3. 約束
「ニア、さん。不躾なことをお聞きしますが、貴方はその、もしかして……」
展開が急すぎたため、流石に勘の良い者は気付いたらしい。
横暴な兵士たち──ゴードンらが立ち去って、とりあえずはお開きということになった後。纏め役のシィラは、ぼぅっと立ち尽くしているニアに尋ねていた。
明らかに、あの官吏の様子はおかしかったと。
友人だったとして、あの初対面は奇妙に過ぎたのだから。
「そう、だね。アナタには話しておこうか、実はボクは──」
アゴーニアの使う言い訳は、どうやら僕と居た時代から変わっていないらしかった。
魅了の魔眼。本来ならもう三つほど位階は高いものの、彼女は自分の能力をそう偽る。相手を軽い催眠状態に置き、ちょっとだけ口裏を合わせられる……その程度のものだと。
そう言い訳をしてみたのなら、森人の青年は深く頷いて……。
「なるほど。それなら、ニアさん──いえ、ニア殿。ひとつだけ、我々からお願いがあるのです」
「……うん。聞こうか」
ある意味では、それもまた予想通りだった。
昔からそうだ。どう偽ろうが、アゴーニアの能力は限りなく万能に近い。唯一の欠点を除いては、人間社会ではこれほどに役立つ魔術も無いだろう。先ほど見せた通り、そんな親切な普人が現れてくれた。そうなれば──森人たちの抱く願いなど、ひとつだけ。
「どうか、どうか。貴方の持つその御力で──」
──森人たちを、この苦境から救い出してはいただけませんか。
それはやっぱり、きっと何よりの皮肉だった。森人が頭を下げている……森人たちが、揃って懇願をしている。彼ら彼女らも分かっていた。真っ当な手段に頼っていては、今後数十年何も変わらないと。
森人に伝わる魔術を使うには、この都市はあまりにも自然に欠けている。救世主の存在こそを、彼らはどこかで待ちわびていて。
「あ、あぁ。もち、ろん──」
請われた。祈られた。願われた。
彼女のことだ。政治家アゴーニアを貫き通せば、二つ返事で応えられただろう。それこそ──得られた信用と恩をどう使うか、それすら考えられたに違いない。ただ、そうしてみるには……終わってしまった物語は、彼女の心に深い楔を打っているようで。
焦げ茶のスカートをひらめかせて、アゴーニアは倒れていた。
ぷつりと──糸が切れたように。寸でのところで間に合った僕の腕の中で、吸い込まれるように沈んでいった。
◇
──やはり魔眼の反動が大きく、どうにも体調が優れないらしい。
森人たちにはそう話して、僕たちは家路を辿っていた。
僕の家は離れの丘、街を出て少し歩く必要がある。馴染みの衛兵に見送られて──より正確に言うのなら、貴方が女なんて珍しいですねと驚かれつつ通されて。冬先の道をしばらく歩けば、霜柱の音がよく響いた。
山々など見えないのどかな平原。ザクッ、ザクッと、小気味の良い音に包まれたのなら。
「……重かったらごめんね、エイプリル。ずいぶんと痩せたつもりなんだけどさ」
背中から聞こえてくるのは、冗談か本気か分からない呟き。
返す言葉も適当だった。そういえば──彼女が総帥だった時代。ご招待にあやかったときは敬語が出ていたが、自然と昔に戻っていたのは……あの嵐の夜が、僕にとってもだいぶ決定的だったらしい。
良い意味か悪い意味かは分からない。だけれども、今の彼女は遠い存在ではないようで。
「ねぇ、エイプリル。どうすればいいと思う?」
ぼぅっと。遠い海の方を指さして、アゴーニアはぽつりと呟く。
最初は、何もしないつもりだった。まだ政権の転覆から一年余り、罪人に対する監視も強い。そういった目が緩んでから、少なくとも国外へ逃れようと──あの海を越えて、世界の反対側へ行くのだと。一週間前に、彼女は俯きつつ話していた……けれど。
「……何が、正解なんだろう」
切っ掛けが出来てしまった。
請われてしまった。自分たちを助けてくれと──他ならぬ森人たちに請われてしまった。
アゴーニアはぽつぽつ語る。
応えるのが正解なのだろうか。
自分の撒いた種なのだ、せめて罪を晴らそうと──十万人を殺した身なれども、数百人を救おうと胸を張るべきなのか。何もかもを隠したまま、親切なニア殿で居るべきなのか。いつか救った暁には、親友と同じく称えられるべきなのか?
