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シュレディンガーはたぶん猫。  作者: 鰯野つみれ
第二章 「変異の兆し」
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第9話◇野良猫たちと、餌付けの有用性

結局、俺と片山はシュレと一緒にいる時だけ、虫の観察ができることになった。

シュレも奴なりに色々考えてくれたようで、虫網っぽく使えるような、バリアーみたいなものを生成してくれたのだ。


『もし虫が突然、人間側に寄ってきた場合、瞬時に展開。虫または人間を包み込み、両者を確実に隔離する』。

シュレからはそういう説明を聞いた。


「だったら、まぁ……」


それで少しは安全性が確保できたということで、片山も渋々だが譲ってくれた。

そして俺たちは街に繰り出して、虫取りを開始した。


『最初に吾輩が捕まえた虫が、まさしく宇宙空間で追いかけた「始祖」なのだが。今この辺りでわいている虫は、全てその子供のようだな』


シュレが語る通り、あのレアな宇宙虫は、いつの間にかこの街で繁殖してしまっているようだ。


『素粒子が分解される時には光・磁力・電力・音波などが必ず発生する。アレはそういう「エネルギー的な力」に近寄っていく習性があるのだよ。街中に捕獲機を仕掛けよう』


そういうわけで、シュレの提案に賛同して、俺たちはぶらぶらと地域をうろつくことになった。


虫の名は「ラ・ルエガ」。

十対の脚と、地球産の深海の生き物と似た感じの、半透明に透けた体が特徴。


地球の虫が植物の葉や花や茎に擬態するのと同じように「空気とか真空に擬態」した結果、光の働きで透明に見える、らしい。

構造色めいたその特徴で、人間の目にはステルス性があるように見える。


ただ、何故か、地球の生き物のうち、猫だけはその存在を容易に見破れる。

だからこそ、情報収集のためにも、今のシュレは自分の擬態の対象を「猫」に固定しているそうだ。


先ほど、校門を出て『ここで少し待っているがいい』と言うなりどこかに行ってしまったシュレは、数分後、その目が毛で隠れたむっくむくの、グレーの毛色の長毛種の猫にしか見えない状態になって戻ってきた。


