35話 順番
四番支柱が動いたのは、前回の測定から昨日までのどこかだった。
ミナが記録を日付順に並べたことで、その間に三度目の漏水が起きていたことも分かった。
宿の机には、漏水日、補修日、支柱の測定日を書き出した紙が並んでいる。
「四番が先に動いたんでしょうか」
ミナが言った。
レオンも、まず同じことを考えていた。
支柱が沈めば、その上の水路にもわずかな高低差ができる。
それまで均等に受けていた継ぎ目へ無理が掛かれば、開いて漏水してもおかしくない。
オスカーが四番周辺の局所沈下を疑った見立てともつながる。
「その可能性はあります」
レオンは答えた。
「じゃあ、漏水の原因が四番だったってことですか?」
「まだ、そこまでは言えません」
ミナが紙へ目を戻す。
前回の支柱測定。
三度目の漏水。
漏水箇所の補修。
そして昨日の再測定。
順番に並んでいるのは、記録を取った日だけだった。
漏水が見つかった時点で、四番支柱を測ってはいない。
「四番が漏水より前に動いたのか、漏水したあとに動いたのか。今の記録では分かりません」
「測ってないから」
「はい」
四番が先に沈み、それが漏水を起こしたのなら話は通る。
だが、漏水が起きた時点で四番がまだ動いていなかった可能性も、記録上は残っている。
先にそこを決める必要があった。
「今回の工事記録を見せてもらいましょう」
「分かりました」
◇
高架水路では、昨日止めた区間を避けて作業が続いていた。
三度目の漏水に対する継ぎ目の補修はすでに終わっている。
現在進められているのは、その後工程にあたる支柱と支持部の補強だった。
レオンが事情を話すと、オスカーは現場詰所から記録板を持ってきた。
「三度目の漏水が起きたときの作業ですね」
「はい。最初から確認させてください」
オスカーが記録を開く。
漏水箇所を確認。
作業区間の送水を止める。
継ぎ目を開いて状態を確認。
傷んだ箇所を補修。
確認後、通水を再開。
そこまでが漏水に対する直接の補修だった。
作業の順番と、どこまで進んだところで確認を入れたかも残っている。
レオンは上から順に追った。
「作業中に、予定と違ったことはありましたか」
「ありません」
オスカーはすぐに答えた。
「継ぎ目を開けたら、想定より傷みが大きかったとか」
「事前に見ていた範囲です」
「途中で工法を変えたことは」
「ありません」
「やり直した場所は?」
「なしです」
記録にも、予定外の追加作業は残っていない。
途中で施工を中断した形跡もない。
使った補修材も、これまでこの水路で使ってきたものと同じだった。
「今回だけ、新しい材料や術式を使ったことは?」
「ありません。普通の継ぎ目補修です」
オスカーはそこでレオンを見た。
「補修のせいで四番が動いたと考えているんですか」
「いいえ」
レオンは首を振った。
「四番が動いた時期に何があったのかを確認しています。今はまだ、順番も決められていません」
オスカーは少し黙ってから、記録板を机へ置いた。
「私の見立てなら、四番が先です」
「支柱が動いて、水路が歪んだ」
「ええ。その結果、継ぎ目へ無理が掛かって漏れた。それなら、昨日の測定とも矛盾しません」
レオンもうなずいた。
現時点では、一番素直な説明だった。
「俺も、まずそれを疑っています」
オスカーの眉がわずかに上がる。
「なら、何を確かめたいんです?」
「それが本当に先だったかです」
レオンは漏水が確認された日の欄を指した。
「この日の作業に入る前、四番は測っていますか」
「いえ。漏水箇所の確認が先です。支柱測定はしていません」
「作業中は?」
「継ぎ目の補修が目的です。四番を測る理由はありませんでした」
当然の判断だった。
水路から漏れているなら、まず漏水箇所を見る。
支柱に目立った傾きや割れが出ていなければ、毎回すべてを測り直すわけではない。
「なら、今回の記録だけでは順番は決められません」
「そうなりますね」
四番が先に動いていたとしても記録はこうなる。
漏水が先だったとしても、同じ並びになる。
レオンは作業記録の流れをもう一度追った。
「今回の作業、いつもより長引きましたか」
「いえ」
「逆に、早く終わったわけでも?」
「それもありません。この程度の継ぎ目なら、いつもと大きくは変わりません」
レオンは過去の修繕記録を指した。
「前の二回も確認できますか」
「できます」
オスカーが古い記録を出す。
ミナが空いている紙へ、三回分の作業経過を書き始めた。
一度目。
二度目。
三度目。
開始から通水再開までを並べる。
「どれも、今回と大きくは変わりません」
ミナが言った。
今回だけ大きく長引いたわけでもない。
極端に早く終わったわけでもなかった。
「作業時間の違いではなさそうですね」
「ええ」
レオンは三回分の記録を見た。
施工内容に、今回だけの異常はない。
