50話 終わらない案件
数日後、王国復興局長の後任には、ガレス・オルドが就いた。
局内実務を長く預かってきた人間として、復興局の立て直しを期待されての登用なのだろう。
重大事故諮問会で、ガレスが何を問い、どこへ責任の線を引き直したのか。
その一部始終を見ていたレオンに、驚きはなかった。
◇
その日の午後、レオンは復興局長の執務室へ呼ばれた。
机の向こうにいるのは、ガレスだった。
座る場所が変わっても、こちらを見る目は変わっていない。
「座れ」
レオンは向かいの椅子へ座った。
机の上には、分厚い記録束が一つだけ置かれている。
新しいものではない。
前の方は紙の端が茶色く、後ろへ行くほど新しくなっていた。
「これを見ろ」
ガレスが記録束を押した。
レオンは一枚目を開く。
復旧記録だった。
さらにめくる。
次も。
その次も。
年代が違う。
担当部署も違う。
扱っている異常も同じではない。
ただ、一つだけ共通している。
すべて同じ地域の記録だった。
「どこです?」
「王都から北西だ。ヴァレインとの中ほどにある一帯だ」
レオンの指が止まった。
「……ヴァレインとの?」
「ああ」
レオンは記録の所在地を追った。
地名は違っても、確かに同じ一帯へ集まっている。
「なぜ、これが一つにまとめられているんです?」
「局長申し送りだ」
レオンは顔を上げた。
「秘密文書ですか」
「違う。個別の記録なら、それぞれの担当にも残っている」
ガレスは束を指した。
「局長間で引き継いできたのは、それらをまとめたこの記録だ」
「なぜ、局長が?」
「正式な一件になっていないからだ」
レオンは一番古い記録へ目を戻した。
異常が確認されている。
調査が入り、原因が記載されている。
対策が取られ、その後の確認まで残っていた。
最後には、復旧完了。
次の記録も同じだった。
原因は違う。
工事も違う。
それでも最後には、復旧完了と書かれている。
「……全部、直っている?」
「一件ずつならな」
ガレスが答えた。
「問題が起きる。調べる。原因を見つける。直す。確認して終わる」
レオンは次の記録をめくった。
「なら、何が未解決なんですか」
「終わらないことだ」
手が止まった。
「次は別の場所で、別の設備が壊れる。そこにも原因がある。直せば直る」
ガレスの指が、記録束の厚みをなぞった。
「それを繰り返して、この厚さになった」
レオンは記録の日付を追った。
同じ事故が再発しているわけではない。
同じ設備が壊れ続けているわけでもない。
だから、一つの案件として括れない。
「関連があると証明できなかった」
「そうだ」
ガレスがうなずいた。
「だが、歴代の局長も違和感は持っていた。地域ごとに復旧記録を並べると、この一帯だけ件数が多い」
レオンは束へ目を落とした。
「異常の種類も、担当も、直接の原因も違う。それでも、地域で括ると偏る」
「だから、まとめて残した?」
「個別の案件は完了する。一件にするには根拠が足りない。だが、無関係として捨てるには積み上がりすぎた」
ガレスは記録束を指で軽く叩いた。
「だから残った」
「あなたも、これを引き継いだんですか」
「ああ」
ガレスは記録束へ目を落とした。
「局長就任の引き継ぎで、俺も初めて全体を見た。個別の案件はいくつか知っていたが、こうして一つにまとめられているとは知らなかった」
レオンはしばらく黙って記録を見た。
失敗の記録ではない。
むしろ逆だった。
一つ一つの仕事は、終わっている。
「歴代の復旧官が、原因を見つけられなかったわけではないんですね」
「見つけている」
ガレスは即答した。
「各現場を直すために必要な原因はな」
それでも、この束は残った。
レオンは記録を閉じた。
「それだけなら、俺も次へ回していた」
ガレスが言った。
レオンは顔を上げる。
「だが、この束を見て、王都で起きていることが引っかかった」
「王都で増えている案件も、これと似ている」
水路。
石畳。
公共魔力設備。
王都へ呼び戻されてから、レオン自身もその一部を見てきた異常だった。
「……王都の案件と、この記録をつなげて見ているんですか」
「可能性はある」
ガレスは記録束を指で叩いた。
「どちらも、一件ずつ見れば原因は違う。直せるものは直っている。それでも、別の場所から次が出る」
レオンの指が、記録束の上で止まった。
同じ言葉で説明できる場所を、もう一つ知っている。
