第5話◇気持ち悪い宇宙虫と「猫?」の事情
「うわっ!?そんな気持ち悪い虫が、俺の背中に!?」
思わず慌てて背中を両手で探ってしまう。
虫は瞬時に、「猫」が作った「虫かご的な謎の黒い立方体」の中に閉じ込められた。
「けど、素粒子まで分解、って……あり得ないだろ」
ニュースや理系の授業、そうじゃなければSF小説や漫画で聞く単語の「素粒子」が、この「猫」との会話の流れで出てくること自体も、ちっとも理解ができない。
『まだ信じられんか。ならば、見ていろ』
声と同時に、漆黒の虫かごが瞬時に透けていく。
当の虫は薄グレーのガラスケースのようになった立方体の底に、微動だにせずじっとしていた。
見ていると、さっき外して落ちていた俺の包帯が、急にシュルシュルと床を滑っていく。
それは蛇の動きに似ていて、あたかも生きているかのようだった。
包帯蛇は宙に浮いて立方体の上面までたどり着くと、天井をすり抜けて中に落ちる。
ザアッ。
天井からすり抜けて落下した包帯は、本来なら箱の底に向かって重力の法則に従い、パサリと落ちたはずだ。
しかしこの両目が捉えた現実はというと、全く違った。
俺たちの目の前、布の塊は瞬時にその形を失う。
まるで固体が液体になり、更に気体になって蒸発していくみたいに表面が泡立って。
ものの二秒程度だった。
そしてその「元は包帯だったものが落ちた辺り」にゆるく溜まっていた光の集まりは、導かれたふうに一筋書きのらせん状の軌跡を作ると、例の虫の口元へと吸い込まれていく。
『こんな感じで、コイツは基本、素粒子まで分解できるものなら何でも吸収する。この星の言い方で表すと、食い殺した』
どんなに「ものを素粒子に分解して食う虫とか、あり得ないだろうが」と否定しようにも、実際におかしな現象を目の当たりにしてしまうと、もはや何の文句も言えなかった。
大きく息を吐いて、俺は頭を抱える。
信じられないものを見たり聞いたりしているせいか、ひどく頭がクラクラする。
よろめいていると、何だか完全に毒気を抜かれたらしい片山が、支える形で俺の腕を掴んでくれた。
「ひとまず『こっちが分かりたいこと』から先に選んで聞かせてもらう。次はお前のことを教えろ」
俺の代わりに、今度は片山が質問する。
「宇宙から来たのか?宇宙人とか、宇宙猫?仲間はいるのか?名前とか、種族は?あと、俺らに何かが『混ざった』とか言ってたな。今、俺らの体がおかしくなってるのは、そのせいか?一体何が起こってる?」
矢継ぎ早の質問。
虫のことは先程、ザッと聞けたわけだが、「猫」自身のことと、俺らのこの「異常」については、まだ何も分かっていない。今知りたいのはそこだ。
『うむ。まずは吾輩のことから説明しようか!』
しゃん、とその長めの尻尾らしきもの?と背中を伸ばすような雰囲気で「猫」は口走った。
『宇宙から来た、というのは正しいが、もはやそのどこで生まれたかは、とんと見当がつかぬな。我々は、お前たちが持つ肉体と言えるようなものから脱却し、素粒子体の姿で集合と離散を繰り返しながら星から星へと流れて生きてきた』
先ほど語っていた「物質的に存在していない」という話の詳細を、俺は今聞いているらしい。
人間の「肉体」に対応するらしい「素粒子体」という表現も、全く聞き慣れない言葉だ。
その黒く蠢く霧こそが、ソレなんだと思われる。
『しかしある時、たまたまこの虫が飛んでいくのを見つけたのだ。虫に浮かれた素粒子群の一部――吾輩は、つい母集団とご主人から遠く離れてしまってな。その上、磁場嵐に巻き込まれ、この星まで飛ばされた』
「何だ、ただのドジっ子迷子かよ……」
