33話 王都の現場
十日の間に、旧市街、防壁、街道、水路、それぞれの確認手順を見直し、レオンがいなくても使える形へ整えながら、実際の現場で何度も試した。
測る場所。見るべき変化。現場で止めていい範囲。誰へ報告するか。
報告が遅れた箇所は手順を直し、判断に迷った項目は基準を書き換えた。
レオンがいなくても拾える異常は、できるだけその十日で形にした。
それでも、最後まで手順にできない部分が残った。
複数の異常が同時に出たとき、どれを先に見るか。
断脈が、どこからどこへ広がっているか。
そこだけは、紙に置き換えられなかった。
「まあ、ここから先は俺らでやるしかねえな」
バルドが確認表を束ねた。
「変な数字が出たら止める。判断がつかなきゃ領主館へ上げる。分からねえまま勝手に直さない。それでいいんだろ」
「はい。それでお願いします」
領主館の机には、王都へ持っていく資料も積まれていた。
十日前から、過去の測定記録と復旧履歴を抜き出し、王都へ持っていく分とヴァレインへ残す分に分けている。
その箱を閉じたミナが、顔を上げた。
「これで、持っていく分は終わりです」
レオンはうなずいてから、リシアを見た。
「一人、王都へ連れていきたい人がいます」
「ミナですね」
先に名前を出され、レオンは少しだけ目を見開いた。
「はい」
「記録係として?」
「それだけではありません」
ミナが自分を指した。
「私、ですか?」
王都には復興局の記録係もいる。
現場ごとの担当者もいる。
だから、紙へ書き写す人間が欲しいわけではなかった。
「俺が何を見て、何を確認して、何をまだ分からないと判断したのか。それを一番近くで記録してきたのはミナです」
水路でも、街道でも、防壁でも、旧市街でもそうだった。
断脈そのものは見えなくても、レオンがどこを見ていたかは知っている。
現場の話を拾い、記録とつなぎ、必要な相手へ伝える。
王都で同じように仕事ができるとは限らない。
だからこそ、最初から一人は必要だった。
「王都では、俺のやり方を知っている人がほとんどいません。来てもらえると助かります」
ミナはしばらく黙っていた。
それから、資料箱の蓋へ手を置いたまま笑った。
「行きます」
「いいんですか」
「聞いたの、レオンさんですよ」
「そうでした」
「それに、王都の記録の取り方も見ておきたいです」
リシアがミナを見る。
「王都では、レオンの補佐として動いてもらいます」
「はい」
「遊びに行くわけではありません」
「分かっています」
横でバルドが鼻を鳴らした。
「顔はちょっと遊びに行きそうだけどな」
「そんな顔してません」
「してる」
「バルドさん、来られないからってひがんでません?」
「誰がひがむか。こっちは二人分、仕事が増えるんだぞ」
レオンは二人のやり取りを聞きながら、確認表へ目を落とした。
バルドが同行していれば、これまで通りの連携は取れる。
だが、今のヴァレインからバルドを半年外すことはできない。
レオンがいない間、異常が起きたときに現物を見て判断できる職人が必要だった。
「バルドさん」
「ああ?」
「お願いします」
それだけで通じた。
バルドは一度だけレオンを見て、肩をすくめた。
「戻ってきたときに、また街が沈んでたら笑えねえからな」
「頼みます」
「そっちこそ、王都で余計なもんまで背負って帰ってくんなよ」
◇
出発の朝、城門まで見送りに来たのは、リシアとバルド、それに領主館の者が数人だけだった。
朝の街道には、いつも通り荷車が行き交っている。
仕事へ向かう職人が、馬車の脇を通りながらレオンに気づいた。
「王都、行くんだってな」
「はい」
「戻ったら、また頼むぞ」
男はそれだけ言って、片手を上げたまま歩いていった。
少し先では、橋番がこちらへ気づき、遠くから手を上げている。
大げさな見送りではない。
それでも、レオンが最初にこの街へ来た日とは違った。
「半年でしたね」
リシアが馬車の前で言った。
「はい」
「延びません」
「分かっています」
「王都が何と言おうと、半年です」
念を押す声に、レオンは少しだけ笑った。
「戻ってきます」
リシアは一拍置いた。
「当然です。あなたの仕事は、まだここに山ほど残っています」
レオンは領都を見た。
遠くで水車が回っている。
門の上では防壁の術式が淡く灯り、街道には荷車が入ってくる。
旧市街の一角は失ったままだ。
その隣では、朝から槌の音がしている。
直し終えた街ではない。
直し続けている街だった。
「行ってきます」
リシアがうなずく。
バルドは片手を上げただけだった。
ミナが馬車へ乗り込む。
レオンも続いた。
馬車が動き出す。
城門が少しずつ遠ざかっていく。
辺境へ送られたときは、王都から離れる道だった。
今は、その道を逆へ進んでいる。
だが、戻る先まで逆になったわけではない。
レオンは見えなくなるまで、ヴァレインの防壁を見ていた。
◇
王都へ入った日の午後、二人はそのまま最初の現場へ通された。
