4-(1) 紫龍と蕎花と、天儀
『紫微惑星間グランダ共和国』
これが国家グランダの正式名称。
立憲君主制のグランダには政府議会の他に、皇帝が主催する朝廷という組織があった……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
オレンジ色の瓦に白亜の壁、朱色の柱。それらが太陽の光をうけ輝いている。
そんな東アジア風の豪奢な宮殿の門から颯爽と長い黒髪をなびかせでてきた軍の礼装の男が1人。
男は李紫龍。
身長186cmに長い手足。小顔で目元は涼しげ。なにより目を引くのはそのサラサラの美しい長い黒髪。
紫龍は門からでるなり振り返り、
「勝ったのに時勢を失ったといわれてはいたが、これほど閑散としているとは……」
と、『集光殿』と書かれた門扉の上の文字を見つめた。
いま紫龍は朝廷の変わりように驚いていた。
それにしても――。
と紫龍は思う。
戦前は帝への面謁を願うもので集光殿の待合室ごった返していたが、いまは人もまばらだった。警備の衛士の数も減らされている。それに私の司令長官認証式も帝の他には10数名だけだった。少ないにもほどがある。私の祖父が大将軍に就任したときには首相まで駆けつけたというのに。
――ずいぶんと寂れたな。
という淡愁の思いが紫龍の胸間を抜けていった。
「戦争の勝利が帝の権勢の衰微を招いてしまったか」
紫龍はそう静かにいうときびすを返した。
――あれほど帝がお望みになった星間戦争の勝利。
その勝利が招いたのが、いまの朝廷の寂れようだ。紫龍は一つの時代の終わりを見たような気がした。
紫龍が集光殿に背を向けると同時に、
「どうじゃ。ずいぶんと静かになっておるじゃろ?」
という気の強そうな女性の声。
紫龍が驚いて顔をあげると、そこには雪膚にカラスのぬれ羽色の長い髪、小股が切れ上がった女。女は将校の軍服に身をつつんでいる。その黒髪と白肌から一見まさに大和美人といった印象を受けるが、とくに目が切れ長だったり、ほほがふっくらしているわけでもない。
この女性の名は、
――安心院蕎花。
蕎花は驚いて応諾がでない紫龍へさらに継ぐ。
「以前は年に合計6ヶ月、その間に5日の朝議が行なわれていたが、いまはもうそれもないというぞ」
紫龍は目を丸くして、えっと――なぜこの方はここに?今日は家でおとなしく待っているという話で。などと思ってみても始まらない。とりあえず応じの声をだすことにした。黙っていると目の前の女性は間違いなく怒りだす。というのを紫龍はよく知っている。
「あー、蕎花姉様なぜここに?」
が、いったとたんに、
――しまった!驚きでよそよそしくなってしまった。
と、青くなる紫龍。
だが音にしてしまったあとに焦ってももう遅い。
蕎花が、その美しい蛾眉をつりあげていた。
「なんじゃせっかく愛妻が迎えにきてやったのに、その面倒くさいのがきたという顔と、他人行儀な対応は!もっと喜ばんか!」
瞬間、紫龍は肩をすくめ、
――け、けっきょく怒らせたかー。
心で悲痛。ひたいに汗しつつご機嫌取りの半笑い。
紫龍にとって姉さん女房の蕎花はまさに台風。従姉・従弟という関係だった幼いころから引きずられっぱなし、紫龍は妻にはまったく頭が上がらない。
「で、どうじゃ。そのでっかい屋敷のなかの様子は?蜘蛛の巣でもはっておらんかったか」
蕎花が集光殿を指していった。
紫龍は妻のあまりのいいように、
――あのーアナタの夫は一応、世間では〝忠臣〟と呼ばれているのですが?
