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11話 道の下の水

 南側の街道で、石畳の継ぎ目が朝より広がっていた。


 白い修復術式の帯をまたぐように引いた墨印が、途中でずれている。


 橋側の石だけが谷へ向かって指一本ほどせり出し、開いた隙間から黒い泥がにじんでいた。


 荷車を止めたあとも、路面のずれは広がっている。


 レオンの視界では、その下を黒い断脈が横切っていた。



「この区画の石畳が、橋の方へ押し出されています」



 バルドは街道へ膝をつき、工具の柄で石を叩いた。


 橋から離れた場所では、硬く澄んだ音が返る。


 白い修復術式の帯へ近づくにつれ、音は低く濁った。



「石の下が詰まってねえ。空いてるか、泥になってるな」



 街道の端を少し掻くと、石の下から水を含んだ黒い泥が現れた。


 雨は朝に上がっている。


 それでも、橋を受ける南側の石積みからは濁った水が流れ続けていた。



「ここを開けるか?」

「まだです。上から掘れば、水を含んだ土が崩れ、橋をさらに押すかもしれません」

「なら、先に水の出口を探す」

「お願いします」



 傷んでいるのは、街道全体ではなかった。


 橋の手前。去年、窪みを修復術式で平らにした区画だけで、石畳の継ぎ目が開き、橋側へせり出している。


 レオンは職人たちに、動いていない地面へ基準の杭を打たせた。


 そこから橋脚、橋の南端、街道の墨印へ縄を張り、それぞれの距離を記録する。


 しばらく待って測り直すと、橋脚までの長さは変わらない。


 橋の南端は、わずかに基準へ近づいていた。


 街道の墨印は、それより大きく橋側へずれている。


 壊れ始めた場所と、押している場所は違う。


 橋そのものが沈んでいるのではない。


 南側の街道が橋へせり出し、橋を受ける石積みを横から押している可能性が高かった。


 元の地形で、水がどこへ流れていたかを確かめる必要がある。


 対岸では、御者たちが荷車を道の奥へ移していた。


 穀物の袋へ布を掛け直す者。鉄材の本数を兵士と数える者。誰も橋へ近づこうとはしないが、領都へ向ける視線には焦りが残っている。


 橋を止めた判断が正しくても、荷が届かなければ街の仕事はまた止まる。


 調査だけに時間を使う余裕はなかった。



     ◇


 昼を過ぎる頃、南側の村へ向かっていたミナが戻ってきた。


 橋番の兵士と、杖をついた老人を連れている。



「昔は、ここへ水なんぞ溜まらなかった」



 老人は街道の山側を杖で示した。


 草に埋もれた浅い溝が、斜面から橋の手前まで続いている。



「雨の水は、この溝から道の下をくぐって谷へ落ちていた。石で組んだ口があったはずだ」

「今は見当たりません」

「去年、道を平らにしてから消えた」



 ミナが記録板を開いた。



「橋番も、前は雨のあとに谷側から水が流れていたと言っています。修繕記録には、窪みを埋めて術式で固めたとしかありません」



 浅い溝は、白い修復術式の手前で途切れていた。


 その延長は、石畳の継ぎ目が開いた区画の下を通り、南側の石積みへ向かっている。


 記録、地形、水の跡、断脈の向き。


 四つが同じ場所を指した。



「谷側から探します。街道の上には、まだ触れないでください」



 バルドが職人たちへ声を飛ばした。



「草だけ払え! 古い石の並びを崩すなよ!」



 土と草を除くと、新しい石の下から古い石組みが現れた。


 中央には、人の腕ほどの幅で石が弧を描いている。



「水抜きの口だ」



 バルドが泥を拭った。



「外から石を足して、塞いじまってる」



 弧の中央には小さな隙間があり、濁った水が糸のように流れ出していた。


 レオンが石へ触れる。


 奥では細かな振動が続いている。


 断脈は水抜きの口から街道の下へ伸び、黒い線となって橋を受ける石積みへ食い込んでいた。



「一番下の石だけ、外せますか」

