32話 条件
王都へ向かう馬車は、石畳の街道を北へ走っていた。
窓の外を、畑と小さな集落が流れていく。
レオンの向かいでは、リシアが王国復興局から届いた書状を読み返していた。
「半年、ですか」
レオンが言うと、リシアは書状から目を上げた。
「ええ。半年です」
王都で相次いでいる公共設備の異常。
その調査と復旧のため、レオンへ六か月間の技術協力を求める。
リシアは書状を受け取ったその日に、王都へ行くと決めた。
領地の復旧責任者を半年も外す話を、紙の往復だけで済ませるつもりはないらしい。
「断るおつもりですか」
「そのために来ています」
リシアは書状を畳んだ。
「少なくとも、はいそうですかと半年渡すつもりはありません」
「俺自身は、王都の状況を見ておく必要はあると思っています」
「それと半年連れていかれることは別です」
返す言葉はなかった。
旧市街は崩壊を止めた。
防壁も街道も、日常の監視手順までは作った。
それでも、終わったわけではない。
主水路は止めたままだ。
旧市街では今日も測定が続いている。
新しい異常が出れば、レオンの判断が必要になる場所はいくらでもあった。
街道が広くなる。
遠くに王都の外壁が見え始めた。
かつては何度も通った道だった。
だが、辺境へ送られた日以来、王都へ戻るのは初めてだった。
◇
王国復興局の建物は、あの日とほとんど変わっていなかった。
石造りの正面玄関。
長く並ぶ窓。
書類を抱えて行き交う役人たち。
ヴァレインでは、この数か月で水路が変わり、街道が変わり、防壁が変わり、旧市街の形まで変わった。
ここだけが、レオンの記憶にある姿のままだった。
案内された応接室で、ガレス・オルドが待っていた。
机の上には、何冊もの書類が積まれている。
「遠路、ご足労いただき恐縮です。ヴァレイン辺境領代行領主殿」
「要件からお願いします」
リシアは席へ着くなり言った。
ガレスは表情を変えず、一枚の書類を前へ出す。
「では、改めて。王都で発生している複数の復旧案件について、レオン・アーデン復旧官に六か月間の技術協力をお願いしたい」
「認められません」
間を置かなかった。
「レオンはヴァレイン辺境領復旧総監です。半年も領都から外せる人間ではありません」
「復旧総監の地位を取り上げるつもりはありません」
「地位の話をしているのではありません。人の話をしています」
ガレスの指が、書類の端をそろえた。
「承知しています。しかしアーデン復旧官は、王国復興局の辺境領付き復旧官でもある。今回お願いしているのは人事異動ではありません。期限を定めた技術協力です」
「半年を期限付きと呼べば、短くなるわけではありません」
「王都だけの都合で申し上げているわけでもありません」
ガレスは別の書類を開いた。
王都とその周辺から上がっている異常報告が並んでいる。
水路。
道路。
公共魔力設備。
一つの現場ではない。
レオンは報告の件数を追った。
紙に書かれた情報だけでは、どれが本当に危険なのかまでは分からない。
だが、復興局だけで処理しきれていないことは分かった。
「現在、王国全体で復旧要員が不足しています」
ガレスが言った。
「ヴァレインで成果を上げた人材に、その経験を王都でも生かしてもらいたい。組織として不自然な判断ではないと考えています」
「ヴァレインで成果を上げられたのは、レオンがヴァレインにいたからです」
「ええ。ですから復旧総監の地位は維持すると申し上げています」
リシアの表情が変わらない。
ガレスも崩さない。
互いに相手の言っていることを理解したうえで、譲っていなかった。
「私はレオンを出しません」
リシアが言った。
ガレスはすぐには答えなかった。
代わりに、机の端に置かれていた帳簿を開く。
レオンには表題が見えた。
ヴァレイン辺境領への復興支援実績。
「小麦がおよそ三十トン。建築・補修用木材が二十トン。石灰等の補修材が八トン。鉄材が二トン。そのほか塩、油、薬品」
リシアの目がわずかに細くなった。
「もちろん、今回の技術協力とヴァレインへの復興支援は別の話です。しかし――」
ガレスは一度、言葉を切った。
「街道が戻り、ヴァレイン自身で調達できるものも増えていると報告を受けています」
「何が言いたいのですか」
「王国全体で必要とされる物資も増えています。今後、各領へどこまで支援を続けられるかは、その時々の状況を見て判断することになります」
「王国の協力要請を断れば、ヴァレインへの支援も見直すと?」
「そのようなことは申し上げておりません」
ガレスは即答した。
「限られた物資を、必要な場所へ配分する。それだけです」
「では、なぜ今この帳簿を出したのです」
「ヴァレインもまた、王国全体の復旧の中にあるとご理解いただくためです」
ガレスの声は変わらない。
