表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選ばれなかった刃――雨中の母校決戦  作者: 孔雀丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/15

第6話 甘さの消えた店

甘い匂いが消えた店に、五人の少年が身を潜めています。


友情でも連帯でもない、ただ同じ恨みだけで繋がった悪路漢たちは、ついに次の標的を定めました。


清滝聖矢――かつて自分たちを止めた、あの通報者。


そして刃の切っ先は、北潟慎悟へも伸びていきます。


計画の裏で、彼らの誰も気づいていない監視の目が動き出す――。


静かで、しかし最も冷たい一話です。

 甘い匂いは、もうどこにもしなかった。福江(ふくえ)東中学校から数百メートル、住宅街の奥。数年前に閉店した小さな洋菓子店の看板で、片耳だけ黒く汚れた白兎が、笑っているのか怯えているのか分からない顔のまま雨に打たれていた。


 正面のガラス戸には「閉店しました」という紙が貼られたままだ。雨水を吸って波打ち、文字の半分がすでに滲んで読めない。


 シャッターの隙間から、細かな雨粒が絶え間なく店内へ入り込んでくる。


 ガラス張りのショーケースはとうに空になり、曇った内側には埃と、動かなくなった小さな虫の死骸が積もっていた。


 壁には、近所の子供たちが描いたらしい白兎の落書きと、色褪せた記念写真が数枚、画鋲だけを残して剝がれかけている。合格、優勝、誕生日。そんな文字が、湿気でふやけて読み取りにくくなっていた。


 かつてここには、焼いたスポンジとバター、カスタードの匂いが満ちていたはずだ。


 だが今、鼻をつくのは古い油と黴、そして雨に濡れた土の臭いだけだった。甘さは、どこにも残っていない。


 厨房の奥、業務用の作業台の周りに、五人の少年達が身を潜めていた。


 奪ってきた食料の袋、飲みかけのペットボトル、雨に濡れたままの上着。誰かの毛布代わりの段ボールが、隅に無造作に積み上げられている。


 刃物の匂いと、濡れた布の匂いが混じり合っていた。


 悪路漢(あくろかん)は、作業台に日本刀「松影(まつかげ)」を横たえ、布で刀身を拭っていた。


 昼間、警察官と恋人たちを斬った血は、もうとうに落ちている。それでも悪路漢は、同じ場所を何度も、何度も拭き続けていた。


 拭うたびに、頭の中で同じ映像が繰り返される。


 北潟慎悟(きたがたしんご)が、蒼王(そうおう)を構える姿。


 自分がそれを、松影で斬り伏せる瞬間。


 想像の中の慎悟は、いつも同じ顔で驚き、いつも同じ声で膝をつく。悪路漢はその場面だけを、何十回も磨き上げていた。


「なあ、いつまで刀なんか磨いてんだよ」


 鬼暗憎(きあんぞう)――河原大河(かわらたいが)が、冷蔵庫の残骸に背を預けたまま声をかけた。手には、コンビニで奪った菓子パンの袋がある。乱暴に破って、中身を口へ押し込んでいた。


 悪路漢は答えない。布を握る指の力だけが、わずかに強くなった。


 鬼暗憎はそれを気にする様子もなく、続ける。


「別にいいけどよ。お前がそうやって研いでる間、俺たちはずっとこの臭え店に閉じ込められてるわけだ」


 壁際に座り込んでいた鬼乱怠(きらんたい)――井手壮亮(いでそうすけ)が、金棒代わりの厨房用の棒を握り、床にあった空のボウルを軽く小突いた。乾いた音が、誰もいない店内に響く。


「いつまでこんな所にいるんだよ。学校へ行って、さっさとぶっ潰せばいいだろ」


 割れた窓の隙間から外を見張っていた狩蠍(しゅかつ)――古屋陸(ふるやりく)が、振り返らずに言った。


「焦るなよ。獲物が自分から罠へ入ってくれたほうが楽だろ」


 雨に濡れたアスファルトを見つめたまま、口の端だけを持ち上げる。


「北潟は、後輩が危ないと知れば必ず来る」


 壁にもたれ、じっと四人を眺めていた恨禍(こんか)――石塚楓真(いしづかふうま)が、ショーケースの内側に残った指跡をなぞる。誰かが以前、ガラス越しにケーキを指差した跡だろう。


 恨禍は口を開き、慎悟の声を真似た。


『何かあったら、すぐ俺に連絡しろ』


 暗い店内に、声が響く。鬼乱怠が不快そうに顔をしかめた。喉の奥で、小さく息を呑む音がする。


 恨禍は満足そうに口の端だけで笑う。


「こう言われたら、後輩は頼りたくなる。頼られたら北潟は断れない。昔から、そういう奴だった」


 五人は、友人ではない。


 互いを信じてもいなければ、支え合ってもいない。ただ、同じ過去と同じ恨みを持っているというだけで、この店に集まっている。会話は交わされても、視線はいつもどこかで擦れ違っていた。


