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シュレディンガーはたぶん猫。  作者: 鰯野つみれ
第五章「蟲の女王、イオ=テ=ラ・ルエガ」
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第33話◇宮本正信の姿をした虫と、俺

『ふたりで、オレの仲間たちを倒していたね。放課後の街でも。学校でも。夏休み中も。ずっと、戦っていた。必死に』


ふわり、とその背の羽を羽ばたかせると、キラキラと羽自体が構造色の赤にきらめいて、同時にまた鱗粉が舞う。


『そして今度は、オレ……なんだよな?』


すう、と息を整える、俺の姿を模した女王。

直後、その唇から超音波が発生した。

アー、という単純な音として人間の耳に聞こえるそれは、けれど実は虫の声で、耳の感覚が一瞬で奪われる。


「っ、うっ」


耳を押さえる。

どんなに素粒子体を優勢に保っていても人は肉体自体を捨てられない。

人間の形をしていれば、自然と人が相手と認識して「聞いて」しまう。


聞いてはいけない。


繰り出したはずの電撃は同じ大きさの電撃で対消滅させられて、しかし女王の電撃の側には磁力が膨大に込められていた。

バチッ、という衝撃と共に俺は腹に一撃を食らい、そのまま地面に引き付けられる形で叩きつけられる。

その背にさらに数倍に増した重力まで加えられた。

電磁力と、重力。


「っ、ぐ、っ、う……っ!!」


動けない。その俺の顔を、同じ作りの顔が覗き込んでくる。


『何故やり返さないんだ?オレは虫たちの女王で、お前はこの星全ての虫を倒す使命がある。そうだろう?』


女王は、何故かとても、寂しそうな顔になっていた。

全ての力が更に威力を増して、素粒子体全体にひびを入れられた形になる。

悲鳴にもならない声が出た。

が、喘いだその状態をいたわるように、指先が頬を撫でてくる。


『ずっと、見ていた。ニンゲンは素粒子を混ぜる時にこうするのだと』


頬に、キスを、される。

舌先は直接俺の素粒子体を撫でていた。

背中に回った手のひらのみならず、触れ合うところ全ての素粒子体を混ぜ合わせようとしている。


まさかこいつ、俺と片山がしているのを、見て……。


「ふ、んっ……う」


思わず、声が漏れた。

素粒子体を触られた時特有の、あの暴力的な快感が襲ってきた。


無理やり一体化させられようとしている、と理解してはいても、それはとてつもなく気持ち良かった。

始祖蝶の中の俺の素粒子が、俺本人と引き付け合っている。


『色々考えた。今までの我らは、ニンゲンを食べ、ニンゲンの女の腹で孵化する方法を取っていた。だが、今後はもっと違うやり方を考える』


さわ、と体中の素粒子体の表面を、何度も柔らかく撫で上げられる。

重力か磁力か判断できない重さは俺を地面に押さえつけたままで、抵抗できない。


「う、あ」


びくびくと体が跳ねる。

深く入り込もうとされる感触に。


『こうしてお前と一体化したオレが、ニンゲンみたいにニンゲンたちと生殖する。そうやって、我らも増える。次は食い尽くさずに、それを試す』


今後の予定、みたいに言いながら、女王はその計画を先に進めようとしている、らしい。

今、この俺を対象として。

素粒子体の快感で篭絡しようとしている。


それは、なんて、気持ちいい、のか……。


でも。

だめなことだ。

アキオさんたちやこれまで巻き込まれた人たち、そしてこれから先巻き込む人たちのことを考えたら、絶対だめだ。

だめなことなんだ――


背中に手を回す、素粒子体で混じるように触れる、そうしながらも、俺は全ての電磁力と重力と弱い力と強い力を、女王の素粒子体に叩き込んだ。





宮本と始祖蝶の戦いを横目に、片山は影と戦う。


『オマエ……嫌イ』

「奇遇だな。俺もだよ」


そのすました顔に片山はパンチを叩き込む。

電磁力と、とにかく「重くしてやる」と「消してやる」の気持ちを思いっきり込めて。

そうするとその部分の虫がザアッと消えて、けれども残りが散り散りになって逃げる。


片山にはシュレや宮本と違って、全く器用な戦い方はできない。

単純に殴る蹴る、そこに力を思いっきり加えるだけだ。


再び虫が人物の形をとった。

彼の義理の兄の姿だった。


「アキオ兄ちゃん……」

『オ前ノセイデ、オレハ死ンダ』


そうだな。

そうだ。

俺が未熟だったから。


でも。

兄ちゃん本人は、「そうじゃない」って言った。

それが遺言だった。

だから絶対に「アキオ兄ちゃんは、俺のせいで死んだんじゃない」。

兄ちゃんは絶対、俺にそんなことは言わない。


これは虫だ。

どんなに姿を正確に再現していても、懐かし過ぎて抱き着きたくて泣きつきたくてたまらなくても、虫だ。


片山は再び愛する兄を形作った影の腹を蹴り上げる。

また虫たちは姿を変化させて片山に幻を見せる。

遠い母の幻。


『ホントウニ、アノ人ニトテモ似テルワネ』


片山の顔はまるで生き写しみたいに父親とそっくりで、離婚後、ただそこに存在するだけで母親は勝手に傷ついた。


「でも、顔にホクロがあるのだけは、私似ね」


ただし、そう言って片山の口元に触れる時だけは、母は少し笑っていた。

そういえば、母親の左の目元には泣きボクロがあったな、と片山は思い出す。

結局、一緒にはいてくれずに失踪した母だったが、それでも、「あの人もあの人で、俺の中に父親と違うところを探そうとはしてくれてたんだな」と今の片山には分かっている。

だから、これもただの虫だ。


『ヤッパ、ヤベェ奴ジャン』

『引クワ』


次に現われたのは山瀬と松岡の姿。

いい奴らだと、とっくに片山も認識している。

宮本が「だから大丈夫だ」と言っていたように。


ここしばらく登校してなかった間も、片山のことも宮本のことも一緒に心配してくれていた。

スマホに連絡が来たのも残っている。


だから、やっぱり奴らもそんなことは言わない――思いっきり殴りつける。

すると、影用の虫たちはとうとう人間の頭ひとつ分くらいの大きさまで縮小した。


これで終わりだ。

そう最後のバンチを叩き込もうとした瞬間、悪あがきのようにそれは宮本の顔を形作る。


『イヤダ……消サナイデ、片山、タスケテ……』


その媚びた視線と声色は、それなりに「片山が好きそうな感じ」には仕上がっていたはずだ。

けれども、片山は全く威力を落とすことなく殴りつけた。

そして全ての虫が消失した。


「……宮本は、そんなことしないし、言わない」


片山は大きく吐息をついて、眉間に深くしわを寄せる。


絶対に言わないしすがらないからこそ、ああなった。

そして、こうして俺が動かないと、きっとこの後は壊れる……。 


アキオ兄ちゃんのことがあった後、俺も宮本も壊れかけてしまったのと同様に、また……。


宮本たちがいる方角から、大きな音と光と、場の湾曲の気配があった。

あちらの戦いも佳境のようだ。


「迎えに、行かないと」


大丈夫だと、信じている。

だが、もし宮本にできなかったなら、辛いことは全部、かわりに俺がやろう。


例えそれで宮本に徹底的に嫌われることになったとしても、全ての虫を今日確実に殺し尽くす……。

それが巻き込まれたみんなへの供養になると信じる。


できるのは「一体何が起こったのか」、経緯の全てを知っている、俺たちだけなのだ。

そう意思を固め、片山は急いで宮本の元に戻ることにした。




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