56話 止まる前
石臼は、回っていた。
だが、麦を入れると止まりかける。
翌朝。
レオンたちが案内されたのは、領都の共同製粉所だった。
建物へ入る前から、水車の音が聞こえている。
中では二基の石臼のうち、一基だけが低い音を立てて回っていた。
もう一基は止まり、その前には挽かれるのを待つ麦袋が積まれている。
壁際にも袋が並び、入口では荷車から新しい麦が下ろされていた。
「止めたのは三日前です」
製粉所の管理人が言った。
「空で回すだけなら動きます。でも麦を入れると回りが落ちて、そのまま止まりそうになるんです」
「それからは使っていませんか?」
「はい。今はもう一基だけです。パン屋と食堂へ出す分を先に挽いて、持ち込みの分は待ってもらっています」
奥では、職人が交代の相談をしていた。
普段なら昼までの組と午後の組で回すところを、夜まで動かすために人を組み替えているらしい。
一基止まっただけで、粉がなくなるわけではない。
だが、同じ量を一基で挽こうとすれば、人にも設備にも無理が掛かる。
「動いている方は、今のところ異常ありません」
管理人が続けた。
「ただ、あっちまで止まったら、この辺りの分は捌けません」
レオンは止まった石臼へ目を向けた。
上の石臼。
中央の縦軸。
その軸へ回転を伝える木組みの歯車。
見た限り、歯が欠けているわけではない。
バルドが歯車の前へしゃがんだ。
「割れもねえ。軸も、見える範囲じゃ曲がってねえな」
ミナは管理人から運転帳を受け取っていた。
「三日前、昼前に二度回転が落ちてます。二度目で使用停止。その日の朝までは異常報告なしです」
「その前は?」
「異常として残っているものはありません」
レオンは歯車の中心へ手を当てた。
目を凝らす。
赤黒い線が、縦軸へ力を渡す歯車の中心部へ重なっていた。
そこから短く、軸に沿って伸びている。
石臼そのものへ広がる線はない。
歯の先にもない。
だが、それだけだった。
なぜ負荷を掛けたときだけ回らなくなるのか。
中で何が起きているのか。
線を見ても、答えまでは分からない。
「空で回してください」
管理人が、故障側の伝達をつなぐよう職人へ合図した。
歯車がゆっくり回り始める。
縦軸が回る。
石臼も動いた。
目立った引っ掛かりはない。
バルドがしばらく回転を見てから、歯車の中心を指した。
「ここから先が怪しいってんなら、印を付けりゃ分かるか」
レオンも同じ場所を見る。
「軸と歯車が一緒に動いているか、ですか」
「そうだ。空じゃ回る。なら、力が掛かったときにどこからずれるか見た方が早え」
「一度、止めてください」
故障側の伝達が外される。
歯車が止まったのを確認してから、バルドが白い印材を取り出した。
縦軸から歯車の中心へ、一本の線をまたがせるように引く。
軸と歯車が同じだけ回れば、線はずれない。
「少量だけ麦を入れられますか」
「できます」
管理人が職人を呼んだ。
いつもの一回分よりずっと少ない麦を用意する。
「回転がさらに落ちたら、麦の投入を止めて、伝達を切ってください。無理には回しません」
「分かりました」
再び石臼を動かす。
空では回る。
そこへ、少しずつ麦を落とした。
ごう、と音が低くなる。
回転が落ちた。
まだ止まらない。
レオンは歯車の中心を見る。
白い線が、ほんのわずかにずれていた。
「止めてください」
故障側への力が切られる。
石臼が止まる。
バルドが印へ顔を寄せた。
「ずれてるな」
「はい」
軸側の印と、歯車側の印が合っていない。
空で回したときには起きなかったずれだ。
麦を入れ、石臼を回す力が大きくなったときだけ、歯車から軸へ伝わる回転が逃げている。
「歯じゃねえな」
バルドが歯車の中心を軽く叩いた。
「中の留めか、噛ませてる材か。開けてみねえと、そこから先は分からん」
「今日、開けられますか?」
「石臼を外して、力を抜いてからだ。吊り具と人を揃える。急いでここをばらす方が危ねえ」
レオンはうなずいた。
原因を早く見るために、別の事故を起こす必要はない。
「明日の朝から開けましょう。それまでは、この一基は停止したままで」
「はい」
レオンは動いている方の石臼を見る。
「もう一基も、夜通し一人で見ないでください。交代を増やして、音か回転に変化が出たら止める。遅れた分を取り戻すために、二基目まで壊したら意味がありません」
「分かりました。今夜から三交代にします」
管理人が職人たちへ声を掛ける。
待っている麦を、今日中に全部挽くことはできない。
それでも、必要な分を優先して流しながら、使える一基を守ることはできる。
レオンは止まった石臼へ目を戻した。
《断脈視》の線と、実際にずれた白い印が重なって見える。
異常が出ている場所は、かなり絞れた。
明日、接合部を開けば、直接の原因も追えるはずだ。
そこまでは、いつもと同じだった。
◇
製粉所の裏手には、小さな記録机があった。
ミナが、故障した側の運転帳を開き、三日前の頁を探した。
その石臼で挽いた麦の量。
石臼を動かし始めた時刻。
挽き終わった時刻。
出来上がった粉の量。
異常があった日は、その内容も余白へ書き込まれている。
粉の受け渡しを管理するため、毎日記録しているという。
「故障した日の分は、これですね」
ミナが指で追う。
「朝は通常。昼前に一度回転低下。再開して、二度目で使用停止」
レオンも同じ頁を見る。
異常が出た。
確認した。
止めた。
明日、開いて原因を調べる。
一件を直すためなら、それでいい。
フェルデン盆地でも、同じように直接原因を追えた。
それでも、別の場所で次が出た。
なら、見る場所を変える。
「三日前より前の帳面もありますか?」
「ありますよ」
管理人が棚を指した。
「毎日つけています。去年の分も残っています」
ミナが顔を上げる。
「故障する前を見るんですか?」
「はい」
レオンは帳面に並んだ項目を見る。
麦の量。
開始時刻。
終了時刻。
粉の量。
異常報告がなくても、毎日同じ形で残っている。
「ミナ。止まる二週間前から並べられますか」
「この四つですか?」
「はい。同じくらいの量を挽いた日同士で比べたいです」
バルドが腕を組んだ。
「挽く時間なら、麦の乾き方でも変わるぞ」
「分かっています。一日だけ違っても決めません」
ミナが棚から古い帳面を下ろした。
一冊。
もう一冊。
机の上へ並べる。
「止まった日を起点にしないんですね」
「はい。二週間前から見ます」
ミナが最初の帳面を開いた。
今までは正常として閉じられていた記録が、日ごとに並んでいる。
石臼が止まったのは三日前。
だが。
異常が始まったのも、本当に三日前だったのか。
レオンは、一番古い頁へ手を伸ばした。




