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15話 橋を壊せ

 外れた石を戻した瞬間、橋の反対側で砂が落ちた。


 谷側の足場に、細かな粒がぱらぱらと降りかかる。


 レオンの視界では、南側の石積みを走っていた暗赤色の断脈が、隣の継ぎ目へ跳ねていた。



「止めて!」



 石を押していた職人たちが手を離す。


 人の頭ほどある石は、半分だけ元の場所へ入ったまま動きを止めた。


 バルドが石の上へ工具の柄を当てる。


 鈍い音が返った。



「入れた石じゃねえ。その上が鳴ってる」

「はい。重さが隣へ移っています」

「街道はもう動いてねえぞ」

「だから、橋の中に残っている力です」



 昨日まで橋を横から押していた街道は、下から支え直した。


 基準の杭も、橋の南端も、夜明けから動いていない。


 それでも、押され続けた橋が元の形へ戻ったわけではなかった。


 外れた石だけを押し戻せば、その分だけ別の継ぎ目が狭くなる。


 行き場を失った力が、次の石を押し出そうとしていた。



「一度、抜きます」



 職人たちが石へ掛けた縄を引く。


 石が元の位置から離れると、隣へ移っていた断脈は暗赤色へ戻った。


 バルドは外した石の側面を撫でた。


 片側だけが滑らかに削れ、白い修復術式が薄く伸びている。



「やっぱり、横へ擦られてるな」

「上の石も確認してください」



 バルドは足場を移り、橋の南端を下から叩いていった。


 外れた石の周囲では、硬い音と鈍い音が交互に返る。


 石の継ぎ目には白い修復術式が入り込み、数個の石を一つに固めたようになっていた。



「昔の補修で、継ぎ目ごと固めてやがる」

「水が溜まった窪みを平らにしたときの術式でしょうか」

「橋まで掛けたんだろうな。表面を揃えるには早い。だが、石が少し動いて荷を逃がす場所まで塞いでる」



 橋が横から押されても、固められた石は一つの塊として動くしかない。


 端の石が耐えきれなくなり、継ぎ目から外へ押し出された。


 落ちた石は原因ではない。


 橋の中に残った無理が、最初に形になった場所だった。



「外れた石を戻すだけでは、また別の石が落ちます」



 街道の上から、リシアが谷側を見下ろしていた。



「では、何を直すのです」

「先に、固まった継ぎ目を開きます」

「術式を削るだけで足りますか」

「表面だけでは足りません。押し込まれた石を、一度外します」



 レオンは橋の南端を見上げた。


 大きな割れはない。


 白い術式に覆われ、上から見れば補修済みにしか見えない場所だった。



「橋を直す前に、橋を壊します」



 対岸の御者たちがざわめいた。


 バルドは橋を見上げたまま、低く言う。



「外すのは、落ちた石の上だ。今も橋の重さを受けてる」

「分かっています」

「順番を間違えれば、南端がまとめて落ちるぞ」

「だから、先に下を受けます」



 バルドがレオンへ向き直る。



「どこまで外す」

「最初は一個です。外した後の動きを見て、次を決めます」

「全部見えてるわけじゃねえんだな」

「見えているのは、壊れ方だけです。石の組み方はお願いします」



 バルドは鼻を鳴らした。



「なら、俺が外せる形を作る。お前は、外しちゃならんところを止めろ」



     ◇



 橋の下へ、太い木材が運び込まれた。


 昨日、街道を支えた材より長い。


 職人たちは橋脚と南側の石積みの間へ二本を渡し、その上へ短い材を組んだ。


 橋を持ち上げるのではない。


 石を外した瞬間に沈まない高さで、下から受けるための仮支えだった。



「右は橋脚へ掛けるな。古い石の台へ載せろ!」



 バルドの指示で、職人が木材の端をずらす。


 橋脚そのものへ新しい重さを集めれば、別の断脈を刺激する。


 レオンは仮支えへ荷が移るたび、橋の下を走る線を追った。



「左を、もう少し谷側へ」

「ここか」

「あと手の幅一つです。そこなら、線が橋脚へ寄りません」



 職人たちが木材を動かす。


 バルドはその位置で岩と材の当たり方を確かめ、薄石を噛ませた。



「これなら受けられる。ミナ、上の印は」



 街道の上から声が返る。



「橋の南端、変わってません! 橋脚も同じです!」

「外す石へ印を付けてください。動いた向きも記録します」

「分かりました!」



 ミナは橋面の継ぎ目へ墨を引き、南端からの距離を書き込んだ。


 リシアは兵士を下がらせ、橋の両端から人を遠ざけていた。



「柵をもう十歩下げてください。谷側の足場にも、作業員以外は入れないように」

「対岸の荷はどうしますか」

「動かしません。橋が落ちても巻き込まれない位置まで、荷車ごと下げてください」



 橋を通すための作業が、橋を失うかもしれない作業へ変わった。


 それでも、現場から離れる者はいなかった。


 仮支えが組み上がる。


 バルドは外す石の周囲から、白い修復術式を少しずつ削った。


 表面が剥がれると、その下から細い継ぎ目が現れる。


 継ぎ目はまっすぐではない。


 押された石同士が食い込み、片側だけが深く沈んでいた。



「上からじゃ分からんわけだ」

「外へ押された跡と合います」

「縄を掛ける。正面には立つなよ!」



 職人たちが石へ縄を回した。


