2. 親友
「申し訳ありません、グローハウンドさん。碌な茶も用意できず……」
罅割れたカップを傾けて、纏め役の彼は俯いている。
だけれども、何を恥じることがあるのだろう。森人狩り──森林平定からまだ一年と少し。都市部における彼らの立場が厳しいことなど、僕が最もよく知っている。十分によいお茶だと、彼へ微笑みかけてみたのなら。
「あぁ、ならよかった。ニアさんも──お口に合えば良いのですが」
「……う、うん、ありがとう」
隣に座ったアゴーニアは、その一声でカップを取り落としそうになったけれど。
ほんの一瞬で留めておくびにも出さないのは、やはり彼女の才能だろう。
フィオナ。あの子の仇を討ったということで、僕たちは森人の家へと招かれていた。
だれども、家と言えども……静謐なる森の奥に立つような、壮大な隠れ里などではない。薄暗いスラム街の最奥部、塵の漂うトタン屋根の一室。それこそが、大粛清後の彼らにとっての普通だった。
「よくご存知でしょう、グローハウンドさん。新政府の普人共は、森人から接収した資産を返還すると言っていますが……あくまでも表向きだ。奪われたものも、売られた土地も戻らない。それに──」
──喪われた、命も。
ちっぽけなその一声が、襤褸い机を芯まで揺らした。政権末期。虐殺者アゴーニアに反旗を翻した正義の勢力によって、一応は元の状態へ戻すと約束されている。しかしながら……誰だってそうだ、一度手に入ったモノを手放すだろうか。
森人に対する差別意識は、大粛清以前から始まっていたのだし──たかだか一年、意識が変わるわけがない。魔術によって焼かれた死体。あの男を脳裏に浮かべて、纏め役の彼は息を吐いた。
「あぁ、フィオナも、あの子も……久しぶりに、元気な姿で育ってくれたというのに」
歩いている途中、アゴーニアから聞いた話だ。
あまりにも呆気なく……あの子は殺されてしまったらしい。
それこそが問題だった。法はある、物は返せる。だけれども──人々の意識はどうなるのだろう?
だんだんと広まっていった差別は、政権後期には停止されていた人権は──ゴミとして扱っていいと、それに慣れかけてしまった人間は。そう簡単に変えようがないと、他ならぬ僕がよく知っている。
「……少しずつ、でしょう。国外に逃れていた仲間たちも、ゆっくりと戻ってきている。隣国の目もある、まさか同じようなことになるとは……思いにくい。そう、思いたい」
押し殺すような声だった。しかし、こう言える森人すら──この国内では極めて少数だ。
シィラ、この街で生き残った森人の纏め役。あれは確か、第一次粛清が始まる直前だったか。僕を始めとした支援者たちの手によって、彼ら一家は地下へ逃れられている。そのため──見ているわけではない。
『あれ? さむい、よ? とうさま、かあさま、どこに……』
まだ生きている者も含め、屍肉と一緒に濾し器に放り込まれ……。
霊薬になるからと、鮮血を採られた同族たちも。
『──オイオイ、パッサパサじゃねェか!? ほんとに魔術の神秘だの詰まってんのかァ?』
不老長寿が得られるのだから美味しいだろう。冗談交じりにそう呟いて、生きたままの生娘の腕を齧り──。
やっぱマズいと吐き出した、あの兵士たちの姿も。
『あぁ、ここは終わりましたよ? 焦らずとも、どうかご安心を。ちゃんと、殺されたのは森人だけですから』
拷問の終わったあの広場。爛れた肉塊の中に、よく見知った瞳を見つけた気分も。
見ていないからこそ、こうして僕と話ができている。そうして、実際に見ていたのなら──。
「──シィラッ!!」
僕の思考を遮ったのは、扉の開かれる音だった。
より正確に言うのなら、半ば蹴破られる音だった。
振り返れば分かること、短剣を手にした森人がいた。
顔の半分が焼けただれ、右腕の肘から下は既に無く──残った右目でこちらを刺す、痩せた森人の男がいた。税や戸籍を管理する身だ、名前はきちんと覚えている。確か彼は……。
「レノフィロ! 分かるだろう、グローハウンドさんだ。他の普人共はとにかく、彼だけは──」
「──分かっている! ヤツは……彼は、いい。身内でないとは、言えない……だが!!」
唇をギシリと噛んで、痩せた男は短剣を構え直す。
森人らしい薄緑の髪に、透き通るような白い肌。ただし──髪は白髪が混じり、肌は赤く爛れている。そんな大粛清の生き残りは、もう一人に刃を向けた。一瞬で立ち上がり、僕を庇うように片手を広げている……黒髪の女を射殺さんとしていた。