そう内心嘆息。だが真っ向逆らうと、やはり面倒くさい。
「いやまあ以前よりは静かでしたね」
とたんに蕎花に喜色。
「じゃろ!もともと小さい組織なのに、欲張ってミアンに人員を大量に送り込むからじゃ。最近は朝議を開いても10人も集まらない日もあるというぞ。ハハハ、ざまあさまよの」
「ですが帝は相変わらずお忙しそうですよ」
李紫龍が、やんわりといった。
妻の朝廷批判を野放しにすると皇帝の退位にまで話がおよんでくる。
はぁ――。なぜこうなのか。と紫龍は思う。
妻の父はもと武官侍従で厳格な男なのに、その娘の蕎花ときたら朝廷の権威をあまり重視していない。いや、必要ないから廃止しろとすら思っている。李家と安心院家おなじ権門家柄で、同じように累代の忠臣とみなされるような家系でもある。
だが妻の蕎花からいわせれば、
――忠臣の家系だからといって知らん!
ということらしく、夫として紫龍が反論すると、
「だいたいじゃ!家柄の格式とかしきたりとかばかり気にして窮屈なかぎりじゃ。ワシは幼いころから習い事、習い事、習い事、習い事で、習い事。おぬしをいびる以外に習い事以外したことがないぞい!」
真っ赤になって激昂する。そして続いて決まって、
「両親も父は帝の下男で、母は皇后の下女じゃ。代々このありさまで情けなくてしかたない」
といってムスリと黙り込む。
もちろん蕎花の両親は下男下女ではない。父は先述のとおり武官侍従で、母は皇后へ近侍する女官長。
――ま、ようは、蕎花姉様は父や母を帝に取られたとすねておられるのだ。
というのが紫龍の幼いころに得た結論。
蕎花の口は夫のやんわりとした言葉ていどでは止まらない。
「ほんにそれの。朝議が開けないとなれば慰問や、これまで顔を出せなかった行事にでて回っておるわ」
「帝は時を無駄にしませんし、責任感がお強いのですよ」
「数年前に朝廷がなくとも国は回ると、発言して罷免された大臣がおったが、いまの状況を見ると間違いではなかったようじゃな」
紫龍がコホンと咳払い。いまの蕎花の言葉はさすがに度が過ぎる。
「我々が物心つくころに、いまの陛下が即位され、しばらくして親政が開始されましたからね。もう10年以上になりますね」
紫龍としても妻の批判的な発言に返す言葉もなかったが、忠臣を自負する身としてこれを、
――そうです。
というわけにもいかず苦しいところだ。
そう夫婦の会話がいまいち噛み合わないのは、紫龍が苦しくも蕎花の言葉への肯定も否定も避けているからだ。
はぁ――。と紫龍がまた心中ため息。
否定すれば妻は激昂する。肯定すれば忠臣という私の立場を自身で否定するようなもの。どうすれば正解なのか。私はわからない。
感傷に浸る紫龍へ、
「おい!聞いておるのか!」
という蕎花の舌鋒。どうやら妻の蕎花は紫龍が悶々とするなか朝廷批判を続けていたようだ。
いま紫龍の目に映る妻は、蛾眉をつりあげ、いらだって、そして、
――はかなげ。
あぁ――。と紫龍は思い。
「そうですか。お寂しいのですね」
そういって妻をサッと抱きよせ、その美しい蛾眉を親指でなでた。
とたんに真っ赤になる蕎花。
「な――おぉお?!!」
と紫龍の腕のなかでは妻のすっとんきょうな叫び声。
――ああ、やはり寂しかったのですね。そんな嬉しげな声をあげて。
紫龍は妻を抱く腕に優しく力を加えた。
「大丈夫ですよ。もう私がいるんですから、この紫龍は忠臣である前に姉様の夫です。ご安心ください。あなたの夫はどこへも行きませんよ」
蕎花はもう顔や耳だけでなく、頭の天辺からつま先まで真っ赤、
「かー止めんか!なんでおぬしは、いちいち行動が極端で大げさなんじゃ!」
といって紫龍を両手で突き放して、ゼイゼイと荒い息。頭からは湯気がでているようにすら見える。
だが、夫の紫龍からすれば想定外の妻からの拒絶。
――あれ?不正解?なぜ?
