32.丁泉の裁き(終)
そもそもの話として、黄華にとって伊予と千代の命運はそれほど大事な話ではない。
上級な生まれの方々は、あれこれと口実を見つけては民衆を足蹴にするものだし、権力なんて誰が上で誰が下かの序列を競うばかりだ。
では、なぜこの件に首を突っ込んだと言われれば。
(結局、千代と水爺が作った畑が惜しいんだろうな)
この荊央で絵描きを目指すもこうして料理を作り、畑が惜しくて誤解を紐解こうと国長に口挟もうと言うのだから、実家を出たところから何ひとつ変わらないのかもしれない。
(自分の育ちもさておいて、だ)
小舟の死体、その横にある鰡を見つけて口を出したその時から、結局何も変われなかった。
目の前には丁泉。そして、覚悟に首を垂れる伊予と水爺。
黄華はぼんやりと回想しながら、千代にまとわりつく呪い、それを剥がしにかかった。
もちろん、畑のために。
「唐辛子が辛いのはなぜかわかりますか?」
「……」
「……」
沈黙。そして、丁泉の恐ろしく寒々しい視線。
黄華は自分の回りくどい癖に軽く咳払いをし、言い直した。
「すいません。それは虫から食べられないためで、同じ味成分が毒にも辛にもなるってことです。要するに、これと同じく。はじめに理解するべきは単純なことなんです。それは、『婚姻する相手は尊重する』そんな些細な話。この一連の騒動は、そこから齟齬が生まれているのですから」
「……だから、何の話だ」
「分かりませんか? 丁泉さまにとって千代様は、権力を脅かす簒奪者に見えたかもしれない。けれど、千代さまにはそんな資格や意思がないということです」
丁泉は舌を打って吐き捨てる。
「百歩譲って本人がそうでも、周囲はそうもいくまい。だからこそ、『連続毒殺』は大事になった」
「毒……それは確かに害のある物。しかし、伊予さまと水爺がやったのは騒乱なんかじゃありません。もっと、単純なことです」
「なら、なんだと言うのだ」
「言ったでしょう。千代さまを守ろうとしたと。つまり、毒で亡くなった亡骸が城外に出されたのは……」
黄華は小舟の娘を思い出して、強く言い切る。
「千代さまへ事実を知らせずに弔うため!」
「理解できんな。そもそも、それなら土葬だろう。埋めれば見つかるまい」
いいえ、と黄華は首を振る。
「水葬、鳥葬、それに火葬。葬儀の形式は様々です。葬儀後の弔い会、そこでの食事も千差万別。人にはそれぞれ、弔われ方があるのです」
風習が違えば、葬儀も違う。
時にそれは死者への冒涜にも映る。けれど、当人たちにとってそんな気は微塵もないのだ。
「おい、嬢ちゃん。確かに俺は現場を検めてきたから、葬送だって言われたら欠片くらい分からんでもないがよ」
楽子山が、小脇に伸びた東呉兵を抱えて口を開く。
「どうしてそれが千代様を守ることに繋がるんだ? わざわざ隠す理由もわからねぇ」
「でしたら、まずは毒の件から参りましょう。先ほど千代さまに渡した箱、あれは誰が『犯人』かを炙り出すためのもの。きっかけは畑に訪れた時、普通とは様子の違う茄子を見つけたこと」
あの茄子は毒の移ったもので、やや生育が違ったのでしょう、と黄華は告げる。
「それから、千代さまは小さな力で大きな物を動かす術を習っていました。あれは大きな卓を動かして死体を隠したのと同じ理屈。ゆえに私は、千代さまとその周辺に毒を盛った人物がいると睨んだのです」
黄華の語りに、充血で蒼白の桓範が叫ぶ。
「そうだ! やはり、荊央を撹乱してその隙に乗っ取ろうという魂胆! 丁泉さま。早く、早く斬りましょう!」
「少しは落ち着きましょうや。桓範さま……」
楽子山は東呉の兵を乱暴に投げる。
小石を散らしながら哀れな兵が、桓範の足元に転がった。
「う……。あ……」
「斬るのはいつでもやりましょう。だが、問題は筋ってやつでしょうが。大義なき武勲を喜ぶのは、三流以下ですぜ」
「て、丁泉……様」
丁泉は動かず、真っ直ぐに楽子山を睨む。
