表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選ばれなかった刃――雨中の母校決戦  作者: 孔雀丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/16

第7話 閉ざされた母校

こんにちは、お読みいただきありがとうございます。


前話で美奈子が見た「雨に残る記憶」は、現実の事件そのものでした。


そして今、福江市には新たな異変が広がっています。


住宅街、河川敷、コンビニの駐車場、そして複数の学校――目撃情報が示すのは、偶然ではなく「意図された拡散」。


慎悟たちの母校・福江東中学校にも、その影が忍び寄ります。


平和だったはずの放課後が、一瞬で牙を剥く。


十人が「行くぞ」と席を立つまでの短い時間、彼らの中で何が動いたのか。


そして、後輩たちはどれだけ持ちこたえられるのか。


どうぞ最後までお付き合いください。

 誰もが、灰色の空を見上げていた。


 翌日の福江市(ふくえし)を覆っていたのは、重い雲だけではない。昨日までの本降りの雨は一度止んでいたが、それは晴れ間ではなく、次の一撃を溜め込むための沈黙のように感じられた。


 風は湿り気を帯び、遠くから雨の匂いが運ばれてくる。まだ本降りには至っていない。だが、いつ空が裂けてもおかしくない。


 そんな緊張が、街全体に薄く、しかし確実に張り詰めていた。


 市内では前日から、小型の恐竜のような生物の目撃情報が相次いでいた。


 住宅街の路地。河川敷の草むら。コンビニの駐車場。そして、複数の学校の敷地内。


 目撃談が増えるごとに、証言は具体性を帯びていった。


「爪の跡があった」「鱗みたいなものが光っていた」「二足で走っていくのを見た」。


 各校では部活動が中止され、清王学園(せいおうがくえん)でも放課後の活動は控えられた。


 生徒たちの反応は、綺麗に二つに割れている。


 本当に恐竜だと本気で怯える者。野犬だろう、誰かの悪戯動画だろうと軽く笑い飛ばす者。


 だが、笑えない者たちもいた。


 ◇


 一年一組の教室では、慎悟(しんご)たちが窓の外の曇天を見上げていた。


 前日、福江東中学校の後輩――牛山智徳(うしやまとものり)清滝聖矢(きよたきせいや)から聞いた話が、まだ耳の奥にこびりついていた。


「小さな恐竜みたいなのが出るようになったんです」


 智徳の声だけが、繰り返し蘇る。


「無差別な出現じゃないと思う」


 (れん)が机の上に広げた地図を、指先で静かになぞる。


 福江東中学校と清王学園、両方の周辺で目撃が集中している。それは偶然の分布ではない。


「分散させて、こっちの動きを鈍らせる陽動かもしれない」


 蓮の声は淡々としていた。だがその平坦さこそが、事態の深刻さを物語っていた。


「あるいは」


 (つばさ)が地図の一点を、指先で静かに叩く。


「僕たちを、どこかへ誘い込もうとしている」


 友紀(ゆき)南海(みなみ)は、無言のまま顔を見合わせた。


 二人とも、口には出さない。だが同じことを考えていた。


 福江東中学校――智徳と聖矢がいる場所。


 自分たちの母校であり、今はまだ何も知らずに授業を受けているはずの後輩たちがいる場所。


 引き戸が開き、担任の吉崎瑞紀(よしざきみずき)が教室に入ってくる。


「今日は寄り道せず、できるだけ複数人で帰ってね。一人にならないように」


 いつもより硬い声だった。


 生徒を気遣う教師の顔の下に、もう一枚、別の顔が透けていた。何かを察しながら、それを言葉にしない顔だった。


 ◇


 福江東中学校では、終礼直後の日常が、まだそこに残っていた。


 椅子を引く音。鞄のファスナーを閉じる音。部活動中止を残念がる、どこか間延びした声。廊下を歩く生徒たちの、いつもと変わらない喧騒。


 その日常の中に、校庭から異様な鳴き声が混じった。


 窓の外を、小さな影が複数、地面すれすれを素早く走り抜けていく。


