4-(2) 至強のかたち
真昼の白じろとした陽光なかを去りゆく天儀。
その背中を驚き半ばで見送る李紫龍と安心院蕎花の夫妻。
紫龍の目にはもと大将軍天儀の背中は燦然と輝いて見える。
紫龍は熱をおびた視線で天儀の背中を見送りながら、
「蕎花姉様、私は大将軍の強さがわかった気がします」
と、いった。
蕎花が、ほう、と紫龍を見ると紫龍は言葉を継ぐ。
「争いが強いとかそういったことではありません。悲しみをこともなげに受け止めしまう。あれが強さなのだと思います」
「まあ、天儀閣下は生きていて楽しそうなじゃな。妻帯もしておらんのにの」
蕎花が天儀の呼び方を変えていた。天儀の前では夫にあわせ大将軍といっていたが、天儀はもう大将軍ではないし、大将軍職は廃止される。なら、たんに将軍とでも呼べばいいが、あえて、
――閣下。
と首相、国務大臣クラスの敬称をあてたのは当然尊敬からだ。
ワシも夫もあの男のおかげで出世したようなものじゃからな。特に紫龍は天儀殿が、星間戦争最高の名将にしてくれたのじゃ。紫龍1人では熱い思いだけが空回りして終わりじゃった。
「大将軍に、いい人はいらっしゃらないのでしょうか」
蕎花は夫の問に鼻を鳴らして応じた。
「あれは、かわいそうじゃが一生そういうのとは無縁じゃろうな。女性から見て天儀閣下には、男としての魅力がない。本人が望んでいても無理じゃろう」
「そうなのですか。大将軍というだけで、いいよってくる女性はいそうですが」
「ま、おぬしは自分がおなごならあの男と結婚したい、などとおめでたいことを思っていそうじゃが」
と、蕎花が横目でにらむようにして夫の紫龍を見る。
紫龍は思わず、
――あ、確かに……。
と思うも、
「でも、蕎花姉様とさきに知りあいましたから、ないと思いますよ。あなたの紫龍は節義をまっとうします」
否定の言葉を口にした。
だが、とたんに蕎花の眼光が怒りをおび一喝。
「おぬし一瞬ワシと天儀を天秤にかけて迷ったじゃろ!」
「いえ、まさか」
と紫龍がろこつに視線を外した。
同時に蕎花の重いため息。紫龍が青くなる。
「いえ、待ってください。私が女なら蕎花姉様との結婚が無理ですよ。この話は根本的に成り立たない。この紫龍が仮に女と前提するなら、そもそも浮気にはならないので――」
シドロモドロになりいいわけをならべる紫龍へ、
「もういよい」
と、蕎花があきれ気味にさえぎり話を戻す。
「天儀閣下は女性を対等な存在としてしか見ない。これは女性から見て致命的じゃな」
「それはいいことでないのでしょうか?」
蕎花が鼻を鳴らし、紫龍を横目で軽くにらみつけるようにしながら、
「それは時と場合による。理解と共感、女性が重視するのはこの二点じゃ。天儀閣下の考えかたは、常に彼我対等、これは相手を尊重しているようで感情の一方通行。ともすれば価値観を押し付けじゃな」
と、断言した。
紫龍が困惑した。紫龍には蕎花の言葉の意味するところがいまいちわからない。
「男女の違いはある。残念じゃがな。生物的に女子より男子のほうが筋力が強い。子は女しか生めぬなどといったことは、いかんともしがたい。体の作りも違えば考えかたもおのずと違いがでる。これが現実じゃ」
紫龍は気の強い蕎花が男女の優劣を明確に認めるようなことを口にして驚いた。
「だが、あの男は純粋にすぎる。杓子定規に、女性を単に広く人間としか捉えていない」
「純粋で、杓子定規ですか?」
蕎花がうなづくが、紫龍にはわからない。
「そうでしょうか。大将軍は女性に対して、女性として気づかう態度をしめすことが多いですが」
「ワシとておぬしの大好きな大将軍へ好感を抱く。それ上司としてあの男に公正にして正大という篤実さを感じるからじゃ。それは他の多くのものも同じじゃろう。だが、その好感の源泉は、つまるところあの男の狷介な人間観からきておるのじゃ」
紫龍が黙考し、
「常に対等の存在としてしか見ないということは、女性を女性として見ていないということでしょうか。それなら、なんとなくわかる気がします」
考えた末の結論を口にした。
「まあ、そんなところじゃな」
と流す蕎花。もうこれ以上話しても夫は理解してくれなさそうだ。いや、それだけわかればじゅうぶんという気もする。
対して紫龍は、
――それにしても蕎花姉様は大将軍については言葉が多い。
と、驚きを覚えていた。
紫龍の考えていた以上に、妻の蕎花は大将軍天儀を見ている。自分は大将軍が大好きだが、妻は興味がないとすら紫龍は思っていた。
「蕎花姉様は、よく大将軍を見ていますね」
「天儀閣下は、おぬしが惚れ込んで命を預けた男じゃ。この蕎花の夫の運命を握ったものがどんな人物かはよく知る必要がある。それだけじゃ」
そう蕎花がフンッと鼻を鳴らしていうと、紫龍が、なるほど、とさわやかに笑貌を見せた。
蕎花が紫龍のむじゃきな笑顔をみて、
――そうじゃな。
と、思いついたように喋り始めた。
「あれじゃ。あの男が決定的にモテない理由がある。たとえばじゃ紫龍よ。戦いのさなかにワシや子が人質にお取られたら、おぬしはどうする?」
思いついたよう始まったと思った話題は、紫龍にとってあまりに恐ろしい問だった。とたんに紫龍の顔がくもり身がこわばる。つまるところ恐怖したわけだ。
――妻子が人質に取られたらなどと考えたくもない。
これが李紫龍だった。
軍人は想像力が豊かでないとつとまらない。敵の動きを予測して戦力を配置するからだ。この小さな未来予知ともいえる能力に長けるものが有能。李紫龍は天才的軍人。想像力はきわめて豊かだ。
リアルに状況を脳内で設定。対応策を考え、思考をフル回転。
「私は立場ある軍人で、私情に流されてはいけないです。ですが、えっと、ちがう。戦う。取り戻すために――」
紫龍は焦りを見せながら口走ると、
「そうだ!妻子を取り戻すために戦います!」
導きだした結論を叫ぶように吐きだしていた。
だが妻の蕎花は無情だ。
「殺すと脅されたらどうじゃ?」
紫龍が硬直した。
「妻子の命は助けてやるから降伏しろといわれたら?」
紫龍は吐き気を覚えて声がでない。思考も回らない。
そんな夫を見て、
はぁ――
と、蕎花がため息一つ。
「あの男は妻子二つの命で、敵を覆滅できる好機ととらえるであろうな。直感的にそう考える。迷いなくじゃ」
「まさか――」
驚く紫龍に、蕎花は否定も肯定もせず覚めた表情で、
「いまの時代、そんな男は願いさげじゃ。女には相手が自分を守ってくれるかどうか、もしくは必要とされているかどうか一目で見抜ける。天儀閣下は自身の本性を隠そうともしない。あれでは女性はよりつかん」
と、結論だけ述べたのだった。
紫龍は妻の言葉にあらためて去りゆく天儀の背中を思いだした。
紫龍の脳裏に浮かんだ天儀の背中は、なぜか陽炎のようにゆらぎ、はかなげに見えた。