と紫龍は困惑。いまにも泣きだしそうな顔でオロオロとするばかり。
こんどは蕎花がため息ひとつ。弱る紫龍を見て、自身がいいすぎていたことに気づいていた。
「ま、おぬしをいびるのもこのへんで、やめておこう。そのでかい図体で情けない。軍の歳頃の女子たちが見たら幻滅するぞい。妻としても、それは一応避けたいところじゃ」
紫龍が胸をなでおろした。妻のネチネチつづく朝廷批判もこれで終わり、蕎花は好悪がはっきりしているぶん、やめるといったらこれ以上続けない。
紫龍は、
「助かります」
と、下手に応じた。
「しかし司令長官か」
蕎花が問いたげにそういった。
あまりに短すぎる言葉だが、この蕎花の言葉には、わざわざ戻ってきて帝に親補してもらう必要があるのかという問いだった。
紫龍が、そのあたりを機敏にさっして応じる。
「最高軍司令部と星間連合は慎重でしたね。帝をないがしろにするとまずいと判断したようです。いまは両国は同君連合、グランダでは全軍の長は親任官にあたるので、親補していただいたほうが良いということになりました」
「どうせおぬしの提案じゃろ。白々しい」
紫龍が少し笑って応じた。蕎花の言葉への肯定だ。
自他ともに認める忠臣の李紫龍はできる限り帝の顔を立てた。紫龍は根回しを行なってから最高軍司令部の反乱対応の会議で提案した。
「しかし、ずいぶんとおぬしとは差をつけられたの。学生時代はワシの方が成績は上だったのに、主席卒業もワシじゃった」
「でもデータ上で戦場をシュミレーションした演習では、私が全部勝ちましたから」
「それじゃ。あれだけはどうも苦手じゃったな」
蕎花の言葉に応じようと、紫龍が口を開くが、
「きょ、きょ――」
とどもって赤くなった。
蕎花がそれをジト目で見てから、
はぁ――。
とため息一つ。
「蕎花姉様でいい」
というと紫龍がホッとして、すまないというように会釈。
いまだに外では妻を呼び捨てにできないのが、星間戦争で軍人として最高の評価を得た男だ。
「蕎花姉様は、戦闘の結果を判定する賽を振ると、全部外していましたね」
「三分の一で命中弾がでるはずなのに、至近弾、至近弾、至近弾、そして至近弾!」
蕎花は至近弾を連呼した後に頭を抱えて、アッーっと叫ぶように悶絶した。
紫龍が、その姿を見て笑う。
蕎花が悶絶する姿が面白かっただけでなく、蕎花が3回目の対戦で、
――だあー!不良品じゃ!
と、モニターを叩き割ったのを思いだしたからだ。
「反対におぬしは、回避行動の賽は全部成功で、攻撃は全部直撃。じつに不公平じゃったな」
「回避する位置、命中する位置に駒を動かしているのです。当然です」
と、紫龍が自信ありげいった。
「そんな隠しプログラムが、されておってたまるか!」
蕎花が不満で顔を赤くして一喝し、紫龍は蕎花の剣幕に肩をすくめ苦笑。
「それに夫が妻より格下では、格好がつきませぬ。本当に良かった」
「意外に小さなことを気にしておるのだな。立場のどうでもいいというに。わしはおぬしが二等兵どころか無職でも養ってやるぞ」
ようは愛が大事なのじゃと、続ける蕎花に、紫龍は意外にこの人はロマンチストなのだよなと思いながら、
「はは、では失職したら頼みます」
と、いうと蕎花が蛾眉をつりあげ、
「はぁあ?!なにを甘ったれておる。失職したら即職安じゃ。おぬしは、そういう甘ったれなところが危ない」
直前に口にした言葉などなかったような剣幕だ。
慌てて妻をなだめる紫龍。
対して、その妻の蕎花はため息混じりに言葉を継ぐ。
「それにしても昔は小さくて目はくりくりして、あんなに可愛かったに、いまはこんなに大きくなってしもうて」
特別蕎花が小さいわけでもないのに、紫龍が長身なのでその差は目立った。
集光殿の前で、そんな会話を続ける夫妻に、
「不敗の紫龍も妻相手にはかなわぬか」
という声が投げかけられた。
とたんに紫龍が喜色に満ちた。紫龍には声の主が見ないでもわかるからだ。
紫龍は、
「大将軍!」
と、叫ぶような声で喜々として声のした方向へ振り向いた。
