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53話 揃わない記録

 新しい異常が出たのは、導水路から離れた共同倉庫だった。


 水を扱う設備ではない。


 地面が沈んだわけでもない。


 倉庫の二階へ穀物袋や資材を上げるための、木製の荷揚げ機だった。


 一階には、上へ運べなくなった穀物袋が積まれている。


 二人がかりで袋を肩へ担ぎ、狭い階段を何度も往復していた。


 荷揚げ機が一基止まっただけで、倉庫の流れは目に見えて鈍っている。



「昨日の夕方です。いつもの荷を上げていたら、途中から急に重くなって」



 倉庫の管理人が、太い綱の垂れた荷揚げ機を見上げた。



「そのまま回そうとしたら、綱が片側へ寄りました。音も出たので、そこで止めています」

「止めてからは使っていませんか?」

「はい。二階へ上げる分は人手で運んでます。遅れますが、使えなくはありません」



 無理に動かしてはいない。


 レオンは荷揚げ機の横へ回った。


 柱の間を横切る太い軸。


 その中央に、綱を巻き取る木の胴がある。


 片側だけ、わずかに低い。



「昨日までは?」

「重い荷のときに少し鳴ることはありました。でも、途中で止まったことはありません」



 レオンは軸を支えている木材へ手を当てた。


 目を凝らす。


 赤黒い線が、片側の支えから軸の周囲へ短く伸びていた。


 反対側にはない。


 だが、見えるのはそこまでだ。


 なぜ片側だけずれたのか。


 どの部材を替えればいいのか。


 そんなことは分からない。



「一度、荷を掛けずに動かせますか?」

「ゆっくりなら」



 管理人が人を呼んだ。


 二人が取っ手へ手を掛ける。


 ゆっくり回す。


 最初は動いた。


 半回転。


 一回転。


 そこで、木が擦れる低い音がした。



「止めてください」



 レオンは軸の位置を見る。


 回るたびに、片側だけわずかにぶれている。



「ミナ。左右の高さを取れますか?」

「はい」



 ミナが測定道具を持って回り込んだ。


 軸の両端。


 木枠。


 床からの高さ。


 順に値を取る。



「こっちが少し低いです。ほんの少しですけど」



 レオンは左右の値を見比べた。



「支えを開けて確認できますか?」



 そばで見ていた倉庫付きの職人がうなずいた。



「できます。荷を掛けてない今なら」



 軸を固定し、片側の覆いを外す。


 中から出てきた支えの木は、軸が触れる部分だけが長く擦られて窪んでいた。


 さらに、その下で固定していた木の楔にも隙間があった。



「ここが減ってるな」



 職人が指でなぞった。



「軸が少しずつ下がって、荷を掛けたときに傾きが大きくなってたんでしょう」

「綱が片側へ寄ったのも?」

「軸が傾けば、巻く位置もずれます。昨日はそれが大きくなって、縁へ乗ったんだと思います」



 レオンは開いた支えを見る。


 片側の摩耗。


 緩んだ楔。


 傾いた軸。


 寄った綱。


 順番はつながる。



「この一件も、直接の原因は追えそうですね」



 ミナが言った。



「はい」



 導水路とは違う。


 水も漏れていない。


 基礎材も流れていない。


 壊れた場所も、仕組みも違う。


 それでも、この一件だけを見れば説明できる。



「ここは部材交換で戻せそうです」



 職人が言った。


 レオンは職人を見る。



「反対側も開けて確認してください。同じ摩耗があれば、そちらも直してから戻してください」

「分かりました」



 職人が反対側の覆いも外した。


 そちらには、同じ深い摩耗も楔の隙間もなかった。


 レオンは管理人を見る。



「それまでは使わないでください」

「分かりました。人で運びます」



 レオンは開いた支えへ目を戻した。


 摩耗そのものは珍しくない。


 使えば減る。


 固定が緩めば、軸もずれる。


 この荷揚げ機が壊れた理由は説明できる。


 摩耗が進み、支えが痩せ、楔の固定も緩み、軸が傾いた。


 それだけなら、珍しい故障ではない。


 だが、数日前に導水路を直したあと、今度はまるで違う設備が限界を迎えた。


 一件ずつ見れば普通なのに、なぜこうして続くのか。


 それは、この一件だけを追っても分からなかった。


 レオンはもう一度、荷揚げ機を見上げた。