「どうしてここに、他の普人が居る?!」
死ね。
伝わってきたのは二文字だった。実際に魔術を使ってはいないのは、傍らに僕や仲間が居るからか……それかあるいは、必死に後ろから羽交い絞めにされているからか。
それが無ければ、まず確実に絞め殺していた。憎むべき普人など、片っ端から殺していた。
「父も、母も──弟も、姪も! 皆がヤツらに殺された!! それがどうして──権利を認めるだの、土地を返還するだの!? おかしいだろう、すべてが狂っているだろう?! 俺たちには、俺たちには──」
──殺す権利がある。
レノフィロの怒りは尤もだった。普人と森人の立場が逆だったとしたら、まず間違いなくそうなっていた。大前提として、僕は正義を語れる身ではない。世界を変えようとはしなかったし、こうして今も張本人を匿っている……彼らを、騙している。
けれども、ほんの一瞬だけ。ありもしない正義を、大っぴらに語れるとしたら。
「おッ、おかしいだろう?! なんで──なんで!! 全員を殺してッ、みんな殺されて──コイツらが、こいつらの方が!! 堂々と──歩いてるんだ?!」
誰も正義は為さなかった。
腐ってもこの国は大国だ、教会の力だって強くはない。
誰も正義を知らなかった。
間違っていたから、やめた。たかだかそれぐらいの一行で、全部は元に戻ろうとしている。もはや抵抗する力など残されていないから、それでいいいやと……いつも通りの朝が来ている。ゆっくりと、ありきたりな歴史になろうとしている。
「グローハウンド……さん。貴方だって、どうして普通の普人とつるめるんだ?! 俺の姪は、貴方の妻は──」
その先を聞くことなく、ニアは姿を消していた。
僕の方を心配そうに振り返って……それから、何かを押し殺したように唇を噛んで。ごめんなさい。ただそれだけをぽつりと零して、開け放たれた窓から外へ出た。泣き崩れた男が居るだけだった。
廃墟のような家と、淀んだ空気と。普通の昼が来るだけだった。
■
罪悪感を感じている。
そんな一文すら独り善がりな自慰未満にしかならないと、ボクはとうに知っている。間違っていた。殺されているだなんて知らなかった。知ったときには手遅れだった。そんな言葉をいくつ重ねても、何にもならないと知っている。何もかもは手遅れだと、とっくのとうに知っている。
『なかなか儲かるんだぜ? まさかお前──お貴族サンたちだって、せしめた奴隷を手放したくはあるめェ』
『全員を殺してッ、みんな殺されて──コイツらが、こいつらの方が!! 堂々と──歩いてるんだ?!』
ひとつだけ。罪悪感を感じること──それを許されるとしたら、すべての命を戻せた場合だけだ。
みんな蘇らせて、粛清も没収も無かったことにして。そうして初めて、謝る資格が手に入る。そうならないのだから、罪悪感なんて薄っぺらい言葉すらつかえない……なんて思ってしまうのも、ボクが逃げたいだけなのだろうか。
『クッソ! 森人の家に手ェ出したヤツが捕まったらしいぜ? あぁもう──もうちょい早くやっときゃなぁ』
こうして逃亡生活を脱して、どうにか普通に生活できるようになって。
街へ出てみて初めて、普通のヒトがよく分かった。
変わっていた。こと一般市民にとっては──虐殺が禁止されただけだ。
殆ど何の痛手もなく、誰に罪だと言われることもなく。森人が有していた土地の接収と、彼らを保護区に移すこと……それに伴って発生した武力衝突。その辺りは合法だったことになり、行き過ぎた行為は罰されるようになった。
けれど、誰が裁くというのだろうか。
普人の行いを、普人が裁けるというのだろうか。
『あーあ、オレも徴兵に応じてりゃあなあ。鍛冶屋のアイツとか、戦利品で家建てたようなモンだろ』
『しかもアイツ、ちゃ~んと奴隷も持ち帰ったらしいぜ? 森人奴隷! 夢があるよな~』
聞こえてくる。あの部屋を逃げるように去って、宛ても無く歩くスラム街。
固まってしまった常識が聞こえる。
元よりそうされている通り、犯罪奴隷以外は解放されることになった。だけれども──保護は別だ。土地の接収に当たり、私的に持ち帰った物品や金銭は提出する必要がある。
しかしながら──誰がそうだと証明する? 売られた戦利品を買ったのだとしたら、どこまで遡って罪に問える?