対して妻の蕎花は苦い顔。
――なぜ愛妻の登場より嬉しげなのじゃ。げせぬ。
などと嫉視を覚えつつも、紫龍とともに声の方向へ顔を向けた。
2人へ歩みよってくる軍服の上にゆったりとした朝服をはおった背丈がさほどない男。
長くもなく短くもない黒髪に、作りの悪くない顔と均整の取れた体型。
この男こそグランダ軍の元大将軍、星間戦争の勝利者、
――天儀。
戦後、戦争中なにをしていたかよくわからないと、一部で能力を疑義する声がでている男だが、開戦1年未満で多数の星系を領有する超宙域国家どうしの戦争を勝利に導き、星間戦争を終わらせた事実はゆるぎがたい。
じゃが――。と蕎花が思う。
ワシからいわせれば能力を疑義するほうがおかしいというものぞ。この男、戦うことだけは確かに異常に上手い。常人の目にはなにをしているのかすら、わからんじゃろうて……。開戦1年未満で宇宙戦争を終結させる。これを当たり前のようにやってのけた。異常じゃ。
「戦場での大将軍の神智は、はるか未来を突き抜けていくように飛んでいく。とても凡人では追いがたい」
これが酒匂艦長にして中央軍の佐将。天儀の部下として安心院蕎花の感想。
蕎花が天儀から夫の紫龍へと目を移すと、紫龍はまるで子犬が尻尾を振るような態度で天儀を迎え入れている。
妻の自分にも見せない顔がそこにはある。と蕎花は思うも、心中で小さくため息一つ、
――じゃが納得じゃ。紫龍も天才。天才は天才を知るとういところかの。
悶々としだした思いをかき消した。
紫龍の軍事的才能を完璧に理解し、使い切ることができるのは間違いなく天儀だけだ。
妻の蕎花が、そんなことを考えているとはつゆ知らず紫龍は、紫龍で、
「大将軍も朝廷にごようでしたか?こんなところでお会いできるとは、いやはや本当に天京へ戻ってきてよかった」
として嬉々として天儀へ言葉をかけている。
確かにその様子は妻の蕎花がいうように子犬が尻尾を振っているようだ。全身から喜びがあふれでている。客観的に見ても妻の嫉視の思いは納得だった。
天儀は『大将軍』と呼びかけてくる紫龍へ、自身が着ている朝服を見せるような仕草をしつつ、
「いまは、たんなる廷臣。大将軍はじゃない。見ろこの格好」
といって笑った。
「でも大将軍です」
紫龍が強くそういった。
「まあいい。いまは、まだそう呼ばれていた方がつごうがいいことが多い。軍の再編成は完了していないし、まだ仕事がある。長年続いた大将軍府を閉じるとなると仕事が多いな」
天儀は軍の再編を大将軍令として発布し、最高軍司令部が組織されると、本人の希望で大将軍職を解任されている。そして天儀は最高軍司令部にも参加していない。
「やはり大将軍府は閉じられるのですね」
天儀がうなづいた。
「それにしても戦争をするより事後処理の方が、はるかに時間がかかるな」
「まあ、普通は戦争自体が長引きますが……。それを開戦1年未満で勝利してしまうとは、なんというか理想的です」
蕎花は嬉しげに話す紫龍を険のある目で見てから、天儀を指して、
「いやいや星間戦争は約百年の戦争じゃぞ。そこの男が、どこぞから湧いて出て終わらせてしまったが十分長いぞい」
あきれたようにいった。
紫龍が妻の物言いに表情を引きつらせるが、天儀は一笑しただけだった。
紫龍が尊敬してやまない天儀を正面に見すえる。久しぶりに顔を合わせた天儀は、以前と特に変わりはない。機嫌も良さそうだ。
――次、大将軍と会えるのは半年から一年後か。
紫龍が思うに、上手くことが運んでもランス・ノールの反乱討にはそれぐらいかかる。
紫龍の胸間に、しばらくあえないのか――。という寂しさがよぎった。よぎった瞬間、
「そういえば将軍、このあとご予定はあるのでしょか」
紫龍は天儀へ迫るように問いかけていた。
「特にはないが、どうした?」
「ぜひ今夜お食事を。そうだ。妻も同席させていよろしいでしょうか」
「バカを言うな。たまには息子の顔を見てやれ。半年ほどあっていないだろ」
天儀が苦い顔をして応じると紫龍は、そんなことはない、と即反応。