 その時、店の裏口の方から、小さな爪が床を引っかく音がした。


 五人が同時に振り向く。


 暗がりの奥、割れたガラス戸の隙間から、大きな両目をぎらつかせた灰褐色の影が現れた。


 慧鬼(けいき)だった。


 雨に濡れた身体を震わせ、床に水滴を散らしながら、音も立てずに悪路漢の前まで歩み寄る。全長二メートルほどの細身の体軀は、廃墟の暗がりに溶け込むようによく馴染んでいた。


「見つけたよ」


 慧鬼は長い指を組み、楽しそうに首を傾ける。人間の言葉を操るその声は、軽薄でありながら、どこか湿った不気味さを帯びていた。


「君たちが福江東中学校の周辺へ放った恨卑と疾牙だけど、思ったより仕事が進んでいない」


 悪路漢の手が止まる。


「十彩獣団が来たのか」


「まだ来ていない。でも、別のものが邪魔をしている」


 慧鬼の大きな瞳の奥に、象牙色と茶色の光が映り込んだ。


「一体は、象牙色の天馬。空から降りてきて、疾牙の進路を塞いだ。もう一体は、茶色い猛牛。恨卑を角で弾き飛ばした」


 鬼乱怠がパンの袋を握り潰す。


「また霊護獣(れいごじゅう)かよ。面倒くせえな」


 狩蠍が窓辺を離れ、興味深そうに慧鬼へ近づいた。


「まだ人間との契約は済んでいない、ってことか」


「そう。二体とも、危険が迫った時にだけ姿を見せている。守ろうとしてる、って感じかな」


 悪路漢は手入れの手を止め、刀を膝の上に置いたまま、慧鬼を見据えた。


「そいつらは誰を選ぼうとしている」


 慧鬼は爪先で床を二度叩く。楽しんでいるような、値踏みしているような仕草だった。


「象牙色の天馬は、清滝聖矢(きよたきせいや)の近くへ現れることが多い。茶色い猛牛は、牛山智徳(うしやまとものり)の近くにね。恨卑や疾牙が近づくたびに、二体とも威嚇して追い払ってる。ただ――」


 慧鬼は言葉を切り、悪路漢の反応を確かめるように目を細めた。


「まだ、契約が成立したわけじゃない。あの二人が正式に選ばれるかどうかは、まだ分からない」


 選ばれようとしている。


 まだ選ばれていない。


 その二つの言葉が耳の奥に残った。松影の柄を握る手に、じわりと汗がにじむ。喉が渇いていた。水を飲んだわけでもないのに、飲み込む唾すら見つからない。


 恨禍が低く呟いた。


「力を持つ前に心を折れば、自分から拒むかもしれない。刃を向けるまでもなく」


 鬼暗憎が真っ先に食いついた。


「だったら簡単だろ」


 菓子パンの袋を作業台に放り投げ、悪路漢のほうへ身を乗り出す。


「武器を持つ前に潰せばいい」


 鬼乱怠が同調するように棒を振り回し、宙で止める。


「中学生二人だろ。今夜のうちに片づけようぜ」


 狩蠍だけが、腕を組み、やや冷めた声で割って入った。


「夜のうちに動けば、警察の警戒網に引っかかる。昼間の三人の件で、もう街は動き出してる」


 四人の視線が、自然と悪路漢へ集まる。


 決めるのは、いつも悪路漢だった。


 悪路漢は、しばらく黙って松影の柄を握っていた。頭の中では、清滝聖矢という名前が、じわりと熱を持って広がっていく。


「清滝聖矢から狙う」


 その一言で、店内の空気が変わった。


 鬼暗憎が鼻を鳴らし、口の端を持ち上げる。


「全部あいつのせいだってわけか」


 夜の校舎裏の記憶が、断片になって蘇る。北潟慎悟を人気のない場所へ呼び出す計画。五人で囲んで、思い知らせてやるつもりだった。


 計画は実行前に潰えた。清滝聖矢が、それを知って警察へ通報したからだ。


 補導と処分を恐れた五人は、逃げ場を探した。反省ではなく、恨みを探した。その隙間に、金津美里が入り込んできた。


 進学でもない。就職でもない。「第三の進路」。


 五人はそれを選んだ。自分たちの意思で。


「違う」


 悪路漢は短く言った。松影を握る指に、また力がこもる。


「聖矢を倒す。そのあと北潟慎悟を倒す。俺たちがこうなった理由を、あいつら自身に思い知らせる」


 奪われたのは自分たちのほうだ。壊されたのは自分たちの未来のほうだ。悪路漢はその考えを、何度も掌の中で磨き直していた。松影を磨くのと同じ手つきで。


 慎悟を襲おうとしたのは、悪路漢たち自身だった。聖矢は、それを止めるために動いただけだった。鬼になる道を選んだのも、他でもない悪路漢たち自身だった。金津美里は、ただその怒りに火をつけただけだ。