「支援と技術協力は別です」
「便利な言葉ですね」
部屋が静かになった。
ガレスは支援を止めるとは言っていない。
レオンを出せば物資を送るとも言っていない。
ただ、同じ規模の支援が続く保証はない。
その判断を王都側が握っている。
小麦三十トンだけで領都が食べているわけではない。
だが、それが消えれば備蓄を削る。
木材が減れば、旧市街から移った住民の住まいの補修が遅れる。
補修材と鉄材が減れば、復興工事そのものが止まる。
ヴァレインは立ち上がり始めた。
まだ、王都から何も受け取らずに進めるところまでは来ていない。
「……レオン」
リシアがこちらを見た。
「半年、あなたがいなくても領都は回せますか」
レオンはすぐには答えなかった。
できることから一つずつ考えた。
旧市街の測定。
防壁の日常確認。
街道橋の定期点検。
主水路の監視。
どれも、レオン一人にしかできない仕事にはしていない。
測る場所。
見るべき変化。
異常が出たときに、どこまでなら現場で判断していいか。
危険なら止めること。
誰へ報告するか。
そうした一般的な手順は、バルドたちと一つずつ整理してきた。
レオンがいなければ何も分からない。
そんな体制にはしないようにしていた。
それでも、一つだけ残っている。
「今ある設備を監視して、異常が出たときに止めるところまではできます」
レオンは答えた。
「半年でも?」
「手順にできる部分については」
リシアがわずかに眉を寄せた。
「できない部分があるんですね」
「あります」
レオンはうなずいた。
「《断脈視》で見ている部分です」
ガレスの視線がレオンへ向いた。
「測定値がどこまで動けば危険か。壁石のずれをどこで止めるか。水路のどの場所を確認するか。そういうものは手順にできます」
レオンは続けた。
「でも、複数の異常が同時に出たとき、どれを先に見るべきか。どの変化が、別の場所へ広がり始めているのか。それはまだ、俺が見て判断しています」
《断脈視》そのものを、他人へ渡すことはできない。
見えないものを、見える前提の手順にすることもできない。
そこだけは、どうしても残った。
「半年空けるなら、代わりのやり方を考える必要があります」
リシアが言った。
「はい。断脈そのものを見る代わりに、現場で拾える変化を増やします。測定する場所を増やすか、報告の間隔を短くするか。複数の異常が出たときに、何を優先して確認するかも決めておきたい」
完全な代わりにはならない。
それでも、レオンが戻るまで危険を見落としにくくすることはできる。
レオンはガレスを見た。
「準備の時間をください」
ガレスは表情を変えなかった。
「どれくらい必要だ」
「十日です」
リシアがレオンを見る。
レオンは続けた。
「旧市街、防壁、街道、水路。それぞれについて、俺がいなくても異常を拾える確認手順と報告基準を作ります。それを現場で一度回してからでないと、半年は空けられません」
ガレスはしばらく黙った。
指先で帳簿を閉じる。
「十日なら認めよう」
リシアの視線がガレスへ戻った。
「ただし」
ガレスは続けた。
「そう長くは待てない。それ以上の延期は難しいと考えてくれ」
「十日あれば十分です」
「なら、その前提で進める」
リシアは小さく息を吐いた。
まだ終わってはいない。
だが、少なくともレオンを明日から王都へ拘束されることはなくなった。
「条件があります」
リシアが改めて言った。
「伺いましょう」
「レオンのヴァレイン辺境領復旧総監としての地位は維持する」
「異論ありません」
「期間は六か月。延長は認めません」
ガレスがわずかに眉を動かした。
「状況によっては――」
「その場合は、改めてヴァレインへ要請してください。こちらの承認なしに一日でも延ばすことは認めません」
一拍置いて、ガレスがうなずいた。
「分かりました」
リシアはそこで初めて背もたれへ体を預けた。
表情に納得はなかった。
ただ、これ以上ここで押しても、ヴァレイン側が失うものの方が大きい。
その線を見切ったのだと、レオンには分かった。
「では、十日後」
ガレスが書類を閉じた。
「復旧総監殿の力を、王都でもお借りします」
レオンは机の上の書類を見た。
追い出されたときと同じ建物。
同じ復興局。
目の前には、あのとき自分をヴァレインへ送った男がいる。
だが、今度は違う。
王都で仕事を失えば行く場所がなくなるわけではない。
自分には戻る場所がある。
守るべき街がある。
その街を半年離れるなら、離れても回る形にしてから行く。
「王都側の最初の現場資料も、十日の間に送ってください」
「手配しよう」
「できれば、過去の修繕記録も」
「そちらも揃える」
レオンはうなずいた。
十日後。
今度は、王都の壊れる場所を見るために戻ってくる。