思わず、といった様子で片山がツッコむものだから、「混ぜっ返さずに黙って聞いておけ」と俺は肘打ちをする。
『ふと気が付くと、薄暗いじめじめした所で、ニャーとも泣かずに活動停止していた、小さきものが目の前にいた。吾輩はこの星の情報アーカイブでこれを「猫」と認定。擬態のため、その素粒子情報を失敬した』
「肉体じゃなく素粒子体?を持つ宇宙生物?で、死んでた猫を見て、見様見真似でその形になってみてる、ってことか?」
『おお、ちゃんと分かっているではないか。その通りだ』
しっかりまとめられていたようだ。
俺の説明文に、いいぞいいぞ、とばかりに「猫」は満足げになった。
『つまり、だ。吾輩は迷子である。名前はまだない。吾輩は一部であり我ら全体でもあったから、個別の名はない。必要ならばお前たちの好きに呼ぶといいだろう』
まるでどこかで聞いたことがある物語の主人公猫のように、コイツは「吾輩」と自分のことを呼ぶ。
情報アーカイブのせいで、そういうふうに日本語に翻訳されているのか……?
『そして状況的に、吾輩は「シュレディンガーの猫」である。生存しており、同時に死亡しているとも言えるようだ。「シュレディンガーの猫」とはそういうものを指すのだろう?』
だろう?とか、「当然お前も知っているな?」みたいな言い方をされても、普通に困るんだがな……。
ええと、何だったか……。
確か猫を箱に閉じ込めて隠したら、開けて確認するまで生きているのか死んでいるのかは分からないし、「生きているのと、死んでいるのが、同時に起こっている」かもしれず、などという、シュレディンガー氏が言い出した実験の話――
「今のお前の状況は、生きているのか死んでいるのかもよく分からない状態。で、名無し。迷子の迷子の仔猫ちゃん、おうちを聞いても分からない、ってことか?」
『うむ。その通り。……しかし不安定であるな、ああ、誠に残念なありさまである。早くご主人の箱に戻りたい……」
深く頷いて、ブツブツと愚痴っている「猫」。
「そっちの状況は分かった。で、次は俺らが一番に優先して解決してほしいことなんだけど」
こう片山が切り出したのをきっかけに、俺たちは早速、この問いに踏み込むことにする。
「この星――地球に住む人間は、その顔に目がふたつ、口がひとつある、ってことは、お前は知ってるか?」
まず、宇宙からの流れ者が「地球産の人間の基本構造」を理解しているか、そこから尋ねなければならない。
『おや?それだと、口の数がひとつずつ多いではないか?その布の下にまだ隠してあるだろう?』
案の定、「猫」は不思議そうにしていた。
「つまりそれが、俺らが困ってる、解決したいことだ。お前のせいで、このお互いの口が手に、ひとつずつ余計に増えてるって状況。これを消したい。どうしたらいい?」
やっと俺も片山に続けて核心に触れることができた。
『それが困りごとだったのか。だったら、対消滅させればいいだけではないか!!』
が、こっちはこれこそが死活問題と緊迫感に溢れているのに、「猫」の方はなーんだ、そんなことか、と言いたげだ。
「対消滅……?それって、具体的にはどうするんだ?」
『余計に増えたものと、元からあるものを触れ合わせてみればいい。そうすれば消えるはずだ』
余計に増えたものと、元からあるもの。
つまり「俺の手のひらに増えた口と、元からある片山の口」、もしくは「片山の手首に増えた俺の口と、元から俺の顔にある俺の口」。それぞれを合わせるように触れ合わせれば、いらないものは消える、ということだろうか。
「やってみるか」
左手を、はやる気持ちで片山の顔の前に持っていく俺。
だがしかし、途中であることに気付いてハッとする。
「え、待てよ、てことは、まさか……」




