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38話 痕跡

38話 痕跡


「……間隙水圧(かんげきすいあつ)」


 レオンが口にすると、ミナが首を傾げた。


「間隙水圧?」

「地盤の中の水に掛かっている圧です」


 答えたのはオスカーだった。


「土や砂の粒の間には水がある。その水が、上から掛かる荷重の一部を受けていることがある」


 ミナが四番支柱を見る。


「それが、止水で変わったってことですか?」

「その可能性があります」


 レオンは四番支柱の根元へ目を落とした。


 石畳の表面は乾いている。


 だが、その下まで同じとは限らない。


「もし漏水が基礎周辺まで回っていたなら、そこには長い間、水が供給されていたことになります」


 オスカーが記録板へ目を落とす。


「止水して、その供給が切れた」

「はい。地盤の中の水の状態が少しずつ変わって、その分を地盤そのものが受け始めたなら――」

「土が締まって、支柱が下がる」

「それなら、止めた直後ではなく、時間を置いて沈んだことも説明できます」


 ミナが四番支柱を見る。


「でも、本当に下まで水が回ってるかは分かりませんよね」

「まだ分かりません」


 レオンはうなずいた。


「ただ、開ける前にもう一度測りたいです」


 オスカーがレオンを見る。


「地面へ触れば、条件が変わる」

「はい」


 今、変えた条件は止水だけだった。


 そこへ手を加える前に、もう一度数字を取っておく。


 オスカーは職人たちへ向き直った。


「三番から六番まで、もう一度取る。測定位置はそのままだ」


     ◇


 三番。


 変化なし。


 四番。


 前の測定から、さらにわずかな差が出た。


 五番も同じだった。


 オスカーは数字を記録板へ書き込み、最後に六番を見る。


「六番、取れ」


 職人が測定具を合わせた。


 一度。


 位置を直して、もう一度。


 その手が止まる。


「……下がってます」


 オスカーが顔を上げた。


「測り直せ」


 もう一度。


 結果は変わらない。


 大きな差ではなかった。


 四番より小さい。


 五番よりも小さい。


 それでも、止水前にも、止水直後にもなかった差だった。


 六番が初めて動いた。


 レオンは支柱を見る。


 赤黒い線は、すでにそこまで続いていた。


 だが、六番がいつ動くのかまでは分からなかった。


 止水して。


 時間が経って。


 四番。


 五番。


 そして六番。


 何も触っていないまま、測定値があとから同じ範囲を追ってきた。


「六番もか」


 オスカーは四番から六番までの記録を並べた。


「止水以外は変えていない」

「はい」


 オスカーが四番支柱の根元を見る。


「今度は下を見るぞ」


     ◇


 オスカーは職人たちを呼んだ。


 四番の根元まで歩き、石畳を指す。


「基礎石には触るな。少し外した位置を開ける。三番も同じ距離で一か所」

「三番もですか」

「比較する。四番だけ見ても、それが普通かどうか分からん」


 職人たちが道具を持って散った。


 レオンは三番支柱を見る。


 止水前から数字が変わっていない支柱。


 《断脈視》でも、四番から先に見える赤黒い線とは離れている。


 比べるなら、そこだった。


 石畳が一枚ずつ外されていく。


 三番では、その下の土を浅く掘っても大きな変化はなかった。


 表面より色は濃い。


 だが、職人が手に取って崩すと、土はそのまま指の間から落ちた。


「こっちは普通ですね」


 職人が言った。


 オスカーはしゃがみ込み、自分でも土を取った。


 握り、崩してから四番へ移る。


 四番でも、最初は大きな違いがなかった。


 石畳を外す。


 その下を少し掘る。


 さらに一段、深くする。


「……止めろ」


 オスカーが言った。


 職人の手が止まる。


 露出した土の一部だけ、色が違っていた。


 三番より暗い。


 オスカーが指を入れる。


 土がまとわりついた。


「湿ってるな」

「上は乾いてたのに」


 職人が言った。


 レオンもしゃがんだ。


 表面から見える水はない。


 それでも、石畳の下には湿りが残っている。


 オスカーは周囲を見てから、五番を指した。


「同じ位置を開けろ。六番もだ」


 作業が増えた。


 五番。


 表面を外しただけでは分からない。


 だが、四番と同じ程度まで開けると、こちらにも湿った土が出た。


 四番ほどではない。


 六番では、さらに分かりにくかった。


「こっちは乾いてませんか?」

「もう少し横を見てください」


 レオンは六番の根元へ近づいた。


