43話 一つの試験
「その試験は、こちらだけでは決められません」
排水場の担当者は、槽の水位を見ながら言った。
先ほど二基で汲み上げた水は減り、今は一基だけが動いている。
だが、細い水路からはまた水が流れ込み始めていた。
「設備は正常です。街路灯との関係も、まだ確定していない」
担当者は壁際の目盛りを指した。
「試験の都合で二基目を起動するなら、通常運転とは別の理由が要ります」
「運転そのものはできますか」
「水位がもう少し上がれば。ただし――」
担当者の指が、一つ上の印へ動く。
「ここまで来たら、試験を待たずに二基目を動かします。西区の水を溜めるわけにはいきません」
レオンは目盛りを見る。
準備に時間を掛けすぎれば、排水場は通常運転を優先する。
そのとき起動を測っても、ほかの条件まで揃っているとは限らない。
「幹線側にも、同じ時間に測ってもらう必要があります」
オスカーがうなずいた。
「街路灯側へ戻る。幹線にも人を寄こしてもらうぞ」
◇
街路灯用中継装置の前に、三部署の担当者が集まった。
覆いを開けた中継装置は、今も低い音を立てて動いている。
測定値は規定内。
レオンが外枠へ触れると、出力調整部には赤黒い線が残っていた。
「やること自体は単純です」
オスカーが記録板を広げる。
「排水場が二基目を起動する。幹線側がその前後を測る。ここでも入力と出力を測って、末端三本を見る」
「測定には協力できます」
幹線の担当者が言った。
「ただ、その間に予定している切り替えを重ねないなら、こちらの運用を変えることになります」
「排水場も同じです」
排水場の担当者が続ける。
「試験の合図で起動するなら、こちらだけでは決められません」
三つとも、自分の担当範囲では間違っていない。
だから、どこか一つに試験を決めさせることもできない。
レオンはオスカーの記録板を見た。
排水場。
地区魔力幹線。
街路灯系統。
今必要なのは、その三つを同じ一回として動かすことだった。
「排水場からです」
伝令が駆け込んできた。
「試験で二基目を動かせるだけの水位にはなりました。通常運転へ切り替える位置までは、まだ余裕があります」
レオンはもう一度、三部署の条件を見た。
試験を始める権限を一か所へ集めようとするから、誰も持てなくなる。
なら、全部を一人に背負わせる必要はない。
「中止条件を先に決めましょう」
三人の担当者がレオンを見る。
「排水場は、水位が通常運転を優先する位置まで上がったら試験を待たない。幹線側は、ほかの接続先で大きな使用変動が出たら、その回を打ち切る。街路灯側は、中継装置の出力が規定を外れるか、異音などの異常が出たら、その回の試験を打ち切る」
オスカーが記録板へ書き込んでいく。
「各部署が、自分の設備について止める判断を持つわけか」
「はい」
レオンは三人を順に見た。
「排水場の運転は排水場が決める。幹線の安全は幹線側が見る。街路灯系統は街路灯側が見る」
一度、記録板へ目を落とす。
「止める判断は分けたままでいいです。始める理由だけを、一つにします」
幹線の担当者が記録板を見る。
「一つに?」
「中継装置に破損予兆がある。三部署の記録には相関がある。でも、原因はまだ確定していない」
レオンは三つの欄を指した。
「だから、この三つを原因確認のための一件の復旧試験としてまとめます」
オスカーの手が止まった。
少しだけ考え、記録板の上部へ一本の線を引く。
別々だった三つの欄が、一つの工程につながった。
「これなら、誰か一部署に担当外まで背負わせなくて済むな」
「ただ、三部署を一件として動かす承認は要ります」
幹線の担当者が言った。
「そこは復興局へ上げます」
◇
ガレスは、差し出された記録を順に見た。
街路灯の明滅。
中継装置への入力低下。
幹線の補正。
排水場の起動。
最後に、一枚へまとめられた試験工程を見る。
「原因は」
「まだ確定していません」
レオンは答えた。
「だから確かめます」
ガレスは工程表から目を上げた。
「中継装置が壊れるというのは、《断脈視》の所見だな」
「はい」
「それは根拠に入れん。正常の範囲内であれば、試験をする理由もない」
「分かっています」
ガレスの指が、排水場の欄で止まった。
