第3章 一枚の画像は百の証言に勝る
最初の画像から一か月。
エレノアに関する噂は、明らかに増えていた。
ミレーユが意図的に広めたものもあれば、勝手に膨らんだものもある。
公爵令嬢は身分の低い令嬢を見下している。
王太子の前では優しいが、陰では侍女を叱責している。
婚約者という立場を利用して学院を支配している。
どれも事実ではなかった。
だが、一度植え付けられた印象は厄介だった。
エレノアが無表情で歩けば「傲慢」と言われ、後輩へ注意すれば「高圧的」と囁かれる。
それまでなら公爵令嬢としての威厳と評されていた態度が、すべて悪意の証拠として解釈され始めた。
「随分と楽しそうね」
図書室で、突然声を掛けられた。
ミレーユが顔を上げると、向かいの席にエレノアが立っていた。
「何のお話でしょうか」
「最近の噂よ」
「私も困っています」
「そうでしょうね」
エレノアは椅子を引き、ミレーユの正面へ座った。
銀灰色の瞳が真っ直ぐこちらを向く。
「葡萄酒の件。本当に私がしたと思っている?」
「私は何も申し上げておりません」
「画像を否定もしなかった」
「写っているものを、私が勝手に否定してよいのでしょうか」
エレノアの表情がわずかに曇った。
ミレーユは内心で優越感を覚えた。
公爵令嬢であろうと、反論できない。
なぜなら画像がある。
「私は、あの日あなたへ葡萄酒をかけていない」
「存じません」
「あなた自身が一番知っているでしょう」
ミレーユは黙った。
エレノアは机の上へ手を置いた。
「私はあなたが嘘をついているとは言っていない。けれど、あの画像に何かがおかしいことだけは確かよ」
「写景板は現実を記録する魔道具です」
「そう教えられているわね」
「でしたら」
「だからこそ困っているの」
思いのほか冷静な返答だった。
「私の記憶と、記録が食い違っている。どちらかが間違っているのなら、まず調べるべきでしょう」
「随分、ご自分を信じていらっしゃるのですね」
「ええ」
即答だった。
「少なくとも、自分が人へ葡萄酒を浴びせたかどうかくらいは覚えているわ」
エレノアは立ち上がった。
「ミレーユ嬢。私はこの件を調べる」
脅しではない。
ただ事実を告げるような口調だった。
「どうぞ」
ミレーユは微笑んだ。
調べればいい。
何も出てこない。
存在しなかった事件なのだから。
その数日後、二枚目の画像が現れた。
今度は、エレノアが学院の侍女へ金貨袋を渡している。
ミレーユは本物の事実を混ぜた。
その侍女は実際にグランフェルト公爵家から金を受け取っている。
ただし理由は、病気の母親への見舞金だった。
画像では、場所を変えた。
人目のない旧校舎。
そして直後、学院内で保管されていた試験問題の一部が紛失した。
盗んだのは、ミレーユが金で雇った下男だった。
問題用紙そのものは燃やさせた。
だが、人々の頭の中には因果関係が出来上がった。
エレノアが侍女を買収した。
その後、試験問題が消えた。
ならば目的は何だったのか。
誰かに勝たせるためか。
成績を操作するためか。
噂は勝手に物語を作る。
アドリアンも、以前ほどエレノアと行動を共にしなくなった。
一方、ミレーユへ声を掛ける回数は増えていった。
「君は大丈夫か」
「何がでしょう」
「また何かされていないか」
「私は平気です」
そう答えながら、ミレーユはアドリアンの優しさを少しずつ自分のものとして受け取っていった。
最初は地位が欲しかった。
王太子妃という座が欲しかった。
だが近くで接しているうちに、アドリアン本人まで欲しくなっていった。
穏やかで、責任感が強く、自分のような下位貴族にも丁寧に接する。
エレノアには、生まれたときから与えられていた。
自分には、努力しても手に入らない。
その不公平が、以前より耐え難く感じられた。
夜になると、ミレーユは机へ向かう。
画像を作る。
エレノアが侍女を叩く姿。
外国商人から封書を受け取る姿。
アドリアンを嘲笑するように友人と話す姿。
何度も失敗した。
指が増える。
耳飾りが消える。
窓の向こうの塔が左右逆になる。
人物の影が二方向へ伸びる。
ミレーユは一つずつ修正していった。
「右手の指は五本」
「髪飾りは左側」
「公爵家の紋章は銀狼。狼は三頭、右向き」
「午後三時。光は西から」
生成するたび、能力は精密になっていった。
ある夜。
出来上がった一枚を見て、ミレーユは手を止めた。
エレノアが外国人らしき男から密書を受け取っている。
衣服も背景も、表情も自然だった。
どこにも違和感がない。
「……完璧」
小さく呟く。
それまで何十枚も画像を見てきた自分ですら、何が偽物なのか分からなかった。
ミレーユは、その一枚を写景板へ移した。
そして初めて、自分自身の能力を恐ろしいと思った。
けれど、その恐怖はすぐに別の感情へ塗り替えられた。
これなら、エレノアをアドリアンの隣から引きずり下ろせる。




