第6話◇変異の対消滅と、接触を伴うそのやり方
ついつい、やっぱりやめようか、と提案したくなったわけだが、その瞬間、片山が俺の左手首を取った。
ぐい、と強く引っ張られる。
遠慮の欠片もなかった。
そのため、俺は全くためらいなく自分で自分の唇にキスをやってのける男の姿を、至近距離で見ることになってしまった。
……正直、少しはためらいを見せて欲しかったわけだが。
どうなんだ、と俺は眉間にしわを寄せたが、片山の方は驚きにその両目を見開いて、俺の左手を確認していた。
「本当だ。き、消えた……」
「えっ」
俺も急いで左手を確認する。
見慣れた手のひらのしわが、そこにあった。
片山の口が存在していたはずのゾーンは、異変が起こる前の何の変哲もない、平穏なありさまに綺麗に戻っていた。
まるで何事もなかったかのように。
「すごい、ちゃんと消えてる……」
触って確かめてもみたが、問題なさそうだ。
成功だ。
ぽっかりと消えていたその部分の触覚も、完全に戻っている。
となると、次は俺の口を、片山の手首にある口に触れさせなければならない。
なので、俺は目の前の男の手首から、リストバンドを手早く取り去る。
片山は「次はお前の番か」とばかりに、俺にされるがままだった。
抵抗されないのをいいことに、俺は顔を寄せた。
……寄せてしまい、そこで「おい、ちょっと待て、何だこの体勢は……」と正気に戻りかけた。
が、思わずサッと身を引こうとしたところを、逆にガッと肩を抱かれる形で引き寄せられる。
そのため、俺は片山の手首に唇を強く押し付けるはめになった。
ぞわ、と触れ合ったその部分から広がってくる感覚に、反射的に手が出そうになる。
「っ、おい、勝手にベタベタ触るなっ……!!」
何だこの体勢は、と俺がキレかけた瞬間、ドアがガラリと乱暴に、勢いをつけて開いた。
保健の先生に用事があったのだろうか、学年主任の先生がそこにいた。
「あっ。こらっ、片山!!保健室に来てまで乱闘を仕掛けるのはやめろ!!いくら自分が気にくわないとムシャクシャしてても、風紀委員長に手を上げるなら、罰掃除だぞ!!」
「あっ、いや先生、これは別に、そういうことは全く……」
弁解しようとしたけれど、もう完全に片山が俺を殴ろうとしていたこと前提で説教が進んでいってしまう。
とはいえ、そのまま全てを説明するわけにはいかないわけだが……。
風紀委員長を巻き込んでの朝のホームルームのサボりと暴行疑惑、その二本立てでガミガミと片山を叱り始めた学年主任の前で、一緒に黙ってこの首を垂れつつも、俺はこっそりと吐息をついたのだった。
しかし、ギリギリだった、危なかったな……。
もしあの増えた口をこの教師に見られていたら、化け物認定されて人生が終わっていたかもしれない。
無駄に怒られることになって、片山には申し訳ないが。
そしてあの下手すると男ふたりが抱き合った形に見えかねない体勢を、上手いこと「喧嘩しようとしている状況」と勘違いされたという意味でも、まあ、助かったのかもしれない。
校内での不純同性交流までもが追加されて、三本立てで怒られてしまう展開は、さすがに俺としてもお断りしたい。
だって、そんな事実などないんだ!!
あの接触はたまたま、そうするしかなかっただけの、ある種の治療的な行為でしかないのだから……!!