 また一件。


 原因不明ではなかった。



     ◇



 その日の午後。


 借りた部屋の机と床に、記録が広がった。


 ガレスから渡されたフェルデン盆地の統合記録。


 現地側に残っていた過去記録。


 今回の導水路。


 そして、共同倉庫の荷揚げ機。


 ミナが新しい記録を一番上へ置いた。



「近い時期に続いてるなら、何日かおきに起きてるとかありませんか?」



 最初に疑ったのは、発生した時期だった。


 レオンとミナは古い案件から日付を拾い、順に並べた。


 短い間隔で続いた時期もある。


 しばらく間が空いた時期もある。


 並べても、一定の間隔にはならない。



「……駄目ですね」



 ミナが指で間隔を追う。



「一定ではありません」

「なら、場所ですか?」



 ミナが盆地の地図を広げた。


 案件ごとに印を置いていく。


 地図を追っても、一定の方向には並ばない。


 盆地の中でも、一か所にまとまるわけではなかった。



「……違いますね」

「はい」



 点は増える。


 だが、線にはならない。



「同じ設備だけに偏っているとかは、ないんですか?」



 次に、設備の種類で分けた。


 同じ種類をまとめても、特定の設備には偏らない。


 今回だけでも、石組みの導水路の次が木製の荷揚げ機だ。



「これも違いますね」



 ミナが束を置いた。



「はい」



 残るのは、原因だった。


 レオンは一件ずつ記録を開いた。


 当時の調査結果。


 確認された直接原因。


 実施した復旧。


 復旧後の確認。


 到着した日に現地記録と照合した案件も含め、大きな食い違いはない。


 今回の導水路は、古い継ぎ目から入った水による基礎材の流出。


 今日の荷揚げ機は、片側の支えの摩耗と固定の緩み。


 過去の案件も、一つの原因には揃わない。



「同じ原因が続いているわけでもないんですね」



 ミナが言った。



「どの案件も、その時点では直接原因まで確認されています」



 レオンは記録を一枚持ち上げた。


 過去の記録では、原因を確認する。


 直す。


 復旧後も確認する。


 その場所は終わっている。


 今回の導水路もそうだ。


 数日間、通常量を流したまま漏水も変位も出ていない。



「一件ずつなら、本当に普通なんですね」



 ミナが小さく言った。



「はい」



 だから厄介だった。


 調査を怠った記録が並んでいるわけではない。


 間違った修理を繰り返しているわけでもない。


 一件ずつ見れば、終わっている。



「王都も入れますか?」

「入れましょう」



 王都で残した対応記録を開く。


 高架水路。


 西区の街路灯。


 それから、五件の懸案として並べた記録。


 現れた異常も、対象も違う。


 原因まで確認できている案件だけを抜き出しても、同じものは並ばない。


 発生した時期をフェルデン盆地と並べても、同じ間隔にはならない。


 場所を比較しようにも、地域そのものが離れている。


 同じ設備だけを抜き出しても、きれいにはつながらない。


 レオンは並べた記録を見た。


 時期だけでは説明できない。


 場所だけでもない。


 設備の種類だけでも。


 直接原因だけでもない。


 どれか一つを軸にしても、次へつながる規則は出なかった。



「……じゃあ、何を比べればいいんでしょう」



 ミナが聞いた。


 レオンは答えられなかった。


 今までなら、壊れた場所を見る。


 記録を見る。


 原因を絞る。


 直す。


 それで一件は終わる。


 だが、終わった一件をいくら並べても、次へつながらない。


 レオンは床いっぱいに広がった記録へ目を落とした。


 一件ずつには、答えがある。


 それなのに、全部を並べると答えが消える。


 レオンは、並んだ記録から目を離した。


 もうひとつ、ガレスから示されていた材料がある。


 ヴァレインで残した記録。


 似ていること自体は、フェルデン盆地へ来る前から分かっていた。


 だが、何を軸にその記録を見るべきなのか。



「……レオンさん?」



 ミナが顔を上げる。


 レオンは、床いっぱいに広がった記録を見た。


 それが、まだ分からなかった。

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