「昨日すでに見ましたよ。寝てましたけど元気でした」
なにも問題ないというような紫龍。これでは、まるで大きな子供だ。
天儀があきれ、妻の蕎花はため息をつきながら、
「わしはおぬしと本当に夫婦なのかたまにわからなくなる」
と、愚痴をもらした。
「だから2人いっしょに!」
「おぬしは大将軍と飲むと、朝まで大将軍の武勇伝を聞くだけではないか」
「紫龍は、いいやつだ。俺が何度も同じ話をしても目を輝かせて聞いてくれる」
「しかもじゃ。その武勇伝が大将軍の戦歴の話でなく、学生時代のちょうしょーもない与太話というのがまた理解に苦しむ」
蕎花の覚めた辛辣な意見に紫龍が、
「なにを!酔っ払った勢いで数人でハイウエイへ侵入。サービスエリアからテーブルをかっぱらってくるとか実におもしろい話でしたよ!普通じゃない!」
とんでもないとばかりに応じた。
「はは、パラソルつきだったぞ。学生寮の駐車場にしばらく置いてあって夏はそこでビールを飲んだ」
このくだらない話を、紫龍は、すごい……私もやってみたかった。と目を輝かせて聞き入っている。対して当然だが蕎花は、
「まったくわからん……」
と、苦い顔。
――だいたい愛妻のワシと話しているときより楽しげなのが納得いかん……。
「そうだ!こんど息子にもぜひ聞かせてやってください」
せがむようにいう紫龍。
あの話をか。と、天儀が笑う。紫龍の子供は、まだ3歳前後だ。
紫龍のこの異常な興奮にも理由はある。
紫龍は幼いころから御曹司として育てられ、中学から軍幼年期学校一般科。天儀のように一般的な家庭で育ち、大学も一般的な学科をでている男の話は面白かった。紫龍の周囲には、紫龍のように生粋の軍人ばかりだ。なかなか軍の外の話は知れない。
「ああ、そうだ。あの教育実習で大恥をかいた話を、お願いします。あれが一番笑えます」
「そんな話もしたのか。弱ったな。しらふであの話は難しいぞ」
天儀が、そう頭をかきながらそういうと、
「なんにせよ。今日ぐらい妻と息子と過ごしてやれ、お母上ともだ」
紫龍へ厳命するようにいった。
とたんに紫龍が絶望の顔。捨てられた子犬のような悲壮感すらただよっている。
2人の様子を観察していた蕎花が、お母上、という言葉に反応。
「戦争中は、息子を義理母にあずけっぱなしじゃったからなぁ。産休も1年半の育児休暇も大変じゃった」
とたんに紫龍が青くなる。
――いけない、この話題は危険でダメやつだ。
と、察知したのだ。
紫龍は父親として、育児を妻や母へ投げっぱなし。それがまずいという自覚は持ち合わせていた。
一方の蕎花は自身の言葉で思い当たったというようにハッとなり、
「そうじゃそれじゃ。おぬしに出し抜かれたのは産休せいじゃ。本来ならワシが一軍の長であったはずが、女というのは損。おぬしが産休して育休もとればよかったのじゃ。そうすれば戦争では間違いなくワシが大活躍。なんという悲運!」
と、夫の紫龍へ舌鋒を向けた。
夫も夫なら、妻も妻だった……。
――育休はともかく、産休は不可能では?
と、夫の紫龍は笑顔を引きつらせるしかない。
蕎花は思いが高ぶったのかさらに続ける。
「ワシは、おぬしから求婚された折には不覚にも喜びの頂点じゃった。おぬしは煮え切らんぶぶんがあって、ワシからいいだすはめになると思っておったからな。じゃが、そんな謀略があったとは!」
「なるほど。紫龍やるな。そのようにして競争相手を蹴落としたか」
「待ってください大将軍。そんな不純な理由では求婚するとお思いですか!」
「大丈夫、冗談だ。君が求婚する顛末は、お亡くなりになった衛世将軍から聞いている」
衛世は天儀の前の大将軍だ。天儀や李紫龍、多くの優秀な軍人を起用し、戦争勝利後のいまは「勝利の組織者」と呼ばれている。衛世の作った軍隊で天儀が勝ったというような意味だ。
天儀からでた思わぬ暴露の一端。
とたんに紫龍はまずいという顔になり懇願の視線。
――続きをいわないでください!妻に知れたらなんといわれるか!
