1. 虐殺者
「あっ、お姉ちゃ
挽肉になった。
エルフの女の子が、ボクの目の前で。
比喩でも何でもない。
背後から降ってきた鉄製の棍棒により叩き潰されて、骨とも皮とも分からない肉塊になっていた。
「……あ? そこの嬢ちゃん、なに見てる?」
二重の意味で比喩じゃない。
棍棒を振り下ろした男は言った、これは食べ物にするのだと。
森人の瞳は病を治し、その肉は不老長寿を齎す──あぁ、そうだ。それはボクも使った手だっけ。軍事作戦を正当化するために、動員される兵や市民への世論誘導として──他ならない虐殺者アゴーニアもまた、そんな文句を使ったんだ。
だから、これは、ボクのせいだ。こうなった原因も含めて、誇張でも卑下もなくボクのせいだ。
「なかなか儲かるんだぜ? 一応はまぁ、正式には諸々の権利は回復されてるけどよ? まさかお前──お貴族サンたちだって、せしめた奴隷を手放したくはあるめェ」
彼の言うことは分かってる。何ならボクが一番知ってる。
森人──十五の氏族が有する土地を接収し、彼ら彼女らを保護区に移す。その過程で起きた鎮圧に際して──あるいはもっと直接的に。多くの森人奴隷が都市に流れたこと、それは動乱後も続いていること。
何なら、変質した市場と常識は……こうして今日も、新しい商品を生み出していること。
「総帥サンには感謝だなァ。なに、悪いハナシじゃねぇさ。奢ってやるとも。嬢ちゃんも女ってんなら、このパイを一切れな──
分かってる、全部分かってる。
ひとつだけボクに正解があるとしたら、今すぐ首を括ることだ。死者を蘇らせる魔法はない、時間を戻す奇跡はない。今すぐに死ぬことだ。
それなら──どうして。ボクは後ろ手にナイフを握っているのだろう。柔和な笑みを浮かべつつ、この男に近付いているのだろう。
出来立てのパイを差し出して、朗らかに男が笑いかけた瞬間──。
「──ぅぎゅっ」
その脳髄を、ナイフで持って突き刺したのだろう。
脳漿と鮮血の水たまり。パイの落ちたその途端、跳ねた数滴が宙を舞って──まだ温かい挽肉へと吸い込まれていった。あの子は戻らない、海を観にいこうって約束は果たせない。あの子だったモノを見下ろしても、もはや見慣れてるだけ……なんて言ってみるのは、たぶん恰好の付け過ぎた。
だってボクは、虐殺の現場なんて殆ど見てないから。
「ぅっ、ぉ、ぉええ……げほっ、かひゅっ」
もう挽肉になっているとはいえ、あの子の上で吐くのは悪かった。
だからふらりと壁へ寄ったけど、結果的には男の死体の上になってしまった。
彼にも悪いとは思っている。死罪に当たる行いだったとはいえ、私刑で裁くのはいけないことだ……こんなボクが言うのだから、皮肉以外の何でもないけれど。
それに、彼だって普通の市民だった。変質した常識に従った、時代の流れに沿っただけの──あの頃のボクと同じ、ただの人間だった。親も子も居る人間だった、なのに、
『いいっスか、アゴーニアそーとー? あんたはもうちょい、想像力を働かせた方がいいんです! ワタシやあんたと同じように──』
──誰だって人間なのだ。
人間は変わらない、ボクはやっぱりボクだった。あのとき。自分の代わりに、総帥アゴーニアとして死んでくれた人間を──エイプリルを除いては、最も長い時間を過ごした忠臣を。あの子が死ぬ前にくれた言葉を、やっぱりボクは分かってやれなかった。
あぁ、まただ。また、虐殺者になってしまった。
「ぅ、ぅぁあ、ぁあ、ぁあ、」
何がしたい?何がしたい何がしたい何がしたい?
愚かな愚かなアゴーニア、キミは信じたんじゃないのか? 森人を排斥するのが正解だって、そうすればこの国も繁栄して……みんなみんな、冒険ができるようになるんだって。手遅れになるほど虐殺が進んでしまったのなら、いっそ貫き通す他にないんだって。その全部が引っ繰り返ったのなら、もはや絞首台に立つ以外に道はないんだって。
なのに──なのに!
