39話 最初の復旧
「申請の内容は読んだ」
ガレス・オルド局次長は、机に並べられた記録へ目を落とした。
四番から六番までの測定結果。
止水前。
止水直後。
時間を置いたあと。
そして、通水再開後。
その横には、石畳の下を開けた記録と、過去三回の漏水記録が並んでいる。
「止水後、四番から六番まで順に変位した。水を戻してから測り直しても、下がった位置は戻っていない。その範囲の地下には湿りが残っていた。基礎を補修するには、もう一度送水を止める必要がある」
「はい」
ガレスは一枚の記録を持ち上げた。
「原因は、まだ確定していない」
「はい。まだ仮説です」
ガレスはレオンではなく、オスカーを見た。
「止めなければ補修できないのか」
「できません」
オスカーはすぐに答えた。
「水路を仮受けして、支柱から荷を逃がしてから基礎を開けます。通水したままではできません」
「今は送水できている」
「はい」
「どこまで持つ」
「判断できません」
ガレスの指が、四番の測定記録の上で止まった。
「さらに沈む可能性は」
「あります。支柱の位置が変われば、継ぎ目にも負担が掛かります」
「また漏れるだけで済むか」
「それも保証できません」
ガレスは記録を机へ戻した。
前に止水を求めたときとは、状況が違う。
あのときは、異常があるか確かめるために水を止めたかった。
今はもう、支柱が動いている。
そして水は、再びその上を流れている。
「もう一度止めれば、西区への影響も出る」
ガレスが言った。
「はい」
「市街側の貯水は」
ガレスが聞くと、ミナが手元の記録を開いた。
「送水側とは確認しています。予定している補修の範囲なら、貯水と配水の調整で持たせられます」
「予定を越えたら」
「追加の調整が必要になります」
ガレスはオスカーを見る。
「どこまでやれば水を戻せる」
「四番から六番まで仮受けを入れます。支柱から荷を逃がして、基礎を一か所ずつ確認する。必要な補修をしたあと、支柱へ荷を戻して測ります」
「そこで動かなければ?」
「水路の高さを合わせ直し、継ぎ目を補修して通水できます」
「動けば」
「戻しません」
ガレスは黙った。
申請書へ目を落とす。
すぐには手を伸ばさない。
四番から六番までの測定記録をもう一度見直し、通水再開後の数字まで追う。
そのあと、地下を開けた記録と過去の補修記録へ視線を移した。
止水後に動いた三本の支柱。
水を戻しても残った変位。
地下に残った湿り。
そして、今の状態をいつまで維持できるか分からないという施工責任者の判断。
ガレスは一枚ずつ確認しながら、しばらく何も言わなかった。
やがて、申請書を引き寄せた。
「止めれば西区に影響が出る」
ペンを取る。
「だが、このまま流して壊れれば、それでは済まん」
申請書へ署名した。
「高架水路の補修に伴う送水停止を認める」
オスカーが申請書を受け取った。
「予定を越える前に報告を上げろ」
「分かりました」
「それと、補修中の測定も全部残せ。通水を戻すまでだ」
オスカーがうなずいた。
ガレスは机の上に残った過去の補修記録を見る。
「同じ場所を、また補修することにならないようにしろ」
◇
送水側との調整が終わり、高架水路の水が再び止められた。
水量が落ちていく。
やがて、水路から水音が消えた。
水が抜けたことを確認してから、オスカーは職人たちを集めた。
「四番から始める」
まず、水路の両脇に木組みの支えが立てられた。
その上へ横木を渡し、水路の底を左右から受ける。
楔を少しずつ締めていけば、四番支柱が受けている重さの一部を、仮の支えへ移すことができる。
「右を少し」
「ここで?」
「止めろ。測る」
楔を打つたびに、四番支柱を測る。
支柱を持ち上げるためではない。
これから根元を掘っても動かないよう、水路の重さだけを先に別の支えへ逃がしている。
「ここでいい」
オスカーが言った。
「五番、六番も同じように受ける」
職人たちが次の支柱へ移った。
レオンは四番を見る。
《断脈視》に映る赤黒い線は、まだ残っている。
三本の仮受けが終わる。
もう一度測る。
四番。
五番。
六番。
どれも新しい変位は出ていない。
「よし。四番の基礎を開ける」
調査で印を残していた石畳が、再び外された。
今度は四番支柱の基礎石の脇まで掘る。
ただし、周囲を一度に全部開けることはしない。
まず片側だけ。
反対側の地盤には触れず、支柱を残したまま作業する。
「ここ、緩いです」
職人が土へ道具を差し込んだ。
三番の周囲で同じことをしたときより、深く入る。
オスカーがしゃがみ込み、土を手に取った。
握る。
崩す。
「こっちもだな」
湿った土が続いている。
三番と比べても、締まりが悪い。
「この範囲なら、どう直しますか」
レオンが聞いた。
「緩んだところだけ取り除きます」
オスカーは穴の中を指した。
「新しい土と細かな石を入れて、少しずつ締め直す。片側が終わるまでは、反対側には触りません」
「片側を固めてから、もう片方へ?」
「はい。周りを全部掘れば、今度は基礎そのものを支えるものがなくなる」