ヴァレインだ。
主水路。
街道。
防壁。
旧市街。
原因は、それぞれ違った。
対策も違った。
水は戻った。
街道はつながった。
防壁は持ち直した。
旧市街では、連鎖する沈下を止めた。
それでも、別の場所で次の異常が見つかった。
「……ヴァレインも、似ています」
「ああ」
ガレスは短く答えた。
「この一帯で積み上がった記録。今の王都。それに、お前たちがヴァレインで残した記録だ。ようやく、並べて見る材料が揃ってきた」
「同じ原因だと?」
「そこまでは言っていない」
ガレスは即答した。
「似ている。それだけだ。だから確かめる」
一拍置いて、記録束を押し出す。
「だから、現地へ行け」
ガレスの返答は短かった。
「解決しろ、ということですか」
「その前だ」
ガレスがレオンを見る。
「この案件が何なのか、決めてこい」
レオンは眉を寄せた。
「一つの何かでつながっているのか。それとも、別々の案件が同じ地域に重なっただけなのか」
「歴代の局長は、そこを確定できなかった」
「私ならできると?」
「知らん」
迷いのない答えだった。
「お前なら必ず解決できるなどと思っていない」
ガレスは記録束へ視線を落とした。
「だが、お前は王都西区で、別々に正常とされていた設備を一つの流れとして見た」
排水場。
地区魔力幹線。
街路灯用中継装置。
それぞれだけを見れば、規定どおりに動いていた。
レオンたちは三つを同じ一回として測り、初めて異常の流れを確かめた。
「今回の五件も同じだ」
ガレスの声が続く。
「ヴァレインを空ける前、お前は自分がいなくても異常を拾える手順を残した。だが王都では、選ばなかった三件にそれを残さなかった」
レオンは記録束を見る。
知っていた。
できていた。
だが、複数の案件から二件を選ぶことに意識が向き、その原則を残る三件へ広げられなかった。
本格調査へ回せなくても、残せる条件はある。
何を監視するのか。
何が変われば報告するのか。
どこで使用を止めるのか。
「この記録を、一件ずつ追って終わるな」
ガレスが言った。
「それは、もう何人もやった」
レオンは記録束を見る。
「《断脈視》も使いますか」
「使え」
ガレスは即答した。
「ただし、それだけで決めるな」
レオンは顔を上げた。
「以前は、根拠に入れないと」
「今も同じだ」
ガレスの表情は変わらない。
「見えた線が原因になるわけではない。お前の能力が示すのは、壊れる場所だ」
「はい」
「なら、その場所で何が起きているのかは測れ。記録を取れ。現地の担当に聞け」
能力を信じたわけではない。
扱い方を決めた。
それだけだった。
「ずいぶん、任せるんですね」
レオンが言うと、ガレスの眉がわずかに動いた。
「勘違いするな」
やはり、その言葉が返ってきた。
「任せるのではない。使うだけだ」
ガレスは机上の記録へ手を置いた。
「これまでと同じように人を入れ、同じ調べ方をして、同じ申し送りを増やす意味はない」
「だから私を?」
「違う結果を出す可能性がある。それで十分だ」
信頼ではない。
ただ、使い道がある。
ガレスにとっては、それで理由になる。
「局長になって、最初にこれですか」
「最初だからだ」
ガレスの返答は早かった。
「何代も、この束を次へ回してきた」
その手が、一番古い記録の端を押さえた。
紙の色も、記録の書式も、その後ろとは違っている。
何人の局長がこの束を開き、また閉じたのか。
レオンには分からない。
「俺の代でも紙を足して、次へ渡すつもりはない」
ガレスはレオンを見た。
「解決できないなら、それでもいい」
一拍置く。
「なぜ解決できないのかを残せ」
レオンは記録束へ手を置いた。
何代もの復旧官が現場へ行き、それぞれ原因を見つけ、それぞれ直して帰ってきた。
それでも残った記録だった。
「分かりました」
レオンは束を抱えた。
「行きます」
「派遣手続きはこちらで進める」
ガレスはもう次の書類へ視線を移した。
レオンは記録束を抱え、執務室を出た。
復興局の廊下は、いつもと変わらなかった。
職員が記録を運び、伝令が行き交い、各地から上がってきた案件が机へ積まれている。
その中で、レオンの腕にある記録だけは違った。
一件の未解決案件ではない。
どの一件も、すでに解決している。
それなのに、終わっていない。
レオンが次に向かうのは、
直しても、終わらない場所だった。