「……馬鹿みたい、だよね。さしものボクだって、それぐらいは分かるさ」
それとも……ならいっそ、すべてを打ち明けるべきなのか。
自分はあの虐殺者アゴーニアだと、キミたちの怨んだ大元凶なのだと。あの怒り狂った森人の前、殺されてやるのが筋なのだろうか。あの友人は、自分を救うために身代わりになってくれたというのに……そうしたところで、何も戻らないのに。それでも殺されてやるべきだと、そんな論理だって分かってしまう。
「分かってる。そもそもとして……ボクは、にっ、逃げ……にげてる、だけだ」
最も明瞭な正解としては、改めて絞首台に立つことだろう。
それが法の正解だ。仮に正義を語れるとしたら、最もソレに近いだろう。実際問題、何度だって考えたらしい。どうにか逃されて、頼るべきものもなくて……魔眼を使っても良かったが、それすらどこか恐ろしくて。僕の家にたどり着くまでの間、出頭も自害も考えたらしい。
そうできなかったのは、原始より続く明快な理由。
「……ごめんね。あ、あのね、ボク……しっ、死にたく、ないんだよ。死にたく、ない。ごめんね、おかしい、よね、」
トンッと僕の背から降り、夕日を背に微かに震えて。
壊れたように笑いつつ、少女と見紛う彼女は零した。
「ごめん、ごめんね。分かってる、わかってるんだ。だって、ボクは、ぼくは、」
死にたくない。何人の森人たちが、そう叫びつつ畑の肥やしにされたのだろう。
殺さないで。何人もの森人たちが、冷徹な普人に向かってそう願ったのだろう。
大抵の祈りは踏み躙られて、人口帳簿は綺麗さっぱり静かになって。
そうして迎えたこんな夕方、アゴーニアはここにいる。どこまでも続く空の下。何もかもの張本人だけが、どうすべきかを悩めている。
中途半端に賢くて、中途半端に愚かだった。
生き延びたのは当然だと、幸運だったとは嗤えなかった。
こんな道は間違っていると、首に縄を括れもしなかった。
中途半端な道の末、残されたものはひとつだけ。
「あ、あのさ。だからさ、エイプリル。どうかボクに──教えてほしいんだ」
……キミは、なにがしたい?
簡素な服を夜風にひらめかせて、ダンスでもするみたいにステップを踏んで。
アゴーニアは僕を見つめる。端的な感想をひとつ言ってみるのなら、彼女はあんまり変わっていなかった。別れたのは十七だった。あれから十年が経てども──二十七になっても、アゴーニアは可愛かった。昔からずっとそうで、綺麗とも美人とも評せる顔つきだ。だけれども、時が止まったようだった。
魔道具を透かして見えるのは、金色の髪と紅色の瞳。
僕たちが別れた夕立ちの日。あの日に付けた日記から出てきたみたいに、彼女はどこか彼女のままで。
「本当にそう思うのなら、死ぬべきだって言ってほしい。そしたら、ボクも……キミに言ってもらえれば、勇気が出る気がするから」
紅玉のような瞳に射されて、僕もまたふと考える。
どう言えばいいのだろうか。正直なところ、思うものは特になかった。アゴーニアは大切な友人だ。法に生きる人間とはいえ、それを欺くことに抵抗感は少ない。それに何より──死んだものは戻らない。それなら、出た結論なんてひとつだけ。小さく息を吸い込んで、眼下の美しい少女をフッと見遣って──それから。
「アゴーニア。君は、何がしたい?」
ぽかんと。口を開けて、宵の風に吹かれたまま。
質問をそのまま返されて、アゴーニアは悩んでいた。時折誰かの視線に怯えて、僕が求めている正解を探ろうとして。けれども、そんなものは無いと気付いたのだろう。不器用な深呼吸をひとつして、ぎゅっと両手を握り締めて……それから、
「……海をみてほしかった」
◆
「あの子。ボクのせいで……死んでしまった、森人の子。彼女は、海を見たことがなかったんだ。自分たちは、街の外に出ちゃいけないからって」
あぁ、そうだった。
あの子と出逢ったとき、ボクは勿体ないって思ったんだ。上手く目を合わせられなくて、まさか森人だとは思わなかったけれど。勿体ないと思ったんだ。綺麗な景色があるのに、見たことのない世界があるのに。それを知らないでいるのは、不幸だって思ったんだ。
「だから、言ってあげたんだ。ボクは、ボクは──」
『──それじゃあ、お姉さんが連れて行ってあげようか。大丈夫、ちょっとの間なら……上手くやるからさ』
逃げ回っている身で、なんて傲慢だろうかと思ったよ。
でも、綺麗だった。知らないものを知ったとき、見たことのないことを見たとき。ヒトの瞳は輝くから。そういうことの連続こそ、生きるってことだと思うから。指切りをしたあの瞬間、彼女の瞳は真ん丸になって──。
『──約束だよ、お姉ちゃん!』
約束をした。
それだけが真実だった。
だから、その約束を果たしたかった。
ただそれだけが、ボクのやりたいことだった。




