16話 荷車を通せ
最初の荷車には、馬がつながれていなかった。
荷台には、麦袋と同じ重さに揃えた石袋が積まれている。
前後へ太い縄を結び、南側から引く者と、領都側で受ける者を分けた。車輪の下には厚い板を二列に並べ、橋面の一箇所へ重さが集まらないようにしてある。
橋を渡すための試験だった。
橋の下には、昨日組んだ仮支えが残っている。橋そのものが受ける重さと、仮支えへ移る重さを、バルドが音で確かめる。
橋面の両側には兵士が立ち、荷車が想定より動けば縄で止める。試験荷の石袋も、一つずつ重さを揃えてあった。
人を渡す前に、橋がどこまで荷を受けられるかを確かめなければならない。
「馬を外す必要があるのか」
対岸の御者が、不安そうに荷車を見た。
「最初は、人の手で速さを決めます。馬が驚いて走れば、橋へ掛かる重さが変わります」
「荷は、これだけで足りるのか」
「まず半分です。橋の上で止める位置を変えながら、少しずつ増やします」
レオンは橋の南端へ手を置いた。
昨日組み直した継ぎ目には、細い断脈が残っている。
だが、黒へ近づく線はない。橋脚へ伸びる線も、街道側へ戻る線も暗赤色のままだった。
荷を掛ければ、線は動く。
重要なのは、線が現れないことではない。一箇所へ集まり、広がり続けないことだった。
「ミナ。南端、中央、北端の三箇所で止めます。そのたびに墨印と橋脚を測ってください」
「昨日の位置から動いたかを見るんですね」
「はい。止めた後も動き続けるなら、そこで戻します」
ミナは記録板を抱え、橋の横へ張った測定縄の前に立った。
バルドは橋の下へ降りている。組み直した石と仮支えの音を、下から確かめる役だった。
リシアは両岸の兵士を下がらせ、橋へ入れる者を縄の担当だけに絞っていた。
「試験が終わるまで、荷車を前へ出さないでください。順番を変えようとした者は、最後尾へ回します」
御者たちの列が静まった。
レオンは領都側へ腕を上げた。
「引いてください。歩く速さより遅く」
縄が張る。
荷車の車輪が板の上を転がり、低い音を立てた。
南端へ近づくにつれ、組み直した継ぎ目の断脈が少しずつ濃くなる。
「一つ目の印で止めて」
荷車が止まった。
橋の上へ、石袋の重さが残る。
南端の石が、かすかに鳴った。
ミナが測定縄へ目を寄せる。
「南端の墨印が、測定縄より少し下へずれました!」
「まだ動いていますか」
「いいえ! 今の位置で止まっています! 橋脚と街道の印は変わってません!」
橋の下から、バルドの槌の音が返った。
硬い音が二度。
少し間を置いて、もう一度。
「組み直した石が座っただけだ!」
バルドが下から叫ぶ。
「継ぎ目の音は揃ってる! だが、すぐ動かすな!」
レオンも同じ判断だった。
濃くなった断脈は、一箇所へ集まっていない。石同士の継ぎ目へ分かれたまま、脈動が少しずつ弱くなっている。
昨日までの橋なら、石が動けば白い術式に押し止められ、隣の継ぎ目へ黒い線が跳ねていた。
今は違う。
荷を受けた分だけ石がわずかに動き、互いへ重さを渡して止まっている。
壊れたのではない。
橋が、橋として重さを受け直していた。
「もう一度測ってください」
しばらく待ってから、ミナが答えた。
「変わってません。さっきの位置で止まってます」
「では、中央まで進めます」
縄が再び動く。
荷車は橋の中央で止まり、次に北端で止まった。
中央では、橋脚へ細い断脈が伸びかけた。だが、荷車を止めている間に色は薄まり、継ぎ目へ分かれていく。
北端では、新しい線は現れなかった。
そのたびにミナが印を測り、バルドが石と仮支えを叩く。
橋脚は動かない。
南端も、最初に沈んだ位置から変わらなかった。
やがて試験荷を積んだ荷車が、領都側の地面へ車輪を下ろした。
「渡ったぞ!」
兵士の声に、対岸から歓声が上がる。
だが、バルドは橋の下から戻るなり、首を横へ振った。
「まだ石袋だ。馬の動きも、荷の揺れもない」
「次は実際の荷車を通します」
レオンが言うと、御者たちの視線が一斉に先頭へ向いた。
最初に選ばれたのは、麦を積んだ荷車だった。
大袋はすでに半分ほど降ろされている。残った荷も左右へ分け、片側だけへ寄らないよう積み直した。
馬には御者が並び、手綱を短く持つ。
荷車の前後には、試験と同じ縄を残した。
「橋の上では乗らないでください。馬が止まっても、引かない。後ろの縄で荷車を止めます」
「分かった」
御者は荷台から降り、馬の首を撫でた。
橋の前へ立つと、馬は板の並ぶ道を見て鼻を鳴らした。
「ゆっくりでいい。普段どおり歩かせてください」
馬が一歩を出す。
蹄が橋面を叩き、荷車の車輪が南端へ近づいた。
昨日組み直した継ぎ目へ、前輪が乗る。
石が低く鳴った。
馬が耳を立て、足を止める。
「引くな!」
レオンの声と同時に、前の縄を持つ兵士が止まった。
後ろの縄だけが張り、荷車が坂を戻るのを防ぐ。
御者は馬の横へ立ったまま、首筋を叩いた。
「大丈夫だ。前へ行くぞ」
馬がもう一度、足を出した。
前輪が継ぎ目を越える。
後輪が乗った瞬間、橋面がわずかに沈んだ。
暗赤色の断脈が南端から中央へ走る。
だが、黒くならない。
橋脚へ届く前に枝分かれし、組み直した複数の石へ散っていく。
「そのまま。同じ速さで進めてください」
荷車が動く。
中央。
北端。
荷台の麦袋が揺れるたび、橋へ掛かる重さも変わる。
それでも、断脈は一箇所へ集まらなかった。
やがて馬の前脚が、領都側の土を踏んだ。
続いて後輪が橋を離れる。
麦を積んだ最初の荷車が、領都へ入った。
一瞬の静けさの後、谷の両側から大きな声が上がった。
御者が馬の首へ抱きつく。
製粉所の者たちが荷車へ駆け寄り、麦袋を確かめた。
昨日まで、麦は半分に分け、一袋ずつ縄で谷を越えていた。
今は、荷車一台分がまとめて街へ届いている。
荷台から降ろされた麦袋が、手押し車へ積み替えられる。
製粉所から来た男たちは、袋の口を確かめると、待ちきれないように坂道を押し上げていった。
橋を越えた麦が、水の戻った製粉所へ向かっていく。
リシアが、歓声の中で橋の南端を見つめていた。
強く握られていた手が、ゆっくりと開く。
「一台、通りましたね」
「まだ一台です。ですが、同じ条件なら続けられます」
「なら、今日だけの成功で終わらせません」
リシアは対岸に並ぶ荷車へ目を向けた。
麦の後ろには、木材と鉄材が待っている。
同じ荷車でも、重さも車輪の幅も、荷の揺れ方も違う。
一台を通す方法が、そのまま街道を開く方法になるとは限らない。
レオンは橋へ残る暗赤色の断脈を見た。
「次は、道を開きます」