「しかも、お前たちが求めているのは、二基目を通常の切り替えより前に動かすことだ」
「はい」
「必要もない段階で大口の使用量を増やせば、幹線の余裕を削る。そこで別の設備の使用量まで上がったらどうする」
「だから、ほかの大きな使用変動がない条件に限ります。出れば、その回は打ち切ります」
「それでも、今は正常な設備の運用を変えることになる」
レオンはうなずいた。
「その危険があるのは分かっています」
ガレスは記録へ視線を戻した。
「なら、なぜやる」
「街路灯三本で、似た異常が出ています。そのうち二本は一式交換後に再発しました」
レオンは記録を順に指した。
「明滅したとき、中継装置への入力低下を二度測っています。幹線側にも同じ低下と、その後の補正が記録されています。排水場の起動記録とも、複数回重なっています」
「相関だ」
「はい。まだ相関です」
ガレスの目が細くなる。
「相関しかないもののために、正常な運用を変えろと?」
「一回だけです」
レオンは中継装置の系統図を指した。
「それに、試験をする側にだけ危険があるわけではありません」
「何が言いたい」
「《断脈視》で見えているのは、出力調整部です」
「それは根拠に入れんと言った」
「はい」
レオンは記録を指した。
「ですが、入力が落ちるたびに、その調整部が出力を支えていることは測定で確認しています。二度ともです」
ガレスは何も言わない。
「断脈があるから壊れると認めてほしいわけではありません。ただ、この変動を受け続けている場所が調整部であることは事実です」
「それで?」
「もし、ここが止まれば、三本では済みません。――この一帯は、灯りを失います」
ガレスの視線が系統図へ落ちた。
しばらく、ガレスは何も言わなかった。
工程表へ目を戻す。
排水場。
幹線。
街路灯。
そして、中止条件。
「排水場が止めると言えば?」
「その時点で、その回の試験は終わりです」
「幹線側も?」
「はい」
「街路灯側も同じか」
「はい」
ガレスはさらに工程表を追った。
「誰が全体の責任を持つ」
「横断試験として取りまとめる責任は、復興局が持ちます」
レオンは工程表を指した。
「ただし、各設備の運転判断と安全判断まで復興局へ集めません。それぞれの担当に残します」
ガレスはもう一度、最初から記録へ目を通した。
やがて、端へ筆を走らせる。
「一回だけだ」
オスカーが顔を上げた。
「復興局側は、この条件で一回だけ認める。それ以上は認めん」
「分かりました」
「結果が出なければ、各部署で正常扱いの設備運用を、試験の都合で何度も変えることは許可しない。追加が必要なら、その一回の結果を持って改めて出せ」
「はい」
ガレスは中止条件を指した。
「それから、ここに書いた条件を外すな。一つでも中止条件に触れたら、その回の試験はそこで終わりだ。各設備は担当の安全判断を優先しろ」
「分かりました」
ガレスは筆を置いた。
◇
中継装置の前へ戻ると、街路灯係の職員が測定具を固定していた。
ミナは三部署を一つにまとめた工程表を開いた。
街路灯。
幹線。
排水場。
三つの記録欄には、同じ試験名が書かれている。
「街路灯側、測定に入っています」
職員が言った。
少し遅れて、幹線側から伝令が戻る。
「幹線側、切り替え予定なし。ほかの大きな使用変動もありません。測定に入っています」
さらに、排水場からの伝令が走ってきた。
「排水場側、記録準備できています。通常運転へ切り替える位置までは、まだ余裕があります。ただ、長くは待てません」
オスカーが記録板を開く。
「なら、今のうちだ」
「はい」
レオンは中継装置へ手を当てた。
赤黒い線は、まだ消えていない。
原因はまだ証明できていない。
だが、今度は違う。
街路灯側も、幹線側も、すでに測定に入っている。
あとは、排水場で二基目を起動するだけだ。
オスカーが伝令へ向き直った。
「排水場へ。試験開始の合図を伝えてくれ」
「はい!」
伝令が走り出す。
二基目が起動する一回を、幹線も、中継装置も、街路灯も、その前から続けて測る。
今度こそ、その一回を取り逃がさない。
別々だった三つの現場が、初めて一つの試験として動き始めた。