『助けてくれてありがとう、お姉ちゃん。あのさ、よかったら、その──』
あの森人の子も、この普人の男も。
どちらも死んでここにいる。ボクだけがこうして、この路地裏に立ち尽くしている。こんなボクはどうしたらいい? 青春の時代から日々は流れて、ボクももう二十七だ。若さゆえの過ちだと流すには遅すぎた、死んだ人間だってあまりに多すぎた。
だれか、だれか……。
「エイ、プリル?」
……教えておくれ、エイプリル。
そんなこと言わずに首を括るべきだ。
けれどもやっぱり、今日もまた生きてしまった。
ボクだけが、また、
■
……アゴーニアを一人で歩かせたのは失敗だった。
僕がそう気付いたのは、路地裏の奥で彼女を見つけた瞬間だった。もちろん、正体がバレたわけじゃない。髪の色を白に、瞳の色を銀に──顔立ちへの認識をもズラす。王宮から持ってきたという魔道具は、今も彼女の正体を隠してくれている。
彼女は元より死んだ身なのだ、まさか誰も想像はしない。
「エイ、プリル。ぼくは、ボクは……」
察せてしまった。
もうとっくに聞いているが……虐殺者アゴーニアは、限りなく傀儡に近かった。もちろん彼女は止めなかった、わが身可愛さに何もしなかった──当初から数百人なら死んでもいいと思っていただろうし、自分たちのために窮屈な思いをさせるのも承知していた。
実際問題、虐殺を指揮していた時期すらある。精神性としては悪逆非道、だけれども。
「……しッ、死んで、しまった。ボクが、ぼくが……きのう、こんな場所で、待ち合わせをしようだなんて、言ったから、」
単純な話、アゴーニアは背負えて千人だった。
十万人の虐殺など、彼女は背負える器でなかった。
森人は悪だ、憎むべき王国の癌だ。
そう叫んだ身なれども、助けた迷子と仲良くはなるし──その子が実は森人だったとしても、じゃあゴミだとは言えなかった。
彼女が訪ねてきてちょうど二週間、昨日のことを覚えている。あの子は森人だ。父か母か祖父か祖母か。まず間違いなく、そのどれかを──あるいは全員を。自分が殺しているのだから、友達になんてなれようもない。
お別れだけを言うべきだ、なんて零していたのを覚えている。
「エイプリル。い、いいんだ、もういい。片付けは自分でやる、この街からも出る。こ、これ以上ボクは、キミに汚点を作るわけには──」
──だから、なんて皮肉なことだろう。
呆然と立ち尽くしている間に、数人の人影が僕たちを取り囲んでいた。近衛ではない。だったら僕の顔が効くし、さしものアゴーニアも片付けを優先したに違いない。
取り囲んでいたのは、この街を支配する近衛団……それらとはまったく別の、つい最近人間に戻ったばかりの人影たち。
「フィオ、ナ……」
少女の──少女だったモノの母親だろうか。
年老いた森人の一人が、路地裏の影に崩れ落ちた。ぐちゃぐちゃになった何かを前に、呆然と涙だけを零している。どう搔き集めていいかも分からなくて、祈るでもなく祈っている。そうして──あぁ、この辺りの森人の纏め役だ。まだ年若い青年が、震えるアゴーニアの肩を掴んで。
「そこの──お嬢さん」
「あ、ぁあ……」
沈黙があった。唾を呑み込む音がよく聞こえた。
アゴーニアも思ったのだろう。ついにそのときかと、裁きを受けるときが来たのかと。きっと──いっそ良かった。他ならぬ森人に裁かれるのなら、少しでも鬱憤を晴らせるのなら。転げ落ちた人生の、誤りに誤った年月の……幕切れとしてはあまりにも幸せだ、彼女はそう瞼を閉じて、
「……ありがとう、フィオナの仇を取ってくれて」
だから──なんて皮肉なことだろう。
青年は感謝をしている。不幸にも間に合いはしなかったらしいが、街の法に裁かれることも気にせず……同族の仇を討ってくれた見知らぬ普人に対して、深く頭を下げている。
露見すれば死罪だというのに、あの少女のために怒ってくれた。そんな優しいヒトに感謝している。
「ち、ちがう。ちがうんだ、ぼくは、ボクは、」
「分かっている。フィオナは、友達と待ち合わせをすると……そう言っていた。ただ、この辺りの治安はマシだった方なんだ。近いからと見送りもしなかった……あぁ。我々の、せいだ。貴方が気に病むことじゃない」
ちがう。
その三文字は別の意味だと解釈されたらしいし、そもそもとして掠れて声にもなってない。
森人の人々にとっては、僕と一緒に居ることも大きいだろう。あの虐殺期。多くの森人を血の薄い半森人や精霊種、魔人の一種だと偽って救った。
そんな役人エイプリル・グローハウンドの隣に居るのだから、同志だと思われて当然だ。青年はアゴーニアの前へと回って、白い両手をぎゅっと握って、
「短い間になってしまったが……娘と仲良くしてくれて、ありがとう」
何よりの皮肉だった。
あの虐殺者アゴーニアが、森人に頭を下げられているのは。
さらに言うのなら──森人の権利を取り戻す、奴隷としている仲間を助け出す。青年がふと口走った目的に、政治家アゴーニアの力が何より役立つなんて。
それからの数ヶ月は、きっと何よりの皮肉だった。




