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シュレディンガーはたぶん猫。  作者: 鰯野つみれ
第一章「手に包帯巻いて異形を隠すのを、厨二病みたいって言うな」
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第4話◇ちょっとした仕返し、そして「猫?」と虫

「くっ、何てことをするんだ、お前という奴は……!!」


俺の唾液で……と思うと、何だか、ひどくいけないことをしてしまった気持ちになってくる。

俺が一方的にされた方なのに、何でだ……!!


「自分だって、昨日さんざん、俺の口弄ったくせに?」


けれども、片山はそんな被害者意識一色だった俺に、的確に反論してきた。

明らかに、怒りとあきれ混じりの口調だ。


「うぐっ、そ、それはっ……」


そうだ。

言われてみれば。

昨日の俺は、かなり好き勝手にこの左手のひらの口を弄り倒している……!!


思い起こしてみれば、デスクライトを当てながら口の奥を観察していた時なんて「暗くてよく見えないな」なんて考えながら、ついつい、散々に触っていた、ような……。


ということは、先に問題行動を行っていたのは、俺の方だったのか……!!

コイツにやられたことは、全て、単に俺が奴にしてしまったことの仕返しでしかなかったという……!!

馬鹿な!!


愕然としてしまった俺に、けれども、それ以上、片山は文句を言いはしなかった。

ただ、しげしげと、自分の左手首にある俺の唇を見つめ続けていた。


「けど、本当に、委員長だったんだ」


そうして、ぽつりと呟く。


何だ?

その言い方だと、片山の中ではとっくに、その唇の持ち主が俺かもしれないと、アタリを付けていたようにも聞こえるわけだが……。


が、考えかけたその思考はあっという間に飛び去ってしまった。

今度は、ちゃんと直接、片山の指が本物の俺の唇をつついてきたからだ。


「こんなに都合よく……運命か?」

「はえっ?」



思わず握りこんだ両手、その左だけが握った時の感触が違っていて、指先が奴の唇に触れている事実に気が付いた。


片山に。

直接、触られて、触れてもいる。


「ひ……っ」


慌てて左手の力を意識的に緩める。

下唇に触れてきている指先が、またさっきみたいに侵入してくることを恐れて。


すると、その事実に気が付いたらしい片山が、ふっと笑った。

少しからかうような、意地悪な笑い方だった。


「俺も、探してたんだ。この口の持ち主を」


じりっ、と片山が表情を覗き込んでくるようにその顔を近づけてきて、俺は一気に緊張する。

右手人差し指は、いまだ濡れた口元に触れられたままだ。


「……っ」


やっぱり怒られて殴られるのか……!?

それともまた、さっきみたいに口の中を探られるのか!?


そんな恐れに身構えた俺に、片山はその笑みを濃くする。

既に保健室のドアへのルートを塞がれてしまっている。

逃がさないから、と示すように。


これは、改めて誠心誠意、謝るしかないのでは――


『――おや。おやおやおや。これは見事に、混じったものだな』


謝罪の言葉を言い募ろうとした俺だったが、突然、辺りに赤の他人の声が響いて黙った。

それは今まで全く聞いたことがない響きの声だった。

振動がピリピリと肌の表面に響くような音だった。


いや、でも、そもそも声とは振動のはずだ。

人間は声帯を震わせる、その振動で声を出すのだと、昔どこかで聞いたことがある。


しかし、声帯を使っているにしては、何だか少し響きが違う気がした。

異様だった。

確かに意味がある人の声に聞こえるのに、全く違うものにも思える。


声の方向を見る。

その俺の視界に従うように、片山も目線を動かした。


そこに、ぞわぞわと蠢く、黒いものがあった。

それは真っ黒い、細か過ぎる大きさの粒子のようで、宙に漂う様子はまるで霧のようにも見える。

霧の向こう、地面が透けていた。


『ほう。ほう。虫を追ってきたら、ちょうどいいところに』


声はやはり、その漆黒の霧状のものから聞こえている、はずだ。

ゾワゾワと蠢くそれは、何かの形になっていく。

俺も片山も、黙ってそれを見ているしかない。


やがて影は、小さな猫の形になった。

子猫ほどの大きさだろうか。

それには見覚えがあった。


「あっ、お前、あの時の、」

「コンビニ前にいた、」

「「透けた黒猫……!!」」


俺たちは同時に声を上げる。

俺たちを通り抜けていった、あの「黒い猫の幽霊のようなモノ」、本猫じゃないか!!


『いかにも。また会ったな、人間たち』


肯定、という様子で猫はそのひげと尻尾を上げて得意げにちょこんと座った。

どこか得意げな態度で言うが、奴に顔とか表情のようなものはない。

ただ黒いものが蠢いているだけだ。

本当に、幽霊のように。


『……ふむ。翻訳は正常のようだが、コミュニケートには少々難有り。調整がいる、か。それにこの場のしきたり通りに物質的に存在するというのも、意外と面倒なものだ』


朗々と語る声色は、男なのか女なのか、子供なのか老人なのか、判別がつかない。


「物質的に存在していない、のか?」


思わず訊いてしまい、俺はアッと口を押さえる。

もし悪霊の類だとしたら、どう考えてもこちらから話しかけない方がいい、はずだ。

オカルトには詳しくないが、怪異と話すと連れていかれる、みたいな話はたまに聞く。


『それはもうとっくの昔に先祖が脱したことだな。あれは何百光年昔の話だったか……確か……』

「長そうだから、やっぱいいや、それは。で、お前、何なの?そんで、俺らの周囲が変なことになってるの、関係ある?」


しかし、片山は端的に訊く。


『あるかないかで訊かれると、あると応えるしかないな』


うんうん、と「猫?」は頷いて見せた。


『今から、ふむ、十六時間前?か。吾輩はそのこんびに?が存在する付近でお前たちを通り過ぎた。それでお前たちに吾輩の素粒子が混ざってしまった。完全に不注意だ。詫びよう』

「は?素粒子?」


詫びる、と言いつつ、実際は全然、悪いとは思ってなさそうだった。

後悔も申し訳なさも、欠片も伝わってこない。

現に片山の台詞には反応せず、「猫」は自分の主張を優先する。


『次に、吾輩はとある虫を追ってきたのだが、その虫はあらゆる物質を素粒子に分解して食うという虫だ。それで』


そこで「猫」は一度会話を切る。

そして、人間が認識できない動きであっという間に俺の背後に移動して、ヌルリと降り立った。


「はっ……!?」


思わず、バッと俺は奴を振り向く。

普通の猫のように「スタリと降り立った」んじゃない。

ヌルリと、だった。

スピードがあったと感じたにも関わらず。


速度の感覚がおかしくないか?

俺の目がおかしいのか?

いや、人の感覚とは違っているのだ、おそらく。


『虫というのが、これだな。お前の背中についていたぞ。悪食なんだが、お前のことは分解できなかったようだ。通り抜けた時に吾輩の素粒子の一部が混ざったせいだろう』


ギチギチと、実体がない「猫」の口元で、これまで見たことがない虫が蠢いている。

この虫もまた、異様な透け感があって、地球のものとはコンセプトが全く違うデザインだった。


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