「……ならば、他国の兵は丁寧に扱え」
「御意」
楽子山は鼻を鳴らし、その場に座り込む。
この悪人面がこうしていれば、荒事はからきしの黄華にもありがたい。
「もちろん、千代様自身が毒を盛った可能性もあります。それに、聞いていた被害者の数からすると、全てをひとりで葬送したとは考えにくかった」
「だから、反応で確かめたってわけか。言われてみれば、二人とも力はなさそうだし……な」
楽子山が顎に手を当てて、短い視線を跪く伊予と水爺に向ける。
「はい。そして、先ほど茄子を見た反応です。千代さまは『美味しそう』と言った。恐らく、毒の存在を知りもしなかったのでしょう」
「伊予ばあ! 何で言ってくれないの! 水爺だってそうだよ! そんなことなら私……」
「ごめんよ、千代ちゃん。野菜の値上がりで若い娘が度々盗んで、それでな……」
水爺の懺悔。千代は咽びながら、裁きを待つ伊予にすがりつく。伊予は何も言わず、ただその頭を撫でた。孫を慈しむように。
黄華は笹の葉ほど視線を伏せ、続ける。
「千代さまの野菜に毒が移って死者まで出たのなら、隠すにしても一度限りの事故で済ますのが当然。しかし、伊予さまと水爺さんはそうしなかった」
「あ、悪意だ……。荊央を混乱させて、その隙に……」
桓範はもう、亡霊みたいにゆらゆらしている。
「いいえ。二人には隠さねばならない理由があった。例え、罪を重ねて死ぬことになろうとも。そのひとつが、千代さまの来歴です」
千代が与えられた印綬、『珊瑚に彫られた竜』とは、珊瑚竜、つまりは『タツノオトシゴ』の暗喩だ。
「千代さま。いや、伊予さまもでしょう。二人は、壇州の『タツノオトシゴ』竜とは高貴な身分の中でも最上位の存在。つまり皇帝。その落とし子ということは……」
「まさかとは思うが嬢ちゃん……この二人は皇帝の血族だって言うのか?」
丁泉の背中に隠れる桓範へ、楽子山が睨む。
桓範の小さな悲鳴と同時に、丁泉が口を開いた。
「……珊瑚は希少な宝石。竜とて高貴の証。私の妃にだから当然だ。そこに深い意味などない」
「確かに丁泉様の言う通り。実際、丁泉様も黒烏を纏っているわけだ…………が……」
楽子山の額に珠の汗が浮かぶ。
口に出して違和感を覚えたのだろう。
太陽の代名詞『黒烏』と神の化身たる『竜』
この二つの格を比べれば。
「……出過ぎた言かと思いますが、丁泉様。嫁に竜は、ちょっと奮発しすぎじゃありませんか?」
「意味などないと、いま仰った!」
絶叫して桓範が、楽子山の下半身にまとわりつく。
倒れて転げ回る桓範が、楽子山に組み伏せられようとするその最中。
丁泉は虚空を見つめ息を吐くと、冷たい目を周囲に向けた。
「俺が合図をすればここには矢の雨が降る。この意味はわかるな?」
「なっ。口封じですか? 丁泉様。流石にそれは……」
楽子山の抗議に微塵も揺らぐことなく、丁泉は鋭い目で黄華を見据える。
「お前は、晴らせるのか? 俺の疑念を。証明できるのか? 間違いだと言った言葉の正しさを」
「もちろん」
間を置かず応える。
迷ったところでどのみち、退路はもうない。
丁泉の短い瞑目を黄華は静かに見つめた。
「ならば謳え。この、千代が持っていた金印が本物ではない証を。無様であれば死ね。どちらにしても、俺に損はない」
丁泉は懐から賽子のような金塊を取り出して、黄華の視線に突きつける。
「喜んで」
黄華は唇で弧を描き、応えた。
「丁泉様は千代様との婚姻を、東呉との政略と思っていた。故に、毒の件を密偵や計略と考えた。付け加えれば、千代様を献上品として見ていたところすらある」
黄華は軽く息を継ぐ。眼前の丁泉はまるで氷河だ。
「続けろ」
「その一端が隆中で私が聞いた質問です。『妃を愛しているのか?』あなたはこれを無視した。今ならよくわかります。あれは照れや誤魔化しじゃない。千代さまを『献上品』として、見ていたからです。想像ですが、『金の祖先を献上したい』とでも言った伊予さまの横に、千代さまがいたのではありませんか?」
