『或る森人の手記①』
『或る森人の手記』より抜粋。
【注:経年劣化により、これ以前の字は解読不可能】
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──晴れ渡る朝のこと、日記を付けようと思うんです!
とはいっても、三日で放り出すこと……この百年で、かれこそ五十回ばかり? 飽き性な私のこと、こういうのは向いてないのかもしれませんね。
この日記帳だって、最後に開いたのは故郷の森で暮らしてる頃で……それも、知らぬ間に荷物に紛れ込んでただけ。久しぶりに引っ越し荷物を開いたら、何だか転がってきたのでびっくりしちゃいました。
まぁ、前置きはいいんです。
私以外に見るヒトもいないでしょうし、この街には盗み見てくるお姉ちゃんも居ませんから。
今日の朝ごはんとか、帰りのお買い物とか──そういうものも書きたいんですが、何よりその前に!
こんな私としてはひとつ、書いておきたいことがあるんです。まぁ正直、日記に書くものでもないのかもしれませんし……ドキドキする気持ちを抑えようと、何だか空回っちゃってるのかもしれませんが、
恋をしました。
それも、その……名前も知らない普人のヒトに。
笑わないで聞いてください。たとえ百年後ぐらいに故郷に帰って、お姉ちゃんかお母さんがこの日記を開いてるとしても──笑わないでくださいね。分かってます。普人の寿命は私たち森人に比べれば短いですし、皆が野蛮だの下劣だの言ってるのも知ってます。
それに……名前も知らないうちに何だって、そう言われるのも分かります。でも私は……なんというか、その。こうして生きてきた二百余年で、あの一秒だけが鮮明でした。
『雨に打たれているんです』
見りゃ分かると思いました。
大雨の降る帰り道、道端に佇む彼を見たとき──大丈夫ですかって尋ねたのなら、返ってきたのはこんな一言。
ヘンなヒトだと思いました。
でも、仕立屋で働き始めたばかりですから。お洋服とか武器?とかがダメになっちゃうのがもったいなくて、そのままびしょ濡れにしておく気かなって。動く気がないのなら、せめてそこらの家の影に引っ張っていってあげよう! 妙な正義感を発揮したものの、やっぱり私は私ですので。彼にいそいそと駆け寄る途中、何なら私自身が石畳につまづいちゃってですね?
『……大丈夫でしょうか、お嬢さん』
かえって私が助けられてました。洞があったら入りたい、本当にそんな気分でしたね……はい。
辺りは土砂降りで、下は泥水で。元よりびしょ濡れにせよ──ひとかけらの躊躇もなく、そんな場所に膝を突いて。見知らぬ彼は、私のことを支えていてくれたんです。ありがとうと言うべきか、ごめんなさいと言うべきか。
悩む私はまたしても、手元が疎かになっていてですね……?
『あっ』
鮮明に覚えています。
彼のちょっと抜けたような声も、紙袋のオレンジがゴロゴロと坂道を転げ落ちていく音も。
いつの間にか雨除けの魔術は解けてたみたいで、紙袋はすっぽりと底が抜けて。まだ森から出て来たばかりで、あんまりお金もない私のことです。早く拾い集めなきゃと──焦り始めたところ、彼からぽんと手渡されました。
ひとつはどうやら、咄嗟に抱えていた幾らかのオレンジみたいで──もうひとつは、仕立ての良さそうな傘。
『少し、待っていてください。こんな大雨ですから、濡れるのは一人で良いでしょう』
──傘、持ってたんだ。
そんな呆れが先に来て、私は見守るばかりでした。
大雨の中、転がるオレンジを拾い集める彼のことを。やっぱり冒険者の方でしょうか。身のこなしは俊敏で、雨の中でも滑りもせずに……それでも、ひとつひとつを丁寧に。
そんな状況をただ見ていれば、さしもの私も悪い気がしてきてですね。やっぱり手伝おう──なんて駆け出したのなら、やっぱり全部が二の舞でした。
『……大丈夫ですか、お嬢さん?』
聞こえてきた台詞も、差し伸べられた手も──水溜まりに突かれた膝も、ぱしゃりと跳ねた泥水も。
……変わらないんですねぇ、人間って。普人のヒトとは時間感覚なんて違うとはいえ、私も二百余年を生きています。だというのに、いつまで経っても抜けたままで……でも、こうして町に出たんですから。
いつまでも失礼なままじゃ居られない、そう思ったものですから。
『──私と、ですか?』
お食事に行きましょう──せめて何か、奢らせてください!
そう言い放って、きょとんとした彼を見下ろして。気付いたのはそのときです。彼の瞳が黒いこと、灰色の髪が綺麗なこと──そんな色合いから、不思議と目が離せないこと。
誰かが聞いたら笑うでしょうか。出会ったばかりのヒトに、あろうことか普人に。きっと恋をしてしまったんだって、そう言ったら笑われるでしょうか。
◇
でも、一夜明けたら気付いたんです。
こうして書き綴る筆が踊っていること、朝の風に揺れるカーテンが美しいこと──眼下の街並みが、今までの何よりも綺麗なこと。私は何も知りません。これが果たして恋なのかも、オレンジを拾ってくれた方の名前すら。それでも、ちょっとばかり思うんです。
今日ですらこうなのです、だから──
明日はきっと良い日になるって!
とりあえずは、色々と聞かなくてはいけませんね。
あのヒトはどうやら冒険者を辞めたばかり。親友の失踪と……パーティメンバーの死亡。そんな不幸が重なり、ちょうど意気消沈していたとのことで──────
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イルフィリア州立 森林共同体史料保存院 『或る森人の手記』
出土場所:旧アリウム王国領 地方都市■■■■ ■■■丘 廃墟地下
執筆年代:帝国歴三七五〇年~三七五七年
補足:冊子末尾
『アゴーニア』とサインされた加筆事項については、別資料を参照
執筆者:シルフ・グローハウンド
没年:三七五六年
死因:拷問死