『ったく、総帥サマサマだぜ。あっ、もう首括られて死んだんだったか』
何も出来なかった。
毒虫のように這いずり廻って、居もしない追手の影に怯えて。優しい旧友に寄生して、今も無用の罪を重ね続ける。それ以外に、出来ることなど、もう……。
◇
……宛ても無く歩いていた。
そうしているうちに、どうやら丸々一周してしまったらしい。辿り着いていたのは、逃げるように後にしたあの家で。早く後にしなければ、そう踵を返しかけた瞬間のこと。
「だから──フン、言っているだろう。貴様らには殺人の容疑が掛けられている。特に──その森人! 逃亡奴隷として届けが出ているぞ?」
家の中から音がした。ついでに言うのなら、どこか嗅ぎなれた匂いがした。
別段、近寄ったのは単純な理由だ。森人に合わせる顔はないとして、エイプリルには恩がある。自分のせいで何かに巻き込まれているのなら、せめて身代わりにならなくてはいけない。
そうしてギィと扉を開けて、飛び込んで来たのは見慣れた景色。兵士たちに拘束されている、友人も含めた幾人かの市民。
「だ、だから、どこに証拠が……」
「──証拠だと? あぁ、あるとも。目撃証言か、教会からの断言か──血の付いたナイフか、魔術鑑定の結果か。なぁキミ、どれがいい?」
──一晩で作らせよう。
大柄な官吏は、ふんぞりかえっては笑っている。
入ってきたボクなんて見もせずに、支配できると笑っている。
あぁ──そういえば、そうだ。兵も職も、家も名も。何にもなくしたけれど、まだひとつあるのだった。
ボクに出来ること、ボクだからこそ叶うこと。愉快な笑みを浮かべると、管理のすぐ脇に滑り込んで──。
「やぁ──どうしたのかい、親愛なる同士諸君。景気の良さそうなハナシをしてるじゃあないか!」
──私も混ぜておくれよ。
ポンと肩を叩いたその拍子、ボクは右の瞳で彼を見つめる。王国法の五十四条を引用しても良かったし、携帯魔道具で録音したさっきの声を裁判で突き出しても良かった。教会に先に手回ししても良かったし、魔術痕跡の偽装だったらボクの方が遥かに上手い。
だけれどまぁ、簡単なのはコレだろう。
「なんだ貴様は。女、貴様もしょっ引かれたくないのなら──」
「──なァ、同志よ。【キミはボクの友達だろう?】」
きっと。彼の視界では、ボクの右目が桃色に発光していた。
だけれども、それはきっとほんの一瞬。どんなに目を光らせたとしても、周囲の兵には近くもできない。低位の魔眼殺しなら貫通できるし、どんな優秀な魔術士であっても意識ぐらいは奪える。だからまぁ、コレは当然のことだった。ぎゅるんと瞳が動くと、大柄な官吏はにっこりと微笑んで。
「あぁ、悪かったな。ったく、恩を返すって誓ったのになぁ。おいお前ら、そいつらを解放して撤退しろ!」
「しょ、小隊長殿……?」
これでいい。指をひとつ鳴らせば、兵士たちは雲散霧消──大柄な官吏もまた、『悪かったな』と頭を下げてくれる。
軍靴の音が立ち去って、辺りはちょっぴり静かになって。エイプリルの方に駆け寄ってみるけど──うん、良かった。彼に怪我はないみたいだ。もしもどこか折れてたのなら、今すぐにでも──一人残った隣の彼に、自害するよう指示しなきゃいけなかった。
「ニア、さん……?」
そりゃ解説するわけにもいかないけど、とっても簡単なハナシなんだ。
命の恩人ということになっていた。あの管理──レドグ・ゴードンにとっては、ボクは二年前に小鬼の襲撃から救ってくれた恩人だ。何せ娘さんが犯されるところだったから、彼は感謝してもしたりなくて……礼を断るボクを前に、『何か困ったことがあったらいつでも言え』と言ってくれたんだ。
色々と便利そうだったから、『そのときに娘さんとも仲良くなった』って設定も足しといたけど──やっぱり名案だね、繋がりは多いに越したこともないから。
「本当に悪かった。ニアさん、まさかあんたに森人の知り合いがいるとは……」
「いいって、キミもキミの仕事をしただけだ。むしろ──そういう後ろ姿があるからこそ、この街の市民たちも安全に暮らせてるんだよ。あぁ──そういえば、コレ」
ボクが懐から取り出していたのは、ちょっと仕立ての良い櫛だった。
それをゴードンに手渡してみたのなら、大柄な彼はポリポリと頬をかいて。それから、困ったように笑っていた。
「この前、雨宿りをしたときがあったじゃないか。懐に入れてそのままだったみたいだ。ローズちゃんには謝っておかないと」
「あーいや、全然構わんさ。娘としても、あんたにあげたつもりだったらしいからな」
「そうかい? なら、ありがたくもらっておくよ。代わりにまた、何か贈らせておくれ」
通りのパンを買っていこう。そんな会話をしてから、ゴードンはそそくさと立ち去って行った。
もちろん、【殺人事件の犯人は森人たちではない】とも──再確認をした上で。
ふぅと一息吐いたのなら、部屋に満ちるのは心地の良い静寂。
エイプリルは疲れてないかと心配してくれるけど、この程度なら問題はない。あの兵士たち全員に使っても良かったけど、そこまでする必要もなさそうだったしね。
「ニア、さん。その──あの役人と、知り合いだったのですね」
そうだよと応える。
厳密には嘘なんだけど、それを知るのはボクぐらいだし──それに、別に嘘ではなくなったのだから。
見下ろした森人の瞳、そこにはボク自身が映っている。右の瞳が映っている。
対象の認識を変え、過去すらそっくり替えてしまう……支配の魔眼が映っている。
そうだとも、ボクは色々と変えられるんだ。
恋人にもなれる。実子は流石に無理だけど、養子ぐらいにだったらなれる。商人にもなれる。兵士にもなれる。恩人にもなれる。救世主にもなれる。そして、望むのなら──
「──うん。本当に大丈夫だよ、エイプリル」
望むのなら、親友にだってなれる。
それが、ボクの──虐殺者アゴーニアの能力だ。