『この近くで定期的に猫の集会があってな。大量の毛が落ちているから、かき集めて素粒子体に纏うのだ。そうやって擬態し、猫たちからの情報収集をしている』


拾い集めた毛玉をまとって、ふふん、と得意げにして見せるシュレは、意外とこの擬態猫生活を満喫しているようだ。


猫と出会うたびにニャウニャウと話しかけるシュレ。

教えられた先に行くと、ラ・ルエガが集団で隠れている。

そういう時は捕獲も楽なので、情報をくれた猫には情報料として俺たちがおやつを支給する。


「なぁ。これって、ただの猫散歩じゃね?」

「大体そうだな……?」


……いや、どうしてこうなった。


数日前まで朝一で説教をしたりされたり、ほぼ険悪と言っていい状況だった二人が、まるで猫好き仲間のように、こうして連れ立って歩いているわけで。


以前にあったはずの片山への敵対心は、もう完全に緩んでしまっていた。

そろそろ「同じ部活の仲間同士」くらいの信頼関係はできてきたかもしれない。


捕獲作業は順調だった。

効率もどんどん上がってきた。


『お前たちも人間なりになかなかやるではないか』


などと、シュレも嬉しそうにしている。


「あっ。首筋。目が出てるぞ!!」

「えっ」


だが、急に片山に指摘されて、俺は両手で首元を探る。

ちょうど右耳の下、まつげらしいものが指先に触れた。


「やばい、外だ!!早く消さないと!!」

「だな……!!」


答えながら、自然と目元をゆるゆると撫でてしまって、自分の目とは全く違う感触に、ドキ……と胸の鼓動が早まる。


ドキって、何だ。

どうして俺は、自分から片山のパーツを触って……。


「こっち、宮本」

「ああ……」


路地裏の、人の気配が少ない死角になるところに俺を連れ込んだ片山が、すぐに首筋にその顔を寄せてくる。

すりっ……とまぶたの感触や髪の毛が擦れ合う感じに、俺はまだ、ちっとも慣れないでいるのに。

ドキドキと、ますます心音は大きく強くなっていくのに。


「はい。おしまい」


片山はもう、すっかり慣れた顔だった。

耳元で話されて息がかかるのも、ぞくぞくする。


う……何だ、これは。

本当に、心臓に悪い。


「っ、片山。お前何で、俺とこういうことするの、全く抵抗なさそうなんだ……?」


耐えきれなくなった俺は、思わず訊く。


「……何でだと思ってる?」


ふふっ、と今度は笑い声が耳をくすぐってきた。

この距離で笑われると、息も振動もダイレクトに伝わってきてしまう。


「貞操観念と一般常識が、とんでもなく欠けてるからか?」

「酷ぇな。わりと一途なつもりだけどな?俺としては」


恥ずかしくなってきて憎まれ口になる俺の背中に、片山の両手が回ってきた。


「おい、片山……」

「前にも言っただろ?俺に優しくしてくれる奴は、貴重なんだ。だから、逃がしたくないし、何だってしたい」


抱きつかれている状態だと気付いて俺は身を引こうとしているのに、片山の方は離れるつもりがなさそうだ。


「本当は、初日の、口の中弄られたやつ。あれも、正直……悪くなかった。驚きはしたけどな」

「っ、急に何言って……っ」


顔を上げると、いやに真剣な目つきで、片山は俺を見つめていた。

なので、その視線の強さにまたドキッとしてしまう。


「飴。くれただろ」


飴、とは。

俺はその時の記憶を意識的に思い出してみる。


「あ、ああ、そういえば。たしか、オレンジのやつ……」


そうだ。

「唾液があるのなら、何か食うのかな」と考えて実験した。

たまたま勉強机の上にあった飴を食わせてみた。


「まるで幽霊に襲われたみたいだとか、頭おかしくなったのかって思ったけど、最後、オレンジの味がした。それで、混乱が少し落ち着いた。だって、飴くれる奴は、いい奴だろ?」


片山が笑う。

まるで「すごくいいものをくれた人」みたいな扱い方だったから、こっちはかえってひどくこそばゆいような気分になってしまった。


「大したもんじゃないだろう……。滅茶苦茶安い奴だぞ」


二十個入り一袋数百円の飴玉、たったひとつでそこまで大きく言われてしまうと、こっちとしては困ってしまう。


「言っただろ。俺みたいな奴に自分から、しかもタダで何か分けようとしてくれる奴なんていなかったって」


 俺は薬屋前でのアイスを食いながらの会話を思い起こす。


「こっちから何かを要求する前に、俺に無償でものをくれようとする同級生なんて、宮本だけだ」


つまり、それが「片山側が俺とこうしたがる理由」らしい。


どうやら、飴を食わせた瞬間に「餌付けみたいだな」と感じたその感覚は、間違っていなかった。

そしてこの餌付けは、俺が想定していたところよりももっとずっと深い意味で、無駄に成功してしまっていたようだ。


加えて、アイスまで半分に分けている。

おかげで、もはや片山の中で、何かが決定的なものになってしまったらしい。


――これは。

完全に懐かれてしまったっぽい。


あんまりニコニコと好意百二十パーセントくらいの勢いで笑いかけてくるので、俺はあえてその顔から視線を外した。


ただ風紀委員長として説教していただけの頃のあの仏頂面と比べると、雲泥の差だ。

以前は苗字ではなく「風紀委員長サンは」なんて皮肉たっぷりに呼んできていたのに。


そんなに、無邪気に笑いかけてくるなよな……。

本当に、調子が狂う。


そんなふうに戸惑っているのに、片山は訊いてきた。


「今日これからさ、俺の家、来る?」


別に、必要性なんてなかった。

けれども、俺はいつの間にか頷いていた。


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