37話 時間差
高架水路の水が止まってから、最初の測定が始まった。
オスカーの職人たちは、四番から六番の測定位置へ散った。
比較のため、変位の出ていない三番も測る。
三番。
四番。
五番。
六番。
レオンは、数字が上がってくるたびに止水前の記録と見比べた。
「三番、変化なしです」
「四番も、止水前とほぼ同じ」
「五番も同じです」
「六番、変化ありません」
オスカーが記録板へ数字を書き込んだ。
水路の中からは、もう水音が聞こえない。
だが、止水前から新たな変化は出ていなかった。
レオンは四番から六番までを見る。
赤黒い線は残っている。
止水前と比べて、見える範囲が大きく変わったようには見えない。
「止めましたが、数字は変わりませんね」
オスカーが言った。
「はい」
「次の工程へ進みますか」
「もう少し待ちたいです」
オスカーがレオンを見る。
「止水直後は測れました」
「はい。過去三回は、止水してから通水を再開するまで支柱を測っていません」
漏水を確認する。
送水を止める。
継ぎ目を開く。
補修する。
通水を再開する。
過去の記録に残っていた支柱測定は、その一連の作業が終わったあとだけだった。
止水してから通水を再開するまで、支柱がいつ動いたのかは分からない。
「上流の作業は、まだ続いています」
ミナが送水量調整所からの連絡を確認した。
「補修が終わるまでは止水のままです」
「なら、その間にもう一度測りましょう」
オスカーは少し考えてから、職人たちへ指示を出した。
「測定位置は動かすな。次も同じ場所を取る」
職人たちが返事をした。
待つ間、レオンは支柱の根元を順に見て回った。
新しい割れはない。
石畳の継ぎ目にも、目に見えて広がったところはなかった。
四番だけを見れば、昨日までと同じだった。
五番も六番も、現物から新しい異常は拾えない。
それでも、赤黒い線は六番の手前まで続いている。
今のところ、五番にも六番にも止水前から新たな変化はない。
だが、《断脈視》に見えているのは、すでに四番だけではなかった。
その変化がいつ数字に表れるのかまでは分からない。
レオンは六番支柱を見た。
確かめるには、測定を続けるしかなかった。
◇
上流の作業が続いている間に、二度目の測定が始まった。
最初に上がった三番は変わらない。
四番の担当者が、測定具を見たまま止まった。
「オスカーさん」
「どうした」
「さっきと違います」
オスカーがすぐに四番へ向かった。
職人から測定具を受け取り、自分で位置を合わせる。
一度測る。
外して、もう一度。
記録板へ目を落とした。
「……下がってるな」
大きな差ではない。
だが、止水前とも、止めた直後とも違う。
四番支柱の根元に、小さな変位が出ていた。
「測定点は?」
「同じです」
「具の狂いは」
「三番では出ていません」
オスカーは返事をせず、四番の上部も測らせた。
そちらにも、わずかな差が出ている。
「五番と六番を先に取れ」
職人たちが動いた。
五番。
最初の測定より、わずかに下がっている。
六番。
こちらは変わらない。
オスカーは五番をもう一度測らせた。
結果は同じだった。
四番ほどではない。
それでも、止水前と止水直後にはなかった差が出ている。
「……四番だけじゃない」
レオンは五番支柱を見た。
昨日までは、小さな差しか出ていなかった場所だった。
その先、六番の手前まで赤黒い線は続いている。
「五番も、さっきより下がっています」
レオンが言うと、オスカーは四番と五番の記録を並べた。
「……そうですね」
しばらく見比べてから、短く答える。
「少なくとも、四番だけの問題として扱うのはやめます」
オスカーは職人たちへ向き直った。
「このまま測定を続ける。補強も触るな。上流から通水再開の連絡が来ても、先にこちらへ回せ」
昨日までなら、四番周辺の局所沈下で説明できた。
今は違う。
送水を止めたあと、何も触っていない支柱が時間を置いて動いた。
しかも、その変化は四番だけではなかった。
◇
オスカーは三本の支柱の間をもう一度歩いた。
レオンも隣を歩く。
「補修はしていない」
オスカーが言った。
「はい」
「継ぎ目にも触っていない。支柱も支持部も、そのままです」
「動かしたのは上流の閉鎖板だけです」
「つまり、この現場で変えた条件は送水だけだ」
レオンはうなずいた。
だからといって、止水そのものが支柱を沈めたとまでは言えない。
だが、止水と変位の間に関係がある可能性は、もう無視できなかった。
「水が止まったことで、何が変わる」
オスカーが水のない高架水路を見上げた。
「水路の中の重さは減ります」
「なら、普通は逆じゃないですか」
ミナが言った。
「軽くなったのに、下がったんですよね」
「そうです」
レオンもそこが引っかかっていた。
水路の中の水が荷重になっているなら、止めれば支柱へ掛かる力は減る。
少なくとも、水がなくなったことだけで沈む説明にはならない。
「流れの力でもないな」
オスカーが言った。
「流れている間ではなく、止まったあとに出ています」
レオンは記録板へ目を落とした。
止水直後。
変化なし。
時間を置いたあと。
四番と五番に変位。
止めた瞬間に動いたわけではない。
何かが、止水してから少しずつ変わった。
レオンは過去三回の補修記録を思い出した。
三回とも、始まりは漏水だった。
「オスカーさん」
「なんです」
「漏れた水が、継ぎ目の外へ出たあと、どこまで回ったか調べた記録はありますか」
オスカーが眉を寄せた。
「少なくとも、この補修記録にはありません」
「支柱の基礎については?」
「記載はありません」
今ここにある記録からは、漏れた水の行き先までは追えない。
だが、もし漏れた水が見えていた範囲だけで終わっていなかったら。
「水が、石組みの中や地盤へ回っていたとしたら」
レオンは四番支柱の根元を見る。
「それで地盤が弱くなったなら、送水している間から沈んでいるはずです」
オスカーが言った。
「そうですね」
レオンは記録板へ目を戻した。
止水直後には、変化がなかった。
時間を置いてから、四番と五番が動いた。
漏水した水が地盤を弱くした。
それだけでは、この時間差を説明できない。
「止めたことで、水が抜けたんじゃないですか?」
ミナが言った。
「どこからです?」
オスカーが聞き返す。
「……分かりません」
ミナが口をつぐんだ。
レオンも支柱の根元を見る。
石畳の表面は乾いている。
少なくとも、目に見えるところから水が抜けている様子はなかった。
それに、水路の中の水がなくなれば、支柱へ掛かる重さは減る。
沈む方向とは逆だった。
「水がなくなったから沈んだ、ではない」
レオンは言った。
「だが、止水してから何かが変わった」
オスカーが記録板を指で叩く。
「しかも、すぐじゃない」
レオンはその言葉で顔を上げた。
すぐではない。
止水してから、時間を置いている。
もし漏水が石組みの奥を通り、基礎周辺の地盤まで水を回していたなら。
止水したからといって、その水が一度に消えるわけではない。
少しずつ水の状態が変わる。
その間に、地盤の中で何かが変わっている。
「地盤の中の水が……支えていたとしたら」
オスカーがレオンを見る。
「水が抜けるにつれて、その分の荷重を地盤が受ける?」
レオンは四番から六番までを見た。
止水。
時間差。
沈下。
三つが、ようやく一つにつながった。
「……間隙水圧」
まだ仮説だった。
だが、調べる価値はあった。
次に見るべき場所は、水路の上ではない。
支柱の下だった。