極端に口数少ない伊予は無口ではなく、言葉が完璧ではないのだ。成人後に奴隷として攫われ、その後は突然妃の立場。正反対の立場だが、どちらも口数を必要としない。ゆえに齟齬は起こる。
「加えて、先ほどの金印。ある程度の教養があれば真っ先に『玉璽』を想起するのは自然。だからこそ、丁泉様は千代様を皇帝の血筋と確信し、献上の意味も歪んだ。しかし、私は全く別のところから、それが誤解なのだと気づきました」
千代は献上品なんかじゃない。意思を持つ、人だ。
そして、その意思こそが彼女の未来を拓く。
「鍵となるのは、伊予さまの求めた料理。その名前と特徴です」
「何度も言わせるな。料理は名前も特徴もわからなかった。『祖先、金色の』それから『海の果て。伝わる』だったか?」
丁泉は呆れたように鼻白らむ。
「東呉が身分を保証し、金印は真贋付け難い。壇州に明帝が滞在した公式の記録もある。月日こそ千年前。しかし、俺に疑う余地はない」
(そうか……。この方は、自分を千代様に重ねて……)
千年もの間、続く主従。
それが丁泉と桓範の一族だ。彼らにしてみれば、ありえないと思っても違うのだろう。
千年の歴史を否定すること。
それは即ち、己への疑問に繋がってしまう。
「あなたは本物です。丁泉様。しかし、料理人として私は譲りません。『金の祖先』が示す、本当の献上品。それが何なのかは、もう分かっているのですから」
「無駄な時間だ。お前は俺の疑惑を晴らせない」
丁泉が手を挙げた。下がれば天気は矢雨に変わるだろう。
伊予は頭を下げたまま、千代を抱きしめる。その上に、水爺が覆い被さった。
「キンの『祖先』……。故郷ノ。伝ワル」
絞り出す伊予の言葉。
もう黄華の足は止まらなかった。
「お、おい嬢ちゃん!」
「待っててください!」
こんな馬鹿な話、あって良いだろうか。
異国に攫われ、ただ故郷を思い。
願った食い物にすら、運命を弄ばれる。
命懸けで守ろうとするほど大事な。
異国で出会った、家族の行末すらも危うくするなどと!
黄華は卓まで走ってから、伊予の前に膝をつく。
「下げてろ! 嬢ちゃん!」
野太い声が降ってくる。楽子山だ。
問う間もなく、無数の何かが放物線に飛んでくる。
「踏み込みが足りん!」
蛇矛を回して、楽子山が飛来物を叩き落とす。
右から左、払われたのは矢だ。
「今のうちだ!」
首肯して、黒色の箱を伊予へ渡す。
「伊予様、開けてください。これが、あなたの伝えたかった料理です」
中身は錦糸卵が散りばめられた、まるで黄金の絨毯だった。
黄華が差し出す箸を伊予が入れると、中には干した椎茸や筍、いんげんといった色とりどりの山菜が散りばめられている。
「お、オォ……。金色、『Zǔxiān』、故郷ノ……」
楽子山の咆哮は絶叫に変わり、矢の雨は辺り一面に水溜まりを作る。
黄華は立ち上がり、白い儒くんを翻して指をさした。
丁泉はどこに隠してあったか剣を抜き、一歩また一歩近づいてくる。
静まり返った雨上がりに、黄華は語りかけた。
「……壱岐の一部で食べられる郷土料理です。元々は、船乗りの無事を祈願するために作られた儀式用のもの。山菜や茸を米に混ぜ、その上に貴重な鶏卵を錦糸のように振りかける!」
伊予は箱を大事そうに持って黄華に一礼すると、丁泉に向かって献上の姿勢をとった。
その表情に逡巡や焦燥は見えない。
隠し事など欠片もありはしないだろう。
あるのはきっと、料理を献上したい、その一心だけ。
(人を見極める目。丁泉さまならば……)
伊予の真贋を見誤るはずがなかった。
「金色の……祖先。いや、これが『すし』だと?」
戸惑うように丁泉の手がゆっくり下がる。
差し出された箸を剣に持ち替え、金色の一面に差し込んでいく。
「旨いな。それに、この暖かさは……。ええい、これではまるで……。千代と金印が……」