 赤黒い線は、支柱の真下ではなく、その手前を通っている。


 原因を示しているわけではない。


 だが、今ある不連続の範囲はそこまで続いている。


 調べる場所を絞る材料にはなる。


「四番側へ少しだけ。基礎には寄せすぎないでください」


 オスカーがレオンを見る。


 それから職人へうなずいた。


「そこを開けてみてくれ」


 石畳がもう一枚外された。


 その下を掘る。


 職人の手が止まった。


「……あります」


 出てきた土は、周囲よりわずかに暗かった。


 握れば形が残る。


 三番とは違う。


「四番ほどじゃないな」

「はい。でも、ここまで来ています」


 オスカーは四番から六番までを見た。


 地上から見れば、どの支柱の周囲も乾いている。


 その下では違っていた。


 四番。


 五番。


 そして六番の手前。


 程度は違う。


 だが、同じ側に湿りが続いている。


 オスカーが記録板へ目を落とした。


 四番から六番まで、止水後に動いた範囲。


 その下に残る湿り。


「湿りの広がりと、動いた範囲が重なるな」

「はい」


 オスカーが顔を上げた。


「過去の漏水箇所を出せ」


 ミナが持っていた記録を開く。


「漏水は三回とも、この区間です。うち二回は、補修した継ぎ目がまた開いています」


 オスカーが水路を見上げる。


 補修された継ぎ目は、今は閉じている。


 そこから水が落ちている様子もない。


「漏れた水が、見えていたところだけで終わってなかったか」

「その可能性は高いです」


 レオンは四番の穴を見る。


「少なくとも、基礎周辺まで湿りが続いていることは確認できました」

「だが、それだけなら通水中から沈んでもいい」


 オスカーが言った。


「はい」


 ミナが過去の補修記録を開いた。


「前の三回も、途中の数字はありません」


 オスカーが記録を受け取る。


 一回目の漏水。


 止水。


 補修。


 通水再開。


 二回目も、三回目も同じだった。


「記録に残っているのは、補修前と通水再開後だけか」

「はい」


 オスカーの指が、記録の上で止まった。


「止水している間に支柱が下がっていても、分からない」

「はい。そのまま通水を再開すれば、下がった分だけ水路の位置も変わっています」


 オスカーが水路を見上げた。


「それで、次の継ぎ目に負担が掛かったか」

「可能性はあります」


 最初の漏水が何をきっかけに起きたのかは、今ある記録では分からない。


 だが、そのあと漏水を繰り返した理由の一つは見えてきた。


 漏水箇所の補修が間違っていたわけではない。


 継ぎ目は、その都度直している。


 ただ、その下で支柱が動いていないかを確認する工程がなかった。


 支柱の位置が変わったまま通水を再開していたなら、直した継ぎ目へ再び負担が掛かった可能性がある。


 オスカーは記録板を閉じた。


「四番から六番まで、補修範囲を組み直します」


 職人たちがオスカーを見る。


「まず水路を仮受けする。支柱に掛かる荷を逃がしてから、基礎を開ける」

「そのあとは?」

「地盤の状態を確認する。沈下が続いている間に上だけ合わせても意味がない」


 オスカーは水路を見上げた。


「継ぎ目を直すのは最後だ」


 これまでとは、順番が逆になっていた。


 先に水路を支える。


 支柱から荷を逃がす。


 その下の状態を確かめ、地盤を安定させる。


 それから水路の高さを合わせ、最後に継ぎ目を直す。


 上流の作業が終われば、今回の止水も終わる。


 高架水路側で補修が必要になったからといって、このまま水を止め続けることはできない。


 だが、さっきまでとは違う。


 湿った地盤。


 止水後に動いた三本の支柱。


 そして、過去三回の補修記録。


 改めて高架水路を止めて補修するための根拠は、現場に揃っていた。


 職人たちは、仮受けに必要な位置と資材を確認し始めた。


 調査で外した石畳も、開けた位置が分かるよう印を残していったん戻していく。


 レオンは四番から六番までを見る。


 赤黒い線は、まだ残っている。


 原因が見えてきたからといって、消えるわけではない。


 これから直すのだ。


 そのとき、ミナが上流からの連絡を受けた。


「作業、終わったそうです」


 オスカーが顔を上げる。


「通水を戻すと?」

「はい」


 オスカーは四番から六番までを見た。


「最後に、通水後の測定でもう一度確認します」

「はい」


 しばらくして、水音が戻ってきた。


 乾いていた石造りの水路を、水が流れていく。


 四番。


 五番。


 六番。


 そして、水路に水が戻った。



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