20話 術式をつなぐな
翌朝、南門の詰所には三種類の記録が並べられていた。
防壁術式の点検記録。壁石の修繕記録。そして、術式を書き直した箇所を示す古い図面。
どれも同じ壁を扱っている。
だが、書かれている場所が微妙にずれていた。
「二年前、塔の南門側で石の継ぎ目が開いています」
ミナが修繕記録を指で追った。
「そのときは、外側の石を積み直して、表面を術式で固めています。その少し後に、同じ区画で防壁術式の反応が弱くなったって」
「回路の方は?」
「こっちです」
別の記録を開く。
元の術式は、南門から東へ延び、塔の手前を通って次の区画へつながっていた。
ところが後から書き足された線は、塔の継ぎ目を避けるように曲がり、隣の区画へ回り込んでいる。
「迂回させています」
魔術師が図面を覗き込んだ。
「当時、ここで回路が切れたのでしょう。壁を開いて原因を探すより、無事な刻み目へつなぎ直した方が早い。応急処置としては珍しくありません」
「その処置は、今も残っている?」
「残っています。昨日、光が止まったのはこの先です」
魔術師は図面の一点を爪で叩いた。
「なら、切れたところをつなぎ直せば、反応は戻るはずです」
レオンはすぐには答えなかった。
昨日、術式を起動したのは二度。
光が止まった場所は変わらない。
だが、起動するたびに隣の塔の断脈が黒くなり、二度目には石が動いた。
回路だけを見れば、つなぐという判断は自然だ。
問題は、その回路が載っている壁の方だった。
「先に塔を測ります」
◇
南門東側の塔には、昨夜バルドが付けた墨印が残っていた。
継ぎ目をまたいだ一本の線は、朝になってもわずかにずれたままだ。
バルドは塔の根元へ縄を垂らし、その先に小さな錘を結んだ。
「上は動いてねえ。ずれてるのは下だ」
縄と壁の隙間を見比べながら、バルドが言う。
「南門側へ、ほんの少し腹が出てる。表の石は積み直してあるが、中まで戻したかは分からん」
「二年前の修繕箇所と同じです」
ミナが記録板を持ち上げた。
「石が開いた場所と、回路を迂回させた場所が重なってます」
レオンは塔へ手を当てた。
石の奥に、赤黒い断脈が何本も走っている。
昨日もっとも黒くなった線は、塔の根元から南門側へ伸びていた。
反対側にも細い線はある。
だが、同じ太さではない。
塔全体が均等に傷んでいるわけではなかった。
「バルドさん。もし術式で、この壁を一つにつなぐように力が掛かったら?」
「どっちへ動くかは、その術式次第だ」
バルドは魔術師を見る。
「お前さんの術式は、壁に何をする」
「外から衝撃を受けたとき、一箇所だけで受けないよう周りの区画へ力を逃がします。起動中は、隣り合う区画がばらばらに動かないよう働きます」
「なら、ずれた石も止めようとするわけだ」
「……そうなります」
魔術師の目が、塔の継ぎ目へ向いた。
「回路が切れているから壁が動いたのか。壁が動いたから回路が切れたのか。今の記録だけでは分かりません」
「はい」
「ですが、どちらにしても、今の形のまま強く締めれば――」
「別の場所へ力が逃げる」
バルドが低く言った。
昨日の断脈の変化とも合う。
だが、まだ推定だ。
回路をつないだとき、本当にどこへ負荷が移るのか。
それを確かめる必要があった。
「最低まで落とした状態で試せますか」
レオンが魔術師へ尋ねた。
「できます。ただ、切れている箇所を仮につながなければなりません」
「短時間だけ。塔は先に支えます。南門東側の壁上と門脇から人を外してください」
リシアが兵士へ目を向けた。
「東側の通行を止めます。荷車は西寄りへ。壁上も試験が終わるまで立入禁止にしてください」
「承知しました」
兵士たちが動き出した。
バルドは職人を呼び、塔の南門側へ二本の木材を斜めに当てた。塔を押し戻すためではない。動いたとき、それ以上倒れ込まないよう受けるためだ。
ミナは南門、塔、反応しない区画の三箇所に記録役を置いた。
昨日と違う。
ただ起動して様子を見るのではない。
何が動いたら止めるかを、先に決めてから試す。
「準備できました」
魔術師が壁へ向き直った。
切れている刻み目の間へ、仮の線を足す。
「最低出力で流します」
淡い光が南門から東へ走った。
昨日より弱い。
止まっていた区画にも、ごく薄い光が入る。
その瞬間、レオンの視界で塔の断脈が濃くなった。
黒へ寄る。
だが昨日ほどではない。
「そのまま。まだ上げないでください」
レオンは線の先を追った。
塔の根元から伸びた断脈が、南門側へ枝分かれする。
一つは門の上部へ。
もう一つは、門と塔をつなぐ壁の継ぎ目へ。
「南門、変化あります!」
ミナの声が飛ぶ。
「門の東側、墨印がずれました。ほんの少しです!」
「塔は?」
「支えに荷が掛かった!」
バルドが木材へ手を当てたまま叫ぶ。
「さっきより噛んでる。塔が門側へ押してるぞ!」
レオンは魔術師を見た。
「止めてください」
光が消えた。
塔を走る断脈がゆっくりと薄くなる。
南門へ伸びかけた線も、それ以上は広がらなかった。
ミナが測り直す。
「止めたあと、南門の印は動いてません」
「塔も止まった」
バルドが支えを叩いた。
「これで分かったな」
魔術師は、仮につないだ線を見つめていた。
「回路は通りました」
淡々とした声だった。
「術式だけ見れば、修復は成功です。でも、その瞬間に塔が南門を押した」
「はい」
「つまり、切れた回路は故障の全部じゃない」
レオンは塔と南門を見上げた。
反応しなかった区画。
迂回させられた回路。
積み直された壁石。
そして、術式をつないだときだけ南門へ伸びる断脈。
過去の修繕は、止まった術式を動かすことには成功したのだろう。
だが、ずれた壁は残った。
その上から回路だけをつなぎ直したため、壁が動くたびに別の区画へ力を逃がし続けた。
どこから動き始めたのかは、まだ断定できない。
それでも、今やってはいけないことは分かる。
「この回路は、今のままつなぎません」
魔術師がレオンを見る。
「では、術式は止めたままに?」
「先に壁を動かない形にします。そのうえで、どの区画まで切り離して組み直すか決めます」
「壁を直してから、術式を?」
「順番も含めて一緒に考えます。壁だけ先に固めても、今度は術式を戻したときに別の場所へ力が出るかもしれない」
バルドが口の端を上げた。
「やっと俺とお前さんの仕事が同じ場所に来たな」
魔術師は少しだけ黙り、図面を畳んだ。
「分かりました。回路を区画ごとに分けられるか、記録を洗います」
「俺は塔と門の支え方を見る」
「私は、起動した時刻と壁のずれを並べます」
ミナがすぐに記録板へ書き始めた。
リシアは壁上を見上げる。
「東側を止めたまま作業するなら、兵士の配置も組み直します。必要な区画を決めたら教えてください」
「お願いします」
役割が分かれた。
魔術だけを直すのでもない。
石だけを積み直すのでもない。
防壁は、その二つが同じ壁の上で働いている。
片方だけを元へ戻せば、残ったずれが別の場所を壊す。
レオンは、南門から東へ続く防壁を見渡した。
赤黒い断脈は、塔だけでは終わっていない。
だが、昨日までとは違う。
何を直すべきかは、もう一つに絞られていなかった。
「壁と術式を、同時に組み直します」




