず、リシアへ向き直った。
「工法は作れる。だが、俺が勝手に領都の象徴を壊すことはできん」
広場が静かになった。
桶を持つ住民も、職人たちも、リシアの言葉を待っている。
レオンは急かさなかった。
噴水を壊すのは、工事上の判断だけではない。
住民の反発も、失敗した場合の責任も、命じた者が背負う。
それはレオンにもバルドにも決められない。
「この工法で、水は必ず戻りますか」
リシアが尋ねた。
「必ずとは言えません」
レオンは答えを濁さなかった。
「旧導水路には地盤のずれが残っています。水を流した段階で、別の場所へ負荷が移り、損傷が広がる可能性もあります」
「成功する見込みは」
「工法が成立すれば、生活に必要な量を貯水槽へ届けられる可能性があります。何もしなければ、貯水は尽きます」
リシアは噴水から、配給を待つ人々へ視線を移した。
列の中では、母親が子どもの持つ小さな桶を支えている。老人は空の水筒を両手で抱えていた。
水のない噴水の前で、住民が水を待っている。
リシアは噴水へ近づき、その石肌へ手を置いた。
「これを残せば、領都の誇りを守ったと言えるのでしょう」
声は広場の端まで届くほど大きくなかった。
それでも、周囲は聞き逃さなかった。
「ですが、領民を渇かせて守る誇りに、何の意味があるのです」
リシアは振り返った。
青灰色の目が、レオンとバルドを順に捉える。
「中央広場の噴水を解体してください」
住民の間に、ざわめきが広がった。
「反対も、失敗した場合の責任も、すべて私が負います。王都から来た復旧官や、現場の職人へ押しつけることはしません」
リシアは噴水を見上げた。
「街の象徴は、石ではありません。ここで生きる人々です」
すぐに歓声は上がらなかった。
噴水を惜しむ声も残っている。
それでも、配給列の先頭にいた老人が桶を持ち上げ、作業場所から一歩下がった。それを見て、後ろの住民たちも少しずつ道を空け始める。
賛成の言葉はなかった。
だが、解体を妨げようとする者もいなかった。
バルドがゆっくりと工具を握り直した。
「その言葉があるなら、壊すだけで終わらせん」
彼は職人たちへ振り返る。
「印を付けた石以外には触るな! 噴水を壊すんじゃない。水路へ組み直すぞ!」
職人たちが一斉に動き出した。
噴水の周囲へ縄が張られ、装飾部分の固定が外されていく。
レオンはその作業を見ながら、バルドが描いた工法を記録板へ写した。
石板の切り分け。横材の継ぎ方。支えを置く位置。魔石を据える場所。
それは、レオン一人では作れなかった復旧案だった。
◇
最初の装飾が外されると、噴水の内部から二本の横材が現れた。
バルドは片方へ手を当て、表面を削って中を確かめた。
「一本は使える。もう一本は内側が腐ってる」
「代わりは」
「領主備蓄の長梁しかない」
さらに、水盤の下から古い亀裂が見つかった。
使える石板は、バルドの最初の見立てより一枚少ない。
「受けを増やせば足りる。ただし、旧水路の作業区画を広げなきゃならん」
「周辺の住民は」
「強制退避だ。水を流したとき、裂け目から噴き出す可能性がある」
噴水を解体する許可だけでは、工事は始められない。
領主備蓄の長梁を放出すること。
旧導水路周辺の住民を、期限を区切って強制的に退避させること。
そして、異なる組織の職人と兵士へ同時に命令する権限を、誰かへ与えること。
バルドは使えない横材を地面へ置き、リシアを見た。
「噴水を壊すより、こっちの方が重い決断になるぞ」
リシアは、解体の始まった噴水から目をそらさなかった。
「必要な数量と、退避範囲をまとめてください」
その声に迷いはなかった。
だが、本当に領主の権限を賭ける決断は、まだ残っていた。