 それでも悪路漢の指は、松影の柄から離れなかった。


「清滝の家を、直接襲うのか」


 狩蠍が尋ねる。


 悪路漢は首を振った。聖矢だけを殺しても、慎悟を確実に誘い出せるとは限らない。それでは足りない。


 悪路漢は壁に貼られた古い周辺地図へ歩み寄った。福江東中学校、清王学園(せいおうがくえん)高校、駅前、住宅街へ続く道が、赤い線で結ばれている。


 松影の切っ先で、校門を示す。


恨卑(こんぴ)を校舎内へ入れろ。教室と廊下へ散らして、生徒を分断する」


 切っ先が、学校周辺の道路をなぞる。


疾牙(しつが)は校門、裏門、通学路へ配置しろ。教師と生徒の逃げ道を潰せ」


 さらに、清王学園の位置で止まる。


「残りは清王学園周辺へ放て。北潟たちがこちらへ向かったら、背後から追わせる」


 悪路漢は、慎悟の強さだけでなく、その性格までも計算に入れていた。


 慎悟は、後輩から助けを求められれば必ず来る。危険だと分かっていても、来る。それが慎悟の優しさであり、同時に、悪路漢が使える唯一の弱点だった。


「清滝が助けを求めれば、北潟は必ず来る」


 悪路漢は静かに呟いた。


「逃げ道を残すな。福江東中学校を、あいつらの墓場にする」


 狩蠍だけが、一瞬だけ表情を曇らせた。だが狩蠍は、それを口には出さなかった。


 慧鬼は面白そうに目を細める。


「学校を襲って、後輩を餌にして、十彩獣団を母校へ誘い込む。なかなか意地の悪い作戦だね」


 悪路漢は慧鬼へ視線を向けた。


「お前は清滝聖矢を見失うな。誰と会い、どこへ逃げ、何を話したか、全部俺に報告しろ」


「了解。僕は戦わない。見て、聞いて、報せるだけだ」


 慧鬼は従順に頭を下げた。だがその大きな瞳は、悪路漢だけでなく、五人全員の様子を等しく観察していた。


 五人は武器を確認し、食料をまとめ、恨卑と疾牙への指示を交わし始める。混乱に紛れるように、慧鬼はいつの間にか裏口から姿を消していた。


 ◇


 雨に濡れた電柱の上。看板の陰。近隣の建物の屋根。


 慧鬼はそのどこかから、遠く離れた金津美里(かなづみり)へ、霊的な通信を送る。


 悪路漢が独断で学校襲撃を決定したこと。福江東中学校を包囲する作戦であること。新たな霊護獣が二体確認されたこと。契約候補は清滝聖矢と牛山智徳であること。第一標的は清滝聖矢、最終標的は北潟慎悟であること。母校へ誘い込む意図があること。


 美里からの返答はない。


 慧鬼は一方的に報告を送り、そのまま沈黙の中へ溶けるように通信を終えた。


 悪路漢は、自分の意思でこの作戦を決めたつもりでいる。


 けれど、その行動は最初から、金津美里の目の届く場所に置かれていた。


 その皮肉に、悪路漢はまだ気づいていない。


 ◇


 厨房の中央で、悪路漢は松影を鞘へ収めた。


「夜明けまで待つ」


 それだけを口にして、悪路漢は立ち上がった。


 松影の重さだけが、まだ掌に残っていた。選ばれなかった自分に、明日、何かを選び取る資格があるのか。


 店の外で、遠く雷が鳴った。


 色褪せた兎の看板が、片耳だけを黒く汚したまま、雨の下で笑っているのか怯えているのか分からない顔で立ち続けていた。


 かつてこの店で、誰かの合格や誕生日が祝われていたことを、五人はもう思い出しもしない。


 夜明けまでの数時間が、清滝聖矢と牛山智徳、そして北潟慎悟の運命を分ける最後の猶予だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


悪路漢が松影を磨き続けるあの仕草、書いていて一番苦しかった場面です。


彼は復讐を選んだつもりで、実は誰かに選ばされ続けている。その皮肉に、本人だけがまだ気づいていません。


慧鬼という存在も、今後じわじわと不穏さを増していくと思います。ただの偵察役では終わらせないつもりです。


次話「閉ざされた母校」では、ついに恨卑と疾牙が福江東中学校へ牙を剝きます。慎悟たちが動き出す、決戦の幕開けです。


もしよろしければ、感想や評価をいただけると励みになります。


※本作の執筆・編集にはClaude(Anthropic)を補助的に使用しています。キャラクター設定・世界観・構成・最終判断は作者が行っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