先に続く言葉はわからない。それでも、丁泉の疑いが解けようとするのを感じた。
「私に東呉の事情はわかりません。ただ、料理を作っただけ。しかし、」
黄華は丁泉の箱の中から、一粒の木のみを取り上げ、口に放り込んで見せる。
「これは、羅漢果という西蜀では神の実と呼ばれる代物ですよ。ね、千代さま」
「はい……。私が挿木や様々な栽培方法を試していたのは、この実を荊央で育てるため。気候が違うので、本来は育ちませんが……」
千代は懐から糸瓜を摘み上げる。
「同じ瓜科の糸瓜に添木すれば、育つことが分かったんです。……根無草でも、少しは丁泉様の力になりたくて」
これが、伊予と水爺が事故を隠した理由のふたつめ。出自しか依代のない千代に、地盤を与えたかった伊予。そして、才能を埋めたくなかった水爺。
(政略問題はいつも面倒だ)
千代の眼差し。それを、丁泉はしっかり見つめていただろうか。献上品には青すぎた、この真っ直ぐな新芽を。
「千代」
「はい。丁泉様」
「問う。羅漢果とやらは、それほど貴重か?」
「荊央の市中にはまず出回りません」
黄華は丁泉の前で礼をすると、進言を申し出る。
「丁泉様。あの者も詳しいかと」
羽扇を木の影に向ける。
そこには、やれやれという仕草の鈴猫。
「東呉にはさぞかし高値で売れるでしょうね。あの地は、ことさら不老不死にご執心だから」
黄華は軽く微笑み、卓を羽扇で指した。
「では、改めてご覧ください。丁泉さま。今、あなたの眼前には、この大陸の縮図が広がっています」
西蜀の羅漢果、荊央の圓子、東呉の麺、更には……。
「加えて壇州の『すし』……か。はっ、はははははは!」
丁泉は天を仰いで大笑いする。
「なるほど、面白い」
丁泉の目に潜む氷は溶けた。
いつもの、人を食ったような温かい目に変わる。
「食ってやろう。お前の作った料理をな!」
丁泉は一度だけ剣を高く掲げ、腰に履く。
「いつまでそうしている、桓範! 千代の皇族詐称の罪は零と見よ! そして、伊予と翁の毒殺は過失によるもの! それから、この『羅漢果』量産の功を差し引いて語れ!」
涙と鼻水、小石に塗れた桓範がよろよろと立ち上がる。
「……遺族への補償は羅漢果の利益から捻出。半年ほどは荊央内で畑作業を無償奉仕。その後は二年ほど同様の事故ないように注意、辺りでしょうか」
「ふむ! 次は楽子山の命令無視。友好国兵士への暴行だ!」
その言葉に楽子山は顔色を変える。
「そ、そりゃないすよ。丁泉様!」
「一階級降格の上、親衛兵の任を解任。代わりに、千代様の護衛へ。あと、私への謝罪も」
「か、桓範様。謝罪はともかく、降格って……えぇ??」
「はっはっは。しばらくは虎髭の悪人面から離れられるな」
黄華は二人のやり取りを聞きながら、思う。
楽子山には、何度もああして助けられた気がしたな、と。
丁泉の言葉に、周囲で笑いが起こる。
黄華はほっと胸を撫で下ろし、ようやく終わりかとひっつめ髪を背の房から出して流した。
「それから、これは俺の直命だ」
丁泉は、伊予、千代、水爺と視線を向け、剣の鞘で地面に文字を書く。
「この丁泉。お前らの才能を改めて買い受ける。姓を『町』と改め、城内で新たな人生を送るが良い!」
「畑の隣にいる、丁氏そういうわけですか」
わいわいと話し出す三人を尻目に、丁泉は城内へと歩いて行く。
桓範が慌ててその傍に付き従っていく。
丁泉が振り返った。
「それから、黄華。お前の褒美は桓範だったな。婿にするなり好きにしろ」
「え、あぁ……そうでしたね」
そんな話、すっかり忘れていた。確かに、当初の目的は桓範を味方につけ、丁泉に対抗するはずだった。
「て、丁泉様のご命令とあらば……僕は、黄華様に身も心も捧げましょう」
桓範が頬を紅くして俯く。黄華は微笑んで、桓範の目を見つめた。
きっかり三秒後。
黄華は目を半眼に変えて、低い声で呟いた。
「婚約は、破棄させて欲しいです」
「Zǔxiān」は表音記号です




