03話 三日で水を戻す
「三日で、壊れた主水路を元どおりにするつもりはありません」
レオンの言葉に、リシアの眉が動いた。
崩れた支持部の周囲では、バルドたちが仮支えの点検を続けている。水門は絞られ、主水路を流れる水は底を薄く濡らす程度まで減っていた。
「では、何を三日で戻すのです」
「住民が生きるための水です」
完全な修復と、当面の給水確保は別の仕事だ。
壊れた部分を急いで塞ぎ、元の水量を流せば、残った支持部へ再び負荷が集中する。三日で見た目だけを戻すことはできても、安全な水路にはならない。
「まず確認します。残っている水の量。必要最低限の使用量。水源から貯水槽まで、まだ使える経路。その三つです」
「調べる間にも、貯水は減ります」
「だから、調査の順番を決めます。全部は見ません。三日以内に水を戻すために必要な場所だけを見ます」
リシアは崩れた水路を見上げた。
「必要なものを言ってください」
「主水路の修繕記録。水路管理人が持つ記録。現在の配給量。それと、水が減る前後を知る住民の話です」
リシアは護衛の一人へ短く指示を出した。
その横で、バルドが仮支えの丸太を蹴り、軋みを確かめる。
「こいつは今夜までは持たせる。だが、ここを通して水を戻す案なら、俺は反対だ」
「同じ意見です」
バルドがレオンを見た。
「ずいぶん素直だな」
「壊れた場所を使わない。それが最初の優先順位です」
反論ではなく判断を返すと、バルドは鼻を鳴らした。
「なら、記録を見るぞ。職人組合の分は俺が出す」
◇
領主館へ戻る頃には、日は山の向こうへ沈みかけていた。
机の上へ、水路管理人の帳面、職人組合の修繕記録、領主館の配給記録が積まれていく。
同じ主水路の記録なのに、書き方も基準も揃っていない。
管理人の帳面には、流量が落ちた日と漏水箇所。職人の記録には、石を足した場所と術式を掛け直した場所。領主館の記録には、地区ごとの配給量だけが残されていた。
「修繕した場所が、管理人の帳面には載っていません」
ミナが二冊を見比べて言った。
「父さんは、水を止めた日しか書いてないです。流したまま塞いだ場所は、職人さんの方にしかありません」
「こっちは工事の記録だ。水がどれだけ減ったかまでは、俺たちも書かん」
バルドは悪びれずに答えた。
設備は一つでも、見ているものが違う。
レオンは地図を机の中央へ広げた。
「ミナ。修繕した場所を、分かる範囲で地図に移してください。バルドさんは、今も荷を受けられる支持部と、触れない方がいい場所を見極めてください」
「リシア様は、地区ごとの配給量をこの地図へ。今の水で、どこまで三日持たせられるか確認したい」
「あなたは何をするのです」
「記録が食い違う場所を拾います。そこに、見落とされた経路か損傷がある可能性が高い」
三人が手を動かし始めた。
赤い印は漏水。黒い印は過去の補修。別の印は配給量が急に落ちた地区。
レオンは印を増やすたび、横へ短い言葉を書き添えた。
今すぐ止める場所。
確認してから決める場所。
三日間は触れない場所。
すべてを同時に直そうとすれば、人も資材も散らばる。限られた時間で必要なのは、問題の数を減らすことではない。街へ水を届ける一本の経路を、確実に残すことだった。
重ねるほど、主水路の崩落箇所だけを直しても水が戻らないことが見えてきた。
漏水は下流へ散らばっている。だが、配給量が落ち始めた時期は一つではない。十日前に急減する前から、一部の地区では水が細くなっていた。
「主水路が壊れる前から、別の場所でも水を失っていた」
レオンが言うと、リシアは配給記録をめくった。
「確かに、北側の地区はもっと前から減っています。ですが、原因は分かっていません」
「明日、住民に確認します。帳面にない変化は、使っていた人間が覚えています」
レオンは地図へ三本の線を引いた。
一つは、崩落した主水路。
一つは、貯水槽から街へ分かれる配水路。
そして、まだ何も書かれていない山裾の空白。
「明日までに決めるのは二つです。水源から貯水槽へ、主水路以外の道があるか。貯水槽から先で、失っている水をどこまで減らせるか」