復興局の応接室ではない。
王都西区を通る高架水路の補修現場だった。
石造りの水路が建物の上を横切り、その側面には新しい補修材が白く残っている。
足場の上では十数人の職人が動いていた。
魔術師が支柱上部の石組みへ術式を通し、別の職人が水路を受ける固定具を締めていく。
作業は速い。
声も少ない。
誰が何をするか、最初から決まっている動きだった。
「さすが王都ですね」
ミナが小声で言った。
「ええ」
レオンもそう思った。
雑ではない。
むしろ、よく整っている。
使っている足場も工具も、ヴァレインで見てきたものより新しい。
補修面もきれいだった。
ただ――。
レオンは水路の支柱を見る。
赤黒い線が一本、補修された継ぎ目の下から斜めへ走っていた。
細い。
今すぐ崩れるほどではない。
だが、その先は隣の支柱へ伸びている。
「レオン・アーデン復旧官ですね」
声に振り向く。
足場の下に、一人の男が立っていた。
厚い革の前掛け。袖をまくった作業着。腰には墨壺と物差し。
役人ではない。
指先には石粉が入り込んでいた。
「オスカー・ベルンです。この現場の施工を預かっています」
男は短く名乗った。
ガレスから届いた資料にも、その名前はあった。
王都の公共設備を何度も任されてきた現場責任者。
王都式の魔法建築と補修工事に精通し、復興局が難しい案件へ付ける職人だった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
オスカーはレオンではなく、先にミナの持つ記録箱を見た。
「資料はそちらですか」
「はい。復興局から受け取った分と、こちらで確認したい項目をまとめています」
「後で見せてください」
それから、オスカーは水路を見上げた。
「この現場は、漏水が三度。そのうち二度は、補修した継ぎ目がまた開いています。今回は支柱側まで含めて補強します」
説明は簡潔だった。
現場の動きにも迷いがない。
レオンはもう一度、断脈を見る。
「このまま進める前に、一つ確認したい場所があります」
「どこです」
レオンは支柱の根元を指した。
「この支柱と、隣の支柱です。ここを締める前に、根元まで確認したいです」
オスカーの目が、指した先へ動いた。
すぐに否定はしなかった。
しゃがみ込み、支柱の根元と石畳の継ぎ目を見ていく。
指で隙間をなぞり、工具の柄で石を軽く叩いた。
「目立った浮きはない」
「はい。まだ小さいです」
「過去の変位記録は?」
「資料にあります。ミナ」
「はい」
ミナが記録箱を開き、束の中から数枚を抜き出した。
「支柱の測定は、ここです」
オスカーが受け取り、日付を追う。
最初の補修のあと。
二度目の補修のあと。
今回の工事前の点検。
どの数字も、それだけを見れば大きくはない。
だが、同じ場所が動き続けているわけでもなかった。
「ここです」
レオンは一枚目の記録を指した。
「最初の補修後は、この支柱の上側です。次の記録では、隣の支柱の根元に変位が出ています」
オスカーは返事をせず、二枚の記録を重ねて見た。
それから、もう一度支柱を見上げる。
「一か所ずつなら、局所的な変位で済ませる値だ」
「はい」
「だが、動く場所がずれている」
オスカーはすぐに足場の上へ声を飛ばした。
「三番と四番の支柱を測り直せ。上と根元、両方だ」
作業員の一人が手を上げる。
「補強はどうします?」
「資材は上げろ。ただし、この区間はまだ締めるな。隣から進めろ」
返事が飛び、足場の上で人の動きが変わった。
オスカーは記録をミナへ返した。
「あなたの見立てどおりなら、ここだけ固めても、また別の場所に変化が出る可能性がある」
「俺もそう見ています」
「測り直してから決めます」
レオンはうなずいた。
オスカーは話を聞くだけではなかった。
自分で現物を見て、記録を確かめ、必要なところだけ工程を変えた。
「一つ、先に言っておきます」
オスカーが言った。
「あなたに見える線だけを理由に、施工方法は変えません」
「はい」
「現場で確認できる形にしてください。変位でも、割れでも、荷の偏りでもいい。こちらで確かめられるものが要る」
「そのつもりです」
オスカーは短くうなずいた。
「ガレス・オルド局次長からも、あなたの所見は必ず記録と現物で確認するよう言われています」
オスカーはレオンを見た。
「ここで施工の責任を負うのは私です。そこは譲れません」
「分かりました」
足場の上で、測り直しが始まった。
しばらくして、職人の一人が声を上げた。
「四番、記録より動いてます!」
オスカーが顔を上げる。
「どれくらいだ」
「前回より大きいです。根元だけじゃない。上もずれてます」
レオンは四番支柱を見た。
赤黒い線は、そこを通っている。
オスカーが記録板を受け取った。
「……三番と四番は、このまま触るな」
その声が、さっきまでより低くなった。
王都での最初の仕事は、予定された補修の一部を止めるところから始まった。




