31.丁泉の裁き(前)
(この女、何を考えている? それに……)
羽扇を取り出した、旧蜀宰相の子孫は厄介だ。
だがそれ以上に、真の名を隠す協力者の動きが気にかかった。
丁泉はちらと木陰に視線を送る。
(機ではないのか。動かれたと言うのに)
先ほど飛んできた吹き矢。あれは間違いなく、鈴猫の仕業。
「丁泉様! 何かありましたか?」
「何ともないさ。ただ……整うまでしばらく待とう」
「……御意」
駆け寄ってきた桓範は察した目で返事して、いつもの端正な微笑み顔へ戻る。
(先手とは不覚不快。だが、誤ったな……)
既に中庭は、手勢の兵で囲んでいる。
それに、伊予と千代を護る東呉兵も塀の外だ。
ここに至れば、伊予と千代の過去を追及して処断するのは容易。
もし黄華が逆らうなら、墓標がひとつ増えるだけ。
(この母娘が皇帝の『忘形見』などと……。この曹泉とは相容れない)
丁泉は席を立ち上がるその最中、思考を加速する。
次の手は何か。いや、見落としはないか。まだ機でないとしたら、何を伺うべきか。
(伊予の動きは箱の中身が鍵。だが、理由は?)
丁泉の箱は蒼い装飾に、何かの果実。
一方で千代の箱は、紅い装飾に茄子料理が並んでいた。
(中身で比べたら、俺の方が奇怪だが)
千代と伊予が茄子を苦手としていた記憶もない。
つまり、分からない。分からないからこそ思考した。
丁泉は内心で笑みを浮かべる。
ずっとこうやって生き残ってきた、それを思い出して。
今の世は、一騎当千の武で打開できる時代ではない。
因習のみ残り、平和で安定。権力すら監視の対象だ。
ならば、どうするか?
知恵者を活かして敵の敵を味方にし、利害で大勢を覆す。
乏しい権力と実力を、知恵と人材で補ってきたのだ。
(裏を暴く術は、心得ているさ)
立ち上がった丁泉は、うんざりした様な仕草で睥睨する。
「皆、説明してくれないか? 少し戯れが過ぎる。せっかくの宴が台無しになってしまった」
「そ、それハ……」
打つべきは『見』さらに後手を取る不利は否めない。
それでも、丁泉はこれが合理的と判断した。
黄華が仕掛けた流れ、これに乗らざるを得ない不快感を、丁泉は飲み込む。
「千代さんも守ろうとしてのことですよ。ちなみに、水爺さまも同じです」
「それはどういう? この中庭には、何もありはしないでしょう」
桓範が問う。
「えぇ。良い庭です。先ほどの茄子も、この畑の品ですから」
黄華はわざとらしく周囲を見渡して、口角を上げた。計略など見通している、丁泉にはそんな表情に映った。
(伏兵に気づかれたか?)