「抜ける。だが、水が溜まってりゃ噴くぞ」

「縄を掛けます。正面には立たせないでください」



 職人たちが小石へ縄を回し、兵士が周囲を下がらせた。



「ゆっくり引いてください。止めてと言ったら、その場で固定を」



 縄が張った。


 石がわずかに動き、隙間から出る水が太くなる。



「もう少し」



 石が半分まで抜けた瞬間、奥で低い音がした。


 濁った水が噴き出し、泥と小石を谷側へ吐き出す。


 同時に、街道の下の断脈が橋へ向かって太くなった。



「止めて!」



 職人たちが縄を固定する。


 バルドは用意していた板を隙間へ差し込み、水の勢いを絞った。


 橋を受ける石積みが、かすかに軋む。



「中に、かなり溜まってるな」

「はい。出口を開けば水は抜けます。ですが、一気に抜けば、水と一緒に道の土が橋へ崩れ込むかもしれません」

「橋を押す力が、かえって強くなるか」

「その可能性があります」



 原因の形が見えた。


 街道の下へ溜まった水が土を橋側へ押し出し、その動きが橋の石を継ぎ目から外している。


 橋だけを積み直しても、また押される。


 先に、水を安全に逃がさなければならない。


 だが、出口を大きく開けば、支えを失った土が水と一緒に崩れる。


 逆に閉じたままなら、石畳の継ぎ目はさらに開き、橋を押し続ける。


 必要なのは、石組みを支えながら出口を少しずつ広げ、水量と路面のずれを交互に確かめることだった。



「バルドさん。口の両側を支えられますか」

「長い材はいらん。短い木を組んで、上の石を受ける。ただし、泥を受ける場所も作れ。下へ流せば、作業足場が埋まる」

「水を抜くたび、石畳の隙間と橋の印を測り直します」

「隙間が広がったら止めるんだな」

「はい。その時点で別の出口を考えます」



 レオンが手順を決め、バルドが実際に支えられる形へ直す。


 職人たちは必要な木材の長さを測り、兵士は谷側へ降りる道を空け始めた。


 原因が分かっただけでは、水も道も戻らない。


 それでも、次に何をすべきかは決まった。



     ◇


 日が傾く頃、リシアが領主館から戻ってきた。


 手には、領都の在庫と止まっている荷をまとめた記録板がある。



「製粉所へ回せる穀物は、あと三日分です。工房も、木材と鉄が届かなければ順に止まります」

「橋を三日で直す約束はできません」

「分かっています。ですが、三日以内に何も通せなければ、水車が動いていても、また店と工房が止まります」



 リシアは記録板を開いた。


 最初に通すべき荷は穀物。その次が、主水路と街道の復旧に使う木材と鉄材。急がない品は、対岸の村と商人の倉へ戻す。


 橋を直す者と、街を動かす順番を決める者。


 役割は違うが、どちらが欠けても物流は戻らない。


 リシアは対岸に並ぶ荷車を見た。



「荷車が無理でも、荷だけを渡す方法を考えます。そのためにも、橋がこれ以上押されない状態を作ります」

「必要なものは」

「水抜きの口を支える木材と、泥を受ける板。谷側で作業する職人。街道の上を封鎖する兵士です」

「手配します」



 リシアは即答した。


 バルドが、半分だけ抜いた石の奥から流れ続ける水を見た。



「明日の朝まで待つか?」

「待てません」



 石畳の継ぎ目は、朝よりさらに開いていた。


 基準の縄から墨印までの距離も、先ほど測ったときより広がっている。


 雨が止んでも、街道の下に溜まった水は、土を橋側へ押し続けていた。



「今日のうちに、谷側の水抜き口から少しずつ水を抜きます」

「街道の上はどうする?」

「水量と石畳のずれが落ち着くまでは、触りません」



 レオンは白い修復術式に覆われた街道を見上げた。


 水の出口を塞ぎ、表面だけを平らにした道。


 その下には、まだ大量の水が残っている。



「橋を直す前に、塞がれた水抜きを開きます」

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