職人たちが緩んだ土を少しずつ取り除いていく。
空いたところへ、新しい土と細かな石を入れる。
棒で突き固める。
一度に厚く入れず、薄く重ねては締める。
レオンにも、ようやく作業の形が見えた。
先に、水路の重さを仮受けへ逃がす。
支柱を残したまま、基礎の片側だけを直す。
そこを固めてから、反対側へ回る。
それを四番、五番、六番の順に繰り返す。
全部を一度に掘り返すのではない。
一つずつ、支えを失わないように直していく。
「ミナ」
「はい」
「作業ごとに測定結果を残してください。仮受けの前後と、基礎を直したあとです」
「四番から六番まで、それぞれですね」
「お願いします」
これまでの補修記録には、止水中の変化が残っていなかった。
今回は、どの作業のあとに支柱が動いたのか、あとから追えるようにする。
四番の片側を締め直す。
測る。
変化はない。
反対側を開き、同じように緩んだ部分を直す。
もう一度測る。
沈んだ位置が元へ戻ったわけではない。
だが、新たには動いていなかった。
「五番へ移る」
五番も四番ほどではないが、同じ側の地盤が緩んでいた。
湿りも残っている。
仮受けを確認する。
片側を開ける。
緩んだ部分を入れ替えて締める。
反対側へ回る。
そのたびに測る。
数字は動かなかった。
最後に六番。
支柱の真下だけを見ても、大きな違いはない。
だが、四番側へ少し寄ったところを開けると、前に確認した湿りが基礎近くまで続いていた。
「ここまでですね」
「はい」
レオンはその先を見る。
六番を越えた先には、同じ変化は確認できない。
測定値も動いていない。
《断脈視》の赤黒い線も、そこから先へは伸びていなかった。
六番も同じ手順で締め直す。
測る。
少し置く。
もう一度測る。
三本とも、新しい変位は出なかった。
オスカーが記録板を閉じる。
「次は、水路を支柱へ戻します」
仮受けが支えていた水路の重さを、少しずつ元の支柱へ戻していく。
一度に全部は戻さない。
楔を緩めるたびに、支柱を測る。
四番。
変化なし。
五番。
変化なし。
六番も動かない。
三本が水路を受けても位置が変わらないことを確認してから、水路本体の高さを測り直した。
三番から六番まで。
支柱が沈んだ分だけ、以前の位置とはずれている。
「四番だけで合わせるな」
オスカーが言った。
「三番から六番まで通して見る。水が流れる形を先に決める」
職人たちが水路の上へ散った。
水路全体の高さを取り直す。
その結果に合わせて、継ぎ目の位置も決め直されていく。
そこで初めて、以前補修されていた継ぎ目が開かれた。
これまでなら、漏れている継ぎ目から手を入れていた。
今回は先に、その下を直した。
水路を仮に支える。
基礎周辺の地盤を締め直す。
支柱へ重さを戻す。
水路全体の高さを決める。
そのあとで、最後に継ぎ目を合わせる。
壊れて見えた場所は同じでも、直す順番は変わっていた。
◇
通水再開の準備が整った。
職人たちは再び、三番から六番までの測定位置へ散った。
オスカーがミナへうなずく。
「送水側へ。最初は少しずつ戻すよう伝えてください」
「はい」
連絡が送られる。
しばらくして、乾いていた高架水路へ水音が戻ってきた。
少ない水が流れる。
四番の継ぎ目を越える。
五番。
六番。
漏れはない。
「測るぞ」
三番。
変化なし。
四番。
変わらない。
五番。
変わらない。
六番も同じだった。
送水量がもう一段戻される。
再び測る。
数字は動かない。
やがて、水路を流れる水量が通常の状態まで戻った。
それでも、誰も道具を片づけなかった。
「まだです」
レオンが言うと、オスカーもうなずいた。
「止水したときも、すぐには動かなかった」
時間を置く。
その間も水は流れ続ける。
四番。
五番。
六番。
もう一度、同じ場所を測る。
数字は変わらなかった。
レオンは四番から六番までを見る。
赤黒い線は、ほとんど消えている。
基礎の一部に細い線が残っていた。
だが、六番の手前までつながっていた線はもうない。
「動いてません」
ミナが記録を見比べる。
「はい」
オスカーも一枚ずつ確認した。
最初の止水前。
止水直後。
時間を置いたあと。
いったん通水を戻したあと。
今回の仮受け前後。
基礎補修後。
支柱へ荷を戻したあと。
そして、今回の通水再開後。
どの段階で何が変わったのか、今度は最後まで追うことができた。
「しばらくは測定を続けます」
オスカーが記録板をめくった。
次回の確認欄へ、三番から六番までを書き込んでいく。
その下に、測定する段階も加えた。
止水前。
止水中。
通水後。
今回の補修を境に、高架水路の測定手順は、止水前後の変化まで記録に残す形へ改善された。
高架水路の下で、三本の支柱は動かなかった。
流れる水も、継ぎ目から漏れていない。
王都での最初の現場は、ようやく終わった。
レオンたちが現場を離れようとしたときだった。
通りの魔力灯が、一度消えた。
すぐに戻る。
その少し先で、今度は別の灯りが明滅した。