そこまで考えて、丁泉は頭を振る。
そもそも、完全な奇襲が易々と決まるほど、世の中は甘くないのだ。
伊予と千代、そのどちらにも警戒があって当然。
護衛にしたって、政略結婚の先で丸腰な現状を、危険視しないはずがない。
ましてや、そんな状況で不自然な行動を取ろうなどと。
(口実を与えるだけ。ならば……)
伊予が暗殺を警戒した線はどうか。
箱の中の茄子、つまり個別の食べ物なら、先ほどまでの大皿料理と違い千代だけを狙うこともできる。
(伊予の行動に辻褄は合う。だが……)
黄華の言動、その根拠と動機が読めない。
丁泉は口を開く。
「だとして、お前はなぜ、伊予さまと……その翁の行動を読めていた?」
丁泉の脳裏に、臨時で雇い入れた六名の職人たちが浮かぶ。
年齢は十六から五十四歳。来歴に不信な点もなく、善良な職人の類だったはず。
黄華本人が毒を盛る理由にも思い当たらない。
職人気質でもあるし、下手人なら先ほどの『守ろうとしてのこと』などと語るのは不自然極まりない。
(つまり、伊予と黄華の間に連携がないのは確実)
そこまで考えて、丁泉は違和感を覚えた。
いや、違和感と言うには生ぬるい、点と点が繋がる感覚。
「……待て。それよりも、」
ようやく掴んだ失着の一手。
これならば、少なくとも伊予の首に鎌をかけられる。
「なぜ、伊予は茄子に毒があると知っていた?」
伊予の表情が強張った。
翁が駆け寄って頭を地に打ち付ける。
「流石ですね。丁泉さまは」
「え……? て、丁泉……様?!」
弧を描く笑みを浮かべた黄華と、蒼白の桓範。
「茄子に毒、まさにその通りです。伊予さま、それに水爺さんが動いたのは、その茄子が毒入りと思ったからですよ。朝鮮朝顔の、ね」
「朝鮮……朝顔ですか?」
その植物の名前に、桓範が白い顔を曇らせる。
朝鮮朝顔。それは懸念事項のひとつ『連続毒殺』で使われたと目される。それがなぜ、茄子から出てくるのか。
丁泉は込み上げ歪む顔を隠すように、手で顔を覆う。
(西蜀の横槍ではなく、こいつらの撹乱だったか)
状況証拠は十分。
何より、黄華が見抜いたのならば仕掛けは暴いたも同義。これで、名分は出来た。
「もちろん、この茄子は無害です。選別しましたから。ただ、挿木で育てると元の植物の特徴が移ることがあるんですよ。それは花咲く時期だったり、実の大きさだったりと、目に見えることもあります。そして、今回の場合は……」
微かに聞こえる、息遣い。
丁泉はもう邪悪さを隠そうともせず、顔をあげた。
「茄子に毒が移ったんです」
地に頭を打ち付ける翁が悲痛な叫びを上げる。
「皆様、大変申し訳ございません。全て私の落ち度です。このお嬢さんの言葉は本物です。ですが伊予さまと千代さまは関係ありません。私が育てておりました。この中庭で。その茄子を……何卒……何卒……」
「下がれ、下郎。お前も仲間だろう。ついに見つけたぞ。この城内で繰り返されていた『連続毒殺』それは、伊予! お前の仕業だな。高貴な身分でありながら何人もの命を害した罪、命で償え!」
丁泉の笑うような薄く低い声。
伊予は観念したのか、翁の横に正座し頭を下げた。
「丁泉様……」
「あぁ」
桓範は白い顔で微かに震えていた。無理もない。
女官ばかりが狙われていたから助かったが、本来なら自分たちが毒殺されても不思議ではなかったのだ。
(胸が……騒ぐ?)
東呉兵の慌てた様子が目に入った。
素手で駆け寄っては、蛇矛を構える楽子山に阻まれ、地に転がっていく。
千代が倒れた兵に駆け寄り、ゆすって状態を確かめている。
事は済んだはずだ。
千代には後から、連座して罪を被せておけば良いし、もうこれで荊央が割れる事態はなくなったのだ。
(だと言うのに)
丁泉は静かに立っている真っ白な料理人に声をかけた。
「お前にもしっかり礼をしないとな、黄華。そういえば、最後の黒い箱は何だったんだ?」
「………シゴ」
「何だ?」
小さく響いた黄華の言葉。
「タツノオトシゴ」
「……お前、まさか」
最も見抜かれてはいけない、抹消すべき秘密。
伊予と千代を無理矢理にでも始末しなければならない理由。
「そう。まだ私の料理は終わっていません。丁泉さまが起こそうとしている行動の根拠。これがもし、間違っていたとしたら?」
ただでさえ白かった桓範の顔色が変わり、目が虚になる。
丁泉も、背中に冷たいものを感じた。
「『タツノオトシゴ』それの意味することを私は知っています。そして、それが間違っていることも」
「な、なにを……ばかな」
血なのか泡なのか、桓範が死にそうな声を絞り出す。
「言ったでしょう。伊予様の探した料理には、大きな秘密があると」
聞くべきか、殺すべきか。
丁泉は、選ばなくてはいけなかった。