 一人が薄い鉄材を継ぎ目へ差し込み、別の二人が縄を握る。


 レオンは橋全体の断脈を見渡した。


 外す石から上へ、黒に近い一本が伸びている。


 その先は二つに分かれ、一方は橋面へ、もう一方は南側の石積みへ走っていた。



「少しだけ動かしてください」



 鉄材が押し込まれる。


 石が低く鳴った。


 縄が張り、石の端が指一本分だけ外へ出る。


 橋の上から砂が落ちた。



「止めて!」



 全員が止まる。


 仮支えの一本が軋んでいた。


 バルドが根元へ手を当てる。



「右へ荷が来た。薄石を一枚入れろ。持ち上げるな、隙間を埋めるだけだ!」



 職人が木槌を振るう。


 薄石が入り、仮支えの軋みが止まった。


 だが、黒い断脈はまだ橋面へ伸びている。



「もう一度。今度は半分の幅です」

「そんな細けえ動かし方、縄だけじゃ無理だ」

「なら、どうします」

「石の下へ(くさび)を入れる。抜くんじゃねえ。少しずつ歩かせる」



 バルドは薄い木片を二枚、石の下へ差し込んだ。


 左右を交互に叩く。


 石は一度に動かず、わずかずつ外へ出てくる。


 そのたびにミナが上の印を読み、レオンが断脈の変化を追った。



「南端、指半分だけ戻りました!」

「橋脚は?」

「変わりません!」



 押し込まれていた橋の端が、街道から離れる方向へ戻っている。


 石を外すことで、橋の中に残っていた力が逃げ始めていた。



「続けます。次は同じ幅で」



 木槌が鳴る。


 石がまた少し動く。


 突然、継ぎ目の奥から白い欠片が噴き出した。


 砕けた修復術式と、細かな石片だった。


 その直後、橋全体が低く沈んだ。



「支えを押さえろ!」



 バルドが叫ぶ。


 職人たちが木組みへ飛びつく。


 仮支えが軋み、橋面から砂が雨のように落ちた。


 黒い断脈が一瞬、橋の中央へ走る。



「左の支えへ薄石を二枚! 右は触らないでください!」



 一枚。


 二枚。


 木槌が響くたび、左へ偏った荷が分かれていく。


 橋の中央へ伸びた線が止まり、暗赤色へ戻った。


 やがて、外していた石が縄に支えられたまま、完全に継ぎ目を離れた。


 その奥には、白い術式で固められた石の欠片が詰まっていた。


 押されても動けず、内部で砕けていたものだった。


 バルドが欠片を一つ拾い、指で潰す。



「見た目だけは残ってたが、中は粉だ」

「このまま石を戻せば、また押し固めます」

「ああ。先に全部掻き出す。動ける継ぎ目を作り直すぞ」



 反対する声はなかった。


 橋を壊すという判断が、ようやく現場の事実になった。



     ◇



 砕けた術式と石片を取り除くと、橋の南端はさらにわずかに戻った。


 ミナが引いた墨印が、元の石の継ぎ目へ近づいている。


 黒かった断脈も、一本ずつ暗赤色へ薄まっていた。


 だが、一個外しただけでは足りない。


 隣の石にも、同じ白い術式が深く入り込んでいる。



「もう一個だな」



 バルドが言った。



「はい。ただし、先ほどと同じ順番では外せません」

「上の石が先に落ちるか」

「今度は谷側へ広がっています。仮支えを一本増やしてからです」



 バルドはすぐに職人へ向き直った。



「聞いたな! 材をもう一本下ろせ! 日が落ちる前に、固まった場所を開けるぞ!」



 作業が再び動き出した。


 外した石は、捨てられない。


 砕けた部分を落とし、向きを確かめ、組み直す順番に並べられていく。


 壊すためではない。


 もう一度、橋として重さを受けられる形へ戻すためだった。



     ◇



 日が山へ沈む頃、南側の石積みには新しい継ぎ目ができていた。


 固められていた石を二個外し、内部の砕けた術式と石片を除いた。


 外した石は形を整え、今度は互いの継ぎ目をずらして組み直してある。


 表面を一枚に固めるのではなく、石同士が重さを分けて受ける形だった。


 バルドが最後の薄石を打ち込む。


 橋の下へ、澄んだ音が返った。



「仮支えを緩めるぞ」



 職人たちが縄を少しずつ戻す。


 木組みへ掛かっていた重さが、橋へ戻っていく。


 レオンは断脈を追った。


 南側の継ぎ目へ細い線が走る。


 だが、黒くならない。


 一本へ集中せず、複数の石へ分かれている。



「そこで止めてください」



 橋は、自分の重さを受けたまま残った。


 石も落ちない。


 南端の墨印も動かなかった。


 対岸から、押し殺していた息が漏れる。


 歓声が上がりかけたが、バルドが橋を見上げたまま言った。



「自分の重さに持っただけだ。荷を載せれば話は別だぞ」

「はい。今日は誰も渡しません」



 リシアが領都側へ戻ってくる。



「明日は、何から試しますか」

「人ではなく、重さからです。橋へ載せる位置と量を増やしながら確認します」

「荷車まで進めますか」



 レオンは、対岸に並ぶ荷車を見た。


 麦を渡した縄は、まだ谷の上に張られている。


 今日、橋は一度壊された。


 そして、壊れる前よりも、重さを受けられる形へ組み直された。



「進めます」



 レオンは答えた。



「明日、最初の一台を通します」


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