48話 崩落のあと
地下排水路へ続く通りへ入る前から、怒鳴り声が聞こえていた。
「穴の周りには近づけるな! 排水路にも降りるな!」
「通り沿いの建物も確認しろ! 残っている奴がいたら外へ出せ!」
土埃の向こうで、オスカーが作業員たちへ指示を飛ばしている。
道の中央が、大きく落ちていた。
割れた石敷きの下に黒い穴が開き、その底から水の音が響いている。
周囲には縄が張られ、作業員たちが住民を通りの外へ誘導していた。
オスカーがレオンたちに気づく。
「来たか」
「状況は?」
レオンは足を止めずに聞いた。
「道が落ちた。下の排水路まで抜けてる。二人巻き込まれたが、もう引き上げた」
「容体は?」
「一人は足をやられてる。もう一人は軽い。治療所へ運ばせた」
死者はいない。
だが、事故は起きた。
地下排水路。
後へ回した三件の一つだ。
「縁には寄るな。まだ動いてる」
オスカーが言った。
「分かりました」
レオンは崩落穴から距離を取ったまま、露出した地面を見る。
崩れた石敷き。
その下の土が、濡れていた。
穴の底では、土を含んだ水が流れている。
「排水路の流れは?」
「落ちてる。上流側の水位も上がってる」
レオンが顔を上げた。
「前回とは違う……。ミナ、記録を」
「はい」
ミナが鞄から記録を取り出した。
「前回の流量は通常範囲です」
「亀裂は?」
「ほとんど進んでいませんでした」
やはり、あのときとは条件が違う。
「流れが落ちたのは、いつからですか」
排水路の担当者が答えた。
「今朝です。下流へ出る水が、いつもより少ないように見えました」
「その時点で、水位は?」
「目立っては上がっていませんでした。流れ自体も続いていました」
レオンは崩落穴を見る。
「そのあとに変化は?」
「崩れる直前です」
担当者の表情が強張った。
「点検口の水位が急に上がりました。確認に向かわせたところで、道が落ちました」
「昨日は?」
「いつも通りでした」
前回の確認でも通常。
昨日までも通常。
そして今朝、わずかに流れが鈍った。
そのあと水位が急に上がり、道が落ちた。
「これも見てくれ」
オスカーが示した先に、拳ほどの石片が置かれていた。
古い目地材が付着している。
「排水路の石ですか」
「ああ。崩れたあと、下流側の点検口で見つけた」
ミナが石片を見る。
「これが詰まったんですか?」
「それはまだ分かりません」
レオンは首を振った。
「崩れたときに落ちた可能性もあります」
ただ。
崩落より前から、下流へ出る水は減っていた。
そして、直前には上流側の水位が急に上がった。
どこかで水の抜け方が変わったことだけは確かだった。
「奥は確認できるか?」
オスカーが担当者へ聞く。
「今は無理です。水位が高すぎます。ただ、下流側から聞くと、水の音がいつもと違います」
「どう違う?」
「一定に抜けていません。一度溜まってから、押し出されるような音がします」
レオンは崩落穴を見る。
露出した土。
そこから染み出す水。
濁った流れ。
「排水路のどこかで、流れが悪くなった」
ミナが記録板を見た。
「それで水位が上がった?」
「おそらく」
レオンは濡れた土を見る。
「水位が上がって、傷んでいた場所から周囲へ水が回った。ここから先は、崩れた範囲を調べないと断定できません」
だが、土を含んだ水が流れている。
周囲の土まで動いた形跡はある。
少しずつ下が削られたのなら、石敷きの上を荷車が通り続ければ持たない。
「前回とは、条件が変わっています」
レオンは崩落した道を見る。
それでも。
事故が起きたことは変わらない。
「そっちはあとだ」
レオンが顔を上げる。
オスカーは崩落穴ではなく、その先を見ていた。
「さっきまでなかった」
石敷きの継ぎ目から、細い水が浮いている。
最初に崩れた場所から十数歩は離れていた。
「人を下げてください」
「どこまでだ」
「確認します」
レオンは水が浮いた場所の手前でしゃがんだ。
石敷きへ手を当てる。
《断脈視》。
赤黒い線が浮かんだ。
崩落穴の縁から伸びた一本が、まだ崩れていない地面の下を走っている。
その先。
通り沿いの建物側へ、細い枝が分かれていた。
レオンは手を離した。
「次の交差路まで下げてください」
「そんなにか?」
「ここだけじゃありません。建物側にも伸びています」
いつ落ちるかは分からない。
何が最後の引き金になるかも見えない。
だが、崩れる可能性のある場所に人を残す理由はない。
「通り沿いの建物も退避です」
「分かった」
オスカーが即座に振り返る。
「縄を次の交差路まで下げろ! 建物の中も全部確認!」
「はい!」
作業員たちが走った。
縄が張り直される。
住民が通りの外へ誘導されていく。
オスカーは別の作業員を呼び止めた。
「排水の切り替えは?」
「別系統へ回し始めています!」
「全部回せるか!」
排水路の担当者が答えた。
「一時的なら可能です!」
レオンもそれを覚えていた。
前回、この地下排水路を後へ回せると判断した理由の一つだった。
「全部切り替えてください」
担当者がレオンを見る。
「ここへの流入を止めます。今の状態で水を送り続ける方が危険です」
「分かりました!」
職員が上流側へ走る。
「中の詰まりはどうする?」
オスカーが聞いた。
「まだ触りません」
「俺も同意見だ」
オスカーが崩落穴を見る。
「水が残ってるうちに人を入れて、上からもう一度来たら洒落にならん」
レオンはうなずいた。
「流入を止めて、水位が下がってからです。そのあと外から崩落範囲を測ります」
「よし。それまでは誰も降ろさない」
オスカーが再び声を張った。
「排水路への進入は禁止! 切り替えが終わるまで待機だ!」
人が動く。
縄が広がる。
建物から住民が出ていく。
最後まで店先に残っていた男も、作業員に促されて交差路の向こうへ移った。
「退避、終わりました!」
その声の直後だった。
ご、と。
地面の下から、鈍い音が響いた。
「下がれ!」
オスカーが叫ぶ。
石敷きが沈んだ。
さっき、水が浮いていた場所だった。
一枚。
二枚。
石が傾き、その下の土が崩れ落ちる。
道に、もう一つ穴が開いた。
さらに、その脇の石敷きが沈む。
建物の前まで亀裂が走った。
だが。
そこには、もう誰もいなかった。
「……っ」
ミナが息を呑む。
少し前まで、作業員が立っていた場所だ。
住民もいた。
「退避させてなかったら、巻き込まれてたな」
オスカーが低く言った。
「はい」
一次崩落は、防げなかった。
だが、今度は誰も巻き込まれなかった。
「切り替え、完了しました!」
遠くから声が飛ぶ。
「上流からの流入、止まります!」
穴の底から響く水音が、少しずつ弱くなっていく。
すぐに安全になるわけではない。
地盤へ回った水は残っている。
崩れた排水路も、そのままだ。
それでも、悪化させ続けていた流入は止めた。
「水位が下がるまで、この範囲は封鎖したままにします」
レオンが言う。
「そのあと、外から測って、入れる場所を決めます」
「ああ。それまでは俺が押さえる」
オスカーが作業員たちの方へ歩いていく。
レオンは、その背中を見送った。
そして、最初に崩れた穴へ視線を戻す。
前回の確認では、流量は正常だった。
亀裂もほとんど進んでいなかった。
それが、今は崩れている。
レオンはしばらく、その穴から目を離せなかった。




