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シュレディンガーはたぶん猫。  作者: 鰯野つみれ
第二章 「変異の兆し」
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第10話◇一人暮らしの片山と、兄貴的と言える唯一の存在

案内されたアパート、ワンルームのこの部屋には、あまり物がなかった。


ガスや水道や電気、冷蔵庫とかクーラー、電子レンジなどの「それなりに文化的な人間らしい生活」に必須なものは揃っている。

けれども、ベッドと、冬にはこたつになるテーブル、カーペット、座椅子一脚の他には、必要最低限の棚や押入れくらいしかない。


両親と妹、という俺の家の、かなり生活感溢れたゴチャッとした感じと比べると、少しもの寂しい感じがあった。

玄関にはスニーカー・ショートブーツ・サンダルとビニール傘二本が置いてあって、それで空間はいっぱいいっぱいだ。


「人呼ぶには狭いよなー?でもどうせ一人だし、ほぼ寝るためにしか使ってねぇから」


片山は自分の靴を重ねて端に寄せながら、何でもないことのように笑って、俺の靴を置く場所を確保する。

けれども、本当に俺が訪れたこの瞬間まで、人を呼ぶという想定は一切していなかったんだな、と分かってしまった。


「あ、いや……。別に、何の問題もない」


俺は応えたけれど、カルチャーショックというか、そういう気持ちは確実にあって、たぶんそれは全く繕えていない。


先ほど片山が口走っていた、「俺に優しくしてくれる奴は、貴重なんだ。だから、逃がしたくないし、何だってしたい」という台詞。

言葉通り、本当にコイツは他人との関わりがろくにない日々を送っていたんだ、と明らかに伝わってくる部屋だった。


こうなると、「嫌な奴だから、どうせろくでもない不良友達しかいないんだろう!!」などと勝手に片山のことを決めつけていた以前の自分が、痛々しく思えてくるな……。

そんな悪友さえ存在してもいなかった、ってことなんだから……。


俺は正直、深く反省して落ち込む気持ちになってしまった。

部屋の中で一番広い面積を占拠しているベッドには、シュレが伸び伸びと寝そべる。


『確かに狭いが、これでも住めば都だぞ?』

「は?お前、図々しいんだよ、居候のくせに!!ここ、動物飼ってるって思われると怒られるんだからな!?」

『まぁ、救難信号は既に送っている。吾輩がそこまで長居することもなかろうて。しばし我慢しろ』


明るく軽口を叩き合う様子。

それは一見、一人と一匹の慎ましい生活の場、って奴だった。

猫の毛で擬態したシュレの存在で、ようやくこの部屋に人間の営みらしい生活感が、ほんの少しだけ加わっているように見えた。


実際はこの「猫」こそが、この部屋で一番常軌を逸した不可思議な存在のはずなのにな……。

どうしてそうなるんだ。


「何か飲む?つっても、水道水か、ペットボトルの茶しかねぇけどな。菓子とかもねぇし。悪いな、茶だけで」


ごそごそと戸棚を漁って何とか出てきたガラスのコップ二個は、形も大きさも色合いも違っている。

片山は小さな冷蔵庫からペットボトルを一本取り出して、麦茶をその二つのコップに注いでコップの片方を俺にすすめた。


「茶で十分だ」


俺はそのコップを手に取って、一口、お茶を飲む。

それはこれまで何度も自分でも買ったことがある、有名飲料企業が販売している定番商品で、もうとっくに味を知っているはずだった。

なのに、不思議と俺は、これを通常とは全く違った味のお茶のように感じている……。


こたつテーブルと座椅子を壁際の脇に追いやって何とかできた空間、そのお世辞にも広いとは言えない部屋の真ん中部分に、俺と片山はそれぞれあぐらをかいて座っていて。


二人でベッドに座れば、窮屈さは多少減ったのかもしれない。

だが、それは何となく、俺にはできなかった。


そこに乗った瞬間に、いよいよ片山のプライベートなテリトリーに完全に入ってしまう、そんな気がして。


最近の俺は頻繁にそういうことを考えてしまっていて、ちょっとおかしい。

変に片山を意識してしまっている……。


だから、あえて意識をそらすかのように「俺、虫の観察日記書くために、新しくノート買ったんだけどな?」みたいな話をする。

そうやってキモい虫についてみんなで語りながらお茶を飲み進めていると、少しずつ気分は落ち着いてきた。


けれども、誘われて来たからって、特にこの部屋で片山とやることは他には考えつかず。


でも、別に「帰りたい」とは思っていない。

むしろ狭くとも居心地は結構いいというか、悪くない気持ちになっているのが、逆に困る……。


何か、もっと、話すべきか……?

