22話 東側を切り離せ
「今から全部落とすのか」
バルドが、塔の根元に立てかけた木材を見た。
「まだ支えは仮だ。止めてる間に何か動いたら、受け切れんぞ」
レオンは東側の壁を見上げた。
残っている術式の光は弱い。
それでも、そこへつながる回路を触る以上、一度は全部止める必要がある。
「迂回回路を外すのに、どれくらい止める必要がありますか」
魔術師は図面と壁を見比べた。
「今のまま始めれば長くなります。ですが、切り離す場所を先に決めて、触る箇所を全部出しておけば、止めている間は外す作業だけにできます」
バルドが鼻を鳴らした。
「なら先にやれることをやれ。塔の支えも、道具も、足場もだ」
「はい」
レオンは短く答えた。
全部止める。
その判断は変わらない。
だが、止める時間まで長くする必要はない。
「全面停止は明け方にします。それまでに、術式を動かしたままでできる準備を全部終わらせます」
リシアがすぐに確認する。
「夜の間は、今の停止区画だけを兵士で補う?」
「はい。残っている術式には触れません」
「分かりました。ギルドから来た者は外周へ回します。引き継げた場所から、巡回兵を壁へ戻します」
レオンはうなずいた。
「バルドさん。塔は、今より動かない程度まで支えられますか」
「できる。ただし、前に言った通り固め切らん。術式を戻したとき、どっちから荷が来るか見える程度には残す」
「お願いします」
魔術師へ向き直る。
「三区画を分ける位置を決めてください。止めたあと、迷わず切れるように印を」
「塔と南門の間。塔の先。それから反応しない区画ですね」
「はい。迂回回路が、その境をまたがない形にします」
ミナが記録板を持ち上げた。
「今の術式の状態と、塔の墨印も全部残しておきます。朝、止めた直後と比べます」
「お願いします」
やることが決まると、現場は一気に動いた。
◇
夜の防壁には、槌の音が途切れず響いていた。
バルドたちは塔の内側へ木材を組み、南門側へ倒れ込む動きを受ける形にした。
強く押し返しはしない。
ずれた石を無理に元へ戻せば、その力がどこへ逃げるか分からない。
今は、これ以上動かさないための支えだった。
「そこ、締めすぎるな!」
バルドの声が飛ぶ。
「塔を戻すんじゃねえ。動いたら受けるだけだ!」
職人が楔を少し戻した。
木材と塔の間に、ごくわずかな隙間が残る。
レオンは塔へ手を当てた。
赤黒い断脈は残っている。
だが、支えを入れてから太さは変わっていない。
少なくとも、作業そのものが傷みを広げてはいなかった。
少し離れた壁では、魔術師が術式の刻み目へ印を付けていた。
南門から塔まで。
塔から先。
反応しない区画。
後から足された迂回線だけが、その境を無視して斜めにつながっている。
「ここを切れば、一つ目と二つ目は分かれます」
魔術師が壁を指す。
「ただ、こっちは迂回線が元の回路へ戻る場所です。ここも同時に外さないと、先だけ残ります」
「二箇所を同時に?」
「片方だけ先に消すことはできます。でも、その間にどこへ流れるかは試していません」
レオンは首を振った。
「試しません。全面停止してから両方外します」
起動して確かめるたび、塔の継ぎ目は動き、断脈も濃くなった。
もう、危険な状態で確認を重ねる必要はない。
「ミナ。二箇所とも記録に」
「もう付けました」
記録板には、壁の簡単な図と印が並んでいた。
術式を切る場所。
塔の墨印。
支えを入れた位置。
その横には、外周から届いた報告が時刻順に書き足されている。
「ギルドから、さっき一件です。東側で鳴き声。姿は見てないそうです」
「場所は?」
「昨日より壁寄り。でも外柵の外です」
「そのまま残してください。近づいているとはまだ決めません」
「はい」
分からないことは、決めつけない。
だが、分からないから止まるわけにもいかない。
壁の内側では、止める準備を進める。
壁の外側では、人が見張る。
今できることを分けて積み上げるしかなかった。
◇
空が白み始めた頃、南門東側の作業は一度止まった。