◇
結局、片山は放課後に罰の草刈りをすることになった。
保健室に連れ込んだのは俺だし、実際は暴力など受けておらず。
完全に冤罪だと思うため、さすがに悪いと感じて手伝うことにする。
ちょうどグラウンドの横にある、とりわけしつこく雑草が生えているエリアだ。
ブラスバンド部の楽器や「気合い入れていこう、集中~」なんていう野球部の声が、遠く混じって聞こえてきていた。
「さて、やるか……」
「めんどくせぇ」
俺と片山はジャージ姿になり軍手をして、小さな鎌でひたすら草を狩り続ける。
五月とはいえもう結構暑くて、しばらく続けていると汗がにじんでくる。
対外的な俺と片山の関係だが、クラスは違うとはいえ、風紀委員長と学年の不良というので違和感なく見られている。
昼休み、片山がふらりと俺に会いに一組の教室にやってきた。
廊下で話す状況に「あれ?普通に話してる……?」とは思われたようだったが。
実際は直近の課題である、対消滅の件と、虫の件と、「猫」の件くらいしか話していない。
その「猫」といえば、朝に保健室から出た後はしれっと片山の「ブレザーの内側」に逃げ込んで、そのまま二組までついていったらしい。
俺が呼び出してきた片山に近づいたら、胸ポケットから尻尾のつもりらしき長細い黒の粒子の塊がはみ出していて、ふりふりとこっちに手を振るように揺れてから、サッと引っ込んだ。
さすがに会話は控えているらしかったが、思わず「何してんだお前」と俺は吹き出しかけた。
「猫」は意外とお茶目というか、面白い性格の奴なのかもしれない。
今も、「猫」は俺たちの側にいる。
『先ほどまだ最後まで説明しきれていなかった、混ざりの話の続きを伝えておこう』
授業があるため途切れてしまっていた話の続きが、ようやく数時間の時を経て再開されることとなった。
『現時点では問題は消えているが、今後も引き続き、同様の変異がお前たちの体に出る可能性は高い。が、どちらに、どのタイミングで、どのような変異が出てくるかは不明だ』
「ガチャみてぇだな……。で、そうなるたびに、さっきみたいにいちいち対消滅?させて消すしかないってことか?」
『おそらくな。ただ、変異が対消滅で消えるもののみに留まるか、というのも今後の経過を見なければ分からん』
草を引っこ抜きながらの片山の問いに「猫」が頷いた。
『我らとこの星の生き物の間で素粒子の交換状態が起こったのは、今回が初めてになる。アーカイブにも全く解決法に繋がるデータは見当たらない』
「そんな……」
こんなに人との接触が苦手だというのに、あれしか解決方法がないなんて。
俺は心から絶望する。
また今後もアレをやるのか……しかも何回も。
げんなりした気分で俺は片山を横目で見る。
片山は黙ってゴリゴリと、鎌の先端で土を掘り起こしている。
文句はそれなりに言いつつも、その両手は意外と真面目に草刈りに従事していた。
こうして俺の立場から見る片山は、やはり相変わらず、素行不良男でしかない。
他人に対する触り方が、妙に手慣れているようにも思えるし……。
ただ朝に触れた時のあの感じだと、わりと鍛えているようだったな……。
俺ももっと鍛えた方がいいのか……。
うっ、感触が蘇る、余計なことは考えないぞ……!!
俺は地面をガリガリと掘り進める。草は根っこがびっしりと張っていて、なかなか簡単には抜けなかった。
何度も繰り返し土を掘りつつ、苦心しながら処理を進める。
『しかし、いいものだな……ここは。まぶしい。温かい。柔らかい。安らぐ……これが太陽の恩恵というものか』
こっちの作業の大変さを尻目に、「猫」が呟いた。
奴は草をベッドにして優雅に寝そべっている。
……寝そべってるんだろうな、たぶん。
地面に気体のように溜まってるだけなのかもしれないが。ゆるゆるとその体表の粒子は対流を続けていて、おそらく、リラックスしている雰囲気だ。
やがて、会話がピタリと止まった。
「おい、猫。シュレディンガーの猫。虫浮かれ迷子宇宙猫」
こちらの呼びかけに返答はない。
おそらく、「猫」は寝た。
陽だまりでお昼寝、全くどこまでも猫らしい行動だ。