 最初、生徒たちは何が起きたのか理解できなかった。


 誰かが悲鳴を上げるまで、それはまだ日常の延長線上にある、ただの物音だった。


 昇降口の扉が、内側から破られる。


 恨卑(こんぴ)の群れが、床を爪で鳴らしながら校舎内へ雪崩れ込んだ。


 続いて、ガラスの割れる甲高い音。疾牙が、廊下の窓を突き破って次々と侵入してくる。


 非常ベルが鳴り響き、悲鳴が幾重にも重なった。


「逃げて、体育館へ!」


「先生、こっち!」


 廊下で生徒の流れがぶつかり合い、混乱が一気に広がっていく。


 体育館へ走る者。教室に戻り、内側から鍵をかける者。机を扉の前へ押し出そうとする者。階段の途中で足がすくみ、動けなくなる者。


 校門の外にも、疾牙(しつが)が集まりつつあった。逃げ場は、もうどこにもない。


 安全であったはずの学校が、たった数十秒で、巨大な檻に変わっていた。


 教師たちは、それでも無力に立ち尽くしはしなかった。


 体育館や特別教室へ生徒を集め、机や跳び箱、清掃道具を運んで扉の前を塞ぐ。名簿を手に取り、震える声で点呼を取る教師もいた。


 だが、数人が足りない。


 校舎のどこかに、まだ取り残された生徒と教師がいる。


「警察と消防に連絡して!」


「校門付近に集まってるから、救急車も近づけない!」


 通報はもう済んでいる。それでも、外から助けが来るまでには時間がかかる。


「あとは待てばいい」という状況ではなかった。


 声を張り続ける教師たちの喉が、次第にかすれていく。


 ◇


 聖矢と智徳は、テニス部の後輩たちと一緒にいた。


 部活動中止が決まり、帰り支度を済ませたばかりのところへ、いきなり襲撃が始まった。


「こっちの階段は使えない、渡り廊下から回ろう」


 聖矢が周囲の気配を確認しながら、逃げるべき経路を判断する。


 手の中のスマートフォンを握る指先が、わずかに震えていた。恐怖がないわけではない。ただ、それを表に出す余裕さえ、今の自分にはなかった。


 智徳は後輩たちの前へ立ちはだかり、迫ってくる恨卑の群れをラケットで力任せに振り払う。


「大丈夫だ、先に行け……!」


 声だけは張っている。だが、疾牙の姿を初めて間近で目にした瞬間、足の裏から根が生えたように、一歩も動かなくなった。


 喉が渇き、呼吸が浅い。体格には人並み以上の自信があったはずだった。だが、こんな種類の恐怖を、智徳はまだ知らなかった。


 それでも二人は、後輩たちを先に教室の奥へと逃がした。


 聖矢が安全な経路を示し、智徳が敵の注意を一身に引き受ける。誰が決めたわけでもないのに、役割は自然に、しかし確実に分かれていた。


 後輩たちを物陰へ押し込んだ直後、近くで甲高い悲鳴が上がる。


 逃げ遅れた生徒を庇った教師が、疾牙に体当たりされ、廊下に倒れ込んだ。


「先生……!」


 智徳が反射的に飛び出そうとする。


「待て」


 聖矢がその腕を強くつかんだ。


「今行っても、間に合わない。数が多すぎる。俺たちまでやられたら、後輩たちの居場所まで知られる」


 理屈では分かっていた。だが、動けない自分の腹の底に、鉛のような重さが沈んでいく。


 聖矢は唇を強く噛み、震える指でスマートフォンを取り出す。


 警察にも、消防にも、すでに連絡は入れてある。それでも、間に合わない。


 頼れる相手は、もう一人しかいなかった。


 画面に「北潟慎悟(きたがたしんご)」の名前を呼び出し、文字を打ち込んでいく。震える指が、何度も文字を打ち間違える。


『慎悟先輩、校庭に昨日より多くいます。先生が一人襲われました。校門が閉まって、外へ出られません』


 送信ボタンを押す。既読は、すぐにはつかない。


 聖矢は画面を見つめたまま、そこから一歩も動けなかった。


「聖矢、来る」


 智徳の声に、聖矢は弾かれたように顔を上げる。


 廊下の奥から、疾牙の低い唸り声が、確実にこちらへ近づいてきていた。


 ◇


 清王学園の一年一組。


 慎悟のポケットで、短い電子音が鳴った。