作業全体の長さも、大きくは変わらない。
四番が先に動いて漏水を起こした。
その見立てを崩す材料は、まだ出てこなかった。
だが、証明する材料もない。
「前の二回は、補修のあとに支柱を測っていますか」
オスカーが記録をめくった。
「一回目は翌日。二回目は同日の作業後です」
ミナが顔を上げた。
「そのときも動いてたんですか」
「記録はあります」
オスカーが二枚を抜き出した。
一度目の補修後には、支柱上部の小さな変位。
二度目の補修後には、別の支柱の根元にわずかな差。
どちらも、その時点では補強が必要なほど大きな数字ではない。
レオンは今回の記録と横に並べた。
「これも、漏水前には測っていない?」
「少なくとも、この記録にはありません」
三回とも同じだった。
漏水が起きる。
補修する。
そのあとに支柱を測る。
そして、小さくても何らかの変位が記録されている。
だが、肝心の漏水直前が抜けている。
「全部、順番が分からないんですね」
ミナが言った。
「はい」
レオンは答えた。
四番が先だったのかもしれない。
毎回、支柱が先に動いて漏水を起こしていたのかもしれない。
それならオスカーの見立てで説明できる。
だが、三回とも同じところが抜けている以上、記録だけでそう決めることはできなかった。
レオンは三回分の作業記録へ視線を戻した。
総作業時間は大きく変わらない。
なら、次はその中を見るしかない。
「ミナ。三回分、作業の順番ごとに並べ直せますか」
「順番ごと?」
「はい。開始から終了までを一つで見ないで、どの工程の前後で何をしたかに分けます」
ミナは新しい紙を出した。
「漏水確認、作業開始、その次……って感じですか」
「そうです。三回を横に並べてください」
オスカーが記録板を開いたまま、レオンを見る。
「今度は何を探すんです?」
「まだ分かりません」
レオンは答えた。
「今回だけ違うものがないなら、同じものの中に見落としている条件があるかもしれません」
四番が動いたから漏れた。
今は、それが一番自然な見立てだった。
だからこそ、それで決める前に確かめる。
ミナの紙の上で、三度の補修が同じ順番に並び始めた。
漏水を確認。
送水を止める。
継ぎ目を開く。
補修する。
通水を再開する。
その横へ、支柱を測った段階を書き足していく。
最初に手を止めたのはミナだった。
「レオンさん。三回とも、支柱を測ってるのは作業が終わったあとです」
レオンも三つの記録を見た。
一度目。
二度目。
今回。
どれも、漏水を確認してから補修し、通水を再開するまでの一連の作業が終わったあとに、初めて支柱を測っていた。
「それなら普通じゃないですか」
オスカーが言った。
「ええ」
レオンもうなずいた。
漏れているなら、まず漏水を止める。
継ぎ目を直す。
水を戻す。
そのあとで状態を確認する。
現場の流れとして、おかしなところはない。
ただ、それでは一つ分からない。
「この間、支柱は一度も測っていないんですね」
「測っていません」
オスカーが答えた。
「漏水が見つかった直後も?」
「はい」
「止水した直後も」
「測っていません」
「補修の途中も」
「ええ。継ぎ目の作業が目的でしたから」
三回とも同じだった。
漏水が見つかってから、補修を終えて水を戻すまで。
その間の支柱の数字が、丸ごと抜けている。
「……じゃあ、四番がいつ動いたのか、やっぱり分からないんですね」
ミナが言った。
「はい」
四番が先に動いて漏水を起こしたのか。
漏水が起きたあとに動いたのか。
補修中なのか。
通水を戻したあとだったのか。
今までの記録では、その間のどこで支柱が動いたのかを追えない。
レオンは紙の上を指で順に追った。
「次は、漏水が見つかってから水を戻すまでを、分けて見ます」
「工程ごとに測る?」
「はい」
オスカーが記録へ目を落とした。
「全部やるつもりですか」
「まずは一つずつです」
レオンは高架水路を見上げた。
「今の通水状態で支柱を測る。そのあと送水を止めて、補修には入らず、同じ場所をもう一度測ります」
「水を止めて?」
オスカーの視線が水路へ上がった。
「はい。今まで測っていないところから順に切ります」
「漏れてもいないのに?」
「補修のためではありません。どの工程で支柱が動くのかを確かめるためです」
オスカーはしばらく黙っていた。
「そこで動いていなければ?」
「次の工程へ進みます。継ぎ目を触る前後、水を戻した前後。どこで数字が変わるのかを分けます」
オスカーは水路の先を見た。
今も王都へ水を送り続けている。
「必要なのは分かります。ただ、私の判断だけでは止められません」
「送水側との調整と、復興局の承認が要りますね」
「ええ」
レオンはわずかに眉を寄せた。
「……局次長まで上げることになりますね」
「主要送水幹線を、調査のために止めるんです。そこは避けられません」