という目語だ。
だがもう遅い。
「ほほう。聞こう」
と、蕎花は目配せして続き催促していた。
「紫龍がいいだせないでいたので、妻帯を昇進の条件にして結婚させてやったと、カッカと笑っていたぞ。紫龍、君は衛世将軍に、結婚しなければ戦隊司令にはしないと迫られたらしいな」
「なんと、そのような――」
驚く蕎花を目にした紫龍が、
「そうだ大将軍。息子を抱いてやってください。ぜひ家にお招きしたい。急で失礼とは思いますが、今日どうでしょうか?」
無理矢理に言葉を繰りだした。この話題を続けても妻に対して自分の立場が悪くなる。とにかく話題を変えるしかない。
紫龍の申し出に、天儀が自分の右の手のひらに一瞬目を落としてから、
「この手でか、やめておこう。子に悪いものでもついたら困る」
と、少し寂しそうに断った。
天儀は開いていた手のひらを握り込み、同時に顔をあげ紫龍を見た。
「それよりお前が嫌というほど抱いてやれ。反乱鎮圧は上手くやっても半年は戻ってこられないはずだ」
天儀のこの言葉をうけて、蕎花が紫龍を肘でつつく。
もうだいぶここで立ち話をしている。そろそろ去ろうというような合図だ。
3人が立ち話をしているのは、集光殿の前。燦々と太陽が降り注いでいる。
廷臣の天儀をこんなところに拘束しておくのもはばかられた。朝廷へは批判的な蕎花だが、累代の廷臣の家系。その重みはいやというほど知っている。
すでに夫は二度も天儀を誘う言葉をだしているのに、
――大将軍は気乗り薄じゃな。引き際じゃろうて。
これが妻の蕎花の判断だった。
天儀もさっして手を上げた別れを告げるようにしてから、きびすを返そうとした。
だが、紫龍がハッと気づいたように去ろうとした天儀へ、
「そうだ。大将軍。2人目がいるんです!」
と、いって天儀を引き止めた。
「なにがだ?」
天儀がけげんな顔で振り向いた。
紫龍は振り返った天儀へ、
「腹の中にです」
と、いって蕎花のへそあたりを指差した。
天儀は驚いて、
「ああ、子供がか」
と、指された蕎花の腹をまじまじ見る。
蕎花は、コホンっと咳払いするように天儀の無礼な視線をたしなめた。
天儀が慌てて失礼というと、2人が笑った。
「名を頂きたいのです。名をつけて頂きたいだけでなく、僭越ながら大将軍から一字頂きたいという要望です。お願いします」
「俺からか」
と、天儀がとまどいを隠さずいった。
「はい。ぜひに!」
迫る紫龍に、天儀が気圧されたが、天儀は蕎花の顔を見る。
子供の名前は大事だ。勝手に紫龍1人で決めれば今後の夫婦の禍根になりかねない。
紫龍は尻に敷かれているように見えて夫婦の事になると、自分が至高だと思うことは妻も同様だと考えて独断で行動することがままある。これが天儀から見た夫妻だった。天儀は紫龍が全身で良いといっても安易に許諾はできない。
蕎花は天儀の視線をうけると微笑を浮かべて、
「妻のわしからもお願い申し上げます。天下の大将軍から一字もらったとなれば生まれてくる子も喜びましょうぞ」
と頭をさげた。
「そうか」
と、天儀から、ならしかたない、というような空気がでた。
それを見逃す紫龍ではない、
「はい。是非に!」
たたみかけるように迫る。
高身長の紫龍に対し低身長の天儀。2人の身長差は20cmぐらい。天儀は紫龍の必死な迫力に苦笑するしかない。
「で、男か女か?」
天儀の問に紫龍でなく妻の蕎花が応じ、
「まだわかりませぬゆえ」
というと、天儀はこの答えを聞いてあきれ気味に、
「なるほど――」
と、納得した素振りを見せ紫龍を見た。
「紫龍、君は抜けているな。男か女かわからねば名なぞ決めれん」
「いえ、一字頂ける許可を頂ければ。生まれた後に、それらしい文字をつければよいと思い。どうしてもいただきたいのです」