職人たちが壁から離れる。
兵士が作業区画の入口へ立つ。
外周から戻った巡回兵が、壁上へ上がっていった。
代わりに、冒険者ギルドから来た者たちが外柵沿いへ出ている。
人数は多くない。
それでも、その分だけ領兵を防壁へ戻せた。
「外周の引き継ぎ、終わりました」
兵士の報告に、リシアがうなずく。
「南門は?」
「東側へ増員済みです」
「西側と他の門は?」
「通常の巡回を維持しています」
リシアはレオンを見る。
「今なら止められます」
レオンは塔へ目を向けた。
支え。
墨印。
術式を切る二箇所。
職人の退避。
記録役。
全部そろっている。
「お願いします」
魔術師が壁へ手を置いた。
「東側、落とします」
淡く残っていた光が、南門側から順に消えていく。
一つ。
二つ。
塔の手前。
塔の先。
最後に、遠くの刻み目から光が消えた。
東側の防壁が完全に暗くなる。
レオンの視界でも、変化があった。
塔から南門へ伸びていた断脈の脈動が弱まった。
消えはしない。
石そのもののずれは残っている。
だが、術式から掛かっていた力がなくなったことで、黒へ寄っていた線が暗赤色まで戻っていく。
「塔は?」
「動いてねえ」
バルドが支えへ手を当てた。
「墨も変わらん」
「ミナ」
「記録しました。停止直後、変化なしです」
術式を止めたことで、壁が直ったわけではない。
ただ、これで回路を触れる。
「迂回線を外してください」
魔術師がうなずき、印を付けていた場所へ向かった。
後から足された刻み目の端へ手を入れる。
一箇所目。
続いて、元の回路へ戻る側。
白く残っていた古い線が、少しずつ途切れていく。
「一つ目、切れました」
ミナが記録する。
「二つ目も外します」
魔術師の手が止まった。
「……ここ、上から書き足されています」
レオンが近づく。
「外せませんか」
「外せます。ただ、古い線と重なっています。迂回線だけを追います」
すぐに答えを出さず、魔術師は図面をもう一度確かめた。
バルドも横から壁を見る。
「石の継ぎ目はそこじゃねえ。削るなら表だけにしろ。奥まで触るな」
「分かりました」
魔術師が作業を再開する。
レオンは断脈を見た。
線は塔へ集まっている。
今のところ、新しく黒くなる場所はない。
「そのまま」
最後の刻み目が途切れた。
「外れました」
魔術師が手を離した。
迂回回路は消えた。
南門から東へ、勝手に先まで力を渡す道はもうない。
「次、区画を分けます」
あらかじめ付けた印に沿って、魔術師が回路のつながりを切っていく。
塔と南門の間。
塔の先。
反応しなかった区画。
一つだった東側が、三つに分かれていく。
ミナが図面へ線を引いた。
「三つとも分かれました」
「互いにつながっていませんか」
「確認します」
魔術師は一つずつ刻み目を追った。
今度は起動しない。
目で、指で、図面と照らし合わせる。
「大丈夫です。全部、別です」
バルドが塔の支えを叩く。
「こっちも動いてねえ。だが、塔が直ったわけじゃねえぞ」
「はい。今は動きを止めているだけです」
レオンは東側を見渡した。
回路は分けた。
だが、塔のずれそのものは残っている。
光はない。
防壁としては、今が一番弱い。
だが昨日までとは違う。
どこか一箇所を動かした力が、迂回回路を通って別の場所へ勝手に流れることはない。
一つずつ試せる。
一つずつ止められる。
「これで、戻す順番を選べます」
魔術師が図面を持ち直した。
「どこから起動しますか」
そのとき、外周側から笛が鳴った。
一度。
間を置いて、もう一度。
壁上の兵士が外を見下ろす。
「外周から報告!」
階段を駆け上がってきた兵士が息を切らした。
「東の外柵で、複数の新しい足跡です。夜の巡回にはなかったものが、まとまって壁の方へ向いています」
レオンは暗い東側を見た。
切り分けは終わった。
次は、戻す。
やり直しに使える時間はない。
「南門側から、一つずつです」
レオンは最初の区画を指した。
「起動します」




