表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/35

13話 荷を渡せ

 翌朝、最初に谷を越えたのは、荷ではなく一本の細縄だった。


 重りを結んだ縄が弧を描き、対岸の土へ落ちる。


 一度目は届かなかった。


 二度目で、橋番の兵士が縄の端を拾い上げた。



「取ったぞ!」



 谷の両側から声が返る。


 領都側では、職人が太い運搬縄を細縄へ結び始めていた。


 街道の下には、すでにバルドたちが入っている。水と一緒に土が抜けた場所へ仮の支えを入れ、残った石畳が落ちないよう下から受ける作業だ。


 道の補強と、荷の受け渡し。


 二つの作業が、同時に始まっていた。


 対岸では、リシアが昨夜決めた順番に荷車を並べ替えさせている。


 先頭は麦。


 その後ろに、街道の補強へ使う木材と鉄材。


 急がない荷は橋から離し、作業の妨げにならない場所へ戻されていた。



「最初は穀物です。製粉所へ必要な量が届いたら、復旧資材へ切り替えます」



 リシアの声が谷を越える。



「荷主と袋の数は、こちらとそちらで同時に記録してください。順番は変えません」



 不満そうな御者もいたが、誰も荷車を前へ出そうとはしなかった。


 何を先に通すかは、街全体の事情を知るリシアが決める。


 どうすれば人を危険へ出さずに通せるかは、レオンたちが決める。


 昨夜ぶつかった二つの判断が、朝には一つの作業へ変わっていた。


 レオンは橋の南側にある大きな岩へ手を当てた。


 表面は丸みを帯びているが、地面の奥まで一体になっている。


 対岸には、古い橋番小屋の基礎石が残っていた。


 どちらも橋を受ける石積みから離れている。


 街道や橋へ荷を掛けず、谷を挟んで向かい合う位置だった。


 レオンの視界では、岩の表面へ細い断脈が走っている。


 だが、縄を引く方向へ伸びる黒い線はなかった。



「領都側は、ここを使います」



 縄を担当する職人が、岩の周囲を歩いた。



「向こうの基礎石は、こっちからじゃ見えんぞ」

「橋番に叩かせてください。音と揺れを確認します」



 対岸で橋番が工具を振る。


 基礎石から、澄んだ音が谷へ返った。


 さらに周囲へ杭を打ち、石そのものが動かないことを確かめる。


 レオンに見える断脈だけで、支える場所を決めることはできない。


 岩の状態を職人が見て、石の固定を兵士が確かめ、初めて荷を掛けられる。



「太縄を引くぞ!」



 細縄を手繰ると、谷の上へ太い運搬縄が渡った。


 二本を平行に張り、その間へ荷を吊るす輪を組む。


 職人は縄を岩へ回し、後方へ打った杭にも分けて結んだ。


 対岸でも同じ作業が進む。


 荷を動かすための細縄を往復させれば、人が橋へ出なくても袋を引ける。


 ミナは基準の位置へ立ち、記録板を開いた。



「袋の重さと、縄の下がり方を測ればいいんですよね」

「はい。一つ渡すたびに記録してください。最初は麦袋の半分以下です」

「下がりすぎたら?」

「谷の岩へ当たる前に止めます」



 最初に吊るしたのは麦ではなかった。


 穀物袋と同じ大きさの布袋へ、石を詰めた試験荷だ。


 重さは麦袋の半分ほど。


 吊り輪へ掛け、両岸の兵士が細縄を握る。



「引け!」



 袋が地面を離れた。


 運搬縄が低く鳴り、谷の中央へ向かって沈んでいく。



「下がり、腕一本分!」



 ミナが叫ぶ。



「下の岩までは、まだ余裕があります!」



 石袋が谷の中央を越えた。


 その瞬間、領都側の岩へ回した縄がわずかに滑った。


 レオンの視界で、岩の表面を走る断脈が濃くなる。



「止めて!」



 両側の兵士が細縄を固定した。


 石袋が谷の上で揺れる。



「何が動いた!」



 街道下の作業場から、バルドが上がってきた。


 泥の付いた手には、短い木槌を持っている。



「岩ではありません。縄が上へ逃げています」

「角へ食い込んだか」



 職人が縄の位置を確かめる。


 岩の上側は丸い。