共通の話題って何だ。


「そーちゃん、いる~?川島さんからうちに荷物が届いててさぁ。取りに来てよ~」


なんてことを頭の中でこねくり回していたわけだが。

突然、とてもユルい口調の知らない声が、呼び鈴と共に響いた。

それまでなすすべなくアパートの窓から外を眺めていた俺だが、パッと視線を部屋の中に移す。

既にシュレはベッドの上の毛布の中に隠れていて、片山はサッとドアを開けて、相手に対応し始めていた。


「アキオ兄ちゃん」

「あれ、来客中だった?ゴメンゴメン」


そこにいたのは、片山と似た方向性で少しチャラッとした見た目の、金髪長髪の男だった。

年齢は大学生くらいだろうか。

男だけどかなり容姿が整っていて、「美人」って見た目の。


でも何だか、血がつながった兄弟と言われても納得する感じに、二人から醸し出される雰囲気が、どこか似ている。


誰だ……?

申し訳ないが、つい不審な目で見てしまった。


片山は普段、仏頂面に近い表情なのだが、その表情がふっと緩んでいる。

しかも下の名前に「兄ちゃん」呼び……。


アキオさん本人はずっとニコニコとして穏やかそうな人物なのに、妙に俺の中で警戒心が刺激されている気がする。


それはこの人自身の、まるでホストでもやってそうなユルい見た目の雰囲気のせいもある。

そういう見た目の人が個人的に苦手だという思い込みが、俺にはある。


けれど、そっちよりも、片山がすっかり気を抜いて対応している様子なのが、もっと気になる……。

そう自覚して、俺は内心、ギクリとして左手で胸を押えた。


「あー、宮本。この人、アキオ兄ちゃんな。預けられていた施設で兄弟みたいに育った、ってやつ。年も二歳差で、親戚みたいな人、っていうか」


固まっている俺に気づいたからか、片山が説明してくれる。


「俺は真野秋生。君は?」

「あっ……宮本政信、です」


問われて、ようやく俺は「いけない」とハッとして、名前を名乗った。

話によると、施設の管理者をやっている人がこのアパートの管理人でもあるそうだ。

つまりその荷物を送ってくれたという「川島さん」という人が管理人。


その「川島さん」も、いやに気になるな。

何でこんなにソワソワしてしまうんだろう。

「俺以外にもそんなふうに懐いてる人がいたのか?コイツ」みたいに考えてしまっている……。


「いや、友達できたの、よかったねぇ、そーちゃん。あ、送られてきた荷物の中身、食材がほとんどでさ。桃とかぶどうとかも入ってた!!今から二人で一緒に食べたらいいよ~」


なのに、アキオさんが片山に、さもお兄ちゃんらしく笑顔で言うから、何だかとても恥ずかしい気持ちになった。

すごくいい人なのに、イライラするなんて、良くない……。

それにしても、客観的に見て、普通に友達同士に見えるんだな、俺ら……。


「果物乗せられる皿ってあったっけ?うち」

「前にパンのシール集めてもらえた皿、あげたじゃん、俺!!」

「ああー……。たしか、棚の奥か?」


ゴソゴソと棚を開けて、片山は早速、皿探しを開始する。


「ね、まさのぶくん、だっけ?そーちゃん、学校でちゃんと高校生やれてるかな~?」

「う、えっ?」


すると、アキオさんは何故か、俺に話しかけてきた。

片山には聞こえないように、こっそり耳打ちするように。


会話してくるなんて思ってもいなかったし、下の名前で呼ばれるとも想定していなかったものだから、慌ててしまった。

しかも、距離が近い……!!

片山のパーソナルスペースの狭さはこの人から来てたのか!!と一発で納得するくらいに。


「えっ、えっと……たぶん、ギリギリ?かと」


俺の回答に、アキオさんはアッハハハ、と勢い良く笑う。


「ギリギリかぁ。だよねぇ!!いやね、俺やそーちゃんみたいな、家庭環境があんまり……って奴にとっては、学校みたいな場所が、わりとめんどうくさい時があるもんだから」


そこでちょっとアキオさんはちょっと遠い目になる。

だから、何だかこの人も、過去に「めんどうくさいこと」があったらしいと、ちょっと透けて見えてしまう。


「ちゃんとそーちゃんに友達ができて、よかったよ。ありがとねぇ」

「え、あっ、はいっ……」


友達。

友達と言っていいんだろうか、俺と片山の関係は。


ただ、間違いなく、この人は片山にとって、とてもいい「お兄さん」なのだとは理解した。

けれども、ニコニコと人好きする雰囲気で笑いながら、こう耳打ちされる。


「……大丈夫。あの子は弟ポジションだから。心配しなくても、まさのぶくんから盗ったりしないよ?」

「――っ、何、を」

「本当、君のおかげもあって段々と人並みの環境に近づけてるみたいで、よかったよかった~」


その見透かすような言葉と表情に「やっぱり警戒すべき人なのかも」と俺は自然と下を向く。

顔が、熱くて。


この状況を「バレてしまった」と感じた時点で、片山に変に執着し始めているこの事実から目をそらすことは、もうできなくなってしまった。


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