 画面に浮かんだ名前を見た瞬間、胃の底がひやりと冷える。


 昨日、智徳と聖矢が話していた小さな恐竜のこと。校庭に残された、見覚えのない足跡。誰かに学校そのものを探られているような感覚。


 そして、自分自身が二人に告げた言葉――何かあれば、すぐに連絡しろ。


 メールを開く。


 文字を目で追うごとに、拳が強く、強く握られていく。爪が掌に食い込む感触さえ、遠くのことのようだった。


 考える時間は、一秒もいらなかった。


 慎悟は椅子を蹴るようにして立ち上がる。


「行くぞ。今度は、間に合わせる」


 その声に、九人が一斉に動いた。


 友紀は迷わず鞄をつかみ取る。南海は無言のまま、慎悟の隣に並ぶ。


 蓮はスマートフォンを操作し、最短の経路と交通状況を確認する。翼は母校の校舎構造を頭の中に思い浮かべ、正門が塞がれているなら別の侵入経路があるはずだと、素早く考えを巡らせる。


 歩美(あゆみ)は回復札の残数を確かめ、唇を一度引き結ぶ。翔一(しょういち)は、いつもの軽口を飲み込み、無言のまま椅子を引く。


 綾実(あやみ)は状況を頭の中で冷静に整理し、伊織(いおり)は必要な道具を手早く確かめる。健太(けんた)は重い表情のまま、拳を強く握って立ち上がった。


 誰一人として、慎悟だけを行かせようとはしなかった。


 それは慎悟一人の決断ではない。十人の決断だった。


「待ちなさい」


 吉崎瑞紀が、教室の入り口に立ちはだかる。


「あなたたちは、生徒なのよ。危険な場所へ行かせられるわけがないでしょう」


 その声は硬く、わずかに掠れていた。教師としての責任と、押し殺しきれない何かが、そこに滲んでいた。


 慎悟は、長く説明することはしなかった。


「後輩と先生が、まだ校舎の中に残ってます。俺たちじゃないと、間に合わないかもしれません」


 吉崎は言葉に詰まる。


 止める理由なら、いくらでも並べられる。だが、十人の目の中に、彼女自身にも説明のつかない何かを、確かに見てしまった。


「……無茶はしないで。必ず、全員で戻ってきなさい。一人で動かないこと」


 それだけを告げるのが、彼女にできる精一杯だった。


 十人は、教室を飛び出す。


 外には、雨の匂いを含んだ湿った風が吹いていた。遠くで、低い雷鳴がひとつ響く。


 慎悟は、福江東中学校の方角を見つめた。手の中には、聖矢からのメールが表示されたままのスマートフォンがある。


 かつて、この母校で守られていた少年少女たちが、今度は自分たちの意思で、母校を守るために走り出す。


 十人の背中が、重く垂れ込めた雲の下へ、次第に吸い込まれていった。


 閉ざされた母校の向こうで、後輩たちは、あと何分持ちこたえられるのか。


 誰にもまだ、わからなかった。

第7話、お読みいただきありがとうございました。


日常が崩れる瞬間というのは、いつも呆気ないものだと思います。


椅子を引く音、鞄のファスナーの音――そんな何気ない日常の延長線上に、恨卑と疾牙の群れは唐突に現れました。


聖矢と智徳、二人の役割が自然に分かれていく場面は、今回とくに丁寧に書きたかった部分です。


聖矢の「間に合わないかもしれない」という冷静さと、智徳の「動けない」という悔しさ。


どちらも勇気の形として描いたつもりです。


そして、吉崎先生の「待ちなさい」という一言。


止める理由はいくらでもあるのに、それでも彼女は十人を見送りました。


このやり取りに何かを感じていただけたら嬉しいです。


次回「渦巻く雲の下へ」では、いよいよ慎悟たち十人が福江東中学校へ到着します。


閉ざされた母校の中で、彼らは何を目にするのか。


どうぞお楽しみに。


もしよろしければ、感想や評価をいただけますと、次話以降の励みになります。


※本作の執筆・編集にはClaude(Anthropic)を補助的に使用しています。キャラクター設定・世界観・構成・最終判断は作者が行っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