「両方ともなければ?」
「三日では戻せません」
レオンは曖昧に濁さなかった。
「だから、あるかどうかを最優先で確かめます」
◇
翌朝、最初に向かったのは貯水槽だった。
石造りの大きな槽の内壁には、普段の水位を示す白い跡が残っている。水面は、その跡より人の背丈ほど下にあった。
流れ込む水は細い。
出ていく水は、さらに絞られている。
それでも配給のたびに、水面は確実に下がっていた。
「昨夜から、どれくらい減りましたか」
レオンが尋ねると、リシアは壁際につけられた印を示した。
「節水を命じて、この幅です。完全に止めても、三日という見積もりは変わりません」
「補修作業に使う分は含まれていますか」
「最低限だけです。これ以上減らせば、作業そのものができなくなります」
飲む水だけを残せばよいわけではない。
石を洗い、泥を落とし、術式を掛ける下地を整えるにも水が要る。復旧に使う水まで切れば、貯水が残っていても水路は戻せない。
「配給は今の量を維持してください。これ以上減らす判断は、今日の調査が終わってからにします」
「増やすことは」
「水源から別の経路を確保できるまで、できません」
レオンは水面と流入口を見比べた。
三日という期限は、帳簿の上の数字ではない。
石壁に残る水位跡そのものだった。
◇
続いて、レオンたちは配給所から聞き取りを始めた。
水を受け取る住民へ、いつから減ったか。最初に止まった水場はどこか。雨の日だけ水が戻った場所はないか。一人ずつ、同じ質問を繰り返す。
「冬の終わり頃から、北の水場だけ先に細くなったよ」
「うちの裏は、主水路が止まっても地面が湿っていた」
「山側の古い石蓋から、水の音がしたことならある」
証言はばらばらだった。
話した時期も、覚えている音も違う。主水路が傷んだから起きたことなのか、昔からある現象なのかも、その場では判断できない。
レオンは答えを急がず、証言した場所と時期だけを地図へ記した。
断脈視で見える線と同じだった。
一つでは意味を決められない。だが、複数が同じ方向へ重なれば、調べるべき場所を絞れる。
地図へ置くと、証言は同じ場所へ寄っていった。
領都の北側。今の主水路より低い山裾。記録には水路として描かれていない場所だった。
「ミナ。この辺りに何がありますか」
レオンが地図を示すと、ミナは少し考えてから顔を上げた。
「古い水路があります」
バルドが眉をひそめた。
「あれはとっくに捨てた水路だ」
「でも、全部埋めたわけじゃないです。昔は山の水を、そこから貯水槽の近くまで流してたって父さんが言ってました」
「なぜ記録にない」
「使わなくなってから、地図を描き直したんだと思います。入口なら分かります」
ミナは地図の空白へ指を置いた。
住民の証言が集まった場所と重なっている。
さらに、管理人の帳面で北側の流量が落ち始めた時期とも近かった。
記録、現場、住民の話。
三つが初めて、一つの場所を指した。
レオンは立ち上がった。
「案内してください」
◇
旧導水路の入口は、山裾の草と崩れた石の陰に埋もれていた。
石組みの奥は暗く、湿った空気が流れ出している。完全に塞がれているようには見えない。
レオンは入口へ近づき、見える範囲へ断脈視を向けた。
赤黒い線はいくつもある。天井、側壁、足元。長く放置された水路が安全であるはずはない。
それでも、主水路の崩落箇所を覆っていた黒い脈動とは違った。
奥へ続く線の一部は細く、途切れながらも貯水槽の方角へ延びている。
使えるとは断定できない。
内部の崩落、詰まり、地盤のずれ。確認すべきことはいくつも残っている。
だが、最初から選択肢がないわけではなかった。
「この水路を調べます」
「死んだ水路だぞ」
バルドの言葉に、レオンは暗い入口を見たまま答えた。
「完全に死んでいるかは、まだ分かりません」
主水路を元へ戻すのではない。
残っている経路を使い、必要な水だけを街へ届ける。
三日で水を戻す道が、ようやく一本見えた。