必死に食い下がる紫龍に天儀は、
「わかった。わかった」
とたじたじだ。
天儀が考えるふうにしてから、
「冬至」
そう口にし2人を見て言葉を継ぐ。
「女子なら冬に花で、冬花だ。男ならそうだな。至る龍で、至龍で、いいな」
「え、でも親子で同じ読みだとややこしいのでは?」
「む、不満か」
「いえありがたいのです。いや、やはり至龍は最高です!龍に至るなんて、龍になって雲にのるさまや、物事の奥義に到達するさまを思いますから意味も最高です!画数も間違いなくいい。調べないでもわかります!」
紫龍が慌てた。天儀の気分を害して、名を与える話がなかったことになると困る。
そんな紫龍に、妻の蕎花があきれつつ、
「おぬしはそこか」
と、いってから天儀を見た。
明らかに天儀が口にしたことでもっと疑問を持つ点と、驚くべきことがある。加えて腹を痛めて生む側の蕎花からすれば、紫龍が男児だと決めつけているフシがあるのもすごい。
蕎花は抜けた夫の代わりに天儀へ、
「大将軍閣下、〝冬至〟とは誰の名じゃ。聞いたことがない」
疑問点を問いただした。
「ああ、俺の本当の名前だ。織伏 至冬な」
天儀が一人称を〝俺〟といって、あっさりいってのけたのに対し2人は驚きの顔。
天儀は2人の反応を見て笑いながら、
「まあ、教えたことがないからな」
と、こともなげにいってすませようとしたが、2人がさらに問いたげな目を向けるとしぶしぶ話しだした。
「別に悪いことをして偽名を名乗っているわけではない。というか天儀は正真正銘の本名だ」
「本名が二つですか?」
と、紫龍が問う。
これは生まれた地域によっては、ない話ではない。たとえば民族文化にのっとった伝統的な名前と、一般的な名前の二つなどだ。
「いや、私の出身惑星である秋津が10年ほど内乱状態だったのは知っているな?」
夫妻が同時にうなづいた。天儀はそれに苦笑しつつ。
「内乱状態の惑星秋津で民進党に参加するおりに軽い気持ちで、いまの氏名を書き込んだら、惑星秋津がグランダへ完全併合されたさいに、それが本名となってしまった。内戦中盤の絨毯爆撃で市庁舎が燃えたせいで、私の戸籍謄本は焼失していたからな。いわば私のグランダでの戸籍データは完全なる自己申告だ。客観性皆無だな。民進党から提出されたデータがそのまま登録された」
「な、なんと、そうだったのですが……」
あまりのことに言葉がつづかない紫龍。蕎花もなんといっていいかわからない。
紫龍と、蕎花が同時に驚きと困惑で支配されていた。いまの話は2人が天儀と食事をともにしたときに聞いた普通の学生時代の与太話からはかけ離れすぎている。
天儀は、そんな2人の反応にも特に気にせず笑いながら、
「よく考えると自分が誰だか、もう俺以外にわからんという恐ろしい状況だな」
明るくそういうが、2人はやはりなんと応じていいかわからない。
――いや、それは笑えないのですが?
と、紫龍が言葉にきゅうし、蕎花も、
――まったく笑えんのじゃが……。
どう反応すれば正解なのか。といった様子だ。
天儀が困惑のるつぼにいる2人を交互に見てから、
「因みにだ。これは帝もご存じない。お前らは特別だな」
と、ふふっと笑いながらいった。言葉と同時に右手の人差し指を立てて口元へ持っていき、さも秘密だぞというふうだ。
これに紫龍が破顔、
「ハイっ!」
と、返事をした。
「秘密だぞ。ばれると色々面倒くさそうだ。それにもう俺は長いこと天儀だ。それ以外でもそれ以下もでもない」
2人が天儀の言葉にうなづく。紫龍は単純だ。驚きつつも特別だといわれ喜びを感じているのは明らか。妻の蕎花も面白いことを知って悪くないという顔だ。
天儀はそんな夫妻の様子を確認すると2人へ背を向けていた。