 荷を引くたび、縄が少しずつ高い場所へ滑っていた。


 このまま続ければ、最後には岩の縁を越えて外れる。



「下へ溝を切るか?」

「岩を削る時間はありません」



 レオンは後方の杭と、縄の角度を見比べた。



「引く方向を下げます。地面近くへ、縄をもう一本回してください」

「そいつだけじゃ、荷を掛けたときに杭が抜けるぞ」

「岩で重さを受けます。杭は、縄が上へ逃げるのを止めるだけです」



 バルドが岩の周囲を一度見た。



「杭一本じゃ足りん。三本を互いに結べ。一本が緩んでも、残りで止める」

「お願いします」



 レオンの案を、バルドが実際に持つ形へ変える。


 職人たちは縄を組み直した。


 再び石袋を引く。


 今度は岩へ回した縄が同じ位置を保った。


 断脈の色も変わらない。


 袋は谷の中央を越え、領都側へ届いた。


 兵士が受け止めた瞬間、対岸から声が上がる。



「渡ったぞ!」



 まだ試験にすぎない。


 それでも、橋を使わずに荷を渡せることは証明できた。


 リシアが対岸の御者たちへ振り返った。



「麦袋を半分に分けてください。口は二重に縛る。最初は一袋だけです」

「うちの鉄材はいつになる!」



 荷車の脇から男が声を上げた。



「麦が製粉所へ届いた後です」



 リシアは即座に返した。



「今日、粉が尽きれば街全体が困ります。鉄材は、その次に必ず渡します。順番は変えません」



 男は何か言いかけたが、周囲の御者を見て口を閉じた。



     ◇



 最初の麦袋が谷の上へ出た。


 対岸の御者たちは声を潜め、その動きを見守っている。


 石より軽い。


 だが、中身が動くため、風を受けるたびに袋が揺れた。



「急に引かないでください! 同じ速さで!」



 レオンの指示に合わせ、両側の兵士が縄を送る。


 袋が中央へ達する。


 運搬縄は下がったが、試験で記録した範囲を越えていない。


 岩の断脈にも変化はなかった。


 やがて袋が領都側へ届き、待っていた職人の腕へ収まる。


 布の口を開く。


 中には、乾いた麦が残っていた。


 泥も水も入っていない。


 リシアが短く息を吐いた。



「製粉所へ運んでください」

「次も同じ重さで続けます」



 レオンは対岸へ向けて腕を上げた。



「次の袋を!」



 運搬が始まった。


 一袋。


 また一袋。


 ミナが重さと時間を記録し、職人が縄の擦れを確かめる。


 兵士たちは交代しながら細縄を引いた。


 対岸では御者たちが大袋を小分けにし、こちらでは届いた麦を荷車へ積み直していく。


 橋は止まっている。


 街道も直っていない。


 それでも、物は動き始めた。



     ◇



 日が傾く頃、最初に届いた麦が製粉所へ運び込まれた。


 水車は回っていた。


 だが、挽く麦がなく、石臼は止まっていた。


 受け取った麦が入れられると、石臼が低い音を立てて動き始めた。


 粉受けへ、白い粉が少しずつ落ちていく。


 製粉所の前には、パン屋と食堂の者が袋を持って待っていた。


 大歓声は上がらなかった。


 誰もが、落ちてくる粉を確かめるように見ている。


 やがてパン屋の女が、粉を一握り取った。



「これなら、明日の分を焼ける」



 その声を聞いて、張り詰めていた空気がようやく緩んだ。


 水が戻り、今度は麦が届いた。


 街の仕事が、もう一度つながったのだ。


 レオンは製粉所の外から、回る水車と石臼を見た。


 橋を直したわけではない。


 物流を完全に戻したわけでもない。


 だが、復旧を待つ間にも、人の暮らしを止めない方法はある。



「必要な麦は届きました」



 リシアが記録板を閉じた。



「次は木材と鉄材です。街道下の補強に使う分から渡します」

「はい。届いた資材から、道を支えます」



 遠くの谷では、麦袋に代わって短い木材が縄へ吊られていた。


 次に谷を越えるのは、壊れた道を直すための荷だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